32 魔女の悶々に筋肉を
家に戻った俺とマナミは、椅子に座って向かい合っていた。
隣同士でもよかった。
だけど今は、そんな気分ではなかったんだ。
「マナミ。ナトゥーラって誰なんだ?」
「……簡単に言えば、大魔女様。……この世界に生きる、全ての魔女の母……一つの祖であるの」
「あれが、大魔女?」
影を纏っていたせいか、どうみても大魔女に見えなかった。
むしろフィニスのシルエットがどれだけ明確だったのか、今更ながら感謝できてしまう程だ。
「あの大魔女様は、本体で来てないと思う。多分、感覚的には見えなかったと思うの」
「ああ、確かにぼやけてた」
「……ぼやけているだけでもおかしい。本当に、クロジは何者なの?」
何者かと聞かれれば、俺は筋肉と答えるだろう。
筋肉は俺であり、俺は筋肉と結びつけられた魂なのだから。
とはいえ、その筋肉が今や人質に取られた状態で気が気ではないが。
今は何ともないが、試練と称した魔法のおかげで、謎の苦しみを背負ったせいだ。
正直、あの場では死が何よりも近しくて気づかなかったが、あの火と毒の痛みが永遠に続いていたのなら……俺は間違いなく、今マナミと話すことはできなかった。
マナミが来てくれたからこそ、俺は救われたと言える。
「えっとね、前に御伽話、エルリッシュと話したと思うの」
「でもあれだろ? 大魔女は架空上の生物で、実在は知る者しか分からないってやつ」
「そう。それで、魔女同士を争わせた張本人で、あれは私にとって恐怖の根源そのもの」
テーブルの上に置かれたマナミの手は震えていた。
今までこんなマナミを見たことが無かったからこそ、どう声をかければいいのか分からない。
俺が傍に居るから、なんて言葉が響くのだろうか……。
「……大魔女様の試練から逃げた、私が悪いの。他の姉妹を見捨てて、私だけ生き残ろうとして……弱い私が、いけないの……」
マナミが独白し、弱弱しく声を出すとは思わなかった。
大魔女……ナトゥーラという存在は、それ程までにマナミをおかしくしてしまったのだろう。
あの存在感は何とも思わなかった。だけど、今では違和感を覚えている。
大魔女とマナミは教えてくれているが、どうしても大魔女が結びつかないのだ。
先刻の大魔女は、マナミを養分にし、楽しんでいる気がしてならない。
――俺は、マナミの……。
拳を握りしめるよりも先に、俺は立ち上がっていた。
立ち上がろうと、感覚的に意識したわけではない。
それでも立ち上がるのは、今目の前に、落ち込んでいる魔女が居るから。
理由はただ、それだけで十分だろう。
どれだけ都合のいい言葉を修飾しても、どれだけ諦めのない言葉を飾っても、それは全て励ましか貶しの二択でしかないのだから。
俺は立ち上がったのだが、思い返したマナミは気付かないほど、深く受け止めているらしい。
「……マナミ」
口に出す、まずはそれからだ。
彼女の名前を、マナミという愛らしい名前を俺は口にしている。
そのままマナミの後ろに立ち、腕を回す。
ごつい腕。筋肉を信仰している信者が抱きしめたところで、ただの変質者でしかない。
でも変質者と呼ばれているのは、魔女にだけだ。
俺は自称妄想信者だが、他者に別の名で呼ばれるのも嫌だ。
だけどマナミになら、何を言われてもいいと知っている。
マナミは俺が腕を回してきたことに驚いているのか、声に鳴らない声が漏れていた。
「く、くろ、クロジ……?」
「マナミ。召し使いのくせに図々しいとは思うんだけどさ、マナミの背負っているもの、俺にも背負わせてくれないか?」
「どうして……」
マナミは優しい。だからこそ、俺を、周りを巻き込みたくないのだろう。
「なに。俺も大魔女の野郎に試練を与えられたからさ。それを解除するためにだよ」
「嘘でしょ……?」
「マナミに嘘つくかよ。確か『命をむしばむ永遠の魔法』をかけたとか言ってたからな」
マナミはそっと、俺の腕に触れてきた。
「本当に、魔法、かかってる……あの大魔女様は、のうのうと生きている私が気に入らないから、きっとクロジを使って……」
マナミはどこか思い当たる節があるのか、変に考え込んでしまった。
俺に腕を回されていても気にしないあたり、好きにしていいってことだろうか。
まあ、マナミは柔らかいし、これだけでも十分満足だが。
「なるほど、マナミを使えばいいんだな?」
俺は迷わず、マナミをお姫様抱っこして、ベッドの上に運んで優しく置いた。
マナミは困惑しているのか、俺を見ては、俺を見ている。
「クロジ、その、だ、駄目だよ? 今は空気、読んだ方が……まだ太陽昇ってるし……ね?」
「マナミ、何言ってんだ? マナミがずっと座りっぱなしだったから、ベッドの方が柔らかくていいかぁああ!??」
「クロジの馬鹿!」
マナミの怒りを買ったようで、天井に下がっていた火を通して俺は丁寧に焼かれた。
プスプスと煙が昇り、筋肉は美味しくできましただ。
いい感じに旨そうだが、マナミは黙って熱消毒をしてくれたのだろう。
見たところ魔法が消えたようには見えず、ただ焼かれただけのようにも見える。
「でも、クロジのおかげでどうすればいいのか分かった。まずは……」
マナミはベッドで仰向けになったまま、空に文字を書いた。
その文字はやがて鳥を模した紙へと変わり、吹き抜けの窓から飛んでいく。
「何をしたんだ?」
「エルリッシュに、南西の調査をする、って文面を魔法で送ったの」
「へへっ。つまりは、あのドラゴンに殴り込みを仕掛けると。勝算はあるのか?」
「……私の魔法が通らない限り、勝ち目は……」
「まあ、あの影みたいなモヤモヤを剥がさないと、殴っても殴れないからな」
「モヤモヤ?」
マナミと同じドラゴンを見ていたはずなのだが、マナミは不思議と首を傾げている。
「ああ。なんか大魔女と同じく、あのドラゴンも影のようなものを纏ってただろう?」
「私、初めてクロジを連れて行ってよかったって思った」
「さり気なく酷いな、お前」
マナミは少し笑いこそしたが、真剣な表情をした。
「ふふ。クロジにかかった魔法、解けるか聞いてみる。だから、だから……クロジ……私の傍から、いなくならないでね」
「任せろ。俺はまだ、マナミからの恋を諦めてないからな」
大魔女にはさっきのお礼然り、マナミを貰うと宣言しないといけないから丁度いい話だろう。
マナミが南西に向かうと宣言した以上、そこに大魔女がいる目安はついているとみえる。
俺は筋肉を救うのもそうだが、マナミと生き残るために決意を固めるんだ。
俺が決意を固めている中、マナミは首元のストールを外していた。
「クロジ……このまま、私を。……聞いてないし、見てない……。もうっ、クロジの馬鹿」
嬉しそうに体を横にしたマナミに、この時の俺はついぞ気づかなかった。




