33 魔法と魔法
ドラゴンとの対峙が決まった。
そして今、俺はそのドラゴンであるフィニスと対峙している。
「よう。前回は生き残らせてもらったけど……今回はそのようにはいかないからな」
南西にある、通称『死の大地』と呼ばれる場所にある洞窟の前で、影のドラゴンと向き合っている。
ぼんやりとした影がドラゴンを模倣するようにまとわりついている。
空を黒く染めるような仰々しい翼。
大地を鷲掴む四本脚には、鉄すらも軽々しく切り裂くような分厚くも鋭利な爪。
影の中から不気味に輝く赤い閃光のような瞳。
異形と呼ぶにふさわしいドラゴンだが、これは俺が見えている幻覚にすぎないらしい。
マナミ曰く、俺の見ているこれは本来の姿じゃない、って言うんだから驚きだ。
マナミは準備があるらしく、今は離れた場所で観戦している。
俺の仕事は簡単だ。
生き延びつつ、マナミを悟られないようにする。
フィニスは俺に興味が無いのか、ただ羽をざわめかせては、まるで息を吐いて虫のような扱いをしているようだ。
「余裕だな。だけど、俺は約束してるんだ。今度は負けない……正々堂々、拳で勝負といこうか」
俺の筋肉は、以前の戦いでフィニスに実質敗れている。
片腕が飛んだのは弱さだと、鍛錬不足だと嘆いたほどに。
だけど今は違う、この対峙している今、地に足がついているのだから。
俺は引き締め気味に、強く構えた。
その瞬間、知性の欠片もない咆哮が大地を唸らせる。
人によっては、この咆哮だけで勝負がついていただろう。
「たかが犬の遠吠えごときで俺がくたばると思ったか? ああ、吠えるトカゲなんて初めて見たけどな」
肌を裂くような風切り刃が向かってくる中を、俺は駆け抜ける。
大地を踏み抜き、フィニスとの距離を詰めるように。
以前は風で皮膚をえぐり取られたが、今の筋肉は違う。
筋肉は傷ついたことで、次は無い、次こそは負けないと、絶え間なく炎を宿して燃やし続けたのだから。
――俺は、マナミとの今が欲しいんだ……!
風ごと引き裂くように、分厚い爪が襲い掛かってきた。
俺は合わせて、拳を振りぬく。
先に当たる拳圧が火花を散らし、拳が爪を受け止める。
以前と変わらない重さだからこそ、俺の拳は更に上にいくんだ。
フィニスは相殺する力に疑問を抱いているのか、突き出した腕を下げようとしない。
「驚くことじゃないさ。今の俺は、一撃でお前に勝つつもりも、負けるつもりもないからな」
筋肉による再生でのゴリ押しはいずれ限界が来る。だからこそ、俺は自分の筋肉を信じて、生き残る術を身に着けさせたのだ。
そうは言っても、相手はドラゴンの爪。生身である筋肉だと、ただの時間稼ぎにしかならないのも事実だ。
爪だけで攻撃するのを見るに、腕自体はそこまでと思いたいが注意は必要だろう。
俺は相殺していた爪を受け流すようにして、地面へと誘導した。
土煙が巻き上がると同時、地を蹴りフィニスの腹部へと迫る。
「その影ごと……一気に!!」
より強く、より深く、より鋭く、フィニスの腹部へと拳を突き出した。
ひるんだ様子こそないが、内側にまで威力は届いただろう。
実感として、毛布を殴っている感覚だが、確かな芯を衝撃はとらえたのだから。
「ちっ。まだ駄目か」
瞬時、フィニスが巨体を使って一帯を薙ぎ払ってきたんだ。
土煙すらかき消し、フィニスは堂々と立っている。
まるで先ほどの攻撃が無かった、とでもう言うかのように。
確かにフィニスは強い。だけど、俺だけの出番は終わりだ。
俺は一段と強くなった光の方角、天を見上げた。
「マナミ、今だ!」
「フィニス。大魔女様に会わせて……だから、ごめんね」
マナミはフィニスの頭上を取っており、手のひらを天高く掲げていた。
「っ! なんつう馬鹿力だよ。マナミ」
手が振り下ろされると同じく、フィニスに無数の光の柱が降り注ぐ。
視界を白く染めあげる柱。
フィニスの雄叫びよりも強く、地響きを叩き挙げるほど濃度が高い光の魔法。
普通の人間が食らえば、原型をとどめないどころか、存在そのものを否定する破壊力を秘めているみたいだ。
俺とのは戯れだった、と分かるほど高密度な光のエネルギーを凝縮した魔法。
光が降り注ぐ中、マナミは俺の隣にふわりと降り立った。
「あれほどの魔法、大丈夫か?」
「うん。遅くなってごめんなさい、クロジ」
「……謝るのはあとだ。まだ立てるのかよ……いや、なんだあの姿?」
