表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/76

第67話 それぞれの船出

船が動く時、それは世界が動く時でもあった。

台与が、伊勢の大巫女が、そして大陸のあの大物たちも……。

だが、その一方で動かない者、変わらない者がある。

台与たちを乗せた船が、瀬戸内の海を征く。

港で待っていたタケノオ一家を乗せ、水惟(すい)が操る大船は、遠目にもよく見えた。


伊都国王・ナギサヒコは、遠ざかる船を眺めながら呟いた。


「ようやっと行ったわ……目障りな者どもが揃いも揃って……」


その脇には夏羽とミズハも控えていた。

夏羽(なつは)が静かに言った。


「早くお戻りになると良いですね」

「なにっ?」


ナギサヒコは振り返った。

夏羽は涼しい顔で黙っていた。代わりにミズハが口を開いた。


「他の方はともかく、台与には早く帰って来てもらわないと……。

 だって、最近、大巫女様のご様子が変なのですよ。もし、万が一のことがあったら……」


ナギサヒコはミズハに尋ねた。


「万が一?どこか悪いのか?」

「ええ、この間なんか……」



   ◇◇◇


阿蘇の大巫女は床から身を起こすと、湯呑を啜りながら、ミズハを呼んだ。


「ミズハや。すまぬが、イヨを呼んで参れ」


ミズハは目を丸くして応えた。


「台与は伊勢に行く準備で伊都に行きましたよ」

「……なぜ?」

「大巫女様がそうお命じに……」


大巫女はしばらくじっとミズハの目を見つめていた。


「……そうじゃったかのう……?」


そう呟くと、大巫女は外の景色に目を移し、そのままじっと眺めていた。


   ◇◇◇



「時々、少し前のことをお忘れになってしまわれるようなのです。

 でも、普段はしっかりしたことを仰るのですけど」


そう言うと、ミズハはうつむいた。

ナギサヒコは黙したまま考えた。


(姉様……いや、大巫女様に最期の時が近い……となると、次は台与か……)



   ◇◇◇


台与はすっと立ち上がると、右手に持った榊の枝をナギサヒコに向ける。


「ナギサヒコ……出陣です!」

「ははーっ」ナギサヒコは平伏する。


「此度こそ、来ぬ国のクニトラと雌雄を決します。これは、神命……!」


そう言う台与は、目に炎を浮かべながら遠くを眺めている。

見上げるナギサヒコには目もくれない。


   ◇◇◇



ナギサヒコは心の中で唸った。


(無いな……台与の命で死にとうない)


