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第86話 来ぬ国は来るか

木の国の彦尊がクニトラの心に火をつけた――

しかし、その裏には一人ほくそ笑む男の影が……。

揺れるクニトラは霧島の大巫女・ヒムカの元に向かい、古の物語に自らの運命を重ねる。


正始四年七月某日――


来ぬ国の王・クニトラは、その大殿に木の国の彦尊を迎えた。

古来の作法に則り挨拶を済ませると、木の彦尊は平伏したまま、鋭く切り出した。

クニトラは、わずかに顔を曇らせた。


「我に、中洲(なかつくに)に戻れ……と?」

「はい! 今こそがその時です、大王!」


「我が祖父までは『大王』であったが……」

「ご心配ご無用に。大王のご帰還を心待ちにいたしておる者、数多ございますれば……」


クニトラは小さく唸った。

脇に控えるウネビヒコを見やる。彼は小刻みに首を横に振っていた。

視線を戻せば、木の彦尊が面を上げ、こちらを見つめていた。


「中洲には、おばば様がご執心と聞く……」

「大巫女の申すことなど……取るに足りませぬ!

 あの者は何の資格あって、我らが中洲を……?!」


それから木の彦尊は、長々と喋り始めた。

その最後には、平手で――


――パンッ!


激しく床を叩き、叫んだ。


「この無謀無策を阻止するために、是非とも! お立ち上がりいただきたく!」



クニトラは依然として無言のまま、木の彦尊をじっと見据えた。


(中洲には参らぬと定めたばかりじゃ……どうしたものか?)


すると、木の彦尊はがっくりと頭を垂れ、掠れた声を漏らした。


「大王……我は悲しゅうございまする」

「……悲しい?」

「中洲は、ご先祖様のご遺徳とご威光が残る地……。大巫女は、そこに都を建てようとしておるのですぞ……」

「………………」

「よもや大王は……その誇りすら、お忘れになられたのですか……?」



「――なにっ?!」



クニトラは絶句した。そして、木の彦尊を射抜くように睨みつけた。


「いや、忘れてなどおらぬ――」



「――ならば!」


そう叫ぶと、木の彦尊は顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見つめた。


「今こそ八島(やしま)随一のお手勢を率い、中洲を取り戻す時にござる!

 かつての我の先祖がそうしたのように、此度は我が、先達(せんだつ)としてご案内いたしまする!」


木の彦尊は床に頭を擦り付けるように深く、深く平伏した。


クニトラは、いつの間にか身を乗り出し、食い入るように相手を見つめていた。

肩は、隠しようもなく激しく上下している。



(――いかん!)


クニトラは我に返ると、一度大きく息を吸った。

それをゆっくりと吐き出してから、静かに返した。


「……考えておこう」



そう応えたクニトラに、傍らに控えている将たちは一斉に視線を向けた。

アラツヒコは横目で、ウネビヒコは目を丸くし、タギリヒコはぽかんと口を開けていた。

だが、クニトラは彼らとは視線を合わせず、ただ静かに、ゆっくりと目を閉じた。


    ※


数日経った雨の日、霧島の宮では――


大巫女・ヒムカが文をしたためていた。


「……大巫女様、お変わりございませんでしょうか。私の方は相変わらずです。

 大王がお越しになることもなく、本来のお役目は……」


そこまで書くと、ヒムカは筆を置き「ふぅ」と一つ溜め息をついた。


(……お越しになっていないわけでは、ないのだけれど……)



