第82話 鉄と血と
水惟から渡されたナギサヒコの手紙――しかし、伊勢の大巫女の裁定は……
金玄基は来ぬ国の動向を伝えた。一方、ナカツヒコは新羅で鉄の話をしようとするが……。
そして、ついにヤマト王権誕生の瞬間を迎える――
翌朝、難波津・森ノ宮の館では――
伊勢の大巫女を中心に、朝会が開かれていた。
大巫女はもちろん、御簾を垂らした向こう側の上座にいる。
大巫女の右手、筆頭の座に台与、次いでルナが並ぶ。
左手には、伊都から戻った水惟が座し、その隣に久米、金玄基はその末席に控えていた。
最初に口を開いたのは、水惟だった。
「台与様。ナギサヒコ王から文を預かって参りました。
あくまでナギサヒコ王のご見解と思し召しください。
台与様からのお文を、阿蘇の大巫女様がご覧になる前に綴られた書状です」
水惟は数歩進み、台与の前で膝を折って文を差し出す。
台与はそれを受け取ると静かに立ち上がり、御簾の向こうの大巫女へと手渡した。
部屋には、大巫女の呟きだけが響いた。
「ふむふむ……。
『千年もかかるはずはない。よく考えよ。』……うーん、何をよ?
『……都と関係ないことには気を取られるな。伊都以外の国は、こちらに米と兵を出せる程度でよい。百姓は死なない程度に生かしておけばよい。省みる必要はない』……はあ?」
やがて、「火鉢をこれへ」と台与に命じると――
――ちーん!
御簾の向こうから、鼻をかむような音がした。
大巫女は「ふぅー」と一つ息を吐いた。
すると、火鉢がにわかに大きな炎を上げた。
「……何が言いたいのか、全くわからない文だったわ……」
大巫女はそう吐き捨てた。
水惟は黙したまま、揺れる御簾を見つめていた。
※
次に、金玄基が御簾に向かって直った。
「申し上げます。カゲマルからの報せによりますと、
『大陸の呉国が、来ぬ国に親善の使いを送ると決めた』との由……」
御簾の向こうの大巫女は低く呟いた。
「……なんですって?」
「……詳細に申し上げますと、楼船一隻、蒙衝四隻の艦隊編成とのこと。
楼船は巨艦で、水夫の他に歩兵百名、騎兵なら二十騎程度が搭乗できます。
蒙衝は、倭国の大船より一回り大きい船となります」
即座に、水惟が口を開いた。
「では、攻撃艦隊で使者を送ってくるというのか?」
「真意は分かりませぬ。
ただ、これだけの軍兵を乗せていれば、即座に機動戦を展開できる規模かと存じます」
金玄基は、そういうと深々と平伏した。
すると、その場にいた者たちが次々に声を上げた。
「もしその援軍が、来ぬ国の兵と合わされば、手強い相手となります。伊都一国で対抗できるかどうか……」
「援軍とは限りません。来ぬ国を威圧するための兵とも考えられます」
「いずれにせよ、来ぬ国と呉が結ぶ事態となれば、ヤマト連合としては看過できません」
御簾の向こう側からの声も届いた。
「来ぬ国とは長らく行き来がないの……。どうしたものかしら?それに……」
全員の視線が御簾に集まる。
大巫女は続けた。
「来ぬ国と呉が結ぶとなれば、木の国の彦尊がどう動くか……?
来ぬ国と木の国は海でつながり、いわば地続きみたいなもの。その援軍はすぐにでもヤマトの地に現れるでしょう。
さらに、木の彦尊は『ヤマトの都に入るべきは、クニトラ王であるべきだ……』と触れ回っている男です」
ルナは首を傾げた。
「ええっ? 来ぬ国は『ヤマトとは関わらない』と言って離れた国ですのに……」
台与は目を伏せた。
「おかしなことを言う人です……でも、油断はなりません」
木の国――?
その響きは、金玄基の胸に突き刺さった。
何故だかは分からない。
だが、不思議と因縁を感じるのだった。
「木の国に参れば、来ぬ国の動向がもっとよく分かるのでしょうか?」
尋ねた後、金玄基は「はっ」とした。
(ついつい、妙なことを口走ってしまった……!)