他にもあれこれと、脳裏を妄想が駆けめぐる。



   ◇◇◇


台与は、平伏するナギサヒコの前にちょこんと座り、済ました顔で言う。


「ナギサヒコ。汝ももう年ゆえ、伊都国王を誰かと交代せよ」


   ◇◇◇



「――無い!」


気がつくとナギサヒコは叫んでいた。


「えっ……?」

ミズハは驚きの声を上げた。夏羽は黙したまま、ナギサヒコに視線を向けた。


「……いや、ひとり言じゃ」


ナギサヒコはバツが悪そうにそう言うと、足早に去って行った。

後に残った夏羽とミズハはお互いに顔を見合わせた。


「……どうだった、お兄様?」

「今のは効いたと思うよ、ミズハ」


そして、二人はクスリと笑った。


    ※


同じ頃、伊勢の鳥居の下では――


イセエビとクジャクが旅支度をして並んでいた。


「では、大巫女様。恐縮ですが、後のことはお願いいたしまする」

「途中、淡海と伊都に立ち寄ります。その際、台与様の件もお伺いして参ります」


見送りに出ていた伊勢の大巫女は微笑みながら頷いた。


「行ってらっしゃい。気をつけて」


イセエビは頭を上げて大巫女を見つめた。


「我のことはお気になさらず。大巫女様も、我らが留守にする間、くれぐれもお気をつけください」


クジャクも続いた。それに、大巫女は短く応じた。


「大巫女様。我らが居ぬ間、おにぎりを食べるためだけにお一人で鈴鹿山にお登りにはなられませぬよう」

「分かったわ」

「お忍びでの牡蠣漁もお控え下さい。それから……うんぬん、それから……かんぬん……」


クジャクの長い口上を、大巫女は静かに遮った。


「はい、はい、分かりました。どこにも行かないから大丈夫」


その言葉に、イセエビとクジャクは揃って頭を下げた。


「それでは、行って参りまする」


そう言うと、二人はくるりと向きを変え歩き出した。

その後に、総勢八名の従者たちが二列になり、整然と進んでゆく。

大巫女は、彼らの姿が見えなくなるまで、その場にじっと佇んでいた。


やがて彼らが完全に見えなくなると、大巫女はくるりと後ろに控えていた二人の巫女を振り返った。

その瞳には、先ほどまでの穏やかな笑みとは違う、活き活きとした光が宿っている。



「さあ、忙しくなるわよ。私たちも支度をしましょう。

 この間の巫女に、大巫女の装束を着せて、私の部屋に来させなさい。留守番はあの娘にしてもらいましょう。それから、あなたは……」


    ※


これから船に乗ろうとする者あれば、船から降りようとする者もいる。

難升米(なしめ)を乗せた船は中海に入った。


「イセエビ殿のことで有耶無耶になってしまったが……本当に我が代官なんだろうか?」


そんなことを呟きながら、難升米は近づいてくる船つき場をただなんとなく見つめていた。

すると、異変に気づいた。桟橋に備の国の彦尊がいるではないか。

船を降りると、難升米はさっそく彦尊のもとに向かった。


「これは、備の彦尊」

「……ん?汝は誰じゃ……ああ、ヤマトの難升米殿か。いかがした?」

「それはこちらの申すこと……このようなところで何を?」

「うーん……」


備の彦尊は腕組みをしたまま、渋い顔をした。

そして、意を決したように口を開いた。


「我の国の船を見なかったか?鋼材が届かないんじゃ」

「鋼材?」

「鉄器を作るために使う、鉄の延べ棒じゃよ。半島から取り寄せているものなんじゃ。我の国の山からは鉄が出ぬからの。頼みの綱なんじゃ。

 渡来人はわんさか押し寄せるようになったがの。わはははは。じゃが、仕事がないから皆帰ってゆく」

「……そういうことでしたか」


難升米は頭を下げたまま答えると、備の彦尊は、その顔をじろりと覗き込んだ。


「汝……大陸でなにかあったのではないか?隠しごとをするのと、嘘を吐くのとは一緒ぞ」

「いえ……我は、何も存じませぬ」

