26 弱さも極めれば強さとなる
「悩んでる?」
お風呂を終えてベッドに座っていると、マナミが聞いてきた。
悩んでいる。それは、俺がエルリッシュ王に手も足も出ず、自分の弱さを実感したことについて指摘しているのだろう。
「かもな」
俺は自分の手のひらを見た。
今までなら……いや、元いた世界なら、誰にも負けないどころか、山に住む獣にすら勝てた。
だけどこの島で、初めて負けを実感している。
自分の至らなさだけじゃない。
ずっと精進してきた、その気持ちが足りていなかったことも。
島での生活で腑抜けたわけでもないのに届かなかった。
拳を振るったところで、威力で勝てても、技量では何一つ及ばなかったんだ。
「珍しい。エルリッシュに負けるのは必然。彼は武器こそ手加減したけど、持つ力はしっかりと見せた。その動機を奮起させたクロジは、誇るべき」
マナミは語るように口にしつつ、俺の隣に腰を掛けてきた。
さり気なく同じベッドに座ってくるあたり、今の俺を警戒していないのか。
変質者、と幾度も言われてきたが、マナミは本当に慈悲深い。
見捨てることをせず、力ある権力を振り回さない、その優しさは魔女としての格の違いなのだろうか。
「エルリッシュは王だけど、この島で生きるだけなら容易くても、生き残るのは無理だから」
「どういうことだよ?」
「……特別に、教えてあげる」
マナミはいたずらに微笑み、口元に人差し指を当てていた。
揺れる右ワンサイドテールに、揺らめく黄緑色の瞳が、妖艶とマナミを輝かせているようだ。
「自分の弱さを彼は知っているし、隠すことをしていない。それでも弱さが見えないのは、その弱さを知っているから」
マナミの言葉に、俺は首を傾げるしかなかった。
弱さを理解したとして、イコールで弱さが見えなくなるとは思えないのだ。
俺からすれば、エルリッシュ王は筋力を除けば確かに技量や観察力では目を見張るものはあった。だが、筋力は明らかに俺よりも下の弱さがあったのだから。
並大抵の筋力で無いにしろ、弱さとは相手と比較したもの、というわけではないのだろうか。
「筋力なら俺が勝ってるな」
「多分、クロジに卑怯な手無しで筋力勝負したら、誰も勝てない」
「弱いって、相手と、って意味だろ?」
「それは違う。それを言ったら、全人類は最高に立つ人以外は全員弱くなるし、争いは生まれない。それこそ、強者が弱者に餌付けをしていれば、生きるだけで、生き残る必要は無くなるから」
まったりとした物言いで恐ろしいことを口にできるのは、マナミが俯瞰している証拠か。
俺は答えを求めたくなってしまう。それでも、今は答えを求めるのは間違いで、道中を見ることが必要なのは理解できている。
筋肉に解決させるのをやめて、筋肉で解決するようになったからこそ、俺は冷静に判断できるのかもしれない。
「クロジは、自分と向き合ってる?」
「自分と、って言われたら微妙かもな。マナミは前に指摘してきたけど、俺は筋肉と共に歩んでいるから、俺っていう形は無いに等しいからな」
「話覚えているの。クロジ、えらい」
「い、いきなり褒めてくるな。照れるだろ……」
褒められるのは悪くないが、マナミの自然な笑みが心臓に悪い。
悪意が見当たらないからこそ、傷跡に染み込むように、痛さを教えてくるような……。
「……弱さは、その自分が理解できないと、きっと向き合えない。……ずっと、ずっと、逃げている私みたいに」
「……マナミ?」
何度も見た。
マナミが表情を曇らせる時は、魔女についてだ。
マナミは魔女であるが、それについて深く触れることもなければ、どこか自分の弱さと折り合いをつけているように見える。
魔法を躊躇なく使っているとしても、本意では無いのかも知れない。
俺は、自分の弱さを知ろうとしていないから、マナミをこうして巻き込んでいる。
自分の不甲斐なさに、気づけば拳を握りしめていた。
血がにじむほど、痛いのに、辛いのに、吐き出せない。
マナミが不安を見せたからじゃない、そうさせた俺が、俺が……。
「クロジ」
小さな手が俺の拳に重なり、わずかな温かさを伝えてくる。
「クロジは弱さに向き合っている。それだけでも、十分に強いし、その弱さの形を理解すれば、エルリッシュの真意が分かるよ」
