第95話 本音の地平
唐古の長老が語った拒否の理由。それは――「雨は降るのか?!」
戸惑う両陣営を置き去りに、長老はヤマトの地の過去を明かす。
その時、阿蘇の大巫女は――。
伊勢の大巫女は、伊声耆の肩に手を置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「やはり、阿蘇の大巫女様には秘策があったのだわ……」
そう呟きながら、台与の傍らに歩を進める。
やがて、台与とルナの間にゆっくりと腰を下ろした。
「始まるわよ……私たちの大逆転が……」
伊勢の大巫女はそう呟くと、台与とルナの肩に手を回した。
台与は、伊勢の大巫女の横顔をじっと見つめた。
(……大逆転……大巫女様の秘策で……?
唐古の長老とは、今まで門前払いばかりで、お話すら出来ていないのに……)
阿蘇の大巫女に目を移すと、
大巫女は背筋を伸ばし、真っ直ぐに唐古の長老を見つめていた。
※
金玄基は固唾を飲んで見つめた。
(……ヤマト九長老で唯一、接触できなかった唐古の長老……何を言い出すか……?)
演壇前の広場に、冷ややかな風が吹き抜けた。
観衆の私語が止まった。
唐古の長老が、俯いたまま立ち上がった。
その顔をゆっくりと広場に向ける。
さらにしばらく間を置いてから、ようやく重い口を開いた。
「わ、我は……我は……」
言い淀む唐古の長老を、金玄基は目を皿のようにして見据えた。
唐古の長老は天を仰ぐと、大声で叫んだ。
「我は――大巫女様を支持するッ!」
にわかに会場がざわめいた。
唐古の長老はカッと目を見開くと、目に入った者を睨みつけながら声を張った。
「我らにとって必要なものは、都でも大王でもない!――『雨』じゃ!
大王がいれば、雨は降るのか?!」
その言葉に、金玄基は絶句した。
(……都でも、大王でも……ない……?!)
会場は、一瞬にして静まり返った。
※
舞台袖では――
台与も言葉を失っていた。
(……雨……これは……理なの?)
一瞬、伊勢の大巫女の手が、台与の肩を強く握った。
大巫女は低く呟いた。
「……だ、大丈夫。……大丈夫よ、二人とも……」
伊勢の大巫女は演壇をじっと見つめている。
その額から一筋、汗が流れ落ちた。
台与は黙したまま、壇上の唐古の長老に視線を戻した。
長老は枯木のように佇み、その眼差しは一点を見据えていた。
※
唐古の長老は続けた。
「皆の者はもう忘れておろう? だが、我は忘れない!
忌まわしい……あの日々のことを! あの年は……」
◇◇◇
その年は――
若き日の唐古の長老は、その父親とともに、足元の枯れた畑を見つめた。
長老の父は、その場に膝を折ると、畑の土を手ですくい上げた。
「こうも雨が降らぬのでは……今年は、もうだめじゃ……」
周りの者達も、地に膝をつけた。
皆、腹を空かせていた。
長老の父は、枯れたような声を絞り出した。
「……仕方がない。大王に、ご相談に参ろう……」
◇◇◇
唐古の長老は目を閉じたまま、拳を振り上げて叫んだ。
「だが、時の大王は、その時なんと言ったか?!」
◇◇◇
「どいつもこいつも、いい加減にせよ!」
時の大王は玉座からすっくと立ち上がると、傍らに置いた剣の柄に手を伸ばした。
「雨が降らぬのは――我のせいではないわ!!」
◇◇◇
唐古の長老は目を怒らせながら、拳を振り下ろした。
「そして、大王は我らに刃を向けた!」
※
台与の小さな肩に、伊勢の大巫女の震えが伝わる。
やがて、大巫女は台与とルナから手を放すと、それを自分の顔に押し当てた。
「あの長かった戦の日々は……それから始まったのだ!」
その叫び声に、台与は再び演壇の唐古の長老に視線を移した。
※
唐古の長老は、拳を握りしめて叫んだ。
その声は、噛みしめるような唸りだった。
「戦は隣の邑へ……その隣の国へと果てしなく拡がっていった……。我らは戦った!……逃げも隠れもした! 生きるために……。敵も! 味方も! 毎日のように変わった……。誰が敵で、誰が味方か、誰にも分からない……。
だが、大王は……あろうことか、大王は……」
※
金玄基は筆を手にしたまま、唐古の長老から目が離せずにいた。
演説の速記は、とうに忘れている。
(……大王は……どうしたって?)