   ◇◇◇


その日も――


ヒムカは宮の庭先で聴き語りしていた。

話し終えると、子供たちは名残惜しそうに帰って行った。

ヒムカは、いつものように、その後ろ姿を座したまま見つめた。

やがて、それも見えなくなった。


抱え上げた木板の重みを感じながら、社殿へと戻る。

だが、その日は扉の前で一旦立ち止まり、探るようにして中を覗き込んだ。


「……大王? いらしていますよね?」


足を一歩、踏み入れる。

だが、クニトラの姿はどこにも無かった。


ヒムカは不思議に思いながら、いつもの場所に木板を立てかけた。

そして、社殿の隅にまで戻ると、そこの床にそっと手を触れた。


「ふふっ、やっぱり……」


ぬくもりが、まだそこだけに残っていた。

ヒムカはゆっくりと腰を下ろすと、歌を詠んだ。


「忍び来て 偲びて去りぬ 我が背子の 残せし熱に 笑む山桜」


春の風がヒムカの髪を揺らす。

それとともに、木の葉を一枚、運んできた。

ヒムカがまだ青いその葉を拾い上げると、裏には返歌が記されていた。


ことでて 言はばゆゆしみ 木の葉にぞ かくりてしのふ 君が姿を」


ヒムカは即座に立ち上がり、表に飛び出した。

辺りを見回す。

だが、そこに王の姿はなく、

ただ、春風に揺れる木々があるのみだった。


   ◇◇◇



ヒムカは俯いたまま、目を開いた。

もう一度、筆に手を伸ばす。


その時――


文の上に、すうっと長い影が差した。


「……大王……」


ヒムカは振り返った。

クニトラが黙したまま立ち尽くし、こちらを見つめていた。

やがて、その固く結ばれた口は、おもむろに開かれた。


「……大巫女……」


    ※


その頃、木の国では――


金玄基も文の上に筆を置いた。


「前略 台与様

 ……木の彦尊は意気揚々、来ぬ国に向かいました。

 ですが、私は、クニトラ王は来ないと推察……。

 もし来たならば、その時こそ伊都国の兵をもって来ぬ国を攻伐せしむるべきかと……」


金玄基は一旦筆を止め、顔を上げた。

しばらく思案した後、再び筆を落とした。


「幸い、呉の使者は本年中には参りませぬ。

 その理由は、ご存知かも知れませぬが……」


またしばらく顔を上げ、綴るべき言葉に思いを馳せる。


「こちらは万事順調にございますれば、何卒心置きなく……」


金玄基は筆を置くと、書き上げた文を眺めた。


「……今回は、ここまででいいか……」


そう呟くと、いつものように文を固く結び、天井へと投げ上げた。

そして、にやりと笑った。


    ※


数日後――


台与は、伊勢の社の広縁を歩いていた。

すると――



――ぽこん



柔らかいものが頭に当たった。それはすぐに、足元へと転がった。

台与は床に手を伸ばすと、その布の塊を拾い上げた。


自室に戻り、文を読み終えた台与は深く溜め息をついた。

隣ではルナが、震えながら文を覗き込んでいる。


「……なにが準備万端よ、自分の方ばっかり、完璧に進めているじゃないの……」


ルナは胸をかきむしるように悶えていた。

台与はその姿を横目に軽く笑むと、もう一度文に目を落とした。


「……クニトラ王は来ないと推察いたしました。

 王はこれまでも『倭国の和を乱す者と戦うのみ』と仰り、木の彦尊の招聘を拒否し続けてこられたとか。招こうとすればするほど、かえってヤマトの地からは遠ざかろうとするでしょう……とあります」