「本当か?……ふーん、まあ、よい」


備の彦尊は腕組みをしたまま、横目で難升米を値踏みするように見つめていた。

だが、難升米はまだ、半島での異変を知らされていなかった。


    ※


ところ変わって、長江を遡る船の上では――

孫呉の大司馬・呂岱(りょたい)は前方を見つめていた。

そして、先日の出来事を思い浮かべながら呟いた。


大都督(だいととく)は、承諾するまいな……」


   ◇◇◇


孫呉皇帝・孫権は静かに尋ねた。


「呂岱よ、高句麗が滅ぼされたと聞いた」

「恐れながら陛下。高句麗王・位宮の首が上がったとは知らされておりませぬ。まだどこかで存続しているやも知れませぬ」

「そうだとしても、もはや魏を裏から突いてくれる力はあるまい」

「それは仰るとおりかと存じまする」


呂岱は背を正しながら、次の言葉を待った。

孫権は玉座に背をもたれながら、射抜くような目で呂岱を真っ直ぐに見つめた。


「こうなった以上、高句麗に代わる相手を探さねばならぬ。だが、馬韓も辰韓も、魏を恐れて乗り気ではない……。

 そこでじゃ、倭の大王国に話を持ちかけてはどうか?と思うておる」


呂岱は思わず、孫権の顔をまじまじと見つめた。

しかし、その表情に冗談の気配は微塵もなかった。


「倭の大王は気位が高く、扱いが難しいと聞き及んでおりまする。朝貢には応じますまい」

「朝貢はなくともよい。我が艦隊に、彼の者が持つ港を使わせてくれれば、それでよい」

「倭国の港……錦江湾ですな?」

「うむ、そんな呼び名じゃったな。

 そこに我軍を直接入れれば、東夷など当てにせずとも、魏の裏を取れる」


(朝鮮を飛び越えて倭国か……!)呂岱は耳を疑った。


「……そのような献策をしたのは、どなたでございましょう?真意を確かめて参りまする」

「朕の考えじゃ。誰かの献策ではない」


『東夷の国を巻き込んで魏に対抗する』という策に、孫権は以前から前向きであった。

だが、以前は公孫淵、今は高句麗、これまでのところ、尽く失敗に終わっている。


呂岱は慎重に言葉を選んだ。


「陛下のお考えならば、臣は反対はいたしませぬ。

 ですが、一度、荊州にいる大都督と相談して参りたく存じまする」


孫権はため息を漏らした。


陸遜(りくそん)は陸戦派じゃ、色よいことは申すまい。諸葛親子もじゃ。

 それ故、そなたの考えを聞きたいのじゃ」

「ですが陛下、兵は国の大事にて、大都督の見解を質すが筋かと存じまする」

「……そうじゃがのう……」


   ◇◇◇


呂岱は、胸の内では、陸遜を連れ帰り、共に孫権を説得する算段をしていた。


(だが、諸葛瑾(しょかつきん)将軍が合肥で敗れた直後……大都督が『魏の次の手』をどう見ているか、確かめておかねばならぬ。

 何事も慎重に……勝手な発言は時に国を滅ぼす……)


これが呂岱という男であった。


    ※


その曹魏では――

この日も廷臣の声が高く響いていた。


「高句麗を討った今こそ兵を南下させ、一気に馬韓・辰韓を平らげるべきでござる!

 さすれば後顧の憂いもなくなり、天下統一も目前!」

「待て!兵はむしろ北上させるべきじゃ。

 高句麗を丸都から追ったとはいえ、完全には討ち滅ぼしておらぬ。追撃すべきでござる」

「高句麗が現れたらまた叩き潰せばよかろう」

「倭国にも兵を出させ挟み撃ちとすれば、馬韓も辰韓もたちまち降りましょう。その後、倭国も朝鮮から駆逐すれば良い」


喧々諤々の議論が続く中、皇帝・曹芳は大きな欠伸をした。

魏国太尉にして太傅・司馬懿は、それを横目でちらりと見つめた。


(誰にも気づかれてなければよいが……)


その時、廷臣の一人が声を張り上げた。


「陛下、ご決裁を!」


司馬懿は目を閉じて天を仰いだ。


(……やはり気づかれないわけがないか……)



