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第92話 偶像の壁

来ぬ国の王・クニトラが纏向に現れた。

大荒れのヤマト……伊声耆の退場により、急遽登壇した台与だったが――

都の夢、少女の叫びは人々に届くのか――?


ヤマトの会場・纏向(まきむく)の邑の門前では――


ウヅ改め『羽越の大将』が、白装束に身を包んだ三人組と対峙していた。

後ろの二人は腕組みをして直立していたが、

先頭の一人は、全身を白布で覆いながらも、悠然と周囲を見渡している。


ウヅは鋭く声を張った。


「お顔を拝見させていただきたく。または、お名前を仰っていただければ結構です」


先頭の男は顔を隠したまま、薄く笑った目だけをこちらに向け、低く、重厚な声を放った。


「――断る」


ウヅは眉をひそめ、その男の目を真っ向から見据えた。


「では……お通し出来ませぬ」


すると、後ろに控えていた男が威嚇するように一歩踏み出した。

だが、先頭の男は、それを右手で制した。


「……汝も、顔を隠しておるではないか?」

「これは顔を保護するための防具にございます」


そう答えると、男は目を細めた。


「ならば、我のこれも防具よ」

「……布の覆面で、矢を避けられると仰るのですか? ならば、お名前を……」


男の眼光が不意に鋭さを増した。空気が凍りついた。


「世人に名乗るつもりはない」


ウヅは黙したまま両手を広げ、彼らの通り道を塞いだ。

男の目が、再び薄く笑んだように見えた。



「……まあ、よい。しばし、待たせてもらうとしよう」


互いに視線をそらさぬまま、静かな火花が散る。



すると、遠くから「――羽越!」と呼ぶ声が響いた。

掖邪狗がこちらへ向けて、必死の形相で駆けてくる。


掖邪狗は門の直前で立ち止まると、声は出さず、身振り手振りで合図を送った。


(そちらは、来ぬ国のクニトラ王だ。例の場所に案内せよ……了解!)


ウヅは即座に合図を返すと、男の方へと向き直った。


「失礼いたしました。私は、ヤマト連合・香取軍所属の羽越と申します。

 警護を兼ねて、場内をご案内いたします。以後は、何なりとお申し付けください」


クニトラは、低く笑った。


「ふふふ……汝を気に入った。願おうか」


    ※


ちょうどその頃――


ルナは演壇の端に立つと、鈴を転がすような、しかし力強い声を張った。


「皆様、たいへんお待たせいたしました!

 これより、ヤマト連合・本部の提案事項を、伊声耆(いせいぎ)より申し上げますわ!」


華やかに、そして深々と頭を下げる。

会場からは、地鳴りのような拍手と、野太い怒声が入り混じって飛んできた。


――きゃあああ!

――ルナちゃーん!こっち向いてー!

――可愛いぞーっ!


ルナは左手を高く掲げ、満面の笑みで振りながら、軽やかな足取りで演壇を後にした。

だが、舞台袖に隠れると、その笑みは消え、ぽつりと呟いた。


「あーあ……掖邪狗さん、どちらへ行かれたのかしら……?」



入れ替わるように伊声耆が登壇すると、会場の空気は一変した。


――イセエビ!出てきやがった!

――汝、この野郎!


「えー……イセエビ改め伊声耆であります。我からは、都建設に関する具体的な……」



――引っ込め!

――失せよ!



伊声耆の演説は、始まったその瞬間から、異様な熱狂に飲み込まれていった。


    ※


演壇を見つめる側では――


金玄基(キム・ヒョンギ)は丸くした目で、波打つように騒めく辺りを見渡した。


(これだ……これこそが、いつもの倭の聴衆。……それにしても、伊声耆さん……)


