第97話 大いなる和
ついに、ヤマトの会場・纏向に姿を現した来ぬ国の王・クニトラ。
王は、静かに語り始める。その言葉の一つ一つを全身で受け止める台与。
二人の対決の行方は、夜空から覗く月だけが知っていた――。
纏向の邑は、内も外も静まり返っていた。
月は雲の中に姿を隠し、一すじの冷たい風が篝火を揺らす。
その灯りだけが、集まった者たちを照らしていた。
来ぬ国の王・クニトラは、しばらくの間、壇上に立ち尽くした。
台与は壇下に膝を折り、両の手を膝に置き、背筋を張る。
そして、クニトラをじっと見上げた。
(クニトラ王、これはただの戦ではありません。この国を造る戦です……)
その思念が届いたのか、
クニトラはサッと顔を上げると、低く、よく響く声を発した。
「我らは……いかなる理想を追求し、今日への道を歩んできたのか……」
その声は、金玄基の全身を震わせた。
音というよりは、打ち寄せる波濤。今にも弾き飛ばされそうだった。
あるいは光。その輝きは、あまりにも眩しかった。
「いかにして、今日の八島を築いたのか。
我は先ず、これを明らかにすることによって、諸君への挨拶としたい。
この場に集う全ての者が、これに耳を傾けることは、益する所があると信ずる……」
そのクニトラが、こちらに顔を向けた。
だが、その視線は肩口を通り過ぎ、木の彦尊を射抜いた。
「我らの政体は、他国の制度を追従するべきではない。
他人の理想を追うのではなく、他人をして我が範を習わしめよ!」
クニトラは再び群衆に目を向けると、両手を広げた。
「少数者の独占を排し、多数者の公平を守るを旨として、その名を――
――『大いなる和』
と呼ぶ」
※
その言葉は、台与の喉の奥を突き破り、蘇った。
「……大いなる……和……」
台与は口を塞ぐのも忘れ、食い入るようにクニトラを見つめた。
※
クニトラは、うつむきながら壇上をゆっくりと歩き始めた。
「我らは、全ての人を平等に扱う。
だが、一個人に秀でた才ありと知れば、無差別なる平等の理を排し、能力に応じた地位を授ける。
その者が、例え貧窮の身であろうとも、貧しさゆえに、その道を閉ざすことはない」
その言葉に、砂の国の姫尊・美盧は黙したまま平伏した。
クニトラは不意に顔を上げると、会場のあちらこちらに目を向けた。
「我らは、知識を他人に拒んだ試しはない。
何人にも心を開き、遠き国の人々を追わない」
その視線の先には、カイとタケノオがいた。二人は揃って口角を上げた。
「我らは、質朴のうちに美を愛し、知を愛する」
その言葉に、金玄基の脳裏に浮かんだのは、アヤメの姿だった。
彼女がふいになびかせた髪、こちらを振り返り、花が咲くように笑う。
その光に導かれるように、かつて共に暮らした人々の顔が蘇った。
泥に塗れながらも、些細な知恵を尊び、眩しく笑っていた者たちの姿が。
「我らは、富を行動の礎とする。だが、いたずらに富を誇らない」
その視線の先にいた備の国の彦尊は、目を伏せた。
クニトラは、また視線を移した。
「また、身の貧しさを恥とはしない。だが、貧困を脱する努力を怠らない」
その視線の先には河内の棟梁がいた。棟梁は木柱を握ったまま、立ちすくんだ。
「我らは、政をあずかる者に従う。
こと公に関するときは、和を乱す振舞いを深く恥ずる。
特に、侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、
厚く尊ぶことを忘れない」
その視線の先には、唐古の長老がいた。長老は深々と頭を下げた。
「我らは、理を分けた議論を行動の妨げとは考えない。
行動に移す前に理解していない時にこそ、却って失敗を招く、と考える」
その視線の先には、纏向の長老がいた。長老は深く、強く頷いた。
クニトラは真っ直ぐに会場を見据え、握った拳を素早く横に払った。
「我らが頼むは、戦の仕掛けや虚構にあらず。
――『事を成さん』とする、自らの『敢然たる意欲』である!」
そして、すっかり静まり返った観衆一人一人を眺めた。
「我らは、生業に励む傍ら、国の進むべき道にも配慮する。
中華では、公私両域の活動に関与せぬ者を『閑を楽しむ人』と言うが、我らのみは、ただ『無益な人間』と見做す。
これらの点において、我らの態度は、中華の慣行から隔絶している……」
そう言うと、クニトラは握った拳を振り上げた。
「しかし、我らは――何人よりも勇敢である!」
その拳を胸の前に戻すと、念じるように言った。
「まとめて言えば……我らは、追うべき理想を、既に、得ている」
それまで平伏していた群衆が、一斉に顔を上げた。
クニトラは会場全体を眺めるような目で見つめた。
「我ら一人一人は、人生の幅広い活動に通じ、品位を持ち、己が知性の円熟を期すべし。
これは……単なる理想ではない!」
すると、指し示すように右手を伸ばした。
「その確たる証拠は、かくの如き先祖が築いた、秋津洲のこの景観が、遺憾なく示している」
そして、ゆっくりと右手を下ろしながら、台与を見据えた。
「これをもって、我らが誇りとすべし!