「よくご存知ね。もうすっかり、来ぬ国の人になったんだわ……」


震えるルナの声を聞き流し、台与は気になる箇所を続けて読み上げた。


「呉からの使者は来ない、とも言ってます。

 ……ご存知かも知れませぬが、呉の都・建業にいるカゲマルが、王子同士の後継争いに乗じて工作を続けており、噂を捏造するなどして献使の船を足止めしております。

これより先は、南海が荒天となる季節。故に、早くても来年初までは動けますまい。無理に船出すれば遭難、沈没は必定……」

「夏の海は大風が吹きますものね。そんなの誰でも知ってますわ、だから何なのよ……」


その言葉に、台与は思わず笑った。小さく肩が揺れる。


「でも、もしかすると……」


はっと浮かんだ考えが、自然と口をついた。


「玄基は、クニトラ様が来ないと見越して、大王ご就任の機運を高めているのかも……?」

「……えっ?……ああっ! 期待させておいて、結果が伴わなければ……」

「人は、がっかりするだけでは済みません。クニトラ王を見限るでしょう」


ルナはがっくりと肩を落とした。


「あの方は……そこまで考えて……」


台与は苦く笑った。


「……分かりませんけどね!」


そして、膝の上に広げた文を畳みながら、呟いた。


「こんなに危ないことをさせている以上、私たちも……」



「――失敗はできませんわね!」



ルナは両の拳を握り締め、その純真な目で台与を見つめていた。

台与はルナを睨み、また少し「むっ」としたのだった。


    ※


その頃、来ぬ国では――


その従者は「申し上げます。」と平伏すると、この国の伝統に則り、定型の口上を述べた。


「我らが秋津洲(あきづしま)を不当に統べる者どもの手下、伊勢の伊声耆(いせいぎ)なる者が不躾にも使者を寄越し、

凝りもなく『ヤマト』なる不毛な会合へのご招待……と、木札を届けて参りました。

 当然のことながら、『不参加』と申し渡す所存にございまするが、念のため、お伺い申し上げます。

 宜しいでしょうか?」


クニトラは一瞬沈黙し、視線をずらした。


「――待て」


そして、右手をゆっくりと伸ばした。

従者は頭を下げたまま、いそいそと寄ってくると、うやうやしく木札を手渡した。

木札には「参加」「不参加」と書かれた文字が並んでいた。


傍らで見ていたアラツヒコが、低く言った。


「彦尊……秋津洲(あきづしま)へ征かるっは『罠』にごわす」


クニトラは黙したまま頷いた。

だが、言葉は返さず、手の中の木札を見つめた。

思い浮かぶのは、あの時のヒムカの顔だ。



   ◇◇◇


あの時――


ヒムカは座ったまま、立ち尽くすクニトラの方をゆっくりと向き直った。

そして、黙したまま平伏した。


クニトラは、部屋に足を踏み入れると、彼女の前にゆっくりと腰を下ろし、ヒムカが頭を上げるのを待った。

クニトラは小さく請うた。


「何か、話を聞かせて欲しい……」


ヒムカは一瞬、目を伏せた。

そのまま何も言わずに背を向けると、傍らに置いてある木箱の中を漁り始めた。

クニトラは、その後ろ姿を無言で見つめた。


やがて、ヒムカは何枚かの木板を取り出して振り返った。

クニトラは、思わず笑みをこぼした。


神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみことの東征記……か」


ヒムカもまた、小さくはにかんだ。


   ◇◇◇



次に、クニトラの脳裏に浮かんできたのは、木の彦尊の顔だった。


(我のご帰還を待る者、多し……余計なことを……)


さらに思い出されたのは、その前に訪ねてきた登の国の彦尊の言葉だ。


   ◇◇◇


登の彦尊は、屈託ない笑顔をクニトラに向けた。


「王とは『神なる者』のことを言うそうです!

 大王は人にして神なのですから、堂々とヤマトの地へお渡りになるべきです!」


   ◇◇◇


クニトラは歯噛みした。


(魏より戻った挨拶と申すが、揃いも揃って妙な考えに取り憑かれおって……)