    ※


クニトラは、白布の隙間から目を細め、演壇の狂態を眺めた。

始めは怒号が飛び交うだけだった壇上には、いまや無数の芋や(すもも)(つぶて)となって飛び交っていた。


演壇の下手(しもて)から飛び出してきた掖邪狗が叫ぶ。


「こら! 食べ物を投げるな!」

「落ち着け、皆の者!……石は投げるでないぞ?!」


上手(かみて)から現れた纏向の長老も叫んでいた。


伊声耆が従者たちに守られながら退場すると、壇上には誰もいなくなった。

クニトラは、その無残な光景を無言で見つめながら、その場に立ち尽くした。


前を行く羽越がこちらを振り返り、特設の席を平手で指し示した。


「……どうぞ。こちらへ」


クニトラは頷くと、導かれるままその席に腰を下ろした。


やがて、無人となった壇上に、箒を手にした数名の従者が現れた。

彼らが壇上を掃き清める中、どこか儀式的な足取りで、踏み台も運び込まれた。

その間、観衆は騒動の余熱に浮かされながら、思い思いに気炎を上げていた。


    ※


台与は、演台に置かれた踏み台に登ると、眼下に広がる群衆を静かに見渡した。


「それでは、ヤマト連合・本部としての提案内容を、改めて、初めから申し上げます」


先程までの喧騒が嘘のように、会場は水を打ったように静まり返っていた。

その静寂の隙間から、誰かがボソリと漏らす、

その呟きは、壇上の台与の耳にもはっきりと届いた。


――子どもだ……


「こどっ……?!」台与は思わず、顔を上げた。


――女の子だ……



台与は唇を噛みながら、声の主たちを目だけで追った。

眉間の震えを堪え、一度演台へと目を落とす。

そして、深く息を整えてから、震えを殺した声で続けた。


「この地に都を開けとのご神意を、真に叶えるため、我らが検討を重ねた具体策は……」


そこで台与が再び群衆に目を向けると――多くの者がニンマリと薄笑いを浮かべていた。

どこか値踏みするような、まるで、愛らしい稚児の芸事でも見守るかのような眼差し。

一瞬、台与は絶句した。


    ※


「……そこで欠かせぬのが『河川の治水』、主に大和川流域の堤防建設です。

 特に、亀の瀬口の先、河内地方では水害が頻発しており、早急の対策が……」


――クスクス


「…………対策が、求められています」


    ※


「……次に必要となるなのが、大和湖の干拓。すなわち、湖を干して陸地にする工事です。

 これを成し遂げれば、この地に広大な水田を拓くことが可能と……」


――うんうん!なるほどなぁ!


「…………可能と……なります」


    ※


「……これら大規模な土木工事の完遂には、大量の工具、とりわけ鉄材確保が不可欠です。

 ゆえに我らは海外の国々、特に魏国との友好関係を重視しており……」


――無理しなくていいよ!



「………………っ!」


台与はキッと顔を上げ、声のした方を鋭く見据えた。そして――



――ダーン!



台与は渾身の力を込めて、拳を演台に叩きつけた。



「――何がおかしいのですか?!」



刹那の静寂……。

だが、次の瞬間、地鳴りのような笑い声が会場を席巻した。



――わははははは!怒ったぞ!

――可愛い!!

――いいぞ、いいぞ!



台与は、せり上がってくる怒りを必死に堪えながら、

震える声を張り上げて続けた。


    ※


壇上を見上げながら――


金玄基は、自分の頭から血の気が引いてゆくのを、はっきりと感じた。


(台与様、いけません……。声が上ずっています!それでは……!)


拳を固く握りしめながら、祈るように台与を見つめた。


    ※


会場の笑いは、もはや轟音の渦と化していた。

台与は顔を真っ赤に染め、喉を切り裂かんばかりの声で叫んだ。



「――聞ぃけぇぇぇーーーーーーーーー!」



――ははは!あははははっ!

――くうっ!は、腹が……腹がよじれる……!



「――こ・の・よう・に!」



――にゃははは!!

――やめよ、もうやめよ!……死ぬ……



「こんなんはーッ!かずおおくーッ!ありますがーッ!!」



ーーひぃっひひ……!

――可愛すぎるっ!!



「みなでぇ、のりこえてぇ、ゆきましょうーー!!」



――はーい!!

――分かりましたー!

――ひぃーひっひ……っ!くくく……っ!



叫び終わると、台与は肩で息をしながら、両の拳を固く握った。

滲む涙を必死に抑え、会場の隅々にまで射抜くような鋭い視線を向けた。



    ※


台与が壇上で叫んでいる間――


来ぬ国の王・クニトラは、静かに目を閉じ、深く腕を組んでいた。

周囲の狂乱など存在せぬかのように、ただ、沈黙を守り続けた。


会場に嘲笑が充満し、止まぬ波となって打ち寄せた時、

わずかに一度だけ、左の眉がピクリと動いた。


それ以外は、台与が演壇を降りるその瞬間まで、クニトラは微動だにしなかった。


壇上に誰もいなくなると、クニトラは傍らの羽越に向かい、手を添えて何事か耳打ちした。

「ご案内いたします」と羽越が立ち上がる。

それに合わせ、クニトラもまた、ゆっくりと立ち上がった。


その時――



――パリンッ!……ガシャアアッ!!



演壇の裏手から、土器が割れたような、凄まじい音が響き渡った。

クニトラは、音のした方向――台与が降りていった板壁の向こうに、顔を向けると、


「――ふっ」


と、短く笑った。


    ※


会場を後にした金玄基は、木の国の彦尊と従者たちが詰める小屋へと戻った。

そこでは、木の彦尊は高らかに笑っていた。


「はっははは……! 伊勢方の話には、誰も聞き耳を持っておらなんだわ!

 伊声耆を引きずり降ろした時点で勝負あったのう……」


そう言って、盃をあおると、一転、

周囲の者らを鋭く睨め回し、低く唸った。


「……これで、我らの勝ちも同然じゃ……」


――あっはっはっは!