その問いに答えるように、長老は叫んだ。
「『国に帰る』と、我らすべてを――投げ捨てた!」
金玄基の筆が足元に転がった。
唐古の長老は、悶えるように唸った。
「……その時の……その時の大王の……」
そして突然、演壇を囲む観衆の一角を、真っ直ぐに指差して叫んだ。
「――孫がそこにいる!」
金玄基は即座に顔を向けた。
長老の指差す先には、白装束を着た神官の一団があった。
※
長老に指差されたクニトラは、腕組みをしたまま、じっとしていた。
ウヅ改め『羽越の大将』は、素早く剣の柄に手をかけると片膝を立てた。
周りの兵にも目で合図を送る。
すると――
――ガシッ!
左の肩を掴まれた。
見上げると、クニトラが無言のまま、こちらを見据えている。
王は、わずかに首を横に振っているように見えた。
ウヅが剣の柄から手を離すと、クニトラは小さく頷き、
再び、演壇を射抜くように鋭く見据えた。
※
唐古の長老もしばらくの間、眼光鋭くクニトラを睨んでいた。
その間、会場の群衆は口々に囁いていた。
――あれが大王?……神官ではないか
――あのジジイ、大丈夫か……?
だが、唐古の長老は視線を戻すと、話を続けた。
「だが、戦をしても雨は降らぬ!……我らは、阿蘇のお社に助けを求めた。
その時、この地に来てくれたのが……」
◇◇◇
その時――
阿蘇から唐古に来たのは、一人の少女だった。
少女は、祭壇を建てた山に深々と一礼すると、
そこまで山道を一つ一つ、ゆっくりと上がった。
山の頂きに立ち、祭壇に火を点す。
雨乞いの儀式が始まった。
少女は、それまでの静かな様子とは一変し、
地の底から響くような声で唱え、荒ぶる神を焚きつけるように全身を激しく震わせた。
◇◇◇
「それが三日三晩、続いた! そして、三日目の夜に……」
◇◇◇
若き日の唐古の長老は、手のひらを空に向けた。
「……雨だ……」
祭壇の周囲を取り巻いていた邑の人々も一斉に声を上げた。
「……雨だ……雨だ!」
皆、諸手を上げて、踊り、笑った。
その時――
――ドサッ!
と音を立て、少女は地に崩れ落ちた。
「――巫女様!」
邑の人々は我先にと駆け寄った。
「巫女様、しっかり!」
誰もが大声で呼びかけた。そのうちの一人が抱きかかえる。
すると、少女は薄く目を開けて尋ねた。
「……雨は……?」
「降りました!……降ってまいりました!」
その言葉に少女は、そのやつれきった顔がさらに崩れるほどの笑みを浮かべた。
「……良かった……」
やがて、その目には、止めどなく涙が溢れた。
◇◇◇
「それが、今の阿蘇の大巫女様じゃっ!
我は忘れぬ! あの時の雨を! あの時の大巫女様の笑顔を!」
そして、唐古の長老は、その大声を天に向けて放った。
「我らが求めるのは、我らの願いを願い、我らの喜びを共に喜ぶ王だ!
