第85話 その男・木の国の彦尊
木の国に潜入した金玄基は、静かに筆を置いた――
一方、台与たちの都建設計画は停滞する……
「好機到来!」木の彦尊は意気揚々、来ぬ国の王・クニトラの元へと向かった。
正始四年六月某日――
金玄基は、木の国の館の一室で、筆を走らせた。
〜〜〜
前略 台与様
大変ご無沙汰しております。あれから一月ほど経ち、まずは近況のご報告を……
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金玄基は一旦顔を上げると、館の庭先を見つめながら、これまでの出来事を思い返した。
◇◇◇
――ボコッ!ドス、ドスッ!
「う……うう……」
金玄基は唸った。
腹や背はもちろん、ほぼ全身を殴られ、蹴られ、今は館の庭先にうずくまっている。
それでも尚、攻撃は続いた。
木の国の従者たちの怒りは、まだ収まらないようだった。
彼らは息を荒げて金玄基を見下ろすと、低く唸った。
「……思わせぶりなことを言うから何かと思えば、そんなデタラメを……」
「はあはあ……だが、もう、今日は、これくらいにしてやろう。
彦尊がお戻りになるまで、つないでおけ」
こうして、金玄基は木で作られた檻の中に放り込まれた。
木の国の彦尊が帰国したのは、それから数日後だった。
◇◇◇
金玄基は自分の背中を擦った。
当時のあざや傷、痛みはだいぶ消えていた。
「あの時は、これで最期かと思ったなあ……」
そう呟くと、ふたたび布に筆を落とした。
◇◇◇
木の彦尊は、館に戻ってきた時には上機嫌だった。
だが、しばらくすると、館中に怒声を轟かせた――
「――調べておけと言ったのに、まだ分からんのか?!」
従者たちの震える声は、金玄基の檻の中に届いた。
「……彦尊がこんなに早くお帰りになるとは思わず……」
「――黙れ! いつから命じておると思うておる?!
いったい何年かかるのじゃ!?……そこへ直れ!」
シャリン……。
剣を抜く冷たい音が一つ、響いた。
従者たちの、切迫した叫びが続く。
「彦尊、お待ちください!……おい、あやつを連れて来い!」
すぐに一人の従者が金玄基の元へ駆けつけ、檻の扉を乱暴に開け放った。
◇◇◇
金玄基は、静かに筆を進めながら、その時の木の彦尊の顔を思い浮かべた。
(怒っていそうだったから、勢い任せの人かと思ったら、意外と……)
◇◇◇
金玄基は腫れたまぶたを大きく見開いた。
木の彦尊は居住まいを正して、金玄基を待っていた。
先程まで怒声を発していたとは思えない。
表情も呼吸も乱れていない。むしろ、静かで落ち着いた印象すら受けた。
「汝が、我の国に流れてきたという渡来人か?」
「はい。名は、金玄基と申しまする……」
「ほう……汝、大巫女の出自を知っておると聞いたが……」
「出自までは存じませぬ……。
ただ……大巫女様と神との間に、血縁がないことだけは確かです」
そう言うと、木の彦尊は目を輝かせた。
だが、彦尊は問いを重ねた。
「何ゆえ、そう言い切れる?」
「大巫女は巫女の中から選ばれまする。その巫女は、幼き時、阿蘇の社に集った者の中から選ばれまする。
この際、貧富、身上などで選別はされず、阿蘇の大巫女の祈祷によるのみ」
木の彦尊は頷きながら、顎を撫でていた。
金玄基は続けた。
「富貴ある方の子女は滅多になかったように見えました。
これらをつぶさに照らし合わせますれば……」
「……照らし合わせば?」
堪らなくなったのか、木の彦尊は身を乗り出した。
「何のことはございませぬ。
大巫女は皆、貧しき者の生まれにてございまする」
そう言うと、金玄基は深々と頭を下げた。
木の彦尊は飛び上がるようにして立ち上がると、大きく叫んだ。
「そうであろう! やはり、そうであろう!……詳しく聞かせよ!」
「ははっ……」
金玄基は、にやりと笑った顔をゆっくりと持ち上げた。
木の彦尊は金玄基に笑みを向けると、「近う、近う」と引き寄せた。
一方で、従者たちに目を向けるなり――
「汝らは、まとめて――消え失せよ!」
凄まじい剣幕で怒鳴りつけた。
◇◇◇
「……この後、彦尊とは国作りのこと、儒学のこと、その他諸々を語り合ううち、
今では木の国の家宰一切を任される身となりました。
内情もつぶさに知れますれば、以後何なりとご用命を……」
金玄基は筆を置くと、「ふぅ」と一つ息を吐いた。
墨が乾いたのを見届けると、布の文をくしゃりと丸め、端を固く結んだ。
「これを、台与様へ……」
そう呟いて、文を天井へ投げ上げた。
すると――
文が落ちて戻ってくることはなかった。
一瞬、梁の上を走り去る薄い影の気配がしたが、それもすぐに消えた。
金玄基は心の中で呟いた。
(頼みましたよ、カゲマルさん……)
と、そこへ――
ドカドカと足音を立てて、数人の従者が金玄基の居室にやって来た。
「家宰殿、今よろしいか!」
「……どうぞ」
