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第91話 理の侵食

クニトラ不在のまま、ヤマトが始まった。

だが、金玄基は巧妙に罠を仕掛けていた!

そうとは知らず、とうとうと自説を展開する木の彦尊。しかし――


ヤマト開催まで、あと数日。木の国では――


木の彦尊の館には、諸国の王たちが無言で顔を揃えていた。

登の国の彦尊、さらには明の国の彦尊も姿を見せている。

他にも数名、近隣の豪族たちが、緊張した面持ちで居並んでいた。


その中には、青痣の説法師も混じっていた。黙したまま、険しい顔で俯いている。


金玄基(キム・ヒョンギ)は、どうしても彼の様子につい目が移ってしまう。


(こやつ、蘆名(あしな)様を殺めておきながら、よくもまあ、のうのうと……)


苦々しい思いを噛み締めていると、

木の彦尊が金玄基に低く耳打ちした。


「大王はまだか?」

「はい……まだ港には、お見えになりませぬ」

「そろそろ出立せねば、我らが間に合わぬぞ……」

(……その通りなのだが……)金玄基は恭しく俯いた。

「……仕方ない。先に始めるといたそう」


木の彦尊は、その場に集まった面々を見回すと、満面の笑みを浮かべた。


「クニトラ王を、我らが『天王』としてお迎え奉る日は近い!」


青痣の説法師はさっと両手を広げ、叫んだ。


「天王、万歳!」


各地の王や豪族たちも一斉に両手を広げ、叫んだ。


「万歳、万歳、万歳!」


金玄基は万歳三唱をしながら、一方でこうも思った。


(何か、既視感のある光景だな……いつか見た夢か……?)


木の彦尊はすっくと立ち上がる。


「これを今一度、纏向(まきむく)でやろうぞ!」

そう叫ぶと、にやりと笑い、低く言った。

「……もっと盛大に、な」


最後にもう一度、大声を張り上げた。


「――いざ、出立!」


    ※


同じ頃――


来ぬ国の王・クニトラを乗せた船は、海岸の砂浜に乗り上げた。

だが、クニトラはすぐに降りようとはしない。

そのまま、ヤマトの山並みを眺めていた。


タギリヒコは低く唸った。


「……細かい仕草まで、彦尊そっくりだ……」

「おい、おはん……!」


アラツヒコは横目で鋭く、タギリヒコを睨んだ。



遠くから、船に向かって走ってくる数人の一団が見える。

しばらくすると、腕を大きく降る余の国の彦尊・ムラオサの姿がハッキリと見えてきた。

ムラオサは立ち止まると、船の上を見上げた。


「……彦尊! 遅くなりまして申し訳ございませぬ」

「――よい」クニトラは頷くと、短く返した。

「お言いつけの物、持参いたしました」


そう言うと、ムラオサはつづらを担いでいる従者を振り返った。

従者がつづらの蓋を開いたのを見届けてから、クニトラはゆっくりと船を降りた。



クニトラは、ムラオサから渡された衣に、迷いなく袖を通した。

頭巾(とうきん)も深く被り、さらには口元も布で覆う。

全身を白一色で包み込み、今や露出しているのは、鋭く光る両の目だけであった。


「……神官の服……」アラツヒコが呟く。

「タギリヒコ殿の分もございます。どうぞ」ムラオサが差し出した。

「か、かたじけない……」タギリヒコは、たどたどしく受け取った。


アラツヒコとタギリヒコが神官の装束に身を包むと、

クニトラはおもむろに振り返った。


「アラツヒコ、タギリヒコ。いざ……参ろうぞ」


    ※


同じ頃。纏向(まきむく)では――


台与は、伊勢の大巫女とともに、阿蘇の大巫女を出迎えた。

阿蘇の大巫女の姿が見えると、伊勢の大巫女は歩み寄った。


「ご無沙汰しておりました〜。お元気でしたか?」


阿蘇の大巫女は、朗らかに両手を広げた。


「ははは……。この通りじゃ」

「此度は神前の儀もございませぬ故、ごゆるりとお過ごしいただきたかったのですが……」

「いやいや、汝が苦労しておると聞いてな」


台与は、見つめ合う二人をじっと見守っていた。

ふとした拍子に、阿蘇の大巫女は、こちらにちらりと視線を投げた。


「ありゃ……イヨは、ここにおったのかい?」


その言葉に、台与の心臓が小さく跳ねた。


(大巫女様のご命令で来ているのに……長引いたせいで、お忘れになったのかしら?)