すると、大巫女は答えた。
「木の国に行くだけでは足りないわね。彦尊の懐に潜り込まないと……。
けれど、それは並大抵のことではないわ。誰か、行ってくれるかしら?」
金玄基の額に、うっすらと汗が滲んだ。
(あー……これは。この流れは……)
その時――。
別棟の方から、スミレとアヤメの叫ぶ声が響いてきた。
「あーーーーー! おとう、飛んでっちゃった!」
「こら! 何ばしょっとかね、こん子は?! お人形拾ってきんしゃい!」
金玄基は、思わず声のする方を振り返った。
だが、その騒がしさを聞いているうちに、勇気と覚悟が湧き上がってくるのを感じた。
※
その頃――
当の『木の国の彦尊』は、新羅国の王都で、朝食を摂っていた。
場所は、宰相・瓢公の居館の一室。そこに、倭国朝貢団が一同に会していた。
瓢公ことナカツヒコは、かしこまって言った。
「おはようございます、皆様。 昨夜はよくお休みになれましたか?」
「うむ……もぐもぐ……まあまあじゃった……」
木の彦尊はそう言うと、また食べ始めた。
ナカツヒコは続けた。
「魏の都に行けなかったのは残念でしたが、せっかくの機会。ここ新羅の都を見て行ってくだされ。
洛陽ほど規模は大きくありませぬが、造りは概ね同じでございます。
商人や学者も集まっておりますゆえ、皆様が欲しかったものも見つかるやも知れませぬ」
「ふうん……では、そうするか?」
木の彦尊は、他の彦尊たちに尋ねた。
だが、朝のうちは、周囲の反応は芳しくなかった。
ナカツヒコはふたたび平伏した。
「では、今日は皆様を南門の高楼にお連れいたします。この都が一望できる場所です」
※
新羅国・王都南門・高楼――
ナカツヒコは、中央にそびえる大きな建物を平手で指し示した。
「あれが王宮です。その周囲には、宮殿で働く役人の住まいや兵舎が並んでおります。
民の街はそれより手前。あちらが居住地、向こうが市……」
朝貢団の彦尊や長老たちは、皆どこか気のない様子で頷いていた。
尾張の彦尊だけが、野太い声で尋ね返した。
「洛陽っちゅうとこは、これより、もっと、おっきゃあのかね?」
「ええ。そうですね、洛陽は……南北に四倍、東西に三倍ほどはありましょうか」
彦尊たちは口々に呟いた。
「縦に四倍、横に三倍……?」
「ここでも我らの邑より、だいぶ大きいが……」
「まったく想像がつかぬ」
「どえりゃーもんだな、洛陽っちゅうとこは……」
ヤマトの四長老は顔を見合わせると、その内の一人がナカツヒコに尋ねた。
「これと同じものを、ヤマトの地に作ろうとしておるのか?」
「うーん……どうでしょう? 我は詳しいことは存じぬのですが……」
「いやあ、無理だぞ。こんな広大な平地はないし、水はどうする……ああ、あれか」
「ええ。城壁の下を潜らせた川から引いております。ちなみに田畑は城外――つまり壁の外側にございます」
そう言ってナカツヒコが背後の郊外を指さす間、尾張の彦尊は足を高く上げ、力強く足元を蹴っていた。
「この床、何でできとるんだがや?」
「石ですね」
「大陸にゃあ、えらく形の揃った石があるんだなも」
「いやあ、切るんですよ。切り出すというか……人の手で作った形です」
「……石って切れるもんなんかね?」
「そこで必要になるのが、『鉄』なんですねぇ」
その言葉に、木の彦尊が食いついた。
「鉄と銅はどう違うんだ?」
「鉄は銅より硬くて……」
突如、尾張の彦尊がひとり、腹を抱えて笑い出した。
「……くっくっく……銅はどう……銅はどう……って。
えーか、教えたるわ。 銅は銅だがや! がっはっは……っ!」
すると、周りの彦尊にも笑いが広がった。
「いや……洒落を言ったわけではないのだが……」
木の彦尊が不機嫌そうに呟くと、ついには伊声耆と掖邪狗までもが吹き出した。
ナカツヒコも苦く笑った。
「……よろしければ、鍛冶場にもご案内しますが……」
「――いや、いい!」
木の彦尊はそっぽを向いた。
「……それよりナカツヒコ。このどこかに学者がいる、と言っていたな?」
「ええ、それらしき者を時折見かけます」
「あの辺に行けばいるっていうことか?」木の彦尊は市街地を指さした。
「おそらく……どこにいるかまでは分かりませぬが……」
「それは、我が探す。構わん」
木の彦尊は鼻を鳴らし、にやりと笑った。
続いて、登の彦尊が尋ねた。
「ナカツヒコ殿。魏では天子を神と崇めるそうだが、この地では王が神なのか?」
「うーん……」
ナカツヒコはしばらく唸ったのち、答えた。
「そう自称する王もおります。
ですが、我の見てきた限り、ろくな死に方をいたしません。
やはり王は王、神は神。新羅の王は至って柔和な方ですよ」
登の彦尊が目を点にして頷いていると、「ナカツヒコ殿!」と明の彦尊が叫んだ。
「『兵法三十六計』という書物は、どこかにあったりするか?」
