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第87話 正論という名の檻

来ぬ国の王・クニトラ失踪――? 真偽不明の報せに金玄基は――

同じ頃、台与は一発逆転の秘策を放った。

クニトラを信じて待つヒムカは一目で見抜くが――


数日後、伊勢の社の広間では――


ルナが天井を見上げながら、大きな泣き声を上げた。


「大劣勢ですわ〜!」


その直後、すっくと立ち上がると、床に恨みでもあるかのように地団駄を踏んだ。


「なーにが、策略よ! 私たちの言い分を論破して回ってたら――意味ないのよっ!」


やがて、がっくりと肩を落とし、弱々しく続けた。


「このままでは大巫女様の都建設計画が、反対多数で棄却されてしまいますわ……」


頭を垂れるその様子は、台与にはただただ可笑しく見えた。

だが、笑えない。

台与は口元にだけ小さく、苦い笑みを浮かべた。


伊勢の大巫女は表情を曇らせ、頬に手を当てて考え込んでいる。

傍らに控える伊声耆(いせいぎ)掖邪狗(えきやく)も、腕を組んだまま項垂れていた。


台与も両手を膝の上に置き、うつむいた。


(……なにか良い考えは……? 玄基の言い分に、綻びはないか……?)


あった――


台与は身を乗り出しながら言った。


「大巫女様、皆様、妙案が浮かびました」


一同の視線は一斉に台与に集まる。

だが、台与は一瞬、目を伏せた。


「……いえ、どちらかと言えば『卑怯な手』かも知れません」


すぐに目線を戻すと、台与は静かに、だが力強く言った。


「玄基たち木の国衆の主張は『現状維持』です。何事も起こらなければ最良……。

 ですが、変事が起これば一気に崩れます」


台与の瞳に、鋭い光が宿った。


「で、あれば……可能性を振りまくのです。たとえば……」


    ※


同じ頃、木の国では――


カラッと晴れた空の中を、水鳥の群れが駆け抜けて行った。

遠目には眩しく、キラキラと輝く海は、やがて、じっとりとした潮風を運んできた。

山の方を見やると、青々とした木々の葉が夏の日差しに照らされ、生き生きとしていた。


ここは、木の彦尊の館。

その庭先には、所々に残された蝉の抜け殻と、二人の男の姿があった。


木の彦尊は金玄基(キム・ヒョンギ)に尋ねた。


「我のご先祖様の八咫烏(やたがらす)は三本足であったという。

 しかし、我の足は二本……これでは、どうにも様にならぬのではないか?」


(これも、クニトラ王をお迎えする準備か……)


金玄基は内心で苦笑しながらも、にこやかな作り笑いを浮かべた。


「それについては、私にも少々考えが……しばしお待ちを」


目を丸くして頷く彦尊を尻目に、金玄基は館裏の物置へと走った。


「こういうことではございますまいか? ほら、三本足になりましてございまする!」

「ほほう、枝杖えづえか……そうかも知れぬな! はっはっは……!」


戻って来た金玄基の姿を見て、木の彦尊は高らかに笑った。



木の彦尊はさっそく、杖を使って歩く練習をしている。

金玄基は館の縁に腰を下ろした。口元には、自然と笑みがこぼれた。


館の内からは、木の国の従者たちの話し声が漏れ聞こえてくる。


「ふんっ、あんな子供騙しの胡麻すりを……」

「じゃが、なかなか思いつかんぞ。あれが大陸仕込の『お勤め』というやつか……」

「……悪いことばかりでもない。あの彦尊がご機嫌な日が多うなったしの」

「我らの居心地も、だいぶ良うなったわ」


金玄基はその声を背中に受け、薄く笑った。



と、そこにーー


風に乗って飛んできたのだろうか。

布の端切れが一枚、金玄基の顔に張り付いた。


すぐに引き剥がし、布切れを見つめる。

そこに書かれていた報せは、金玄基を驚かせた。

一瞬、金玄基の笑みが消えた。


(……クニトラ王、ご出奔?!)


