第93話 生きるための理
ヤマト2日目。ヤマト連合・女性部会の緊急会合が開かれた。
そこに突如現れる木の彦尊。それを見つめる台与。
しかし、議論は思わぬ方向に展開してゆく――。
ヤマト・二日目。纏向の演壇前広場には――
朝一番ということもあって、観衆の集まり具合は『ほどほど』であった。
その疎らな人混みの中、金玄基は一人、地べたに腰を下ろしていた。
詰め所を出る前までは、彦尊も従者たちも深酒の余韻に浸るように、まだ眠っていた。
壇上には、備の国の彦尊が立っている。
「……鉄は国の力です。あればあるほどよい。
鉄器によって開墾を進めた我の国は、今や大変に潤っております。……」
金玄基は両膝を抱え、冷めた耳でその演説を聞いた。
(鉄器の有効性を訴えている……ということは、備の国は大巫女支持か……?)
そう思ったのも束の間、どうも違うようだ。
備の彦尊の話は、なおも続く。
「鉄こそが、我の国の繁栄の礎!おそらく、これからも! 備の国は永遠に不滅です!」
金玄基は膝に顔をうずめると、小さく唸った。
(……もしかして、ただの自慢か?……一旦戻るべきか?)
※
その頃。木の国の詰め所では――
木の彦尊は起き抜けに一杯やっていた。
「……玄基は、どこへ参った?」
「家宰殿は、先ほど出て行かれました。『備の彦尊の演説を聞きに行く』と……」
「備の彦尊……?彼奴の血は半分渡来人だ。聞く価値などないと申したものを……」
そこに、別の従者が駆け込んで来た。
「彦尊! 阿波の姫尊が、緊急の会合を招集した模様です!」
木の彦尊は、その従者を睨みつけた。
「なにぃ? 阿波とは長らく海を挟んで睨み合ってきたが、またしても我を阻むか……」
そう言うと、ふらりと立ち上がった。
「ふっふっふ……。面白い、ちと挨拶してやろうではないか……」
※
演壇の裏手にある、建物の広間にて――
台与はその部屋の隅に端座し、集まった面々を静かに見渡した。
淡海の姫尊を兼ねる伊勢の大巫女を中心に、各地の姫尊たちが左右に整然と座していた。
阿波の姫尊は左列筆頭の座にいる。
右列の後方には、先年砂の国を継承した姫尊・美盧の姿もあった。
はじめ、美盧の表情はやや固かったが、台与と目が合うと、ほんの少しだけ頬を緩めた。
他の姫尊に台与の見知った顔はいない。皆、背筋を伸ばし、大巫女を一点に見つめていた。
伊勢の大巫女は、静寂を破るように告げた。
「それでは、これよりヤマト連合・女性部会の緊急会合を始めます」
その時――
――パアーンッ!
襖が勢いよく開き、不作法な音を立てた。
現れたのは、木の彦尊だった。
「はっはっはっは!……おやおや、部屋を間違えました……」
そう言うと、木の彦尊は正面にいた阿波の姫尊を鋭く睨んだ。
阿波の姫尊は微動だにせず、真っ向からその視線を撥ね返す。
その場には、ひりつくような重い沈黙が流れた。
木の彦尊は、一瞬鼻を鳴らしたかと思いきや、急にわざとらしい愛想笑いを浮かべた。
「やあやあ皆様。女の人同士、仲良くやってますか?……では、失礼」
言い捨てるなり襖を乱暴に閉め、廊下を「ドタン!ドタン!」と踏み鳴らして去っていく。
その無遠慮な足音は、やがて遠ざかっていった。
広間では、その後しばらくの間、誰も口を開かなかった。
やがて、阿波の姫尊がおもむろにポツリと呟いた。
「……なに言ってんのよ、あの人……?」
その声に、台与は姫尊の横顔を見つめた。
阿波の姫尊は視線を落としたまま、低く唸った。
「男の人同士だって、仲良くやってないじゃない……」
再び訪れた沈黙。
だが、突如として――
「――アハハハハハッ! そうね、そのとおり!」
伊勢の大巫女は両の手を打ち鳴らし、笑い泣きをした。
広間に、高く澄んだ笑いが広がっていく。
台与は口をすぼめ、深く、力強く頷いた。
※
その頃――
来ぬ国の王・クニトラは、纏向の邑から少し離れた小高い丘の上に来ていた。
傍らにはアラツヒコとタギリヒコを従え、
ウヅ改め『羽越の大将』は、少し離れた場所に控えさせている。
クニトラは、眼下に広がる景色を隅々まで見渡し、ただ一言「うむ」と漏らした。
だが、そこから動こうとはしなかった。
「……ムラオサ殿の仰った通りの地ですな……」と、アラツヒコが重い口を開く。
「聞いてはおりましたが、実際に見てみると……」タギリヒコもそう呟いた。
だが、クニトラはそれには答えず、低く唸った。
「……あれか、あのお子様が『埋め立てる』と言っていた湖は……ううむ」
その言葉に、アラツヒコとタギリヒコは思わず顔を見合わせた。
クニトラは不意にくるりと向きを変えると、再び歩き出した。
そして、二人とすれ違いざま、ボソリと呟いた。
「ふっ……。とんだ大ごとだな……」
※
同じ頃。ヤマト連合・女性部会では――
ある姫尊は、声を高くして言った。
「共同宣言の原文にある『男は竿と種だけあれば良い』という一文は削除しましょう!