例え、世人の賞嘆の的とならずとも、我らが進むべき道と、我は考える……」
台与は、なおも口を開いたまま、クニトラの目を見つめた。
※
クニトラは黙したまま、壇上に立ち尽くしている。
その一方で、静まり返っていた演壇前の広場が、にわかに沸き上がった。
――そうだ!
――我らは選ばれた民なのだ!
――誰も恐れない!誰の真似もしない!
――大王、万歳!
――ばんざーい!!
人々は口々に叫んだ。
纏向の邑全体に、歓喜の声が響き渡る。それはいつ止むとも知れなかった。
河内の棟梁と渡しの頭は柵越しに、その狂乱に見入っていた。
「……なに抜かしとんねん……?」
「そうやないやろ……」
その時だった。
クニトラ王の号声が、纏向の夜空に響き渡った――
「――しかるに!」
会場は一瞬にして静まり返った。
金玄基は思い出した。
かつて戦場で出会った、クニトラ王の咆哮を。死にたくないと願った、あの時の恐怖を。
クニトラは鋭く吠えた。
「今の汝らは、これらのことを――
――まったく全て忘れている!」
※
「……そのように、見える……」
呟きのように響くその声は、会場をまた一段と凍らせた。
クニトラは低く、絞り出すようにして、さらに続けた。
「魏を羨み、呉を恐れ、他国の鉄を欲す……。
汝らは、他力を頼み、他者を妬み、己を蔑むか。
己が持たざるものを欲し、持つ者を、憎むか……」
さらに、演壇前の広場にいる一人一人を射抜くように見渡した。
「そのような心胆は、これら『我らが理想』を破壊し、いずれ……自らをも破滅に導くであろう。
それでも尚、強き王を戴けば、己は安寧を貪れる……と、願うか」
クニトラは背を反らし、さらに高いところから見下ろすように観衆を見据える。
「それは、我が思うに……」
そして、再び号声を上げた――
「――『秋津洲の姿』ではない!」
※
纏向の邑を漆黒の闇と静寂が包む。
まるで、一瞬にして篝火が全て消えてしまったかのようだった。
少なくとも、その場にいた者たちにはそのように感じられた。
人々は、縋るようにクニトラを見つめていた。
そこだけに、光があるかのように。
クニトラは唸るように続けた。
「ゆえに! 我は、たとえ大王に選ばれたとしても、ここに留まることは、できない……」
「ななな……なんだって?」
そう呟くと、木の彦尊は腰が抜けたように座り込んだ。
クニトラは目を細め、悠然と会場を見渡している。
「我は、去ろう。
そして、『出ずる日に向かう国』より汝らを見守り続ける。
汝らが、己が誇りを取り戻したならば、その時……再び、この地に戻って参る」
そして、目を怒らせた鬼のような形相になり、こう言った。
「さらばだ、我が同胞よ!」
言い終わるや否や、クニトラはくるりと向きを変え、颯爽と降壇した。
その疾きこと、風の如く。
立ち会っていた者は誰一人として、その時のクニトラの姿を覚えていない。
※
沈黙は続いた。
誰もが壇上を見上げたまま、凍りついたかのようにじっとしていた。
台与もまた、しばらくは呆然と、誰もいない演壇を見つめていた。
その視界に、不意に羽越の姿が映った。
羽越は立ち止まり、こちらに軽く一礼すると、再び足早に歩き出した。
それで、台与は我に返った。
すぐに立ち上がり、クニトラの後を追った。
その姿は、すでに邑の中には無かった。台与は夢中で走った。
ルナも、久米と水惟を伴い、台与の後を追った。
金玄基も、いつの間にか、その後を追っていた。