そして、手にした木札を強く握った。


    ※


同じ頃、霧島の宮では――


ヒムカは、膝の上に木板を抱え、それをじっと見つめていた。


「大王も、あんなお顔をなさるのですね……」


   ◇◇◇


聴き語りをする間――


せっかく取り出した木板を見もせず、クニトラはずっと目を閉じていた。

それでも、ヒムカは淡々と話を続けた。


「『我の母は海神である!』……そうお叫びになると、稲飯命(いないのみこと)は船から飛び降りられ、荒れ狂う波の中へと消えてゆかれました……。

『――兄者!』皇尊(すめらみこと)はお叫びになられました。

しかし、皇尊の御前では、すでにもう一人の御兄・三毛入野命(みけいりののみこと)も船の縁にお手をお掛けになっているではありませんか。

そして、皇尊を振り返られると、仰せになりました。

『そなたには、兄は無くとも、なさねばならぬことがある! 迷うな! 振り返るな!』

こうして、御自らも『我の母は海神である!』とお叫びになり、海へと入られたのでございます……」


その時、ヒムカはクニトラの顔をちらりと見やった。

その閉じられたまぶたの隙間には、一粒、光るものがあった。


   ◇◇◇



ヒムカは静かに目を閉じた。

抱えていた木板を自分の方へと引き寄せると、それを愛おしむように強く抱きしめた。


    ※


その日、来ぬ国を赤々とした夕陽が照らしていた――


クニトラは大殿の縁に腰を下ろし、波間に揺れる光の筋を眺めていた。


右手には、まだどちらにも印をつけていない木札がある。

時々、それを軽く投げ上げては、掌で受け取る。

しばらく見つめてはまた、放り上げる。

それを何度か繰り返し、クニトラはまた海へと目を向けた。


目に浮かぶのは、その言葉を口にした時の、ヒムカの表情だった。



   ◇◇◇


ヒムカの聴き語りが終わった――


クニトラは目を閉じたまま尋ねた。


「……中洲へ参れば、如何になろうか?」


すると、ヒムカは静かに応えた。


「私には、先読みはできませぬゆえ……」


目を開けると、ヒムカは目を伏せ、うつむいていた。

クニトラは、ただ一言「我もじゃ」と呟いた。


   ◇◇◇


「……我ゆかば、秋津洲の絶望……。行かざれば、我が破滅……」


クニトラは木札を見つめながら、呟いた。


「……先読みはできぬ……か」


    ※


数日後、木の国・彦尊の館――


金玄基は、帰って来た彦尊からクニトラ王の様子を聞いた。


「ならば、大王も必ずや中洲へおいでになることでございましょう」


そう断言すると、木の彦尊は目を丸くした。


「なぜそう思う? 『考えておく』としか仰られなんだぞ」


「ですが、これまでは『行かぬ』とはっきり仰せだったとか。

 私には、明らかな変化の予兆と見えまする」


そう告げた瞬間、彦尊の顔がぱっと明るくなった。


「左様か! やはり、行った甲斐があったというものだな!!」

「こちらでも更に用意を整え……特にヤマトの地の長老九人とも取り込みますれば、必ずや大王は……」

「お越しになられるか! そうだろう、そうだろうな! ――わっはっはっは!!」


「ははっ……」

低く答え、金玄基は深々と頭を下げた。


(……それでも、クニトラ王は来るまい……)


伏せた顔には歪んだ笑みが浮かんだ。

金玄基は、さらにもう一段、頭を下げた。



お読みくださりありがとうございました。

今まで匂わせばかりで、すみませんでした。今回、ようやくはっきりさせました。

『邪馬台国と和さざる国』こと「狗奴国」。そこは、「(ヤマトに)来ぬ国」と呼ばれた誇り高き国だった……という世界線です!


さて、そんな「来ぬ国」が、来れば地獄、来なければ破滅という最大の危機を迎えています。

しかも、今まで「ダメ渡来人」かと思っていた金玄基の策略で……これぞ、のり弁小説!これぞ、ご都合主義!

ただ、書き手として「そろそろドジ以外の見せ場も作ってくれないと……」と思っておりましたので

彼には思いっきり背伸びをしてもらってます。


次回「第87話 正論という名の檻」

金玄基の「完璧なる正解」の前に現れた「二つの月」と、沈黙の巫女が選んだ「中間の祈り」――。

理屈を超えた「鬼道」が、策士の檻を粉砕します!!

(木曜20時ごろ更新予定です)


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