それはあまりに古き話……今はもう、そんな風に思っている女は、『いません』!」
別の姫尊は、穏やかに相槌を打った。
「そうですね。『男系男子のみが正統とする考えには断固として反対する』は良いと思うのですけれど、あまり過激な言葉を使うのは……」
原文を書き上げた阿波の姫尊は唸りながらも、淡々と朱筆を入れていく。
「……でも、少し弱くならない?」
「別の言い方でも強く出来ます!」
台与は議論を続ける彼女たちを、黙したまま見つめていた。
ただ、内心では何か言いたい、この輪に入ってみたい。
だが、阿蘇の巫女でしか無い立場では、出過ぎた真似はできぬ。
この思いが、もどかしく胸を締め付けた。
また別の姫尊が、ぽつりと言った。
「……でも、どうして『女系女子』とか『双系』ではいけませぬのでしょう?
大王の御家系とて、必ず男の子が生まれるわけではありませぬでしょうに」
すると、姫尊たちは口々に声を発した。
「そうですわ。『誰の子か?』なんて男の側から分かるのかしら?
女親が誰か?なら、見れば分かりますけれど」
「……あまり見せたい姿ではありませんけれどね!」
「女が『あの方の子です』と言わぬ限り、分からなくありません?」
そう言った姫尊を、阿波の姫尊は指差し、鋭く見据えた。
「つまり! 木の彦尊が掲げる『血筋の正統性』とは、女の『申告』の上に立つ砂上の楼閣である!」
「その文言を加えましょう」と、伊勢の大巫女は即座に頷いた。
すると、右列後方から「あ……砂上……」とか細い声が上がった。
砂の姫尊・美盧は顔を赤らめてうつむいる。
阿波の姫尊は美盧を見つめ、強く言った。
「どうしたの?最後まで言いなさい」
「……『砂上の楼閣』という表現は……大変遺憾です……」
広間に一瞬の沈黙が流れた後――
――あははは!それもそうね!ごめんなさい!
どっと笑いが沸き起こった。
「別の表現に変えましょう」と伊勢の大巫女が微笑むと、阿波の姫尊は無言で深く頷いた。
美盧は恥ずかしそうに顔を上げた。
そして、台与と目が合うと、小さくはにかんだ。
台与もまた、その澄んだ瞳を見つめて、にっこりと笑みを返した。
その時、自分にも何か言えるような気がした。
※
台与は思い切って声に出した。
「私は魏に渡った折、『儒学』という教えを少々授かったのですが……」
その場の全員の視線が集まる。台与は怯まず、続けた。
「儒学の『孝』という思想に基づいているのかも……?」
「こう?」
「自分の親を敬い、大事にする……という考えです」
姫尊たちは一斉に首を傾げたり、顎に拳を当てたりした。台与は内心焦った。
姫尊の一人が台与に尋ねた。
「それは、『過去』に向いた考え方よね?
子供が大事なら『未来』に目を向けるべきじゃない?」
「そのような思想もございます。それは『慈』と呼ばれ……」
台与が答え終わる前に、再び姫尊たちの議論が激しく火を噴いた。
「へー……当たり前のことに、いちいち名前があるのね」
「けれど親と子、どちらが大事かと問われて答えられます?」
「……私はまだ子がおりませぬゆえ、想像がつきませぬが」
「親もありがたいものですけれど……」
「親も大事だし、子供も大事……どっちがどっちとは言えませんね」
「子はすぐ病を得ますし、目が離せませんわ」
「子が育てば、今度は親が寝込みますし……」
「一番手がかかって、一番参ってしまうのは『夫』ですわ! 早くお迎えが……あっ!」
台与は肩を揺らしながら、苦笑いを浮かべた。
だが、最後に口を開いた姫尊の顔は、真顔に戻って凝視した。
「でも……その人にとって『誰が大事か?』なんて、偉い学者が決めることなのかしら?」
※
別の姫尊が、台与に尋ねた。
「では、『女系女子』や『双系』ではいけない理由は?」
「それは……中華の『家制度』と関係があるかも知れません。
中華では、女は結婚しても、姓を変えません。夫婦別姓なのです」
姫尊たちは一様に目を丸くし、互いに顔を見合わせた。
「……『姓』ってなに?」
「あ……我らの国には、まだ馴染みのないものですね。
いわば『家の名前』……のようなものとお考えください」
「……よく分からないけど、まあいいわ。 なんで変えないの?」
「男も女も親との絆は終生断ち切れぬもの。
だからなのか、家を継ぐのは男だけで、女は男の家へ入るだけなのです」
「ふーん……」
姫尊たちは気の抜けたような声を漏らした。
だが、その中の一人が放った一言は、台与の胸を鋭く刺した。
「それは良いとして……女の家に、男が入ると、何がどうダメなの?」
※
「……そもそも、ですよ?」
また別の姫尊が、台与に尋ねた。
「中華には、国の長たる『王』の血統を継ぐ必要って、どこにありますの?
