第98話 大和は一日にしてならず
飛び交う大王の名言、泥沼の利権争い、そして身内の自爆……。
乾いた拍手が鳴り響く纏向の広場で、誰もが虚無感に包まれていた。
理想を置いたまま去った男への、台与なりの「回答」とは――。
その頃。纏向の邑では――
掖邪狗は一言ごとに手を打ち鳴らし、大声を張り上げた。
「皆の者、今夜はもう遅い! 解散じゃ! 続きは明日の朝にいたす!」
広場に集まっていた群衆は、一人、また一人と重い腰を上げる。
皆、肩を落としてトボトボと歩き、それぞれの宿舎へと戻っていった。
そんな中、いまだ地べたに座り込んでいる男がいた。
木の彦尊は、がっくりと頭を垂れながら呟いた。
「大王は……いらっしゃらぬ……」
青痣の説法師は、その隣で黙したまま彦尊を見つめていた。
震える肩に置いていた手を、ゆっくりと離す。
そして、無人の演壇をちらりと見やると、その両目を激しく光らせた。
※
その頃ーー
金玄基は邑への帰り途、台与のすぐ横を歩いていた。
「台与様、これからどういたしましょう?……まだ続けますか?」
台与は振り向かず、真っ直ぐに邑の灯火を見据えたまま歩を止めない。
「私のなすべきことは決まりました。……貴方は?」
「……(それが分からなくなったから聞いてるんだがな……)ご指示をいただけますれば、思し召しのままに……」
そう答えると、台与はようやくこちらに顔を向けた。
笑わない瞳が、こちらを射抜くように見つめる。
「……木の国を……その手に」
それだけ言うと、台与は再び前を向いた。
金玄基は、思わずその場に立ち止まった。
その後をルナたちが追い抜いていったが、しばらくの間、台与の小さな、けれどあまりに巨大に見える背中を見つめ続けた。
金玄基が邑の門をくぐった時、広場にはもう、人影ひとつなかった。
※
その後。木の国の詰め所にて――
金玄基は、木の彦尊の前に平伏した。
「こうなりました以上、『大王をこの地に招聘する』との案は取り下げましょう。
この一点さえ退けば、我らにもまだ勝機が……」
木の彦尊は、まるで魂が抜けたような眼差しを向けるだけだった。
「……我はもう寝る。汝も休め……」
それだけ言うと、すっくと立ち上がり、奥へと去っていった。
主がいなくなった途端、金玄基の周りに、木の国の従者たちが殺到した。
「家宰殿、いかがなさるおつもりか?」
「ここまで来たのだ。最後まで、やりきりましょう!」
「いや、もはや引き際。対案を下ろし、早々に国へ帰りましょうぞ」
金玄基は腕組みをしたまま、口々に叫ぶ者たち一人ひとりに顔を向けた。
「台与の言葉」を漏らさぬよう、胸の奥深くにしまい込み、静かに唸り続けた。
※
台与もまた、纏向の宿舎に戻っていた。
大きな布を床に広げ、その傍らで静かに墨をする。
やがて筆を手に取ると、鼻で大きく息を吐いた。
「……大いなる和……」
ルナはその近くに膝を折り、台与と、まだ白い布とを交互に見つめていた。
やがて、右手を口に当てると「ふわあ……」と間の抜けた声を漏らした。
※
翌日、ヤマト三日目――
纏向の演壇には、六名が顔を並べていた。
淡海の彦尊は覗き込むようにして、尾張の彦尊の顔色を窺っている。
その隣では、備の国の彦尊が、さらに隣の難升米と小声で密談を交わしていた。
金玄基の隣りに座る阿波の姫尊は、固く口を結んだまま目を伏せていた。
演壇前の広場には、昨夜の観衆が集まっていた。
だが、気のせいだろうか。その多くはどこか生気が失せているように、金玄基には見えた。
淡海の彦尊は、おもむろに口を開いた。
「では、これより、ヤマト連合・主要七カ国首脳会合を始める!」
言い終わるや否や、尾張の彦尊が笑い声を上げた。
「伊都のナギサヒコ王がおらんでゃーか!」
「……此度のヤマトにはご欠席ゆえ、止むを得ぬ」
淡海の彦尊は、苦虫を噛み潰したような表情で目を細めた。
金玄基はゆっくりと立ち上がった。
「私は木の国の彦尊の代理として参加いたします……家宰の金玄基と申します」
一礼して腰を下ろすと、入れ替わるように難升米がすっくと立ち上がった。
「我は、神つ国の彦尊・コトシロ様の代理として参加しております、難升米にござる」
深々と腰を折ってから素早く着座した難升米に、尾張の彦尊が再び声を荒らげる。
「なんでコトシロ王は出てこんのだわな?」
すると、難升米は「うーん、うーん……」と唸った。
「……コトシロ様は、大殿の改修計画に夢中でして……」
「――?!」
その場の誰もが目を点にすると、
難升米は「ニカッ」と眩しい笑みを浮かべ、それ以上は何も語らなかった。
※
舞台袖では――
台与は、近くに佇んでいた掖邪狗に尋ねた。
「大殿の改修で、神つ彦尊がご欠席……?」
「ええ……。難升米が申すには……」
