第62話 卑弥呼様の思いつき
誰にもわからない「都」の意図。ナギサヒコは思い切って尋ねるが……。
独自に答えを出したのは、来ぬ国の王・クニトラだった。
しかし、それすらも否定するナカツヒコ。ヤマトはどこへ向かうのか?
ナギサヒコは、ゆっくりと顔を上げると、静かに口を開いた。
「それにしても……何故、ヤマトの地なのでしょう?伊都ではなく……」
「ん……?」
一瞬にして阿蘇の大巫女の目から光が消えたように、台与には映った。
大巫女は視線を落とし、呟いた。
「わからぬ。神の御心ゆえな」
「それはそうでしょうが……」
ナギサヒコも視線を落とした。
二人は、互いに目を合わせようとはしなかった。
静かな、重い時間が流れた。
※
その頃、来ぬ国では――
クニトラは大殿・王の間に諸将を集め、その上座に鎮座していた。
その右手にはアラツヒコとタギリヒコ、その左手にはムラオサとウネビヒコが着座していた。
クニトラが口を開いた。
「では、軍議を始める。此度は、おばば様による都建設の意図をいかに見るか、結論を出そう」
一同、一礼を済ませると、中心に置かれた絵図を見つめた。
倭国全体が描かれている。
クニトラは、その下半分を指先でなぞりながら、さらに続けた。
「我の国は、古より木の国、登の国とは昵懇じゃ。
我らの頭を抑え、伊勢に向かうのを食い止める、というのがおばば様の意図……と見たが……ムラオサ殿より異議が唱えられた。此度はそこからじゃ」
ムラオサは一礼すると、懐から別の絵図を取り出し、それを拡げた。
「これなるはヤマトの地の絵図にござる。手の者と共に現地を巡り、調べて参りました」
タギリヒコはそれを見つめながら顎をさすった。
「彼の地は、周囲を山に囲まれた天然の要害。その内側も水量豊富な平地が広がり、人さえいれば田畑はいくらでも作れる、と聞いた……」
ムラオサは目を細め、小さく笑った。
「それが、やはり見込み違いでござった。我には、都に適した土地とは思えませぬ」
「ほう……」一同、声を漏らした。
クニトラだけが黙したまま、じっとムラオサを見つめている。
「存外、水は乏しい地のようでござる。
確かに川は多うございますが、雨に恵まれぬ年も多いとか。
水が無ければ、田畑からは何も得られませぬ。さすれば、不毛の地も同然にござる」
ムラオサは絵図を指差しながら、さらに続ける。
「ヤマトの川は、この辺りで一つとなり、盆地中の水を集めまする。ゆえに、長雨となりますれば、大変な暴れ川へと変わりまする。おそらく……、この朱で示した辺りには、人は住めますまい」
ムラオサは手を膝の上に置くと、背筋を正し、諸将を見渡した。
「雨が降らねば水が枯れ、降れば周囲にあふれる。盆地ゆえ、夏の暑さは風を殺し、冬の寒さは骨を刺す……存外、住みにくい地のようでございまするな」
タギリヒコは地図を見つめながら肩肘をつき、唸った。
「では、防衛のためだけか……?」
ムラオサは首を振りながら静かに言った。
「否、それもいかがでござろう。
たしかに周囲を山に囲まれてござるが、北側には、木津川に沿って大きな谷間がござる。
ここは、大軍も動かせるほど幅広うござる。
野盗ならいざ知らず、そのような地があるのに、わざわざ攻めにくい尾根口から入ろうとする者もおりますまい」
「いれば、理を弁えぬ愚か者よ……」アラツヒコが呟く。
「むしろ野盗の隠れ里にすらなるな……」ウネビヒコも首をひねった。
ムラオサはにやりと笑い、続けた。
「他にヤマトの地に続く道は二つ。一つはヤマトの地の南から木の国・紀の川を遡る山間の道。もう一つは……」
絵図を指差したまま、ムラオサが動きを止めた。
クニトラが尋ねた。
「いかがいたした?」
「もう一つは、通う度に地形が変わると言われておる道にござる。そこは山が動いて川を塞ぐとか。実際に見て参りましたが、常に地鳴りが聞こえておりました」
クニトラは黙したまま首を縦に振った。
「続けよ」
「ははっ」
ムラオサはゆっくりと顔を上げた。
「第一、ヤマトの地は、周囲に敵を作らば最期、滅亡以外にござらぬ。
食は雨次第。海は遠くなり塩は取れませぬ。援軍や物資が通れる道はごくわずか。守りに適さぬ地形……」
諸将は口々に呟いた。
「戦にはならぬな……」
「糞詰まりじゃ……」
「天然の要害どころか、天然の監獄かっ」
「ヤマトに入った大巫女は、我らから塩を得るために、代々頭を下げ続けることになるでしょう……。そもそも、でござる」
ムラオサは、ヤマトの地図をずらしながら、元々拡げてあった絵図に指を突き立てた。
「こちら!関門海峡を押さえますれば、大陸や半島からの資材は一切入りませぬ。
今さら鉄無しでは、戦はおろか、田畑作りもままなりますまい」
クニトラは再びムラオサを見つめた。
「つまり、伊都あってのヤマトということか」
ムラオサは笑みを浮かべながら平伏した。
「左様にござりまする。ヤマトの都がいかなるものとなろうとも、伊都さえ落とせば立ち枯れましょう」
「ふむ……」クニトラは絵図を見つめながら背を反らした。
「彦尊、やはり……」アラツヒコが両手を着いてクニトラの方を向く。
