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第96話 静寂の終わり

阿蘇の大巫女を襲った、最悪の異変。

舞台袖では懸命の救助が続く中、ついに「あの男」が正体を現す。

台与が突きつけたのは、逃れられぬ運命か、それとも――。

そして、夜の纏向に、再び「王」の名が響き渡る。


舞台袖では――


阿蘇の大巫女は、伊勢の大巫女の膝を枕に、仰向けになっていた。


瞬きをしない目は、台与が手をかざしても、微動だにしない。

口も開いたまま。ただ、そこから言葉はおろか、吐息一つ漏れることはなかった。

そればかりか、手も足も曲げたまま、宙に浮かせている。


台与は、大巫女の足を必死にさすっているルナとミズハを見ていた。


「……大巫女様」


何度も、何度も、小さく呼びかける。

すると――



「――おばば様!」



その声とともに突如現れたのは、クニトラだった。羽越もいる。

クニトラは後ろを振り返ると、強く頷いた。

すると、余の国の彦尊・ムラオサがゆっくりと進み出た。


ムラオサは、大巫女の横に静かに膝を折ると、

腕を取ったり、二本の指を首筋に当てたりした。


「むむ……血の気が淀んでおられまするな。

 針……それか、何か尖ったものはありませぬか?」


「火鉢の針なら……」ミズハがか細い声で鳴くように言うと

「太すぎます! なるべく細いものが……」


伊勢の大巫女が背後の葛籠(つづら)を指差しながら、台与に告げた。


「あそこに縫い針があるわ! 待ち針もあると思う!」

「は、はいっ!」


台与は即座に立ち上がった。


    ※


同じ頃――


金玄基は、背後から声を掛けられ、振り向いた。


「玄基! 大王がお見えになったと?」

「はっ!」

「何処におわす?」

「……それが……」


そう言い掛けて、金玄基は目だけを演壇に向けた。

さらに、広場に集まっている群衆に視線を移す。


すると――


今度は壇上から声が掛かった。

纏向の長老だった。


「……お戻りかな? 木の彦尊」


群衆の注目が集まる。

木の彦尊は立ち尽くしたまま、纏向の長老を見据えた。

纏向の長老は、静かに続けた。


「ここにお集まりの方々にも聞いてもらったとおり、我らの意見は定まったところじゃ。

 だが、汝一人のために言い直すつもりはない。そこの従者にでも聞け」


その言葉に、木の彦尊は拳を握り、低い唸り声を上げた。


    ※


その後。舞台袖では――


ムラオサは胸をなでおろしながら、静かに呟いた。


「これで……しばらくご安静になさっていただければ……」


その見つめる先では、阿蘇の大巫女が目と口を閉じ、穏やかに眠っている。

手も足もしっかりと伸びていたが、今はもう、余計な力は入っていないようだった。

あちらこちらに残る、針を刺された跡が痛々しい。


クニトラは、伊勢の大巫女の前に膝をつき、軽く一礼した。


「我が寝所まで運ぼう」


そう言って、阿蘇の大巫女の背に腕を差し込むと、

クニトラは阿蘇の大巫女を軽々と抱き上げた。


「ご案内いたします」と、ミズハが立ち上がると、クニトラは「うむ」と短く返し、

そのまま振り返らず、ゆっくりと控えの間を後にした。


    ※


その頃。纏向の邑(むら)に――


鬼火の群れが近づいてきていた。

演壇前の群衆は皆立ち上がり、揺れる炎の列を遠巻きに眺めていた。


……あれは何じゃ?

……物の怪か?

……祟(たた)りじゃ……


やがて、その火は纏向の邑の外柵に、取り巻くように集まってきた。

その中の一人、河内の棟梁は、松明を手にして呟いた。


「……間に合うたか?」

「まだ、やってるみたいやな……」


渡しの頭はそう返すと、振り返って叫んだ。


「みんな、頼んだで!」

「あ、そーれ!『ヤマトに〜みやこを〜』……!」


――ヤマトにみやこを!

――かわちにつつみを!