◇◇◇
正始四年・春頃のこと――
難升米は伊勢から戻ると、その足で神つ国の大殿に赴いた。
そして、コトシロの前に深々と平伏した。
「……と、このような経緯で、コトシロ様の彦尊ご就任、正式に許可が下りました」
「うむ……ご苦労であった……」
コトシロは気のない返事を返した。難升米はさらに言葉を継いだ。
「……また、我も正式に、神つ国の代官に任命されました。
今後とも何卒、よろしくお付き合いのほどを……」
「そうか……。我は、形ばかりの彦尊ということじゃな……?」
「滅相もございませぬ!」
難升米が顔を上げると、コトシロは机の上に目を落としていた。
ゆっくりと手に筆を取ると、背を向けたまま難升米に問うた。
「……見るか?」
「では……拝見させていただきまする」
難升米はゆっくりと立ち上がり、机の上の布を覗き込んだ。すると――
「……なんですか、その異様に高い建物は……?」
「御本殿じゃ。ここに父上をお祀りする……」
難升米が絶句したまま立ち尽くしていると、コトシロはようやく顔を向けた。
その瞳は、静かな、けれど揺るぎない確信に満ちていた。
「難升米よ。最後はあの様になったが……父上は、真に立派なお方であった」
◇◇◇
「……ということのようです」と、掖邪狗は言った。
台与は、掖邪狗を横から見上げながら、一度だけ深く頷いた。
※
その頃、壇上では――
淡海の彦尊が、指を立てて強く迫っていた。
「……今のままでは、伊勢と木の国、どちらの案も不十分じゃ。
この地の長老会議の内容も盛り込んだ、抜本的な追加か修正が必要だと思う」
すると、尾張の彦尊がすかさず口を挟んだ。
「どのあたりが不十分かね?」
「……どのあたりって……考えれば、誰にでも分かろうが?」
そう言った淡海の彦尊を、尾張の彦尊はじろりと睨み据えた。
「……ハッキリ言わんと分からんがね。昨日、来ぬ国の大王も仰っとったろうが。
『理を分けた議論を行動の妨げとは考えない』……と」
「む、むむむ……」
淡海の彦尊は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
※
その後――
備の彦尊は、その話の最後に声を高くした。
「……であるから、我の国にも十分な鉄鋼材が回ってくるよう、特段の配慮を求める!」
すると、淡海の彦尊は目を細めた。
「昨日、大王も仰っておったではないか。己の手の内にないからと言って、持っておるものを羨むのは破滅の因である……とな」
「むむ……っ」
備の彦尊は言葉を詰まらせ、隣の難升米に顔を向けた。
「……神つ国も同じ考えであろう?」
すると、難升米は頭の裏に両手を回した。
「それについては……ナギサヒコ王と彦尊がなんと仰るか……」
その時、阿波の姫尊が難升米を鋭く指差した。
「あなた! 自分で決められないなら、代理の資格など無いのではなくて?
我らの美徳は、誰もが『国家の計にも配慮』することなのですから!」
難升米は手を下ろすと、姫尊を真っ直ぐに見つめ返した。
「……来ぬ国の彦尊は、『こと公に関するときは、和を乱す振舞いを深く恥ずる』。それもまた我らの美徳……とも仰っておりましたぞ?」
「……うう、う……」
阿波の姫尊は歯噛みした。
すると、尾張の彦尊は弾かれるように笑った。
「死んだ狸が息吹き返しおったわ!
難升米、おみゃあさんもなかなか、えりゃあこと言うがね!」
※
ある時――
金玄基は立ち上がった。
「この場をお借りして申し上げます。
木の国は提案の一部、『この地に大王を招く』方針を撤回する用意があります」
すると――
「――ダメだ!」
観衆の中から、叫び声が響いた。
直後、すっくと立ち上がった男が一人――青痣の説法師だった。
「大王でなければならぬのだ!」
会場は、にわかに混乱した。
――うわあ!
――我の国にも来てた奴じゃ!
――また汝、ここにも現れたか!
青痣の説法師は、周囲の罵声を撥ね退けるように大声を張り上げた。
「皆の者、理を掲げよ! 女など器に過ぎぬ! そんな者に国を――」
言い終わらぬうちに、数人の男たちが説法師に猛然と飛びかかった。
「――汝!大王のお話を聞いておらなんだか?!」
「――『全ての人を平等に扱』え!」
「――『侵された者を救う掟』を知らぬか?!」
「――喰らえ! これが『廉恥の心を呼びさます不文の掟』じゃ!」
※
その後。木の国の詰め所では――
木の彦尊は、遠くを見るような虚ろな目で、青痣の説法師を眺めていた。
「……それで、また新たな『あざ』をこしらえて、ここに戻って参った……と?」
「う、うむ……面目ない」
青痣の説法師は頭を垂れると同時に、木の彦尊もまた、深く項垂れた。
「……なぜ、そのまま消えてくれなかったのだ?