「古書屋に行けば、もしかしたら、あるかも知れません。
でも、最近の書物ですから、まだ渡って来ていないかも知れません」
「そうか! では探し歩いてみようかの」
ヤマトの四長老たちは小声で囁き合い始めた。
「こんな大量の石……近くにあったか?大坂山を掘り抜くか?」
「あの山を掘り抜くなんて、無理だろう……吉野の方は?」
「あったとしても、石を持ってあの山道を……石は水には浮かんしな……」
「……ヒソヒソ……ボソボソ……」
最後に、長老の一人はナカツヒコに言った。
「ナカツヒコ殿……我らは先に館に戻るよ……」
このようにして、朝貢団はなし崩しにバラバラになっていった。
気がつくと――
「――おわっ!」
ナカツヒコと伊声耆、掖邪狗の三人は揃って声を上げていた。
「……なーにをそんなに驚いとるんだがね、おみゃあさんら……?」
尾張の彦尊は、三人を睨めながら呟いた。
掖邪狗が尋ねた。
「尾張の彦尊は、これからどうなさるおつもりで?」
「……どうするって、おみゃーらについてくに決まっとるがね。なんかおかしいかや?」
四人のは互いに顔を見合わせた。
※
その頃、河内・大和川では――
「――こらあ! なにさらしとんねや?!」
河内の棟梁の怒声が響いた。
タケノオは、その声に振り返った。
棟梁は高く足を上げ、川の水をバシャンバシャンと蹴立てながら、近づいてきた。
「なんで汝らだけ、そんな捗っとんねや? ええっ?!」
「ああ……離れてしもうたな。すまんばい」
「すまんやないねん。なんでや訊いてんねん?」
言うなり、棟梁はタケノオの襟首を掴んだ。
傍らで、カイがぽつりと言った。
「道具が違うっちゃなかか?」
すると、棟梁は低く唸った。
「道具?……見してみい」
そして、タケノオの鍬をひったくるように掴み、睨め回した。
「なんやこれ……」
「鉄の鍬たい」
「鉄……?」
そうする間に、他の連中もぞろぞろと集まってきた。
棟梁は、タケノオをギロリと睨んだ。
「ちょ、使てみてええか?」
「使ってみんしゃい」
棟梁は大きく鍬を振り上げると、川底をえぐった。
「……なんやこれ……全然ちゃうわ……」
「なに言うとんねん、ウチに貸してみい。…………ほんまや……」
「うせやろ、二人して。ワテにもやらせや。…………ほんまや……」
河内の人々は鉄鍬を回し合いながら、口々に呟いた。
「普通の鍬、使とる場合ちゃうで!」
「石のは重いしな……」
「樫のは掘れんし、水には浮くし……」
「これは、ええな……」
「もし、鉄の鋼材のあれば、おいでも作ってあげらるっとですよ」
タケノオがそう口にした、その時だった――
「――あるで! 森ノ宮にな!」
その声は川上から轟いた。
その場にいた全員が振り返った。
渡しの頭が、船竿を刺しながら悠然と流れてきた。
そしてそのまま、彼らの横を通り過ぎて行く。
河内の棟梁は叫んだ――
「――そんだけか?! なんか言わんかい!」
「行けばええねん! なんもかも解るわ!」
そう叫び返すと、渡しの頭は遠く川下に消えた。
タケノオは河内の棟梁と見合うと、黙したまま頷いた。
それを見ていたカイは、にやりと笑った。
息子と河内の棟梁……この二人が同じ方向を見つめている。
この時が、後のヤマト王権誕生の瞬間だったのかも知れない――
――と、カイが思ったかどうかは、今となっては定かではない。
※
その頃、森ノ宮では――
アヤメは、金玄基との会話の最後に小さく笑むと、頷きながら言った。
「じいちゃんは、そんなこと思わんたい」
金玄基は妻の顔をじっと見つめた。そして、ただ一言呟いた。
「……そうか」
スミレはアヤメに手を引かれ、じっと黙って立っていた。
だが、金玄基が顔を向けると小さく言った。
「……じゃあね」
その顔に笑みはなかった。
だが、行かねばならない。
「じゃ、行ってくるよ」
金玄基は、スミレにそう声を掛けると、アヤメに一歩寄り、その肩を抱いた。
(これが最後になるかも知れない……)
いつも、いつもそう思うのだが、アヤメはいつでも、そしてその時も、同じことを言った。
「無事に……戻ってくるとよ」
「ああ。必ず……」
金玄基は目を閉じると、くるっと向きを変えた。
向かう先は、木の国だ。
難波津の桟橋には既に、河内へ向かう船が停泊していた。
お読みくださりありがとうございました。
だんだん定説に沿ってるだけの話になってきました……すみません。
古墳等から見つかるのは(当然、王の墓なので)剣なのですが、
ヤマト王権が強くなった理由って「剣より鋤鍬」だったのではないかな?と思うのです。
鉄の道具で開墾し、圧倒的な食糧生産力を背景に人を集めた……。
ただ、これは根拠のない、まったくの私見です。
次回「第83話 暗闇からの一歩」
古代・東アジアのカオスが貴方を待ち受けます。
(木曜20時ごろ更新予定です)




