第88話 纏向狂騒曲
金玄基は纏向の舞台に立ったーーそこで行われたのは……
熱を帯びる、台与vs金玄基、ガチンコ対決!そして、戦いのさなかにも、静かな夜は訪れる。
そして、ついにあの女とあの男が動き出すのだった。
数日後。ヤマトの地・纏向――
都建設の手始めに伊声耆が建てた御殿は、まだ杉の香りを残していた。
今冬の、ヤマトの開催予定地でもある。
金玄基は、そこに集まった群衆を、じっと見据えた。
脳裏をよぎるのは、木の彦尊の言葉だった。
◇◇◇
昨夜のこと――
木の彦尊は、金玄基が書いた原稿を読み終わると、深く溜め息をついた。
そして、金玄基に顔を向けた。その目は哀れみに溢れていた。
「汝、大丈夫か? 難なら、壇上には我が立とうぞ。
一度不審に思い始めると、顔を見ただけで何を申しても否定する輩もおるゆえな……」
だが、金玄基はかしこまって答えた。
「大丈夫です。これだけは、私にやらせてください」
◇◇◇
金玄基は、汗が滲んだその手をぐっと握りしめた。
(……台与様。こう出たら、どうする?)
――パン!……パン!
ヤマトの四長老の一人・纏向の長老が二回、手を叩いた。
「皆様、ご静粛に! これより、講演会を始めます。
題目は『我が国――魏国と呉国との狭間で』。木の国・家宰・金玄基殿のご登壇です」
――パチパチパチパチ!
会場は、群衆たちの拍手に包まれた。
金玄基は静かに立ち上がると、壇の中央に進み、深々と頭を下げた。
「本日お集まりいただき、ありがとうございます。
皆様には、世界の、本当の姿をお知りいただきたく存じおります。……」
その時、怒声が飛んだ。
「きむ何某! 呉について詳しく申せ!」
金玄基は、声がした方に目を向けると、薄く笑んだ。
「まず初めに申し上げますと、現在のところ、大王の御国と呉国との間には、商いの取引はありますが、『大王が皇帝と手を結んだ』という確たる事実は、確認できておりません。
本日は、この事実を踏まえまして……」
※
その頃、伊勢の社では――
台与は、カゲマルから届いた布の端切れを手にしたまま、ぽつりと呟いた。
「来ぬ国のクニトラ王が二人になって、ヤマトに現れるそうです……」
それを聞くと、伊声耆も掖邪狗も目を丸くした。
「『来ぬ国が来る』というだけでも驚きですが……」
「王が分身するとは……」
そして、伊声耆は乾いた笑い声を漏らし、掖邪狗は眼光鋭く宙を睨み据えた。
「だが……ヤマトに参るのは、偽物の方であろうな」
「念のため、護衛を厚くしよう。
今やクニトラ王は渦中の人……もし、何事かあれば、我らの信用に関わる」
「それはそうだな。すぐに手配しよう」
台与は黙したまま、そう話す二人を見つめた。
だが、来ぬ国の動向は、今の台与には眼中になかった。
頭の中は、金玄基率いる木の国勢への対抗策で一杯だった。
(私たちの論にも綻びがある……今のうちに対策を考えておかないと……)
※
その頃、纏向では――
「……このように!」
そう叫ぶと、金玄基は、握った拳を高く振り上げた。
「伊都国を中心とした勢力が手を結ぼうとしている『魏国』とて――」
――ダーンッ!
渾身の力を込めて演台を叩きつける――
「――決して! 心安まる相手ではないのです!」
「ひぃいい……」群衆から悲鳴が上がった。
(――よしっ!)金玄基は、さらに強く拳を握った。
「皆様は、まだご存知ないかも知れません!
この魏国と長年よしみを通じていた『高句麗』という国があります……」
「存じておるぞ! 鉄の国じゃ!」
群衆の一人がヤジを入れる。
金玄基はそれを飲み込むように声を張った。
「左様! しかし、つい最近のことです。この国に!魏国は、突・如、『攻め入った』のであります!」
……ザワザワ……
「王は都を追われ、行方知れず!……魏には礼をもって接し、呉の使者を二度にも渡って拒否していたにも関・わ・ら・ず!です!」
――そういうことだったのか?!
その時、群衆の一人が立ち上がり、叫んだ。
金玄基は一瞬、目を疑った――
(――備の国の彦尊?!)
備の彦尊は丸くした目をこちらに向けて、立ち尽くしていた。
だが、今は構ってはいられない。
気を取り直し、続けた。
「魏とは、そのような国なのです!
己の都合のみで世界を変えようとする……そういう国なのです!」
会場の注目が、金玄基に集まる。
「そのような国と結ぶことが、果たして安全か?! いかがですか、皆さん?!