これではまるで、我と汝が結託しておるかのようではないか……?」
その言葉に、青痣の説法師は唖然とし、木の彦尊の顔をまじまじと見入った。
※
その日の夕刻――
掖邪狗は、演壇の中央で声を張り上げた。
「投票の結果を発表する!
ヤマト連合・本部案、二百四十九票! 木の国案……七票!
この結果を以て、ヤマト連合・本部の提案内容を採択する!」
――パチパチパチ……
広場からは、盛大ながらも、どこか熱に浮かされたような乾いた拍手が巻き起こった。
やがて――
台与は一枚の布を手にして、演壇の袖から歩み出た。
壇の中央に立つと、黙したまま眼下の群衆をゆっくりと見回す。
そして、おもむろに、その布を両手で高く掲げた。
「この地を『国』に格上げし、承認の証として新たな国名を贈ります。
その名は――
――大 和」
――おおお……
観衆から溜息が漏れた。
「『大いなる和』……大王がこの地に残された理想です。
ですが、大王は、こうも仰せでした。
これは元々、『我らの理想』であり、『我らの誇り』であった、と。
実現しましょう、この地で。
実践しましょう、『我らが理想』を。
歩み続けましょう、大王の理想と『我らの誇り』を胸に。
大王がお戻りになるその日まで、
私たちは、この国と共にあることを誓います」
――パチパチパチパチパチパチ……!
邑の隅々から湧き上がった拍手は、いつまでも鳴り止むことはなかった。
※
台与の姿を舞台袖から見つめていたルナは、
同じように柱の陰に隠れて見ていた水惟に尋ねた。
「……良かったのかしら、これで……?」
「ううーん……始めは、こんなもんなんじゃないかなあ……?」
そして二人は、どこか頼もしさを増した台与の背中を見つめた。
その背後から、伊勢の大巫女がそっと呟いた。
「せいぜい、利用させてもらうわ。
……だってあの男、何もせずに、美しい理想だけを置いて帰っていったのだから」
ルナと水惟は揃って、弾かれたように大巫女を振り返った。
伊勢の大巫女は、口角だけで薄く笑ってみせた。
「どうせ私たちのすることだから、関係ないのだけれど……ね」
そう言うと、伊勢の大巫女は翻るように背を向けた。
その時だったーー
演壇袖の扉を勢いよく開けて、ミズハが駆け込んできた。
「大巫女様が……阿蘇の大巫女様が、お目覚めになられました!」
「まあ!……よかった……」
伊勢の大巫女が安堵の声を漏らす。
だが、ミズハは泣き出しそうな顔で、震える声を絞り出した。
「……ですが……ですが……」
※
金玄基は、壇上の台与を見つめていた。
(……大和……か。……行き着く所には、辿り着いたわけだ……)
周囲に合わせ、手を大きく打ち鳴らす。
だが、もはや自分の頭を支える気力すら残っていなかった。
そのまま項垂れ、首を大きく横に振る。
口元には、自然と薄い笑みが浮かんできた。
夕陽に照らされながら微笑む台与の瞳が、いつもより柔らかく、輝いて見える。
昨晩の氷のような眼光が、同じ人から発せられたとは信じがたい。
だが、信じなければならない。
大和のために。台与のために。そして何より、自分自身と家族のために。
「……戦は終わった……」
金玄基は、周囲を取り巻く木の国の従者に向けて、わざとらしく呟いた。
「若様のことが気がかりじゃ。急ぎ、帰国の支度を……」
そして、台与に背を向けると、木の国の詰め所へと歩を進めた。
お読みくださりありがとうございました。
不意に、だる〜い回になってしまいました。がっかりされた方も多いかと思います。
ただ、待望の大王が突然現れ、突然去ってしまった状況を自分なりに想像し、
ならば、こういう状況になるのではないかな?……と考えた次第です。
クニトラ演説の端々を切りとって「言葉狩り」みたいなのが始まってしまいましたが、
それは、喪失感の裏返しであったり、
「誰がクニトラに代わるカリスマになり得るか」という闘争の始まりであったりします。
だからといって、こうはなりたくないものですね!
貴方は何かを失った時、失くしたものを探しますか?
それとも、別のものを見出だそうと思いますか?
私はとりあえず前者です。いきなり切り替えるのは、なかなか難しい……。
次回「第99話 十五の試練」
一難去ってまた一難……都建設計画を進めることになったヤマト連合に試練が訪れます。
第四章の最終話です。
(木曜20時ごろ更新予定です)