金玄基はその布切れを即座に懐にしまうと、右手の指を三本立て、軽く振った。

その合図と共に、塀の外の微かな気配が走り去った。


(カゲマルさんには悪いが……不確かな報せで、台与様のお心を乱すわけには……)


    ※


その頃、霧島の宮では――


ヒムカの元に、(さき)の霧島の大巫女が血相を変えて飛び込んできた。


「――大巫女!」

「お義母様……いかがなされましたか?」

「クニトラは……ここへ、クニトラは来ておらぬか?」


ヒムカは戸惑いながらも、首を横に振った。


「い、いいえ……」


前の大巫女は、慌ただしく辺りを見回す。

やがて、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「ああ……私が意見など、したからだろうか……?」

「意見……?」


ヒムカは汲んできた水を差し出しながら、そっと尋ねた。


   ◇◇◇


クニトラが姿を消す、前夜のこと――


前の大巫女はクニトラの前に正座し、声を荒らげた。


「ヤマトなどというものに関わってはなりませぬ! 貴方は秋津洲(あきづしま)の大王なのです!」


クニトラは視線を落としたまま、静かに返した。


「そうも言ってはおられませぬ。行かなければ、対面を失います……」


前の大巫女は負けじと返した。


「誰がなんと言おうと貴方は大王! 大王を大王と思わぬ者など、この国の者ではありませぬ。 捨て置きなされ!」

「……母上。そんな単純な話ではないのです……」


その後、前の大巫女はとうとうと来ぬ国の立場を語り続けた。

クニトラは長い間、石のように黙して聞いていた。

だが、夜が更けてくると――



「――母上! いい加減にしなさい!」



と叫ぶと、すっくと立ち上がり……。


   ◇◇◇


「……そのまま姿を眩ませてしもうたのじゃ」

「まあ……」

「クニトラが参ったら、すぐ御館に知らせるのじゃ。よいな!?」


まくし立てるように言うと、前の大巫女は嵐のように去っていった。


ヒムカは座したまま、呆然とその背中を見送った。

だが、ヒムカの心の奥底には、揺るぎないものがあった。


(大王がお立場を捨てる……そんなはずはないもの……)


もしそうであるなら、それはヒムカが知らないクニトラだ。

吹き抜ける山風の向こうに、自分でも驚くほど静かな、そして確かな予感があった。


    ※


それから十日ほど経った木の国では――


金玄基は、彦尊の館内の詰め所で一人、思案に耽っていた。


(その後、カゲマルさんからクニトラ王についての続報はない……本当に消えたのか?)


だが、説得工作は順調だ。


(実際問題、クニトラ王が来ても来なくても、クニトラ王を推す彦尊の提案が通っても通らなくても、ヤマト連合の勝利に変わりはない……)


金玄基はそう確信している。さらに、思考を巡らせる。


(伊都には都市牛利(としうり)さんもいる。クニトラ王の居ない来ぬ国になら、伊都国単独で勝てるだろう。

……問題は、ナギサヒコ王が実際に腰を上げてくれるかどうかだが……)


金玄基はごろりと横になった。


(例え、クニトラ王がヤマトの地に現れ、民心を掌握したとしても……

待っているのは、あの広い大和湖の干拓と、亀の瀬の掘削、大和川の治水だ……。

お義父さんが千年掛かると言った土木事業……彼らがやってくれるなら、それはそれで良いのではないだろうか?)


金玄基は仰向けになり、天井を見上げると、にやりと笑った。

瞼を閉じると、自然と言葉がこぼれ落ちる。


「倭国は……天下泰平なり……」



だが、突如として――


館の表が、異様なざわめきに包まれた。

木の国の従者たちが、血相を変えて次々と外へ飛び出してゆく。

人々の声は津波のように膨れ上がり、やがて金玄基の耳にも、剥き出しの怒号が叩きつけられた。


「こらあッ!話が違うではないか!」

「どういうことか?! 説明せよ!」

「きむ何某(なにがし)! おるなら、出て参れ!」


金玄基は慌てて飛び起きた。


    ※


説明を求めて集まってきたのは、近隣の(むら)の長たちだった。

彼らが口々にわめく問いに耳を傾ける。

そして最後には――



「……ななな、なななな――なんですって?!」



金玄基の顔は青くなった。


「クニトラ王……いや、大王が呉と結託?!……誰がそんな、根も葉もない……」


だが、内心ではこうも思った。


(あるいは本当に、呉が献使を強行したのか?……まだ報せが届いていないだけか?)


