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第69話 河内とともに

河内の大地で営まれる生業――そこには人々の笑顔があった。

一方、魏国・帯方郡では倭国・使節団を受け入れの準備が進んでいた。

カイは家探し、イセエビは国運を賭けて、それぞれの旅路を歩み始める。


翌朝――


森ノ宮から眺める河内の大地もまた、真っ白に染まっていた。


台与は館の庭先に立つと、生駒の山なみを見つめた。

しばらくすると、山の端が一斉に薄っすらと輝き出した。

台与は、いつものように朝日に手を合わせ、目を閉じた。

その時だった――



――クェー!クェー!

バサバサバサバサ……!


河内を覆っていた鳥の群れが一斉に飛び立った。

台与はしばらく、空を舞う鳥たちを見上げた。


ふと河内の海の向こう側に目を向けると、土の色に戻った大きな円が出来ている。

その中に、しなやかに動く影があった。


「あら、キツネ……」


台与がその声に振り返ると、水に濡れた顔に手拭いを当てているルナがいた。


キツネは辺りを見回しながら、小走りに歩いていた。

その進む先にいる鳥たちは、声を上げながら飛び立つ。

やがて、キツネは立ち止まると、空を舞う鳥を眺めた。

空に舞い上がった鳥の何羽かが、急降下してその背中に襲いかかった。

キツネは走り出し、それを巧みにかわしてゆく。まるで背中にも目があるかのようだ。

台与はルナと共にその様子を見つめていた。


(この残酷な生業も、神が定められたこと……)