彼らは居室に入るなり、どっかと腰を下ろした。
「我らは先祖代々、木の国に仕えてまいりました。
なのに、なぜ貴殿が家宰なのか……? 我々は不満です」
金玄基は薄く笑った。
「……ですが、私が現れなければ、貴方がたは彦尊に斬られていた……」
「それはそうですが……」
「臣とは、君に仕える者です……」
金玄基はゆっくりと立ち上がった。
「ならば、君の求めに応じるのが臣の勤め……。
皆様も君に逆らいて、お命を縮めるような真似はなさいませぬよう」
そして、にっこりと微笑んでみせた。
※
その翌日、伊勢の社の一角にて――
台与は膝の上に、文を広げた。
ルナは傍らに座し、黙したままじっとこちらを見つめている。
読み終わると、台与はルナに顔を向けた。
「玄基は上手く潜り込んだようです。今では、木の国の家宰だとか……」
「ずいぶんな抜擢ですこと……ですが、それで合点がいきました」
ルナの言葉に、台与はうつむいた。そして、深く溜め息をついた。
「最近、木の彦尊に賛同して、都に反対する邑が増えました。
帯方に渡っただけで、ずいぶん知恵をつけたと不思議に思っておりましたが……」
「裏に玄基殿がいたのですね……」
「かと言って、手抜きをさせれば、密偵と見抜かれてしまいます……」
「困りましたわ。あの方が、こんなに手強い相手とは思いませんでしたわ」
「……ようやく、器に合った役を得たのでしょう……」
台与は膨れるルナを見つめながら、薄く笑んだ。
感情は先に出したほうが勝ちだ。
この姉弟子は賢くて頼りになる。
だが、性格とはいえ無邪気なところが、時に、台与には気に食わない。
(そういう役は、年少の私に譲ってくれてもいいのに……)
と、この時も思った。
台与にも泣きたい時もあるし、怒りたい時もある。
だが、この姉弟子が、いつも先手を取ってしまう。
その時、細く長い影が二人を覆った。
「こら、二人とも。元気をお出しなさい」
影を作っていたのは、伊勢の大巫女だった。
いつから居たのか、部屋の縁に静かに佇んでいた。
笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしている。
「相手が強いなら、全力で叩き潰すの。
弱い相手をへし折ってばかりいても、自分は強くならないわよ?」
衣の袖をひらりと揺らし、大巫女は二人の傍らにゆっくりと腰を下ろした。
ルナは両手を胸の前で組み、目を輝かせて大巫女を見つめた。
「仰る通りですわ……。私たちには大巫女様がいますもの、負けるわけありません!」
すると、大巫女は苦い笑みをこぼした。
「いいえ……負けるかも知れないわね。それくらい今は劣勢だわ……」
「えっ?!」台与もルナも、驚きに目を見開いて大巫女を見つめた。
「でもね、出来る限りのことを尽くして負けたのなら、それは『神が私たちを選ばなかった』ということ。
なら……従うしかないじゃない?」
静かにそう言うと、大巫女は懐から包みを取り出した。
「お餅をもらってきたの。食べながら、策を練りましょう!」
台与は、心の内がふわりと柔らかくなるのを感じた。
「そうですね。次のヤマトまで、あとまだ半年……」
「お餅を食べて、一気に巻き返しましょう!」
ルナはそう言うと、軽く握った拳を高く掲げた。
※
数日後、木の国は雨だった――
金玄基は、季節外れの火鉢にそれまで読んでいた文を投げ入れた。
文が上げる炎を見つめながら、心の中で呟いた。
「……ならば、さっそく命じます。 全力で、私たちに立ち向かいなさい。
手心は無用です。貴方は貴方の為すべき事をなさい。……か」
文は灰となって、鉢の底へ溶けていった。
それを見届けると、金玄基は呟いた。
「……では、全力で参ります。どうなっても知りませんぞ?」
そこへ――
木の彦尊がやってきた。
「玄基、おるか?」
「はい」
金玄基は上座を空けたのち、深々と平伏して待った。
彦尊は足音荒く居室に入ってきたが、すぐには座らず、周囲を眺め回した。
「この部屋も、もう手狭であろう? 館をやる故、早々に移れ。それとな……」
そう言いながら、木の彦尊はゆっくりと上座に腰を下ろした。
「独り身では難儀であろう。適当に嫁を取れ。
汝には、これからも働いてもらわねばならぬからのう」
彦尊は「はっはっは」と笑った。
金玄基は面を上げると、目を丸め、口角を上げた。
そして、すぐに「ありがたき幸せ」と、また平伏した。
話は続いた。
「……それでな、玄基。我はこれから、クニトラ王の元を訪ねて参る。
今申しつけたことは、我が帰ってくるまでに済ませておけ」
「ははーっ」
「近辺の長老も我に賛同し、大王をお迎えする機運は高まっておる……これからが正念場じゃぞ」
金玄基は頭を上げ、不敵に笑ってみせた。
「心得ておりまする。 お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「うむ。ではな、後を頼むぞ」