荒海を隔てている分、呉の方が『まだマシ』というものです!」
金玄基の額を、滝のように汗が流れ落ちる。
「――そもそも!です。 魏国には水軍がありません!……あるけど弱い!
つまり! 魏国が『我らの国』、この土地を守ろうとすれば、彼らは我らの国に上陸し!
こ・の・地・で! 戦をすることになります!」
――ここが戦場になるのか?!
群衆がざわめく。
金玄基は両手を広げ、首を傾げて見せた。
「これでは……!
守ってもらっているのか、戦を招いているのか……分からぬではありませんか?!」
群衆は、次の言葉を待っている。
金玄基は畳み掛ける。
「我らの国には!これらの大国と対抗し得る!『強い力』が必要です!その――ためにも!
我々は――
――大王の元に結集する必要があるのであります!」
言い終わると、金玄基は壇上から深々と頭を下げた。
――ウオオオオオオッ!
――納得いったぞ!きむ何某!
――魏も呉もこええ……!
――パチパチパチ……
怒声と悲鳴と拍手の入り混じった群衆の叫び声は、いつまでも鳴り止まなかった。
そんな彼らに手を振りながら、金玄基は壇上を後にした。
その中に――
立ち上がりもせず、押し黙ったまま俯いている一組の男女がいた。
そのうちの一人、ルナは低く唸った。
「あの人……どちらの味方なのかしら……?」
もう一人の水惟は、腕組みをして目を閉じた。
「うーん……一理ある。僕らも何か考えないといけないね……」
※
その七日後――
纏向の御殿には、再び大勢の群衆が詰め寄せていた。
だが、その日の会場は静まり返っていた。
纏向の長老が、演者を掌で差した。
「これより、伊都国水軍・第三十八商船護衛隊・水惟司令による講演を行います。
題目は、『世界を正しく知るために――海の軍事と均衡』です。
それでは、水惟司令、お願いします」
水惟は背筋を伸ばし、長老に深々と頭を下げると、軍人らしくキビキビと登壇した。
そして、群衆に向かっても深く、深く頭を下げると、静かに語り出した。
「皆様。 海外の事情に接し、ただ恐怖を抱くだけではいけません。
我が国の現状も踏まえ、『正しく』知ることこそが、最も大切であると、私は考えます。
そこで、本日は、伊都国水軍の知見を一部、ご紹介すると共に、諸外国の動向と今後の展望を……」
その会場の片隅で、金玄基は腕組みをしていた。
その一語一語を吟味する。
(……正しい。正しすぎる……穴はないか? 水惟殿の論理に、綻びは……?)
※
会場の周りには――
地面を掘り、そこに水を張った池があった。
そこに木彫りの小さな船を浮かべ、子供たちが波を立てて遊んでいる。
「沈まない……」と泣く子がいる一方で、
「わあー、沈んだ!」と喜ぶ子もいた。
だが、最も喜んでいたのは、彼らの隣でしゃがんでいる伊都国・水兵らしき若者だった。
「でしょう?! あれは呉の船ね。
大きいけど川船だから底が平たい。だから、波で沈んじゃうんだ。
伊都の船は、底が丸くなってるから、沈まないんだよ」
「ふーん……」
子供たちはその純粋な瞳で、その水兵を見つめていた。
河内の棟梁は、しばらくの間、彼らのやりとりを眺めていた。
だが、くるりと向きを変えると、大声で叫んだ。
「串焼き〜! 串焼きはいらんかね?」
背後から声が掛かる。
「おう! 一つくれや!」
「まいど!……って頭やんか」
渡しの頭は徒歩で近づいて来る。
「どや? 儲かっとるか?」
「……ぼちぼちやな」
「でも、ええ稼ぎになるんちゃう?」
そう言うと、渡しの頭は串に刺さった肉を、一口かじった。
「なんや、これ? イノシシちゃうやんか?」
「シカや……切らしてもうたわ……」
「…………だいぶ儲かっとるな」
「こんなことなら、毎年ヤマトやって欲しいわ……」
そう呟くと、河内の棟梁はふと、遠くの生駒山を眺めた。
※
それから一月後――
纏向の夜空には、月が登っていた。
風はなく、虫の鳴き声が晩秋の寂しさを掻き立てる。
その場には、ヤマトの地の長老が顔を揃えていた。
オオヤマトの四長老――纏向、唐古、柳本、橿原の長老は、眉間に皺を寄せていた。
布留、葛城、蘇我、和爾、佐紀の五人の長老も、皆一様に押し黙っていた。
沈黙を破り、纏向の長老が口を開いた。
「伊勢方の言い分も、木の国の言い分もあらかた聞いた。
そろそろ、我らの考えも定めねばならぬな」
促されるように、他の長老たちも次々に声を漏らす。