松明をかざしながら、そこに集まった大勢の人々が声を揃えて叫び始めた。


    ※


クニトラは、阿蘇の大巫女をゆっくりと寝台に横たえると、

その傍らに置かれていた椅子に腰を下ろした。


「……お手を煩わせ、なんとお礼を申せばよいか……」と伊声耆(いせいぎ)が言っても言葉を返さず、掖邪狗(えきやく)が深々と頭を下げても振り返りもしない。

ただ無言で、眠る大巫女を見つめていた。

寝所には、重い沈黙が流れた。



台与が駆け込んで来たのは、そんな時だった。


「ーークニトラ王!」


クニトラが振り返った。

そして、それまで被っていた頭巾を片手で持ち上げ、覆面もゆっくりと外す。さらに、


「……見破られたのなら、止むを得ぬな……」


と、白々しいことを言った。


台与もクニトラも黙したまま、しばらくの間、互いに睨み合った。

その沈黙を、台与は破った。


「……失礼いたしました。大王とお呼びするべきでした」


「ふっ……よい……」


クニトラは目を細めて息を吐いた。

台与は背筋を張って、クニトラの目を再び見据えた。


「皆、大王のお言葉を待っております」


その場は一瞬、張り詰めた空気に包まれた。



クニトラは何も答えず、再び大巫女に視線を戻した。

その直後、後ろをついてきたルナが、声を高くして言った。


「い、いいえ。そんなことは誰も言っておりませんわ!どうか、お気に……」

「ーーお姉様!」


台与はルナを振り返り、その言葉を遮った。

ルナは顔を寄せて囁いた。


「……クニトラ王がご登壇なさったら、我らに勝ち目はなくなりますわ……」


台与はとっさに両の手を、ルナの襟首に伸ばした。

手が小刻みに震える。その衝動を押さえつけるように、低く言った。


「ーー良いのです!」



すると、クニトラが薄く笑った。


「ふっ……聞こえておる。……だが……」


そして、再び台与を振り返った。


「……何を言えと?」


台与はクニトラと真正面から対した。


「このヤマトでは、貴方のことを話しているのです」

「……好きに話すが良い」


「貴方を待ち望んでいる方々もいます」

「埒(らち)もないこと……」


「唐古の長老のお話をお聞きになりましたか?」


すると、クニトラは目を閉じて低く笑った。


「雨を降らすは天の為せる業……人の業ではあるまい」

「謝罪なさらないのですか?」

「……安易な謝罪はせぬ」


そう答えるとクニトラは、横たわる大巫女をちらりと見やった。

台与は、さらに問うた。


「では、お言葉を返すべきでは?」


その時、クニトラの目が鋭く光った。


「王たる者が為したことに……余人が口を挟むべきでは、なかろう」


台与は黙したまま、その光る目を必死に見つめ返した。

すると、クニトラはすっくと立ち上がった。


「……帰る。邪魔したな」


大股で寝所の入口へと向かう。

台与は追いすがった。


「大巫女様は、お見通しだったのです! 貴方が、ここにいらっしゃることを!」


不意に、クニトラの足が止まった。


「大巫女様は、見定めの巫女……ですので、これは運命なのです。貴方の!」



「ふっふっふ……」


クニトラが肩を揺らしながら、ゆっくりと振り返る。

そして、不敵な笑みを浮かべながら、台与を見下ろした。

その目には、憎しみのような、腫れ物に触るような、不気味な光が宿っていた。


台与は、その目をじっと見つめた。


    ※


纏向の邑の門の前では――


久米(くめ)が大声を張り上げていた。


「――静かに! 静かにせよ!まだ話し合いの最中だ!」


だが、民衆のうねりは止まない。


――都を!

――堤を!


鬼火の正体が知れると、邑の中からも罵声が上がった。


――静まれ、土民ども!あっちに行け!

――さっさと追い払え!


壮絶な叫び合いは、いつ果てるともなく続いた。


    ※


その声は、大巫女が横たわる寝所にも届いた――


伊声耆は呟いた。


「外が騒がしいな……」

「不味いな……行くぞ!」


掖邪狗は飛び出して行った。伊声耆も後に続く。


そんな中、台与とクニトラの無言の睨み合いは、依然、続いていた。

この小屋の中だけは、重く、淀んだ沈黙に包まれていた。


台与は静かに、だが追い打ちをかけるように尋ねた。


「……民も集まっています。それでも……『また』、逃げるのですか?」


一瞬、クニトラの顔が引き攣った。

だが、不意にこちらに背を向けると、肩を揺らした。


「羽越殿が申されていた……『汝には勝てぬ』とな」


    ※


夜の纏向は、人々の叫び声で騒然としていた。

長老たちの姿は、すでに壇下にあった。心配そうに成り行きを見守っている。

やがて、太鼓の音が大きく鳴り響く。



――ドーン! ドドーン! ドーン!



徐々に静まり返る群衆。

その後、誰もいなくなった壇上に現れたのは、ルナだった。


「――皆様、お静かに! 只今より、今回特別にお越しになられました、

 来ぬ国の彦尊・クニトラ王がご登壇されます!」



――来ぬ国?!

――クニトラ王!?

――大王!



柵の内側にいる観衆たちが一斉に振り返った。

やがて、彼らはその場に膝を折ると、両手を地につけて、静かに王の登壇を待った。

柵の外の群衆も、徐々に静まり返ってゆく。


纏向は、再び静寂に包まれた。


やがて――


舞台袖から、白い神官の装束を身に包んだクニトラが、ゆっくりと現れた。


木の彦尊は、クニトラが立つ演壇を真っ直ぐに見つめると、低く呟いた。


「……勝った……」


金玄基は、その横顔を黙したまま見つめていた。

木の彦尊のその目は、決して笑っていなかった。


「我らが大王のお姿を見れば、此奴らも考えを変えるじゃろう……」


言い終わると木の彦尊はうつむき、喉の奥を低く鳴らした。

不意に両手を高く掲げた。

さらに、仮面を張り付けたような笑みを浮かべ、大声を張り上げた。


「……大王、ばんざーい! ばんざーい!」



その声に、演壇前の広場から大歓声が沸き起こった。


――ばんざーい!

――万歳!

――万々歳!



柵の外側では、渡しの頭と河内の棟梁が低く唸っていた。


「……あいつが、大王……」

「……お嬢は……負けたんか?」


久米はすぐに、河内の棟梁の肩に手を伸ばした。


「止めろ。叫んだりするなよ?……今やったら本当に不味いからな」


だが、そう言うまでもなく、

邑の外柵に群がっていた民たちは皆、声を失っていた。

群衆たちは静かに、ただただ黙って、壇上のクニトラを見つめた。



お読みくださりありがとうございました。

台与様のオウンゴールにより、来ぬ国の王・クニトラ、ヤマトに降臨す。

もうダメだ……ヤマト連合はお終めえだあ……!


「世紀の凡ミス」か?!「ヤマトの奇跡」は起こるのか――?

いよいよ、倭国が動き出す。


次回「第97話 大いなる和」

大王・クニトラの口から語られる「倭国建国宣言」!!

その時、台与は――?金玄基は――?

(木曜20時ごろ更新予定です)


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