そう言うと、彦尊は立ち上がり、部屋を後にした。
数刻後――
木の彦尊が乗った船は岸壁を離れ、沖合の水平線へと姿を隠す。
その帆が見えなくなるまで、金玄基は桟橋に立ち尽くした。
(敵でなければ……今までで一番、俺の世話を焼いてくれる人なんだよな……)
※
「ほう……よか住まいじゃなかね……」
金玄基の新たな居館で、そう呟いたのはカイだった。
「我らもこけ引っ越そうか、ばあさん?」
「ふふ……それもよかね、おじいさん」
イワネは口に手を当てて笑んだ。
アヤメは走り回るスミレを追いかけていた。
「あたらしいおうち!」
「こら、服! ちゃんと着んね!」
これは風景どころではなさそうだ。
金玄基は、カイに向かって言った。
「似ていませんか? あの邑の景色と……」
カイは下を向いて「くくく……」と笑った。
「海の色ば違うばってん。……まあ、似とると言えば、似とるばい」
その言葉に、金玄基はにっこりと笑った。
木の国に来てからというもの、笑むことは多々あった。
だが、心から笑えたのは久しぶりのことだった。
◇◇◇
ところで、これは後日の話になるが――
木の彦尊は来ぬ国から戻ってくると、金玄基の館に足を運んだ。
だが、金玄基が促しても、彦尊は中に入ろうとはしなかった。
ただ、垣の外からじっと館を眺めるばかり。
「……いかがなされましたか?」
尋ねると、彦尊は苦虫を噛み潰したような、妙な笑みを浮かべた。
「汝……何ゆえ子持ちの女なぞ嫁にしたんだ?」
「えっ? えへへへ……」
「くっくっく……おまけに爺付き、婆付きとは……汝、変わり者よな……」
金玄基は黙したまま、満面の笑みを浮かべた。
だが、木の彦尊は呼吸を整えて真顔に戻ると、低く言った。
「そうであった……汝は渡来人であった。身寄りがないから、家族ごと娶ったわけか」
「あ、いえ……」
「……我の配慮が足りなんだな」
「いいえ!滅相もございませぬ!」
深々と平伏する金玄基には目もくれず、彦尊はくるっと背を向けた。
「ここでは話ができぬ。しばらくしたら、我の居館に参れ」
そう言い残し、彦尊は去って行った。
◇◇◇
※
その後――
台与たち伊勢の社と、金玄基ら木の国は、倭国各地で互いの主張を展開した。
台与たちは一つ一つの邑を根気強く巡り、訴えた。
金玄基らは、その後を追うように現れては、その地の長たちを諭すように説いた。
「今こそ、都が必要なのです!」
と、台与が言えば、金玄基はこう返す。
「王のいる処を『都』というのです。つまり、必要なのは都ではなく、大王です。長い時間と大きな労力、大量の資材を費やして、やるほどのことですか?」
「都を置くことで、大なる国も小なる国も連帯し、大きな力を持てる。それによって、共に在ることできるのです」
と、ルナが熱を込めて語れば、玄基は冷淡に反論する。
「大国と小国は今でも併存できています。中立で公平な大王を戴けば、不安もありません」
「大いなる神の試練にも、皆で立ち向かう。それを可能にするのが都です」
伊勢側がそう主張すれば、木の国側は即座に切り捨てる。
「自然災害に立ち向かうために必要なのは、都ではなく、人々の意思です。もし、まとまれないのなら、理性ある大王の元に集う。それが解決策です」
「小さな邑が林立している現状では、国をまたいだ事業は上手く行えません。
皆が集える都があれば、広範囲にまたがる事業も、皆の納得の上で進めることが出来るようになるのです」
という切実な訴えに対しても、金玄基は冷ややかに説いた。
「複数の国にまたがると言っても、全ての国が参加する必要はないでしょう。関係する国同士が、大王の元に集えば済むことです」
各地の酋長や長老たちは、どちらの主張も「うんうん」と頷きながら聞いた。
台与たちは、元もと伊勢の大巫女に従順だった国からは歓迎された。
だが、それ以外の国の長たちは、最後には首を傾げて「うーん……」と唸った。
一方の金玄基たちは、「大王はともかく、変わらずに暮らせるのはよいな」と返されることが多かった。
木の国に潜入した金玄基は、静かに筆を置いた――
一方、台与たちの都建設計画は停滞する……
「好機到来!」木の彦尊は意気揚々、来ぬ国の王・クニトラの元へと向かった。
【後書き】
お読みくださりありがとうございました。
アホで短気で血統至上主義者で自分大好き……そんなキャラかと思っていた木の国の彦尊ですが、
意外な一面がありましたね。(マテ
一応、プロット通りなのですが、書いてみたらギャップにびっくりです。
良いなら「良いだけ」、悪いなら「悪いだけ」であって欲しい……なんて思ったことは、ありませんか?
次回「第86話 来ぬ国は来るか」
来むといふも 来ぬ時あるを 来じといふを 来むとは待たじ……来られると困るんですけどね。
(月曜20時ごろ更新予定です)