その時、最も相応しき者を、その都度選んではいけませぬのか?」
「それについては……『天命』という考え方があるのです。
王の血は天から授かった使命を帯びていて、天命が尽きぬ限り繋ぐ義務があります。
代を重ねること、すなわち、天命が続いていること。
それこそが『国家の正当性』であると……」
「ほう……。ですが、いくら国に正当性があっても、王が政を誤り、
今を生きる民にとって不都合を強いたなら、
その国は何を以て『己が正しい』と言い張るおつもりかしら?」
台与は必死に答えとなる言葉を探した。
だが、その間にも、他の姫尊たちが畳み掛けてくる。
「そうよ、そうよ。王の血筋と、国の使命とは、どう繋がるの?」
「……やはり、過去にしか目を向けていない考え方のように思えますわ」
この期に及んで台与は、この場でうっかり口を開いたことを痛く後悔した。
台与はその場に両手をつき、平謝りする他なかった。
※
伊勢の大巫女は、頬に手を当てて唸った。
「つまり……?」
阿波の姫尊はすぐ隣から、大巫女を見据えた。
「こういうことでしょう。
――『国家は、王を含む個人の家族計画に介入するべきではない』!」
「……その文言、含めましょう!」
伊勢の大巫女は阿波の姫尊を指差しながら、力強くそう言った。
※
その日の夕方――
阿波の姫尊は演壇に上がると、共同宣言を高らかに読み上げた。
台与はそれを、ルナとともに、演壇前の広場で聞いた。
ヤマト連合・女性部会の面々も登壇した。
阿波の姫尊の背後にずらりと並んだその中には、砂の姫尊・美盧の姿もあった。
台与の目には、彼女の立ち姿がどこか誇らしげに映った。
聞き終わってからもややしばらく、台与は演壇を見つめていた。
隣では、ルナが遠くの空を見上げながら、胸の前で手を合わせている。
「阿波の姫尊……素敵でしたわ」
「……皆で紡いだ言葉です。私は随分と言い負かされましたけど……でも、どこか心地の良い敗北でした」
ルナは小さく吐息をつくように頷くと、台与に目を向けた。
「そうでしたか。……新しい知識を得ても、私たちは倭人です。古来より受け継いできた心までは、失いたくないものですね」
「ええ、そう思いました」
そこに、聞き覚えのある声が届く。
「……凄まじい理だ。でも、生活実感に溢れている……これが倭国の力……?」
ふと見ると、金玄基であった。
ふらふらと歩きながら、うなされたように、なおも独りごちている。
台与は黙ってその姿を見上げていたが、こちらに気づく様子は一向にない。
突然、大きな声がした。
「家宰殿〜!」
木の国の従者だろうか。右手から走ってくる。
金玄基は小走りに駆け寄ってゆく。
「いかがなされたか?!」
「国元のお方様から使いが参りまして、若様が……!」
「……えっ!お熱を?!」
金玄基はそのまま、従者が駆けてきた方へと走り去っていった。
台与はルナと二人、黙したまま、その後ろ姿を見送った。
※
来ぬ国の王・クニトラは、羽越を伴い、近くの山の頂に至っていた。
そこからは、夕闇に包まれ始めたヤマトの地を一望できた。
吹き抜ける風の中、クニトラは不意に問いかけた。
「羽越殿。もし汝が、あの台与なるお子様と刃を交えることになったら……」
「……?」
「如何にして勝つおつもりか?」
羽越はうつむきながら薄く笑った。
「……考えたこともございませぬ……」
「ほう。……だが、それでは武人として片手間であろう?」
「そうかも知れません。ですが……」
羽越は顔を上げると、大きく息を吸った。
「僕にとって……この上なく大切な方の、娘さんですから……」
クニトラは目を閉じ、腕組みをしたまま天を仰いだ。
そして、それ以上は何も問わず、ただ一度だけ、深く頷いた。
お読みくださりありがとうございました。
これからも、これくらいのゆるさで行きたいですね。
今回の話は「可能性の提示」です。
この時代は、中華思想を受け入れるかどうかの分岐点だった、と個人的に思っているのですが、
どうしてヤマトはヤマトのままでいられなかったのか――?
理由は諸説あるのですけれど、今後のためにも、今一度考えてみるのは意味があるのでは?と思っています。
それにしても、古代ヤマトが先進的すぎる……。
もしかしたら当時も、この「ヤマト連合・女性部会」のように
『自分たちが積み重ねてきたもの』を守り抜こう、とした人たちがいたかも知れません。
それは決して、歴史に消えた無駄な抵抗ではなかったようにも思うのです。
次回「第94話 静寂の重圧」
以降は、あれやこれやの含みはありません!純粋な読み物としてご覧いただければと存じます。
(月曜20時ごろ更新予定です)