近隣の長たちは、我先にと声を張り上げる。


「――まことしやかな噂じゃ!」

「伊勢の巫女様方が言うておったのじゃ。間違いなかろう」


彼らは「うんうん」と力強く頷き合った。


「呉は我らを滅ぼして、ここを自分の国にするつもりだそうじゃ」

「本当か?! 戦になるのか?!」

「大王は、呉に便乗して、我らを皆殺しにするおつもりか?!」

「少なくとも、魏と結んでおる大巫女様方とは戦になるそうじゃが……」


「ま、まさか……」


金玄基が流した冷や汗は、演技ではなかった。

もしそうなら、一番恐れている事態であり、誤算であった。


「……お待ちください! そのような話は、我が木の国には全く聞こえて来ませぬ。

 皆様、どうか噂に惑わされず……」



「――実際に起ってしまったら、取り返しがつかんのじゃッ!!」



酋長たちは腕組みをして、うんうんと頷いている。


「そう言えば、かつて……我は、来ぬ国から『赤烏二年』と刻まれた銅鏡を頂いたぞ」

「おお、それは『呉の元号』じゃ。 伊勢のルナ様がそう仰っておった」

「大王が呉と結んでおるという、動かぬ証拠!」

「ほら見たことか! はっきり説明せよ、きむ何某!」


「まあまあ、皆さん! 落ち着いて! ――落ち着いてぇ!」


そう叫び返すのが、金玄基には精一杯だった。


「ところで、皆様……魏や呉がどのような国か、ご存知なのですか?」


彼らは一斉に叫んだ。


「もちろん、よう知らん!」


    ※


何とかその場を収め、つめ寄せた人々に帰ってもらうと――


金玄基も、ようやく帰宅の途についた。


「ああ……疲れた。それにしても……(台与様、やるじゃないか!)」


台与たちが何をしたのかは、おおよそ見当がついた。


(……そうと分かれば、こちらにも策がある……)


道すがら、金玄基はヤマト連合に対抗するための思案に耽りながら歩いた。



ようやく自宅の門をくぐり、囲炉裏端にどっかと腰を下ろす。

スミレが寄ってきて、向かいに座った。

真桑瓜をかじりながら、じっとこちらを見ている。


「どうした、スミレ?」


尋ねると、スミレは人差し指を向けた。


「向こうに、誰かいるよ?」


金玄基は振り返った。


(……誰も居ない。だが……)


すぐに立ち上がると、壁に耳を押し当てる。

金玄基は低く呟いた。


「……うん。……うん。分かった、ありがとう」


すると、壁の向こうの微かな気配は消えた。


(呉の使者が船出した、という報せはまだない……か)


