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第8話 勝利と敗北・その先にある希望①

 目の前には血まみれの少女が倒れている。

 全身切り傷だらけで服の至るところが裂け真っ赤に染まっている。

 そして、その少女には両腕がなかった。

 ティア・パーシスという名の能力者。

 俺の敵で、俺の獲物。

 この魔術における最後の贄。


「俺の、勝ちだ……」


 荒い呼吸をしながらそう勝ちを宣言する。

 ティアはまだかろうじて生きているようだ。

 どうする。このまま放っておいてもじきに死ぬだろう。

 動けもしないだろうが、もし反撃されれば厄介だ。

 念のため脚も切り落としておこうか。

 大鎌を持ち上げる。

 一瞬、躊躇した。

 本当にやってしまっていいのか、と。

 首を横に振る。何を考えているんだ。あの時、決めたじゃないか。

 何をしてでもエレナを救うと。

 どれだけ人間のように振舞おうとも、どれだけ人間と同じ機能を備えようとも、彼女に見られる感情そして行動、その全ては製造時にあらかじめプログラムされたものでしかないのだから。

 目の前の少女は人形だ。人間の形をした礼装のようなものだ。能力者である彼女は魔術師にとってただの供物に過ぎないのだから。



『どこに罪悪感を感じることがある?』



 魔術の世界において『能力者』とはそう定義づけられている。それはごく一般的な価値観なのだから。そこに感情移入する必要などどこにもない。

 それとも何か。君はまさか、家畜が人間の言葉を話したら『人間』と定義するのか。そんなはずはないだろ。



『彼女は『人間』ではないのだから』



 これ以上考えると頭がおかしくなりそうになる。

 いや、俺はもうとっくにおかしくなっている。視界もどんどんぼやけてくる。

 あの時無理にでもこいつから離れていなかったら、俺はきっとティアを殺せなくなっていただろう。普通の人間として認識してしまっていただろう。

 だけど、今の俺ならやれる。助けたい人のために、俺はいくらでもこの手を血に染めることができる。



『ならば殺せ。殺してしまえ、ロイド!』



 うるさい! 黙れ!

 俺の中にいる俺ではない誰か。

 今すぐその口を閉じてくれ!

 俺は俺の意志でやるべき行動を決定する。

 だからせめて、もう一度ティアと向き合いたい。

 彼女のことを思い出すべきなんだ。

 俺にとってティアとは何だったのか。

 そうしなければ、俺はこのまま目の前のティアを殺してしまう。


 だからそうなる前に――

 そうなる前に――

 そうなる前に――

 そうなる前に――



          ◇



「ダメだ。やっぱり、俺にはできない」


 今まで何があってもやり遂げると決めていたこの計画も、何もかもすべて。

 俺はティアというどこまでも心優しい少女に負けてしまったのだ。

 振り上げていた大鎌は力の抜けた手から落ち、煙のように消え去った。

 とたん、真後ろから恐ろしいほどの魔力と殺気を感じた。

 はっと息を飲む。


「よく踏みとどまったな」


 知らない男の声がする。恐る恐る振り返ってみると、そこには黒のスーツで身を固めた長身の男が立っていた。

 すらっとした体型だが、普段から身体が鍛えられているのがはっきりとわかる。

 そして緑色の髪。前髪は後ろに撫で上げられている。

 腰に携えられた刀はその服装からして異様な雰囲気を醸し出している。


「あんた、何者だ?」

「俺はアーネスト・マーベル。そこで倒れているティアの保護者ってところだ」


 アーネスト……確かティアが親の代わりに世話になっている人の名前だったか。


「随分と簡単に教えるんだな」

「隠す必要もないからな。教えて不利になる要素は一つもない。次はこっちの質問だ」


 そう言うとアーネストという男は一度ティアを見て再び俺を見る。そして一息ついてから話しだした。


「ティアをどうするつもりだったんだ?」


 口調は穏やかだが、それでも殺気が消えることはなかった。

 答え次第では殺される。それだけは避けたい。しかしここで嘘を言ったとしても、命乞いをしたとしても、この男は納得しないだろう。


「俺の目的を達成させるために殺し、奇跡を起こす魔術の生け贄とする。けど、俺にはできなかった」

「そうか、それはよかったな。もしもティアを殺そうとしていればその瞬間、容赦なく君の首を切り落とすことになっていた」

「だとしても、ここであんたから逃げ切るくらい――」


 ……いや、どう逃げればいいって言うんだ?