周囲を固める従者たちも一斉に笑った。

金玄基は、彼らの背後を影のようにそっと通り過ぎ、木の彦尊の傍らを目指した。

すると、木の彦尊が尋ねた。


「……大王は、まだお見えにならぬか?」

「はい。それらしきお姿は、未だ……」

「……そうか。だが、この勢いならば……」


言いかけて、木の彦尊は空いた盃を従者に突き出した。

従者が恭しく瓶子(へいじ)を傾け、なみなみと酒を注ぐ。

それを一気に飲み干すと、木の彦尊は声を張った。


「大王には、これ以上なき吉報をお届けできようぞ!」


――おうッ!


従者たちの気勢は、小屋の外まで突き抜けるほどに高まっていた。


    ※


「ぐすん……」


台与は目を腫らし、それでも溢れ出る涙を必死に堪えた。


だが、それは、先ほど右手に作った切り傷が痛むからではない。

器を叩き割ったことを伊勢の大巫女に厳しく叱られたからでも、

ましてや、阿蘇の大巫女が我関せずと白湯をすすり続けていたからでもなかった。


目の前ではルナが、静かに包帯を巻いてくれている。

その隣では、伊勢の大巫女が慈しむような眼差しで、台与を見つめていた。



控えの間は、重苦しい静寂に包まれていた。

時折、演壇に上がっている登の国の彦尊の声が聞こえてくる。


「王とは神! 神とは王のことなのです!……」


台与が「……申し訳、ございませんでした……」と消え入るような声で謝ると、

伊勢の大巫女は微かに笑んだ。


「……大丈夫よ。ふふっ……そろそろ、あの人が来るから」

「あの人……?」


台与は聞き返した、その時だった――


――ドンッ、ドンッ、ドンッ!


荒々しくも迷いのない、力強い足音がこちらへ近づいてくる。


「ほら、来た」


伊勢の大巫女は音のする方を振り返った。


「大巫女様、いらっしゃいますか!?……ああ、そちらにおいででしたか」


その声と共に、壮年の女が一人、現れた。

質素ながらも手入れの行き届いた清潔な装い。

陽に焼けた逞しい肌に、やや骨ばった精悍な顔つき――だが、そこから覗く鋭い眼光の奥には、確固たる信念が宿っているように見えた。



伊勢の大巫女、穏やかに声をかける。


「あら、阿波の姫尊。どうなさいましたの?」

「黙ってみていられないわ。私にも、何か言わせなさい!」

「あらまあ……」


伊勢の大巫女はゆっくりと立ち上がると、阿波の姫尊に歩み寄った。


「ちょうどお伺いしようと思っていたところでしたのよ。

 こちらからも是非、お願いします」


阿波の姫尊は大巫女の手を力強く取ると、力強く言い放った。


「ええ。今こそ、ヤマト連合・女性部会の結束を示す時です!」


    ※


同じ頃。纏向の会場外では――


河内の棟梁は、この日も鹿肉を焼いていた。


「――串焼き、いらんかねー?」


一声叫ぶと、四、五人集まってくる。

だが、その中にこちらを睨みつけ、無言で歩み寄る男が一人。


「おう、頭……。イノシシなら、もうないで」


「そないなこと、どうでもええねん。聞いとったか、今のお嬢の話?」

「……よう聞こえんかってん……」

「『大和川に堤を張って、河内を埋め立てる』言うてはったで」

「ほんまか?……そら、えらいこっちゃ……」


渡しの頭は演壇を鋭く見据えると、低く呟いた。


「……こら、運命の別れ道やで……」


河内の棟梁もまた、同じ方向を見つめた。


「……勝ってくれへんかな……お嬢……」



その二人が見つめる先では、男が立って平手をかざし、朗々と叫んでいた。


「……山にも川にも湖にも、神が宿る!

 神の作りたもうた天地に、手を加える……そんな冒涜があってよいのでしょうか?

 ましてや、神々に仕える方々が、そのような不遜を口にするとは……!」


――パチパチパチパチ……!


ヤマト会場からは、盛大な拍手が沸き起こった。



立ち尽くす二人の間を、山から下りてきた冷たい風が通り過ぎてゆく。

風は周囲に散らばる枯れ葉を巻き上げると、そのまま山肌を駆け上がっていった。

宙に取り残された葉が、力なくひらひらと舞い落ちる。

その寄る辺ない姿は、ヤマトの喧騒から遠く離れている者たちの背中と、重なって見えた。



お読みくださりありがとうございました。

十三歳で女王に即位し、ただちに国内の争乱を終結させたとされる女王・台与。

しかし、その成長過程では、もしかしたら、こんなこともあったかも知れません。


ただ……、教えてください。

ここまで荒れた原因は、話し手にあるのでしょうか?それとも、聞き手の方でしょうか?


次回「第93話 生きるための理」

辛い話が続いたので、少しゆる〜い話を作りました。

(木曜20時ごろ更新予定です)


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