第83話 暗闇からの一歩
新羅でそれなりに満足した朝貢団一行。しかし、伊声耆と掖邪狗は宿題を抱えていた。
一方、魏国に広がる闇は、あの若き天才にも覆いかぶさる――
その時、金玄基は――?台与は――?
数日後、新羅国の港では――
朝貢団一行を乗せた船が出ようとしていた。
桟橋では、瓢公ことナカツヒコがこちらに手を振っている。
伊声耆は力無く手を振り返しながら、掖邪狗にぼやいた。
「あー……大巫女様に笑われそうだな……」
「うむ、一年半の旅と見越していたからな」
「だが……」
伊声耆は船尾を振り返った。
「ナカツヒコもずいぶん無理を言うな……」
「あれだけ頼まれるとな……一理あることでもあったし」
二人はぼやき合いを続けた。
木の彦尊は上機嫌だった。
「新羅にいた儒学者から話を聴くにつれ、我は自分の考えに自信を持ったぞ!
書ももらったし……国に帰ったら読み返してみようと思う」
登の彦尊も一緒だったようだ。
「我も、王と神の関係について、いろいろ聴いて参った!ためになったわ!」
掖邪狗は伊声耆に小声で尋ねた。
「……あの二人、言葉は通じたのか?」
「ナカツヒコの執事を連れて行ったらしい」
「あの『李』って男か……」
掖邪狗は、朝食の時いつも部屋の片隅に立っていた男を思い浮かべた。
彼は目が合うと、必ずにっこりと笑ってから、深々と頭を下げた。
明の彦尊もご機嫌のようだった。
「そうそう、『兵法三十六計』が古書屋にあったのじゃよ!
だが、もっと良いのがあってな……これじゃ!
三十六の上を行く、その名も『禽獣遊戯四十八図』!」
そう言うと、明の彦尊は懐から一冊の書物を取り出して見せた。
「これが奥義の第十二……ネコの構えじゃ! ウニャー!」
「へぇー」
「ほー」
木の彦尊と登の彦尊は感嘆の声を漏らした。
明の彦尊は一人、高らかに笑った。
掖邪狗は眼光鋭く彼らを見据えた。そして、隣の伊声耆に囁いた。
「……何やら油断ならぬものを感じる……」
「うむ。うっかりしておると骨抜きにされるぞ……」
伊声耆は眉をひそめて頷いた。
「それはそうと……あやつら、本当に役に立つのか?」
「ナカツヒコが『都づくりに絶対必要だ』と言うのだから……とりあえず連れて帰えろう」
二人の視線の先には、新羅でもあぶれていたという数名の渡来人――異端児たちの吹き溜まりがあった。
今回の朝貢の旅は、なんとも奇妙な形で終わろうとしていた。
※
倭国の朝貢先、魏国・帯方郡では――
塞曹掾史・張政は、この日も机に向かっていた。
黙したまま、ただ淡々と書類に目を通す。そして、右から左に流す。
「張政様! 大変です!」
駆け寄ってきた通訳官の声に、張政はようやく顔を上げ、目を瞬いた。
「なんだ?」
「斥候から連絡が……。
馬韓の何処かから、人や鉄などの禁輸物資が持ち出されている模様……とのことです!」
張政はその男をぼんやりと見つめた。
「……太守補佐殿に言え」
「裴世春殿は、ご不在です……。今ごろは洛陽かと……」
「じゃあ、机に置いておけ」
張政は、ふたたび机の上の書類に向かった。男は尋ね返した。
「急を要する報せなのでは?」
「あのなあ……」
張政はふたたび顔を上げると、目を細めた。
「俺達の仕事は『書類整理』と『取次』なのだ。
せっかく首がつながったんだから……余計な仕事はするな」
通訳官の男は呆気にとられたように立ち尽くしていた。
※
洛陽では――
その男は、懐から手鏡を取り出すと、透き通るような白い頬に、さらに白粉を重ねた自身の顔を見つめた。
「……美しい。……美しい私……」
そう呟くと、手鏡をゆっくりと懐にしまった。
男の肩書と名は、魏国・吏部尚書・何晏。
今や、魏国で知らぬ者は居ない。
裴世春は拱手すると、うやうやしく差し出した。
「これなるが『問題の』倭国の親書にございまする……」
「ふふ……どれ、見てやろう……」
何晏は親書を片手で受け取ると、慣れた手つきで書簡を開いた。
その後は、ただでさえ細い目をさらに細くして、黙したまま親書を見つめていた。
独特の匂いが漂う中、裴世春はただ平伏して待った。
「……いかがでございましょうか?」
尋ねると、何晏は振り返りもせず、呟いた。
「……美しい。だが、美しくない……」
裴世春は目を丸くして、次の言葉を待った。
何晏の声が、小川を流れる水のように響く。
「ああ……なんと妖しげで艷やかな文……まるで恋文のようだ……。だが……」
「だが……?」裴世春は息を呑んだ。
「美しくない……形が。親書の形ではない」
裴世春は相槌を打つ間もなく固まった。
すると、何晏がこちらに目を向けた。
「なんだこれは……?」
裴世春の額から汗が雨のように降り落ちた。
「わ、倭国女王から陛下への……し、し……」
「それは、分かっている。このようなもの陛下にお見せして……」
何晏は卓に手を掛けながら、ゆっくりと立ち上がると、次第に声を荒げた。
「よいはずがなかろう――けせけせけせ!」
「――はっ! ははーっ!」裴世春は思わずその場に膝を折り、深く深く平伏した。
だが、すぐに――
「――いや……待て」
そう言うと、何晏は卓の上の鈴をチリンチリンと鳴らした。
やがて、色白の少年が現れた。
何晏は滑るように言った。
「太学に行って、鍾会を呼んで来ておくれ……」
少年が部屋を去ると、何晏は裴世春を舐めるように見下ろした。
「愚か者めが……あとは、私の方で処理する。下がってよいぞ……」
「はっ……ははーっ」
裴世春は震えながら拱手した。
※
数刻後――
何晏の屋敷の門から外に出ると、鍾会はひとりごちた。
「太学で首席になっても、これではなあ……」
◇◇◇
薄暗い部屋の中で、何晏は言った。
「この書の筆致を会得せよ。そして……このとおりに書き直すのじゃ……」
そう言うと、何晏はひらりと一枚の紙を寄越した。
◇◇◇
「……この先も、そうなのだろうか……?」
鍾会は歩きながら空を見上げた。
夕暮れの東の空はぼんやりと薄暗く、目につくものは何もなかった。
「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり……倭国か。本当にあったんだな」
そう呟くと、鍾会はまだ見えぬ、未来の自分をじっと見据えた。
※
蓬莱と呼ばれる国・倭国では――
金玄基は、館の軒先に置かれた木箱にどっかと腰を下ろすと、手にした粢にかぶりついた。
「うん……もぐもぐ……うまい。木の国も、なかなか、良いな……」
一方で、
(とりあえず来てみたものの、この先どうしよう?)
