13 月明かりの下、見えないものを知る
影のドラゴンと戦いの末、生きるために逃げる選択をした俺とマナミは、南東にある森で体を落ちつかせていた。
この森はどうやら、国の人が使っている森らしい。
昇っていたはずの太陽は既に隠れており、今では月明かりが木々の隙間から差し込んで夜の森を幻想的に見せてくる。
――これなら、大丈夫そうだ。
俺は少しばかりの草を選出し、持ってきた布に染み込ませた。
「マナミ、右腕を見せてもらうからな」
「……え」
焚火を前にして、マナミは横たわっていた木に座っている。
俺はそんなマナミを気にせず、ストールを避けるようにして腕に触れ、上腕部を見た。
綺麗な白い肌に先の戦いで負った切り傷が、にじむように赤い液を垂らしている。
マナミは魔女とはいえ女の子だ。だからこそ、傷跡が残らないか心配だ。
「流石魔女か。切り傷は深くない。それに、傷が閉じ始めているから、傷跡は見えなくなりそうだな」
「クロジ、見ただけでわかるの?」
「まあ、筋肉が触れただけで相手の状態を教えてくれるからな」
「普通は教えない」
「俺は筋肉を信仰してるからな」
俺は布袋から、綺麗な布と水源草を取り出して、布を水で絞ってから血を拭きとった。
「クロジの方が……私のせいで、怪我してるのに……どうして」
「俺は、魔女のせいだと思ったことはない。この先も、ずっとな」
俺は淡々と、マナミの傷を応急処置しながら言葉を続けた。
「俺が選んだ。それで筋肉が守ってくれたんだ、むしろ傷ついてまで成し遂げた筋肉を誇るべきだろ」
「意味不明。クロジは、本当に、おかしいよ」
口許を緩めながらに言うマナミは、笑っていた。
右ワンサイドテールを揺らして、ただ自然と笑っていた。
呑み込む息に熱さを覚えそうになる。
俺は自分を誤魔化すように、草から練りだした薬が染み込んだ布をマナミの腕に丁寧に巻いた。
この草は齧ったところ、繊維が複雑でこそあるが、苦みと若さゆえに薬草に近しい成分があったのだ。
この島の、マナミが守っている自然だからこそできる、自然が蓄えた応急薬と言える。
俺は傷の処置を終えてから、マナミの隣に腰を掛けた。
「それより、マナミ。あのベスト、失ったのはすまない」
「……また渡してあげる。クロジは、私の召し使いだから」
「変わらないんだな」
「そうじゃないと、示しがつかない」
マナミはどこか丸みを帯びたような気がする。
少しばかり棘こそあるが、あのドラゴンとの戦いで何か変化があったのか?
戦いに意味を見出せるほど、俺は戦い事態に詳しくない。
それでも先の戦いは少なからず、俺自身と向き合ったし、俺は俺を知る機会になった。
ふと気づけば、黄緑色の瞳がじっと見てきていた。
「クロジ」
「どうしたんだ?」
迷った様子をマナミは見せこそしたが、静かに息を吸って胸を膨らませている。
マナミの服は損傷していないが、そのふくらみ方を直視した俺の気持ちを理解してくれないだろうか。
「前に、クロジに、中身が無いって、己が存在しないって言った」
「……言われたな」
以前、マナミは俺を裁定すると称して、召し使いとしては褒めていたが、己自身を強く下に見ていた。
マナミの言っていたことは事実だし、俺も今はそこまで気に留めていない。
筋肉に頼りすぎ、その言葉だけは離れこそしなかったが。
――俺が俺である限り、それは大事なものだ。
「私はクロジを、内面を見ないで裁定した。だから、だから、あやま――」
「マナミが謝る必要ないだろ」
俺は強引だと知った上で、マナミの言葉を遮った。
マナミには筋肉だけで近寄ったし、変質者の印象を与えたし……今も変質者だろうが、そんなの関係ない。
「俺は、生きるために、寂しさを埋めるために、筋肉を信仰した狂信者だ」