だが、その語り口は、一人ひとりが独白しているかのようだった。
「帯方に行き、『都など作れぬ』と思い込んでおったが……」
「うむ。少し考えを変えたほうがよいかも知れぬ」
「少なくとも、木の国の申すことは、鵜呑みにはできぬ」
「それを言ったら、伊勢方の申すこともじゃ」
「本当のことを知りたい。 真実はどうなのじゃ?」
「どちらも嘘は申しておらぬようだが……」
「どちらも何か一つ、隠しておる……口数は多いがのう……」
「お互い、相手の隠しごとを暴露し合うておるだけのようにも見える……」
夜風が吹き抜け、灯明を揺らした。
静かな会合の中に、まだ一言も話さない長老がいる。
固く口を結び、目を閉じて、腕組みをしたまま、じっとしていた。
纏向の長老は尋ねた。
「唐古の長老殿……何か言わぬでよいのか?」
唐古の長老は、そう問われても微動だにしない。
息をする以外は、眉一つ動くことはなかった。
纏向の長老は薄く笑むと、「ふぅ……」と軽く息をついた。
「なあ、我は都には反対じゃ。じゃが、都か?大王か?と言われたら、都を取る」
「なんと……。田畑を作る地が無うなってしまうぞ」
「ならば、この際、大王を赦しても良いとさえ思うておる」
その言葉に、唐古の長老はカッと目を開いた。
だが、鋭い眼光を放ったのも束の間、すぐにまた瞼を閉じた。
長老たちの対話は、淀みなく続く。
「そうじゃ。大王も代替わりした。今の大王はなかなかの王じゃとも聞く」
「それも噂であろう?」
「……そうじゃった。噂ほど当てにならぬものもない」
「だが、最近の若い者をこの目で見ておると……どうじゃろう?
悪くないようにも思うのじゃが……?」
その会合は、とりとめもなく、淡々と、そして夜更けまで続いた。
※
同じ頃、阿蘇の社では――
阿蘇の大巫女は訊き返した。
「なに?……どちらとも分からぬ、と?」
「はい。伊勢の大巫女様と木の国勢、どちらも拮抗しているとの由……」
そう言うと、側用人は深々と頭を下げた。
阿蘇の大巫女は社殿の外に視線を向けると、そのまま漆黒の闇を見据えた。
そして、一言だけ呟いた。
「……我も征かねばなるまい……」
※
翌朝、来ぬ国の港では――
船乗りたちが慌ただしく走り回っていた。
王を乗せる船は、今か今かと号令がかかる時を待っている。
その船を、まだ上がり始めたばかりの太陽が薄く照らした。
来ぬ国の王・クニトラは、くるりと向きを変えると、短く言った。
「では……行って参る」
もう一人のクニトラは短く頷くと、随伴する二人の将に声を掛けた。
「うむ。アラツヒコ、タギリヒコ、頼んだぞ」
アラツヒコは憮然とした表情を浮かべていた。
タギリヒコは目を白黒させ、二人のクニトラを見比べていた。
ヒムカは、港に残ったクニトラの一歩後ろから、その様子を眺めていた。
その隣には、前の霧島の大巫女がいる。
船に乗るクニトラは、前の大巫女に黙したまま軽く一礼すると、素早く向きを変えた。
「では、参ろうか。アラツヒコ、タギリヒコ」
アラツヒコとタギリヒコが後に続く。
港に残るクニトラは黙したまま、彼らを見つめていた。
「――出航じゃ!」
アラツヒコの号令とともに、船は帆を上げた。
船が動き出すと、ヒムカはゆっくりと腰を折った。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ……大王」
その時もまだ、どちらが本当のクニトラなのか、誰にも分からなかった。
船が、朝日に向かって進んでいるのか、はたまた、来ぬ国から遠ざかっているだけなのか、それも誰にも分からなかった。
何もかも、誰にも分からないまま、船だけがヤマトの地を目指し、海原を駆けて行った。
ただ、後を追うカモメの鳴き声だけが、静まり返った港に虚しく響いていた。
お読みくださりありがとうございました。
こういうのって、本当(歴史上)は「戦」で決めたのでしょうけれど、
実は、本話の執筆時点でイラン戦争が始まってしまいまして……。
現実で戦争してるのに、小説でも戦をしてたら、フィクションではなくなってしまいます。
ですので、趣向を変えてみました。
ただ、論争も戦争も「政治闘争の延長」と考えますと、(近代的すぎますが)同じことなんじゃないかな?とも思うのです。
次回「第89話 真と偽の境目」
また、タネ明かしの回にいたしとう存じまする……。
(木曜20時ごろ更新予定です)
※2026/07/06誤字修正:「」→『』