とも思った。
だが、次第に、粢を噛み砕くことに夢中になった。
とりあえず、飲み込みたい。
(「流れの渡来人です。仕事をください……」とか言えば……まあ、何とかなるか……)
そんなことを考えていると、数人の男たちの声が耳に届いた。
男たちは向かいの席に固まり、ヒソヒソと話をしていた。
「おい。ご命令のアレ……何か分かったか?」
「『大巫女様の素性を明らかにしておけ』ってアレだろ?」
「これ以上、調べようがない……彦尊が帰ってくるまで、まだ時間はあるが……」
金玄基は、その男たちをまじまじと見つめた。
「彦尊」というからには従者なのだろう。これは千載一遇の機会だ。
(……何か、彼らの気を引く方法はないか……何か……)
そこに、もう一人、男が駆けてきた。
「おい!彦尊が、あと十日ほどでお戻りになるそうだ」
「なにっ?! 一年半行ってるのではなかったのか?!」
「不味いぞ……我は斬られたくない……」
男たちの声は徐々に大きくなった。
そこで、金玄基は高く笑った――
――はっはっはっはっは!
男たちが見事に振り返った。
「……汝、何がおかしい?」
金玄基はようやく粢の欠片を一つ飲み込むと、薄く笑った。
「皆様、お困りのご様子……なにかお役に立てるかと存じまして」
男たちは顔を見合わせている。
無理もない。面識もない渡来人が、何を知っているというのか?という顔だ。
(俺自身も、逆の立場ならそう思うだろうな……)
金玄基はそう思いながら、粢の残りにかぶりついた。
そして、ただ黙ってもぐもぐと口を動かした。
(ここはなるべく不敵に……意味深に……)
だから、そうしながらも彼らから目を離さない。
男たちも黙したまま、こちらをこちらをじっと睨んでいる。
夕暮れの木の国。男同士の睨み合いは、いつ果てるともなく続いた。
金玄基は男たちを睨みながら、口の周りの粉を拭った。
そして、最後の一欠片を「ゴクリ」と飲み込むと、ゆっくりと立ち上がった。
※
一方、難波津では――
伊勢の大巫女を乗せた船が、桟橋に辿り着こうとしていた。
「もう帰ってきちゃった!ここから船で行くと、山背もすぐね」と、大巫女が言うと
「とっても素敵なお話でしたわ。憧れてしまいます!」と、ルナがすり寄った。
黙したまま二人を見つめながら、台与は呟いた。
「……千年……」
「……ん?」大巫女の短い問いに
「都は、今すぐには出来ませぬ。千年かかると……」
台与が言い淀むと、大巫女は真っ直ぐに視線を向けて言った。
「ええ。でも、『やる』か『やらない』か、決めるのは今よ」
そして、大巫女はにっこりと笑んだ。
「台与ちゃんに『千年かかる』って言った人……会ってみたいわね。
何をどういう段取りで進める必要があるのか、詳しく聞いてみたいわ」
話している間に、船はゆっくりと着岸した。
大巫女はさっと立ち上がり、桟橋に足を下ろすと、台与に手を差し出した。
「最後の形だけを見ちゃダメ。 目先の目標を見るの……わかる?」
「目先?」
台与は手を伸ばした。
「……そうですね。それが分からないと、一歩も進めませんね」
「そう。目的は分かってる。最初の一歩をどこに置くか、は自分で決めるの」
大巫女は、そうっと台与を引き寄せた。
「台与ちゃんは心配しなくても、私たちに任せておきなさい」
言い終わると大巫女は、くるっと向きを変え、森ノ宮へと歩いて行った。
ルナがその後に続いた。
二人の背中を見つめながら、台与はその場に立ち尽くした。
やがて、目を閉じると大きく息を吸い込んだ。
(そうか……最初の一歩。それは……)
そして、右足を高く上げると、
(ここだっ!)
床板を強く踏みしめた。
お読みくださりありがとうございました。
細かい点はウソだらけですが、今回は登場人物と時代の雰囲気を重視してみました。
今まで名前しか出してなかった何晏様を動かせましたので、作者としては満足回です。でも、出したら出したで、胃が痛いです。
次回「第84話 のり弁政治」
この世はのり弁でできている……そんな世界線にご案内いたします
(月曜20時ごろ更新予定です)