「クロジは、生き延びることを目的とした私とは違う、生きる選択をしている。でも、私はクロジの生きた世界を知らないから言えたこと……」
マナミはどうやら、俺が生きるために生きてきたことを明言したからこそ、感じ取ったことがあるらしい。
マナミの生きているこの世界の方が、俺の世界と比べて生き延びる方が難しいはずだ。
俺は世界に対して人らしさを捨てた代わりに、筋肉と共に生きる幸せを手に入れた。
それじゃあ、マナミはどうだ。
勝手な憶測だが、マナミは魔女として生きているが、使命感に狩られ、たまに自分を低く見ている節がある。
マナミが生きてきた、生き延びてきた時間や環境は知らないが、生を自由に謳歌してもいいんじゃないか、って俺は思いたい。
「俺は転生者だ。妄想信者だ。マナミが気に掛ける必要も、守る必要もない」
「でも、クロジがこの島で過ごす以上――」
「なら、俺を守ってもいいけど、自分を大事にしてくれよな。あのドラゴン、魔女にだけ本気を出してたみたいだし、俺が手を貸せるのならマナミに手を貸したいんだ」
言いたいことばっかり言う、男っていうのは最低で最悪な生き物だ。
だけど、その本音が嘘じゃないなら、相手に伝わるならそれで十分な価値観を持っているんだ。
不十分であっても、一人でやり遂げることになっても、結果だけが男としての証なら……道中くらい、異性と仲良くしたって、目標を共有する仲になったっていいだろう。
でも俺はしつこいようだが、魔女に恋をしたいがために、この世界に筋肉と共に転生した天災だ。
結果だけじゃない、その全てがほしい。
生きるための課程においてじゃない、魔女と生きる中に。
その時、置いていた手の上に、一回り小さな手の平が重なった。
「クロジ。私は魔女であって、マナミ。だけど、その魔女に恋は叶わない。クロジが魔女に勝てる保証もどこにもない」
「……ああ」
「でも、でも、クロジが私の近くに居ることが、今は島を守ることになるの。……それだけ」
つまり俺は、魔女に恋をしてもいいと。
たとえ一方通行の行き過ぎた想いであったとしても、その恋が叶うかもしれないキッカケになると。
マナミは顔を赤くして目を逸らしているが、そんなに恥ずかしかったのか?
俺はマナミの顔を横目で見つつ、その場を立ち上がった。
背中の傷は完全に塞がっているし、問題なさそうだ。
そしてゆっくりと、マナミの前で背を向けて屈む。
「……なに?」
「マナミ、今日は遅いし、俺がこの夜は歩いて家まで送る」
「クロジ、少しは眠った方がいい」
「そういやどっかの魔女は、少しは他人に頼った方がいい、って言ってたな。俺の背が今なら空いてるんだが、マナミは頼るのが嫌か?」
少し不満気に喉を鳴らしたマナミだが、その手は俺の肩に触れていた。
「今だけ、だから」
「はいよ。マナミ、眠かったら寝てもいいからな」
俺はマナミが首に腕を回すのを確認してから、おんぶをして立ち上がった。
マナミは思った以上に軽すぎて、何も食べていないのではないか、って心配になる軽さだ。
それなのに、背に当たる柔らかいものが……。
「クロジ、今、変なこと考えた」
「考え――久しぶりに食らった気分だよ」
マナミは優しさなのか、俺の頭だけを魔法で吹き飛ばしてくれた。
照れ隠しをする魔女には困ったものだが、こういうのも人間らしくて悪くないな。
俺は足で火をかき消してから、北を向いた。
「それじゃあ、夜のお散歩と行きますか」
「夜に騒いだ迷惑者」
「知ってるんだな」
頷くマナミは、話だけは聞いていたのだろう。
少しばかり背中から振動と柔さを感じつつ、俺は森を抜けるように歩き出す。
月明かりに照らされた大地を歩いて暫くすると、背中から小さく寝息が聞こえてきたのだった。
影のドラゴンとマナミの関係は結局のところ不明だ。
だけど今日という一日は、俺にとって大きなものを与えてくれる欠片になったと言い切ろう。