ひとまず胸を撫で下ろし、再び囲炉裏端に座る。

だが、スミレは休ませてくれなかった。


「おとう……」

「なんだい?」

「おうちの入口に、誰か来てるよ?」

「……そうかい」


金玄基はまた立ち上がり、土間へと向かった。

そこには誰もいなかった。

ただ、真桑瓜が一つ、転がっていた。


金玄基はそれを拾い上げた。

瓜には切られた跡がある。

その中から、隠されていた布を取り出す。



しかし――



その報せに、金玄基は息を呑んだ。


「……なっ!――なんだってぇ?!」


抑えきれない驚愕が、声を高く、大きくさせた。

その文には、数日前に来ぬ国で起こった出来事が、簡潔に記されていた。



   ◇◇◇


数日前、来ぬ国・大殿――


来ぬ国の王・クニトラは、二人になって戻ってきた。



二人のクニトラは悠然と上座に腰を下ろすと、従者たちと相対した。


アラツヒコも、ウネビヒコも、タギリヒコも、

歴戦の将たちが皆、両手をついたまま呆然と、上座の二人を見つめていた。

顔立ち、体躯、纏う空気……それだけでは、違いが分からない。


「あ……あの……彦尊?」


アラツヒコが問いかけると、二人のクニトラは声を揃えた。


「なんじゃ?」

「どちらが、本当の彦尊でごわすか?」

「我じゃ」


声色、抑揚までもが鏡写しだった。一同に、重苦しい沈黙が落ちる。


アラツヒコは汗を垂らしながら、後ろを振り返った。


「御母堂様じゃ! 御母堂様を呼んで参っくいやんせ!……」


さらにタギリヒコに叫ぶ。


「おはんは大巫女様じゃっど!霧島のお宮まで走れ!……急がんかッ!!」


すると――



「――はっはっは……!」



左側のクニトラが高く笑った。

アラツヒコは、ゆっくりと背筋を伸ばした。


「彦尊……そちらでございもしたか……」


すると、右側のクニトラが低く言った。


「否。我がクニトラじゃ」


左側のクニトラは薄く笑みを深める。


「……そうか。汝らにも分からぬか……」


と、そこに――


「クニトラ!」と叫びながら、前の霧島の大巫女が駆けてきた。

だが、「……二人?!」と絶句したまま、眩暈を起こしたようにその場に崩れ落ちる。

やがて、前の大巫女は駆け寄った従者に抱えられ、自室へと運ばれていった。


アラツヒコは声を絞り出した。


「彦尊、お戯れはそいまでになっくいやんせ……いかなることでございもそ?」


右のクニトラと左のクニトラは、互いを見つめ合うと、同時に頷いた。


「我の影武者を用意した」

「これで此度、『ヤマト』に参加いたす」


従者たちが一斉に顔を上げる。二人の王は続けた。


「アラツヒコとタギリヒコは、我と共に『ヤマト』へ参れ」

「我はここに残り、この国を守る」


その言葉に、アラツヒコは声を荒げた。


「おいは彦尊の御身を守るがお役目……『影武者の方を守れ』ち、いかなることごわすか!?」


すると、左右のクニトラは交互に言った。


「許せ、アラツヒコ。敵の目を欺くためじゃ」

「敵はそなたがいるほうをこそ本物と見るであろう。――その裏をかく!」



来ぬ国の大殿は静まり返った。

もはや誰も、何も言えなかった。



沈黙に包まれる中――


ヒムカは大殿の端から、二人のクニトラを見つめた。


隣に立つタギリヒコは、肩を揺らし、息を切らせながら尋ねた。


「……大巫女様。どちらが本当の彦尊か……分かっなはっとですか?」


ヒムカはしばらくの間その場に立ち尽くした。

やがて、小さく笑んだ。


「ふふっ……分かります」


そして、上座に向かい、ゆっくりと歩み始めた。



二人のクニトラが、同時にヒムカの姿を認めた。

その目は、ヒムカが近づくに連れ、険しくなった。

左のクニトラは眼光鋭く、右のクニトラは目を光らせた。


ヒムカは、二人のクニトラが並んでいる、その中間にゆっくりと膝を折った。

そして、真っ直ぐに、深く、深く平伏した。


「お戻りなされませ、大王……」


二人のクニトラはヒムカを見つめて、ほぼ同時に笑みを浮かべた。


アラツヒコは首を横に振った。

ウネビヒコは肩を落とした。

タギリヒコは柱に手をかけ、ゆっくりと膝から崩れ落ちる。


「なんや……大巫女様も分からんっちゃね……」


   ◇◇◇



その晩、金玄基はひとり、屋根裏部屋に登った。


〜〜〜


台与様

来ぬ国にクニトラ王が二人、現れました。

もちろん、どちらかは影武者でしょう。どちらかがヤマトに現れます。

詳細は後日。とり急ぎのご報告となります。


〜〜〜


そう走り書いた文を、僅かに開いている壁の隙間に通すと、金玄基は呟いた。


「カゲマルさん、頼む。なるべく急ぎで……」


すると、誰かがそれを抜き取り、屋根の上を走り去っていった。

金玄基はその場にへたり込んだ。


「やられた!クニトラ王が一人しかいない場合の策しか練ってこなかったことが敗因か!」


その時、何かが頭の中をぐるぐると巡った。


「今日は、厄日だ。……もう寝よう」


金玄基はそう呟くと、はしごを降りた。



月夜の木の国を、一筋の影が駆けてゆく。

それは、静かな祈りのようでもあった。

金玄基もまた、床の中で祈った。

その祈りには、ヤマト連合のみならず、倭国全体の運命が掛かっているように思えた。



お読みくださりありがとうございました。

「背伸びをさせている主人公に、いきなり試練を与える」私とかいうサイコパス……。

ですが、台与様の機転で平城京遷都が反対多数で否決されるという事態は回避されました。

もしも、信じていたものが信じていた通りではなかった時、あなたならどうしますか?


次回「第88話 纏向狂騒曲」

このまま退場ですと可哀想なので、金玄基くんに反論の機会を与えます。……あ、もちろん台与様たちも黙ってはいませんけど!

(月曜20時ごろ更新予定です)


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