邑の入口で台与とすれ違った羽越は、そのまま振り返り、後に続く。
台与は駆けた。
その視界に白装束を着た三人の背中を捉えた時、精一杯の声で叫んだ。
「大王!」
その声に、クニトラは立ち止まった。
他の二人も立ち止まり、こちらを振り返る。
台与は三人の前に腰をかがめ、大きく息を吐いた。
そして、クニトラの背中を見上げた。
「大王……ありがとうございました。……あの言葉を、肝に銘じ……」
そう言いかけたところ、クニトラは背を向けたまま、低く言った。
「貴様のために、恥をかいた……」
やがて、ゆっくりとこちらを振り返ると、眼光鋭く台与を睨んだ。
「次に会う時は――ただで済むと思うな!」
台与は息を切らせたまま、クニトラを見つめ返した。
二人は黙したまま見つめ合った。
しばらく後、台与は口を開いた。
「大王は……」
「――否!」
だが、台与の言葉は再び遮られる。
クニトラは、目を細めて呟いた。
「我が目の黒いうちに、ここに戻ることは……あるまい……」
そして、短く笑った。
その間にも、台与は背筋を伸ばしながら、クニトラの目をじっと見つめた。
吹きすさぶ夜風の中、三つの白装束が遠ざかってゆく。
台与は、その背中が闇の中に消えるまで、その場に立ち尽くした。
金玄基はその間、その場で膝を折り、深く、深く平伏した。
ルナも羽越も、久米も水惟も、同じように平伏していた。
各々が、感じたものを噛み締めながら、去りゆく王に思いを馳せた。
お読みくださりありがとうございました。
…………………逆転!!!!!!!!1
ヤマト連合、(いつもの)大逆転勝利!
台与様が決めたああああ!!!!!11
この娘やっぱり、すごくないですか?!
こんな勝ち方があるんですね!!!!!
いやあ……どこからどう見ても『ペリクレスの戦没者葬送演説』でした。はい。
いかがでしたでしょうか?
(1)普段「日本人の心」と呼んでいるものと掠る部分があるように思うのですが?
この話は、正始四年(西暦243年)十二月の出来事としていますので、ペリクレス演説の約670年後……。
もし倭国に伝わっていたとしても、特段、驚くようなことではないですね。
クニ単位の小集落が点在する構造も、古代ギリシャのポリスの構造と似て……非なるもの?
その心の奥底にも共通する何かが……あるような、無いような……。
(2)クニトラ王を「非の打ち所のない最強の強敵」と設定している関係上……
本当に強くて賢い王は、こういうことを言うんじゃないかな?と思うのです。
ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスが大統領になろうとしないようなものです。
だから、きっとこの類のことを言った(古代の王が一人くらいはいた)はずです。
(3)本当は「大いなる和」ではなく「民主政治」です
が!……考えてみますと、王政下の臣民であれ、民主主義を支える市民であれ、
結局、この境地、この精神に行き着くのではないかなあ?と……そんな気がします。
尚、
(4)「狗奴国の卑弥弓呼は民主主義者だった!」などと言うつもりは毛頭ありません。
実は、クニトラ王が仕掛けた罠……?
本作のどこかにヒントがありますので、探してみていただければと思います。
次回「第98話 大和は一日にしてならず」
カオスと嘲笑の中から、新しい国の「形」が産声を上げます。
綺麗事だけでは語れない、泥臭いヤマト建国の瞬間をお見逃しなく!
(月曜20時ごろ更新予定です)