「クロジが見えていたのはあくまで魔法を被った姿。あれが本来の、冷たい黒い皮膚を持ったドラゴン、フィニス」
光が晴れ、煙が収まったかと思えば、そこには黒いドラゴンが立っていた。
全てを呑み込むほど黒い光沢をもった鱗。
天をも覆い隠すような黒く禍々しい翼。
怪しく光る赤き瞳は、凶悪なドラゴンであると脳に情報を伝えるには十分すぎるほどだ。
その時、マナミは間髪入れずに手のひらに光弾を創り、一直線上に高密度な光として発射した。
しかしその光は、フィニスに当たったが、弾けて終わっている。
「効いていないのか?」
「噂だけど。フィニスは能力のどれかを一つ、デメリット無しで上げられるの。多分、今も尚、大魔女様に繋がっている証拠で間違いない」
「……マナミの魔法が効かないのか。なら」
俺は一気に距離を詰め、フィニスの目前へと迫る。
俺の筋肉は知っている、拳は当たらなければ意味こそないが、当たらない距離なら穿てばいいと。
空気すらも己の拳へと変え、距離を詰め上げよと。
拳を弓矢の要領で引くように構え、目標へと定める。
マナミの矢となるように、俺自身の拳が貫く一撃を。
「うおりゃぁああ――!? っ!」
「え……クロジ!」
拳を引き抜こうとした瞬間、俺の体に異変が起きたんだ。
――なんで、急に。拳が熱い……いや、心臓が、握られているような。これは、あの時の。
フィニスを殴って気絶させる予定だったのだが、俺の体はその場で止まってしまった。
今すぐにでものたうち回りたい、体は壊れるように危険信号を発している。
荒く吐き出る息が、重い。
気を抜けば、俺は魂の観測から外れる、瞬時にそれを理解した。
その時、フィニスは好機と見てか、翼を羽ばたかせ、俺目がけて腕を大きく振るってきたんだ。
「……俺は、俺はぁあ!!」
喉が避けそうな程に声を出した。
だけどその声は、届かない。
俺は諦めたくない、生き残りたいと強く願った。
ただ願うだけで、動けない俺には何もできない。
心を蝕む毒が、細胞を焼き付ける炎のような痛みが、仇になるとは思いもしなかった。
俺が自分の運命を受け入れようと目を瞑った、その時だった。
「え。……マナミ……どうして」
「フィニス。私はあなたを消したくない。だから、通して。クロジと、私を」
フィニスの腕が俺に届くことはなかった。
むしろその腕は、俺の目の前に出たマナミとの間で止まっている。
この時の俺はマナミの背を見る状態だったが、確かに見えていた。
見てきたマナミには感じない、おぞましいほどの気とも言える歪みがマナミを中心として溢れていたんだ。
その光景はまるで、その場にあるものが全て破壊されている……いや、再現性の無い状態。
きっとその歪みに触れたら、俺の筋肉もただでは済まないと理解できてしまう。
「フィニス。分かってくれないの」
フィニスは轟音とも言える叫びをあげた。
大地を、海を、天を、全てを揺らすほどの怒号を。
だけどそのフィニスの姿は――既になかった。
残ったのは灰とも言えない、ドラゴンの形をした何かだ。
――マナミ。
それはコンマにも、秒数にも満たない、一瞬の出来事だった。
フィニスはマナミに攻撃を仕掛けた。だが、それよりも早く、マナミの見えない何かがフィニスを葬った。ただ本当に、それだけが事実として、目の前の形に残っている。
ストールやローブの裾が荒れて浮かび上がっていたのが嘘のように、今目の前にいるマナミはいつもの魔女だった。
「クロジ、歩ける?」
「……ああ」
マナミのさっきの行動には触れない方がいい、と直感は理解した。
未だに蝕んでくる試練という名の呪いが残った体に鞭を撃ち、俺はどうにか一歩をよろめきながら踏み出す。
「私の手に掴まって。クロジなら、大丈夫だから」
「マナミ、すまない」
きっとマナミは、俺が何に対して謝ったのか知っているのだろう。
「気にしてない。休みながらでも、先を急ごう。大魔女様は、これ以上の駒を出せないから」
「……本当に、ごめん」
「もう謝らないで。私は、私は、クロジが生きて傍に居てくれるだけで十分だから」
形だけを残したドラゴンの横を通り、俺たちは洞窟へと向かった。
俺はきっとこの先で、マナミの事をもっと知らないといけない、そう思えたんだ。
それは誰かのためでもなく――自分自身の今を知るために。