 あり得ない。できるはずがない。

 手足が震える。身体中から汗が流れ落ちる。

 アーネストによる威圧が俺を押し潰そうとする。

 いや、アーネスト自身は何もしていない。ただそこに立っているだけだ。

 確かに感じ取れる圧倒的な力の差に、俺自身が勝手に恐怖を感じているだけだ。

 仮に魔術師の強さを魔力量だけで計るならば、アーネストから感じ取れるそれはおそらく全快時の俺と比べて四倍かそれ以上はあるだろう。

 手の内を隠している待機状態でだ。

 これが戦闘態勢に入ろうものならどうなるというのか。

 ――無理だ。

 もし俺がティアを殺していたら、俺は間違いなくこの男に殺されていた。

 そう悟った。


「けれど、こんなところで終わりたくない」


 アーネストは何も言わず耳を傾ける。


「俺がやらなくちゃエレナはずっと苦しんだままなんだ。たとえ誰に恨まれようと、俺はこの計画を成し遂げなければならないんだ」


 声は震えていた。


「後少しなんだ。後少しで……」


 そこでアーネストは呆れたように溜め息をついた。


「まだ踏みとどまりきれてはいなかったか。何が影響しているのかは知らないが、あまりよくないものが憑いているな」


 アーネストはそのまま俺の額に手を当て、そして一息ついてから言う。


「少しだけ手を貸してやろう」


 ――え?

 瞬間、頭に衝撃が走った。

 けれど痛みはなかった。攻撃を加えられたわけではないらしい。

 むしろ先ほどまで頭の中に渦巻いていたものが薄らいでゆく感覚すらある。


「どうだ、少しはマシになったんじゃないか。であれば今の君になら分かるはずだ。本当にしたいことはなんだったのか、もう一度自分自身に聞いてみるといい」


 俺が本当にしたいこと。

 エレナを救うこと。

 それは大前提だ。

 そして、エレナに呪いをかけた魔術師を突き止め、裁きを下すこと。

 そして、そして……

 倒れたティアを見る。

 ずっと、俺に付き合ってくれていた。

 最後まで俺に気をかけてくれていた。

 俺を必死に止めようとしてくれた。

 あんなに明るい笑顔を見せてくれていたのに。

 そんな彼女の笑顔を、俺は奪った。

 苦しみで歪む顔。

 一瞬、ティアとエレナが重なって見えた。

 今の俺はエレナに呪いをかけた魔術師と同じだ。

 そう理解した瞬間、力が抜け身体が崩れ落ちた。


「俺の、負けです。……もう、好きなようにしてください」

「そうか」


 そう言うとアーネストは倒れているティアのもとに歩み寄る。


「こりゃ派手にやられたようだな。このままだと本当にティアが死んでしまうな。間一髪だ。間に合ってよかったよ」


 アーネストはティアの千切れた二本の腕を拾うと腕の傷口に合わせる。そして傷口に手をあてるとみるみるうちにその傷が消えていった。


「どれだけ強い意志を持とうと、夢に釣り合うだけの力が無ければそれを叶えることはできない。だからティアには無理をするなと言っておいたんだがな。勝てる可能性が低くいにもかかわらず、ティアは君に立ち向かった」


 アーネストは言いながらティアを優しく抱える。


「そこに意味はあったのか。それとも意味などなかったのか」


 君はどう思う? と囁き、どこかに行こうとする。

 俺はそれを眺めるだけだった。

 しかし、


「なにぼけっとしている。君もついてくるんだ」


 と言われた。

 ――え?

 その言葉の意味がいまいち理解できなかった。

 力のない声で訊く。


「ついてこいって、どこに?」

「保健室だ。君にはまだまだ訊きたいことがあるんだよ」

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