そう思うのだが、台与の胸の内はざわざわとした。


「私たちは、戦い合い、殺し合うために、生まれてきたのでしょうか?」


そう尋ねると、ルナはこちらをちらりと見やった。

だが、すぐに視線を戻すと、静かに言った。


「いいえ、生きるためでしょう。

 あれは戦いのようにも見えますが、生きる術とも言えます。

 キツネも鳥も相手を憎んではいません。ただ、この大地に立っているだけです」


その時、背後から別の声がした。


「おはようございます。台与様、ルナ様」


振り返ると、森ノ宮の長老の穏やかな笑みがあった。


「今日、河内の棟梁がこちらに参ります。またいつもの、お願いします」

「はい」


そう返した台与の頭の上を指差して、長老は言った。


「ああ、さっそく来ました」


振り返ると、大和川を下ってくる一艘の小舟が見えた。

傘を被り、船竿を挿す船頭が一人、船底にどっかと座り腕組みをしているらしい男が一人乗っていた。


その時、再び台与の背後で声がした。


「ふぁあ〜……眠れたか、タケノオ?」

「ああ、まぁまぁ……」


振り返ると、カイが伸びをしながら、タケノオは颯爽と館の庭をこちらへ進んで来る。

だが、二人は少し離れた場所で立ち止まった。そして、河内の大地を眺めて呟いた。


「……それにしても凄いところだな」

「ああ……いくらでも仕事がありそうだ……」


二人がしばらく立ち尽くしていると、眠そうな目をこすりながら男が一人、トボトボと歩み寄って来た。


「お義父さん、お義兄さん……おはようございます……」


金玄基(キム・ヒョンギ)はそう言うと、カイの背後に控えるように立った。


    ※


河内の棟梁と、渡しの頭が難波津に降りると。

二人は、出迎えた長老の前に横に並ぶと、同時に深く頭を下げた。

河内の棟梁は頭を下げたまま口を開いた。


「お嬢が来てはると聞き、参りましてん。例のアレ、お願いします」


長老は頷きながら、眉を下げた。


「うんうん……じゃが、お嬢じゃないよ、台与様じゃ……」


台与はそこに歩み出た。


「棟梁さん!」

「おお、お嬢!」


金玄基はその様子を見つめながら、ルナに小さく尋ねた。

「お知り合いですか?」

「はい。毎年のようにお目にかかる方です」


河内の棟梁は、台与と向き合った。


「去年、祝詞を上げてもらった住吉明神が……」


言い淀む棟梁の言葉を、渡しの頭が遮った。


「また流されてまいましてん」

「まあ……」


台与は口に手を当て目を丸くした。

ルナは、金玄基に小声で囁いた。


「建て直す度に、祝詞を上げに参ります。それでもう顔なじみなのです」


金玄基は耳を傾けながら頷いた。

その時、後ろから見ていたカイがルナに声を掛けた。


「その儀式、我らも参列させていただいて宜しいかな?」


その声は大きく、その場にいた誰の耳にも届いた。

タケノオはルナを見つめて静かに頷いた。


河内の棟梁は一瞬カイの姿に見入ったが、すぐにのっそりと歩き出した。


「……なんやと、ワレェ?」


森ノ宮の長老が手を伸ばした。


「待て。その方は台与様のお連れ様じゃ」


だが、構わずカイの目の前まで進むと、河内の棟梁はその両手でカイの胸ぐらを掴んだ。

カイは平然とした顔で、河内の棟梁をまっすぐに見つめていた。

二人は顔を近づけ、黙したまま睨み合った。

その場の空気が、静寂と緊張に包まれた。


やがて、河内の棟梁は沈黙を破った。


「……どうぞ」


長老は肩を落とした。


「やれやれ……普通に言えんのか……?」


遅れて、台与がカイの元に駆け寄ってきた。


「棟梁さんは口は悪いけど、根は良い方なのですよ」


渡しの頭は大きな声で言った。


「根はええけど、他はなんもかんも悪いで!」


その声に、河内の棟梁は目を丸くして振り返った。


「なんや?他、何があんねん?!」

「まず女癖やろ……」

「……なんの話や?」

「こいつの嫁はん、毎年子供産みまんねん……」

「それ女癖ちゃうやろ!それに毎年やないし……」

「あ?なんやこのごっつい手……ガビガビやん」

「そら、こうなるがな。毎日、川底掘ってるんやさかい……」

「それとな……」

「まだあるんかい……もう止めいや!」

「ほら。見た目の割に、気ぃ弱いんですわ……」

「――言わんでええがな!」


二人のやり取りは、いつ果てるともなく続いた。

周囲にいた者は皆、時々笑い声を上げながら見ていた。

だが、金玄基だけは真剣に聞き入り、一言一句聞き逃さぬよう努めた。


(これが本当の倭国……やはり外からは知り得ない事が沢山ある……!)


そう思うと、二人を交互に見つめる目が徐々に輝いていくのを自覚するのだった。


    ※


「そう、分からない。行ってみた者でなければの……」


目の前の男に対してにやりと笑い、そう返したのは、裴世春(ペ・セチュン)だった。

両足を机に乗せながら、広げていた木簡をくるくると巻くと、それを目の前の男に差し返した。


「倭国というのは、とかく不可思議な国なんじゃ……」



ここは魏国・帯方郡の郡城の一室――


裴世春は右手を机上の木簡に伸ばすと、それを広げ、しばらく眺めると、また丸めて机の左手に置いた。

朝から同じ動作を繰り返していた。


「嗚呼、暇じゃなあ……それにしても暇じゃ……」


塞曹掾史(さいそうえいし)・張政は、裴世春をじろりと睨んだ。

そしてすぐに、鼻を鳴らした。


「ふっ……」


張政は机上の書類に墨を入れ終わると、再び目線を上げた。

その時、口を尖らせている世春と目が合った。


「……まだ怒っているのですかな?張政殿」

「いいえ。別に……」


裴世春は足を引き、机からゆっくりと立ち上がると、張政に歩み寄った。


「私もこうして都落ちし、閑職に甘んじておるではござらぬか……」

「ご栄達でしょう?