台与は一瞬の困惑を押し殺し、咄嗟に作り笑いを浮かべて取り繕った。


阿蘇の大巫女の一歩後ろに、ミズハが控えていた。

射抜くような鋭い眼光を、こちらに向けていた。


台与はその視線の圧力に耐えかねた。

大巫女に深々と頭を下げて、視線を逸らした。


    ※


正始四年十二月某日。ヤマトの地・纏向は――


もう既に、各国から出てきた大勢の人々でごった返していた。

金玄基と伊声耆(いせいぎ)は別々の場所にいながら、ほぼ同時に驚愕の声を上げた。



「――なっ……何だ、これは?!」



金玄基が見たのは、あちらこちらで激しく立ち話をする倭人たちの姿だった。

左右を振り返りながら歩く。

皆、身を乗り出して(まつりごと)を論じている。


(魏の民とは違う……倭人とは、かくも政に情熱を燃やす民なのか……。

 これはもう、失敗できない!)


込み上げる武者震いに足取りすらおぼつかず、何度か転びかけた。



一方、伊声耆は、各国の王のために用意した『控えの間』に立ち尽くした。

がらんとした屋内を見渡せば、主を失った手荷物だけが虚しく置かれていた。


「……これは、いかなることじゃ……?」

「良いではないか。毎度のあの喧騒は、正直叶わぬ……」


脇から現れた掖邪狗(えきやく)が宙を睨み据えつつ、吐き捨てた。

すると、二人の背後から快活な声が響いた。


「これが『時代』ってやつさ」


振り返った伊声耆は、顔をほころばせた。


「……難升米(なしめ)!」

「此度は、神つ国の代表として参りましたぞ」


難升米は親指を立てると、ニカッと笑った。



その間にも、会場のあちらこちらで、喧々諤々の議論が沸騰していた。


「魏の脅威が我の国にも及んでおるのか、山から熊が下りてくるようになっての……」

「我の国は不漁じゃった……呉が侵攻してくる兆しじゃろうか?」

「大王を立てれば、全て解決じゃ!」

「……だが、大巫女様はお美しいからのう……」

「鉄はどうなのじゃ?!」

「銅に比べれば、どうってことないそうじゃぞ?」

「……聞けば、『都』とは四角い形をしておるそうじゃ」

「――それでは、丸く治らぬではないか?!」


    ※


数刻後――



――ドーン!ドドーン!



合図の太鼓が大きく鳴った。

人々が静まり、続々と演壇の周りに集まる。


(……いよいよ、ヤマトが始まる……)


金玄基は顎を引き、上目遣いに壇上を見つめた。


壇上には、掖邪狗が現れた。


「これより、ヤマトを執り行う。

 此度は、我らヤマト連合・本部の案に対し、木の国より対案が出された。

 只今から、木の国の彦尊より、その趣旨説明がある。皆々、ご静粛にご傾聴願いたい」


木の彦尊はすっと立ち上がると、悠然と壇上に姿を現した。

そして、演台の前でこちらを向くと、まず右の拳を口に当てた。


「――うおっほん!

 本日お集まりの諸君、及び我が国にとって、これから話す内容は天恵という他ない……」


金玄基は息を呑んだ。

今日この日のために、金玄基は原稿を練りに練ってきた。

木の彦尊もつぶさに見ては、一字一句にこだわってきた。

それが今、壇上でとうとうと語られている。



木の彦尊は人差し指を立てると、舐めるように周囲を見回した。


「……このように! 王統とは、国家の中心であるのみならず、世界の、あるいは、宇宙の中心である。中華世界では、そのように考え、それに従って全ての秩序が構築される。

 だが、これらは、我らの価値観とも深く合致する!……」


そこで、金玄基は辺りを見回した。

会場は静まり返っていた。衆目はただ一点、木の彦尊に注がれていた。

木の彦尊の演説は熱を帯びていく。



「……大巫女様は四年前、『この地に都とし、集え』と言った。

 だが、それだけでは足りぬ! 正しき血、正しき王統の流れを汲む者の元に集ってこそ、天は、そして宇宙の神々は我らを祝福する!

 では、都に御座するにふさわしい王は誰か?……」


木の彦尊が両手を広げた。


大王国(来ぬ国)・国王・クニトラ王をおいて他にないッ!」


会場に緊張が走る。さらに彦尊の声が響き渡る。


「何故ならば、『神代の大王』の直系にして、男子の王であるからである!

この見解は、中華の思想とも完全に合致する。まして、都を建て、中華に認められることを目指すのであれば、当然の帰結と言える。……」



その時、会場がややざわついた。

金玄基は一人、にやりとほくそ笑んだ。


(……ここだ。この文面は、倭国の風習と中華思想を無理やり合体させた……。

 中華の王は徳を失ったら、倒されるのが道理。『易姓革命えきせいかくめい』あってこそ。ふふふ……血を絶やさぬことを尊ぶ倭人の感性とは相容れまい……。

 違和感を覚えた民が、ここで暴発……)


と、思ったのも束の間――。



(――何故?!)