「俺の、弱さ……俺は、筋肉に頼れなきゃ弱いのは痛感していたさ。でも、筋肉があっても、この島じゃどうにもできないし、手伝うことくらいでしか真意を見いだせていないんだ」
筋肉をしっかりと使ったのは、北西での手伝いと、庭にポンプとお風呂を作った時だけだ。
限界を決めない筋肉であるが、一撃を決めても勝ちにならないと思い知らされた。
「そっか。少しだけ……あれも言っていたけど、自分を犠牲にする覚悟があっても、残すべきもの、生き残る意味に価値を見いだすこと」
「王も言ってたな。俺は確かに、再生できるってことから、血を吐こうが、腕が飛ぼうが、別に関係ないって思ってた。でもそれは、生きることが出来ても、生き残ることはできてないか……」
マナミは俺の考えを聞いてか、深くうなずいていた。
「クロジ。今回の伝統への参加、ドラゴンとの対峙は辞退して。エルリッシュも、生半可な生を持つ者を台座にあげるほど愚者じゃないから」
「あれか、俺が強さを示せなかったからか。まあ、マナミとはそういう条件のもと、エルリッシュ王と戦うことになったもんな」
「違う。強さは十分に示せた。だけど、ドラゴンにその強さだけを伝えるのは、伝統を傷つけるだけ」
伝える。俺は何度も筋肉で学んできたはずだ。
だけど今は、今だけは、その過程に不備があったと理解できる。
伝統があるように、なぜそうなったのか、結果だけではなく過程を考える力が俺には抜けていたんだ。
エルリッシュの剣術は恐らく、その弱さを隠さないで、より強く、研ぎ澄ますために、怠らない努力の末で手に入れた力だろう。
生き残る。この島ではどれほど重い言葉なのか、思い知らされた気分だ。
「……分かった、今回は辞退する。でも、次までには、絶対に力を、生き残るための力をつけるってマナミに約束してやる」
「うん。それでいい、今のクロジには丁度いいから」
ふと気づけば、マナミは顔の距離を近づけてきていた。
瞳の奥が見えそうになるほど近い。
黄緑色なのに、俺の姿をほのかな炎の明かりを反射してくっきりと輝かせている。
温かな息遣いが耳を撫でるように、肌を撫でてくる。
こんなにマナミと接近するのは、ベッドで寝ている時だけの筈だった。
少し倒れれば……唇が重なってしまう、そんな予感が走ってしまう。
けどそれは望まれないのは分かっているし、話の流れに任せるほど、俺は芯が無い人間になった覚えはない。
「なら、クロジには私が直々に試練をあげる」
「マナミが俺に試練を、か?」
「そう。この島で生き残れるように過ごす、それが私の与える最初で最後の試練」
「簡単、とは言えなそうだな。でも、魔女の期待に応えてやるよ」
「そうして。クロジが仮に治癒できなくなって、いなくなったら……寂しくなる人、残される人がいる、って覚えておいてね」
マナミはそう言って、腕を回してきた。
ぎゅっと近寄る体の距離に、胸元に当たる柔らかなふくらみの形変わる感触が、自然と体に熱を帯びさせてくる。
「ま、マナミ!?」
「クロジ、恋をしたい、って言ってたけど本当の恋には弱そう」
「……は、初めてだから仕方ないだろ。異性とこんなに近しいのも、マナミが初めてなんだからさ」
「別の世界の人は暇をしたら交尾する、って聞いてたけどクロジは違うの?」
なぜか嬉しそうにするマナミは、俺にとんでもない偏見を持っていたようだ。
「言っただろ。俺は家なき子だったし、人らしく暮らす期間はそこまでなかったからな」
「じゃあ、私の召し使いになれてよかったね」
「よかった、のか?」
魔女の恋をしたい、と考えれば嬉しいことだが、普通なら喜びにくいような。
俺はマナミが嫌いじゃないから、同じ空間で過ごさせてもらっているだけでも、正直ありがたい限りだが。
「あの、ところでマナミさん」
「どうしたの?」
「当たっているのですが?」
「……駄目なの? 素肌を出していないよ?」
「ごめん、ただ嬉しかっただけだ、気にしないでくれ」
変質者、とさり気なく言ってくるマナミは、クスクスと微笑んでいた。
こうして自由なマナミを見ていると、弱さで悩んでいた俺が馬鹿らしいな。