 一級昇進して、太守補佐……まったく、人の部下を死なせておきながら……」

「ほら、やっぱり怒ってる。私にとっても友人だったのだよ、金玄基は……」


張政は裴世春の目を睨んで低く言った。


「では、何故探してもくれなかったのです?」


裴世春は少し身を引きながら答えた。


「仕方なかったのです。朝になって嵐が止んだ時には、もう居なかったのですから……」

「へっ……」


張政は再び目を逸らした。

裴世春はそれからしばらく黙っていた。

そこに建中校尉(けんちゅうこうい)梯儁ていしゅんが現れた。


世春(せいしゅん)殿、太守がお呼びですぞ。共に参りましょう」

「ただいま参りまする」


裴世春はそう言うと、張政を横目でじっと見つめながら、部屋を後にした。

世春がいなくなると、張政はまた顔を上げた。


すると、そこには先程まで裴世春と話していた属吏が立っていた。


「張政様。それで……今回の朝貢に際し、倭国から来たこの書簡ですが……」

「うむ」

伊声耆(いせぎ)様と掖邪狗(えきやく)様のお名前までは読めたのですが、後の八名の方のお名前が……よく分かりません」

「ふむ。どれ、貸してみよ……ううむ……」


張政は書簡を受け取ると、眉間に皺を寄せ、たどたどしく読み上げた。


「きうまれ、いずるの、くに……ぬし……ひこみ、こと……なにがし」

「…………」

「次に参ろう。おはる……がごとき、くに……のぬし、ひここ……イタタ、舌噛んだわい」

「…………」


張政は顔を赤くし、乱暴に書簡を属吏に差し戻すと、苦々しく言い放った。


「……『他八名』……それで処理せよ……」


そう言うと、張政は再び自分の机上の書類に没頭した。


    ※


同じ頃――


金玄基は手を合わせ、船に乗せられ大和川を下ってきた住吉明神に祈りを捧げた。

それはすでに組み上げられており、掘立柱を砂地に打ち込んだだけの小さな祠だった。

台与はその祠に向かい、祝詞を奏上している。


「……願わくば、この地の平穏と無事なることを……」


これまでの金玄基は、この少女が自分の主であることに不満を抱いたことは一度もない。

神前に凛と立つ台与を見ていると、言葉にできぬ神聖なものを感じた。

気がつけば、自分もまた、吸い込まれるように目を閉じて祈りを捧げていた。


彼女の背後には、河内の棟梁を先頭に、邑の家族たちが幾重にも列をなし、深く頭を下げていた。

金玄基はその最後尾で、共に静寂に身を委ねた。


台与は一礼を終えると、こちらを振り返り、柔らかな足取りで戻ってきた。

その台与に森ノ宮の長老が歩み寄る。


「ありがとうございました」


台与もまた、黙したまま深く腰を折った。

その一挙手一投足に合わせるように、その場にいた全員がさらに深く平伏する。

こうして、真新しい祠に神を呼ぶ儀式は、厳かに幕を閉じた。


金玄基が面を上げた時、長老や棟梁と楽しげに談笑する台与の姿があった。

その屈託のない表情は、どこにでもいる年相応の少女そのものだ。

そういう時の金玄基は、自然と目尻が下がってしまうのを禁じ得なかった。


だが、その穏やかな視界に、突如としてカイとタケノオの逞しい姿が割り込んだ。


「棟梁、汝の邑ば見せてもろうてもよかろうか?」


周囲の者たちが目を丸くし、驚きに固まる。


「なに、新しか住処ば探しよる身やけんね」


カイはそう言って肩をすくめると、金玄基の方へ視線を投げ、不敵に笑った。


    ※


同じ頃、別の場所では――


イセエビとクジャクは、従者と共に淡海の伊勢に到着した。

そこで二人待っていたのは、淡海の彦尊であった。


淡海の彦尊は二人の姿を認めるなり、小走りに駆け寄ってきた。


「おい、クジャク。どういうことだ?

 尾張の彦尊も同行するというのは、まことか?」


クジャクは深く俯き、上目遣いに答えた。


「え、ええ……。我らが造ろうとしている『都』とやらが、一体いかなるものか、その目で確かめさせろと……。

 どうにも、そのような成り行きになってしまいまして」


彦尊の背後には、旅袋を肩に掛けた威風堂々たる男が、従者を連れて立っていた。

その眼光は鋭く、単なる物見遊山ではない気迫を放っている。

クジャクは声を潜めて続けた。


「他に、木の国と明の国、登の国の彦尊……ヤマトの地の長老四人も参ります。

 長老様がたとは木津川の渡し辺りで、木の彦尊とは難波津で、明の彦尊と登の彦尊とは伊都で合流する予定にございます……」


淡海の彦尊は目を丸くした。


「物好きにもほどがある。……魏へ渡るなど、二年を費やす旅であろうが」

「その点は重々申したのですが、どなたも頑として聞き入れず……。

 登の彦尊に至っては、ただ魏国を拝んでみたいだけのご様子でしたが……」


淡海の彦尊は、がっくりと肩を落とした。


「はやく連れて行ってくれ……。これ以上、彼奴の顔を見ておると落ち着かぬ」

「……彦尊……」


クジャクは眉を下げ、隣のイセエビと静かに目を合わせた。

二人は、黙したまま深く頷きあった。

それは無言の会話であった。


「淡海の茶をのんびり頂いている場合ではなさそうだな」

「此度は、いろいろと誤算だな」


二人の双眸には、これから始まる波乱の船旅への、静かなる覚悟が宿っていた。


お読みくださりありがとうございました。

河内が鳥の営巣地だったとかいう世界線……これぞ「ありえへん」小説の真骨頂です!


次回「第70話 神の住処」

いよいよヤマトに向かう台与様と金玄基を待つものとは……?

(月曜20時ごろ更新予定です)


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