曹芳は、叫んだ廷臣を玉座から見下ろすと、あっけらかんと言った。


毌丘倹(かんきゅうけん)を一度、北平(ほくへい)に戻すがよいと思う」


廷臣たちは皆、言葉を失った。


「……この場には、誰もそのような意見を言う者はございませぬが……」

「うん。朕の意見じゃ」


司馬懿は目を瞑ったまま、天を仰いだ。

しかし、意を決して玉座に歩み寄ると、曹芳に耳打ちをした。


「陛下……御意に沿うものを、廷臣の献策の中からお選び下さいませ……」


曹芳は司馬懿をちらりと見やると、あっけらかんと答えた。


「どれも良いと思えなかったら?」


廷臣たちは一同にあんぐりと口を開け、玉座を見つめた。

司馬懿は冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、にっこりと微笑んでみせた。


「一度、休廷いたしましょう。少し、陛下と二人きりでお話しするお時間を賜りとう存じまする」



廷臣たちは、隣の者と何事か囁きあいながら議場を後にして行った。

だが、司馬懿には何を言っているのか察しがついた。


「陛下には暗愚の相がある。この国の行く末が心配になる」

「司馬懿殿の教育不足じゃ。太傅の大任は荷が重いのではないか?」


どちらも司馬懿にとっては意に解することではなかった。

司馬懿は玉座の前へと進むと、頭を垂れた。


「どの意見も宜しくないと思われましたら、『より良い』意見をお選びくださりませ」

「より良い?」曹芳は目を丸くして聞き返した。


「はい。

 完全に一致せずとも『より近い』意見、御意に帰結するであろう意見を選ぶのです。

 廷臣たちは、献策をすることで功を競っておりまする。

 選ばれれば功、選ばれなければ功はございませぬ。

 功あるものは栄達し、功なき者は居場所を失いまする。

 廷臣は、陛下への献策に生死を賭けておりまする」


曹芳は黙って聞いていたが、だんだん口が尖っていった。


「他人の意見を選ぶだけか……皇帝の役割とは?」


司馬懿は上目遣いに曹芳を見つめた。


「天子は人の世を見下ろし、人の中から選びとるのでござりまする」


曹芳はついに司馬懿から目を逸らすと、ぼそりと零した。


「つまらないね。皇帝って……」

「……!そのようなこと、お口になされてはなりませぬ……」


司馬懿の低い声が議場に響いた。

だが、それ以上は何も言わず、ただ深く、深く頭を垂れた。

しばらくして頭を持ち上げると、その瞳には再び無機質な知性が宿っていた。


「ならば、北上策をご採用なされませ。

 毌丘倹は位宮を探しあぐね、『北平か楽浪に帰陣したい』と奏上して参りましょう。

 さすれば、陛下の御心に叶う結果と相成りましょう……」


曹芳は不敵に笑う司馬懿を横目に見ながら、眉をしかめた顔で頷いた。


    ※


台与たちが乗る船には、静かな時間が流れていた。


先程まで「台与様は俺が守る!」と叫んでポーズを決めていたマサカドも、今はすっかり眠っている。

一生懸命、台与に話しかけていたチドリも、今はハルエに抱かれている。

今、台与の膝の上を独占しているのは、スミレだった。

彼女は小さな手をバタバタさせながら「うー」とか「あー」とか、意味のない声を上げている。

台与はそれを慈しむような目で見守り、優しく背中をさすっていた。



金玄基(キム・ヒョンギ)は、その光景を黙って見つめていた。

親としては、娘をあやしてくれている台与に感謝した。だが、台与は自分の主君である。

礼節を重んじる中華の感覚からすれば、あるまじきことのようにも思えた。


(臣として、これで良いのだろうか……?)


胸の奥を何かでゆっくりと、ぐりぐりとかき回されるような感覚を覚えた。

自分は倭人であるべきなのか?倭人の中の中華人であるべきなのか?

海を行く船の揺れとともに、心もまた、定まらぬまま揺れ続けていた。


    ※


その船の行く先――


難波の入江を見下ろす高台では、松明を手にした一人の老人が、西の空を眺めていた。


その後ろから声がした。


「父上……」


老人が振り返ると、そこには二人の息子が立っていた。


「ハツヒコ、スエヒコ……」

「今晩はもうお休みください」

「うむ……ナカツヒコは、乗っておるじゃろうか?」

「……どうでしょう?」


ハツヒコと呼ばれた男は、苦笑いを浮かべながら首を傾げた。

老人はスエヒコに松明を渡すと、それ以上何も言わず、ゆっくりと戻って行った。



お読みくださりありがとうございました。

人の世界は何で動くのか?を考えてみましたら、こんな話が出来ました。


次回「第68話 森のお爺さま」

2回目の朝貢の始まりですが、今回は超スローペースでお送りいたします。

(月曜20時ごろ更新予定です)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