22 魔女の恩返し。恋は駄目でも恋距離はある
食事を終えた俺は、白い湯気が漂うお風呂で体を温めていた。
久しく感じることのなかった、体の芯から温まる安らぎ。
体に溜まっていた重みが抜き出るようで、生きている、という実感を覚えそうだ。
今思えば、俺は家なき子だったからこそ、ドラム缶風呂を作るので精いっぱいだった。だからこそ、こうして広々としたお風呂に浸かれるのは感謝しかない。
筋肉も喜んでいるのか、細胞がより活発になっている。
この喜びが、マナミが先に入ったから、という価値観が付与されていなければいいが。
「でも、マナミが気に入ってくれたようでよかった」
上を見上げれば、湯気が三角屋根の通気口を抜け、天へと昇っていた。
これも全て作ったのだから、この島では作る行為に手を染めてもいいかもしれない。そのためには、国の人から教えてもらうのが手っ取り早いし、世界の天秤を崩さないで済むだろう。
お風呂やら毒素を抜くための吸い上げポンプを作った時点で、だいぶ手遅れのような気もするが。
――星、綺麗だな。
俺は初めて夜空を見上げたような気がした。
夜を堪能したのは、マナミに評価をされた日と、マナミをおぶって夜に帰宅した日くらいだ。
この世界に星があるのを、正直知らなかった。
海を星明りが照らしている。
ぽつぽつと海面に咲く白色の花。
水平線を超え、一面に咲き誇っている海の花畑。
人口の明かりが存在しない島だからこそ、より美しく見えるのだろう。
俺はこの島で生活できることが幸せだ。
一番の幸せは間違いなく、魔女であるマナミに出会えたことだが、それ以上に関わっている今が楽しい。
ずっと俺は独り……いや、筋肉と共にしてきていたからこそ、人肌を恋しく想っていた可能性がある。
マナミを待たせすぎないように、お風呂に浸かるのも程々にし、上がって戻ろうとした時だった。
「クロジ」
「マナミ、ここまでどうしたんだ? ……男の風呂を逆覗きする趣味でもできたか?」
下手をすればマナミに半分魔法で焦がされている可能性もあったが、今の俺はベスト以外を既に着用している。
下半身だけを隠した筋肉でも、星の下では凛々しいものだ。
マナミは呆れた様子を見せているが、いつもの魔法が無いのは様子が変だ。
「クロジにお返ししたいから、待ってた」
マナミの服はノースリーブのワンピースから変わっていない。
だがその手にバスタオルを持っていることから、なんとなく察してしまう。
俺がバスタオルを手に持っているのを確認して目を細め、そこに置く、と言わんばかりに視線で近くのテーブルへと誘導してくる。
「クロジは召し使いだけど、髪拭いてあげる」
「マナミにできるのか?」
「クロジの見たから。それに、私にできないことはない」
ふと嫌な予感が走ったが、気のせいだろうか。
「それじゃあ、少し任せようかな。でも、家の中でな?」
「……その間に拭かないでね」
――マナミって何気に筋肉に耐性あるよな。
俺はそんなことを考えながらも、マナミの後に続いて家に入った。
家に入るなり、待っていましたとばかりに椅子が中央を陣取っている。
仰々しいにも程があるが、マナミの気合が窺える配置だ。
椅子に座ると、マナミは待っていましたとばかりにバスタオルを持って後ろに立っていた。
「拭くから、ね……」
「マナミ、無理しなくても――」
「無理してない」
そう言ってマナミはバスタオルを俺の髪に近づけてくる。
不慣れな手際であるが、優先的に濡れている髪を拭いてくれていると理解できた。
マナミが頑張っている、それだけでも俺は妙に満たされてしまう。
君なりに、そんな言葉をマナミにプレゼントしたいほどだ。
俺の世界の常識をマナミに半ば押し付けてしまった。それなのにマナミは否定してこなかったし、むしろ率先してくれている方だ。
魔女なのに、優しいマナミが居てくれるから、断られても恋をしたくなってしまう。
たとえそれが一方的な恋でも、いずれ同じ空気を吸えるようになったら、なんて妄想を膨らませて。
「痛くない?」
「ああ、心地いいよ」
バスタオル越しとはいえ、マナミの指先の感触一つ一つ、俺は確かに感じている。
そうして瞳を閉じかけた、その時だった。
背にぎゅっと、柔らかな感触を感じたんだ。
耳にそっと近づく吐息が、より後ろに立つマナミとの距離を実感させてくる。
後ろを振り向きたいけど振り向けない。
後ろから抱きしめられているようで、そうではない感覚に、体は不意に硬直している。
「ま、マナミ?」
「クロジだけだよ。私を魔女として見ないで、異性として見たのは」
「まあ。魔女は魔女でも、結局は女だろ? それに、俺はマナミだったから見れたもんだ」
「もう。簡単に言うの、駄目」
「そうですか。ところでマナミさん、当たっているのですが? その……ふくらみが……」
俺は覚悟を既に決めていた。
言葉であっても触れたのだから、魔法を使われると。
目をぎゅっと閉じたのに、焼かれるような感覚が一切ない。それどころか、背からその温かな感触は離れていない。
恐る恐る目を開けると、マナミの微笑みから漏れた息が耳を撫でた。
「クロジ。もしかして、異性に弱い?」
「断じて弱くはない。ただ」
「ただ?」
「マナミに弱いだけだ」
マナミがいたずらに笑うので、本当に困ったものだ。
ふと後ろに顔を向けると、マナミは既にバスタオルを手放しており、ただ単に俺の首元に腕を回していた。
ワンピース越しとはいえ、当たるふくらみが視界に入り、変に興奮しかけたのは内緒だ。
下手をすれば開きかけた首元から神秘の領域すら覗けそうになったが、超えてはならない一線がある。それは、男である上ではなく、俺という筋肉を信仰する者だからこそだ。
「初めて雄に触れた。体硬い。骨格が全然違う」
「雄言うな。そんな感想を言うのはお前くらいだろうな」
「クロジは特別。でも、召し使い」
「召し使いより上には?」
「存在しない。勘違いしないこと、私は魔女」
「はいはい。髪も拭き終わったみたいだし、さっさと寝ような」
もう少し、と言って腕を回したままのマナミは、お風呂に入ってから少しばかり様子が変な気がしなくもない。
もしくはリラックスしたことによって、その効果が遅れて出ているのだろうか。
マナミが想うように、俺はマナミの好きにさせることにした。
「クロジ。クロジだけは、消えないで、傍に……いてね」
マナミに身を委ねていた俺は、マナミがボソッと呟いた声についぞ気づかなかった。