――大王などではない!!」
※
台与は、唐古の長老の演説をうつむきながら聞いていた。
(共に願い、共に喜ぶ王……)
台与は顔を上げた。
誰を見るでもなく、何を見るでもない。ただ前だけを見据える。
その時、ルナが呟いた。
「今のも、確かな『理』ですね……」
台与は小さく、だが強く頷いた。
伊勢の大巫女も、ルナの隣りにいる水惟も、黙したまま唐古の長老を凝視していた。
台与はふと、その反対側にいる阿蘇の大巫女に目を向けた。
阿蘇の大巫女は先ほどと同じ姿勢で――
唐古の長老が立つ演壇を見つめている……
と、思っていたのだが……。
阿蘇の大巫女は背を丸め、うずくまっていた。
台与は呼びかけた。
「大巫女様……?」
「………………」
だが、返事がない。振り返りもしない。
阿蘇の大巫女は、その目を大きく見開いたまま、ただただじっとしている。
手は、胸を抑えようとして途中で止まったのだろうか、不自然な角度で固まっていた。
「――大巫女様!」
台与は思わず声を張り上げた。
「――大巫女様!」
ミズハも叫びながら駆け寄る。
伊勢の大巫女は腰を浮かせた。
ルナは膝を滑らせ、大巫女の背に手を伸ばした。
女たちの声は舞台袖に留まらず、会場の隅々まで届いた。
※
「――不味い」
そう呟くと、クニトラは、すっくと立ち上がった。
そして、声がした方の舞台袖を鋭く見据えた。
「羽越殿、我を演壇の袖に案内せよ」
アラツヒコとタギリヒコも立ち上がった。
だが、クニトラは彼らを一瞥すると、短く告げた。
「汝らは、ここにおれ」
「はっ」と羽越が立ち上がり、足早に歩き出す。
クニトラも、その後について進んだ。
※
唐古の長老は、叫び終わった後も、ややしばらく立ち尽くしていた。
そのまま、舞台袖を見つめている。
会場の群衆は、その間、ざわめいていた。
――どうした?!
――何があったのじゃ……?
ざわめきは、次第に大きくなっていった。
と、そこに――
突如、掖邪狗が舞台袖から現れた。
掖邪狗は手を大きく鳴らしながら、声を張り上げた。
「何ごともない! お気になさらず! ご静粛に!」
金玄基は、その様子を呆気にとられて見ていたが、
ふと我に返ると、隣に控える木の国の従者の耳元で囁いた。
「……彦尊にお伝えを……『会場に大王がお見えです』、と」
「はっ!」
その従者はすっくと立ち上がった。
金玄基は舞台袖に視線を戻した。
(……ここからは見えない……だが、大巫女様にも何かがあった……)
演壇では、唐古の長老がゆっくりと腰を下ろしていた。
纏向の長老が、観衆のざわめきをかき消すように、立ち上がった。
「今のが拒否の理由じゃそうな……。いかがじゃ、長老方?」
他の七名の長老たちは皆、黙したまま俯いていた。
しばらく待っても、誰も口を開かなかった。
纏向の長老は重く、深いため息を一つ吐くと、会場に向けて声を張った。
「此奴は口下手ゆえ、まとまりなく聞こえたかもしれぬ。
だが、我らの本音の、そのまた本音であったように、我には聞こえた。
ヤマトの地には、このような過去があり、今に至っておる。それを忘れてはならぬ……
と、此奴は言いたかったのであろう」
金玄基は、穏やかにそう語る纏向の長老を見つめながら、ただただ無言で頷いた。
お読みくださりありがとうございました。
女王・卑弥呼、即位直前の模様をお届けいたしました!
……と、言い切れれば格好が良いのですが、
すでに誰かが言ってそうな話で、すみません。
でも、これなら、倭国女王になるのも「僕は」納得です!
なのに、さっそく倒してしまうというサイコパス……。
キャラを愛しすぎて汚してしまうのだけど、汚れたキャラがまた美しく見えてくる……という、やはりサイコパス。
顔はオクトパス……。
次回「第96話 静寂の終わり」
阿蘇の大巫女様、容態が急変!彼女を救うのは……台与か、クニトラか、金玄基か?それとも――?!
(月曜20時ごろ更新予定です)