観衆の反応は薄い。

金玄基は、忙しく目を左右に動かす。

誰一人、騒ぎ立てる者はいない。皆、憑かれたように壇上を見つめていた。


(……なんて品の良い人たちなんだ! いつもの観衆とは層が違うのかっ?!)



瞬く間に、木の彦尊は何ら動揺することもなく、最後まで辿り着いた。


「従って、我は、クニトラ王をこの地にお迎え奉るべき、と考える!


 以上が、我が木の国提案の趣旨説明である」



あまつさえ――



――ウオオオオオオオッ!! パチパチパチパチパチ……!!



会場は、割れんばかりの拍手喝采と熱狂に包まれた。

金玄基の顔から、一気に血の気が引いた。


(ばかな……っ! 台与様……ごめんなさい!!)


    ※


演壇の袖とつながった、ヤマト連合本部・控えの間では――


台与の目は、木の彦尊に釘付けだった。


(……思いの外、整った理だった……)


目の前ではルナと水惟(すい)が、床に敷いた大きな布を囲んで激しく口論をしている。

その布には、多くの言葉が乱雑に記されていた。

木の彦尊の演説から、『ここ』という語を抜き取り、走り書きしたものだ。

台与も先程までは、この輪の中にいた。


ルナが早口で言う。


「『宇宙』などという中華の概念を持ち出して、衆を煙に巻いてますわ。

 八百万の神々を信じる私たちの感性とは、あまりにかけ離れすぎています!」


水惟は静かに返した。


「……衆も戸惑っている……だが、そこを突いても弱いかも。

 むしろ……この『四年前の大巫女様の神託』の部分!これは巧妙な『すり替え』だ。

 大巫女様は『ヤマトに集え』と仰ったのであって、

 『王を誰にするか?』は別の問題のはずだ」


ルナがふと、台与に顔を向けた。


「台与様……お顔が青いですよ?」

「えっ?……ええ、大丈夫です」


台与は右手で胸を押さえ、深く、長く息を吸い込んだ。


「私は……『男子の王』というところに不自然さを感じました。

 魏がそうだから倣うのか、宇宙の真理だからそうするのか?

 その辺りが、少し……曖昧……だった、ように思い……ます……」


自分でも不思議なほど、息切れがする。

まるで、目が眩んだかのような、あるいは、突然、重い荷を背負わされたかのような――

言葉を発するたびに、魂を削られるような感覚だった。



ふと部屋の隅を見ると、伊声耆が項垂れている。


「不味い……。反論の言葉が出て来ませぬ……」


伊勢の大巫女は、その隣に座していた。


「私は、今は手助けできないわ……」

「はい……。しかし……どうしましょう?

 我らの案にだって、中華思想を抜きにしては説明がつかぬ治水や干拓の計画が入っております。八百万の神が宿る大地を、人の手で変えるという……」


伊声耆は頭を抱えた。


「うう……死にたい……」

「死ぬくらいなら、職を辞しなさい……」


そう言うと、伊勢の大巫女は、伊声耆の肩に静かに手を置いた。


「私も辞めるから……ね?」


伊声耆は弾かれたように、大巫女に顔を上げた。

伊勢の大巫女は目を細めて伊声耆をじっと見つめた。


「ねぇ……これからは、私と一緒に牡蠣を捕って暮らさない?」

「……エビでも魚でも獲りますよ、我も……」


応じる伊声耆の目は、まだ虚ろなままだった。



その近くでは、阿蘇の大巫女は目を閉じて、白湯をすすっている。

そのまた隣では、ミズハが釜に当てる火加減を気にしていた。



正始四年十二月のヤマトは、これまでとは違っていた。

どこに向かい、どこに着地するのか、誰にも分からなかった。


台与は言葉を失い、世界が変わりゆくのを見ていることしかできなかった。



お読みくださりありがとうございました。

倭国の話をしているのに中華思想を混ぜるの……反則ですよね?

腹立ってきませんか?何やってんのよ、金玄基さん?!


でも、案外、海外から直輸入されたかのような文化伝統は多いような気がしています。

皆様も一度、身近な「伝統」のルーツを探されてみてはいかがでしょう?

案外、どこかの国の「金玄基」が仕掛けた策の跡が見つかるかもしれません。


次回「第92話 偶像の壁」

クニトラが到来したヤマトで、台与様の初登壇!

少女は叫んだ。「――聞ぃけぇぇぇーーーー!」

そして、「女たち」も動き出すーー。

(月曜20時ごろ更新予定です)


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