「大巫女の心中は、やはり図りかねまするな」ウネビヒコも続く。
「ご決裁の時かと!」タギリヒコも声を上げた。
その声に、クニトラは両の手をゆっくりと膝の上に置くと、背を張った。
「これ以上続けても、埒が明かぬ。一旦ここで、結論を出そう」
一同、クニトラの次の言葉を待った。
クニトラは声を張った。
「ヤマトの都建設の謀……これは『おばば様の思いつき』に如かず。
これによって我らは目的を変えぬ。我らの国の『あるべき姿』を守る!」
「ははーっ!」
諸将は揃って平伏した。
※
同じ頃――
「……と思うだろ?違うんだな〜」
末盧国に向かう船の中では、ナカツヒコが人差し指を立てながら、にやりと笑っていた。
水軍隊長の水惟と、騎兵隊長の久米が木箱に腰掛け、ぽかんと口をあけた。やがて交互に口を開き、ナカツヒコに尋ねた。
「呉との商談が不調に終わったというのに……?」
「魏の新田が完成してしまって、米の約買に含み損を抱えたというのに……?」
「高句麗の丸都城が魏の手に落ちたというのに……?」
「それでも大した事ない……と?」
ナカツヒコはすっくと立ち上がり、二人を見下ろした。
「ああ、これを見ろ!」
そして、懐から、紫色の巾着を取り出した。
「なんですか、それは?」水惟が尋ねた。
「どこの国だか知らないが新王国・宰相の印綬だ。これで一山当てるっ!」
ナカツヒコはそう言うと、くるりと振り返り、船べりに手を当てた。
それを聞いた久米は、がっくりと肩を落とした。
水惟は眉を下げて呟いた。
「どこの国なんですか……だいたい、本物なのかなあ?」
ナカツヒコは黙したまま、遠くの海原をじっと見つめた。
(我の夢……あいつらとの約束は、こんなことでは終わらない……終われへんのや!)
ナカツヒコは遠い昔、若き日の出来事を思い出していた。
◇◇◇
少年ナカツヒコは、その日の仕事を終え、難波の海に沈もうとする夕日を眺めて言った。
「我はな、ここに都を建てるのが夢やねん」
その隣には、幼馴染の少年がいた。
後に父親を継いで『河内の棟梁』と呼ばれることになるこの少年は、土手の斜面に仰向けに寝そべっていた。
その少年はナカツヒコを覗き込むように見つめながら尋ねた。
「都ってなんや?」
「世界の中心……ってとこやな」
「……アホか?泥と石しかあらへんで……」
彼らの目の前には、大きな川が静かに横たわっていた。その向こう岸には……
「すまん。誰かの家の藁葺き屋根もあったわ」
先日の大雨で流された家屋の一部が転がっていた。
「来る日も来る日も川さらいや。我は川から泥を掻き出すために生まれてきたんやろか……こんな土地、どーでもええ」
ナカツヒコは、その少年を見下ろすと遠く夕陽を指さして言った。
「でもな、あの海見てるとな……そないなるような気ぃすんねん」
足元の少年がゆっくりと上半身を起こす。だが、黙ったまま海を眺めるだけだった。
夕陽に照らされた小舟が、影だけになって川を遡り、近づいてくる。
やがて、船は近くの岸につき、乗っていた船頭の影がゆっくりと立ち上がった。
そして、彼らのいる方へと歩きながら大声を上げた。
「こらあ、汝ら!なにさらしとんねん?!河内の海が川になってもうたやないか!」
河内の棟梁は叫び返した。
「――いつの話や?!」
その影は、尚もゆっくりと彼らに近づきながら、さらに叫んだ。
「そんなとこで寝とると、川も”みやこ”になってまうで!」
その少年は、かぶった笠を持ち上げながら、ナカツヒコに尋ねた。
「で……ナカツヒコ。”みやこ”ってなんや?」
後に『渡しの頭』と呼ばれることになる――この少年もまた、二人の幼馴染であった。
それから少年たちは地べたに腰を下ろし、夕日に照らされた海を眺めた。
ナカツヒコは『都』を語った。近くを通りすがった人から聞いた話だった。自分で見たことはなかった。だから、少し浮き世離れした部分もあった。
やがて、渡しの頭は左手の親指を河内の棟梁に向けながら、ぽつりと呟いた。
「……そうはならんやろ。こいつの家なんか三年建ってた試しないねんで?」
「――ほっとけ!」
「帰るわ……」
そう言うと、渡しの頭はすっくと立ち上がり、右手を振りながら小船へと戻っていく。
「〜屋根よ〜り〜た〜か〜い、やまと〜が〜わ〜……っと」
足元にいた少年もすっくと立ち上がると、その後に駆け出した。
「待て、ボケェ!そうならんように、毎日川さらいしとるやろが!」
「はっは!乗ってくか?!」
「おうよ!」
そして二つの人影は小舟に飛び乗ると、手を振りながら、川を遡り去っていった。
少年ナカツヒコは、小舟の影に手を振りながら、陽が沈むまで彼らを見送った。
そして、一人呟いた。
「……おのれ、見とれよ……難波に都建てたるからな!」
◇◇◇
対馬の波が船を上下に大きく揺らした。
ナカツヒコの片足が浮き上がる。船べりを掴む両の手に力を込め、もう片方の足を踏ん張った。
阿蘇の大巫女のひとことで、夢に一歩近づきつつある。
誰も信じなかった、途方もない夢に――。
(あと一息……あと一息なんだ!)
ナカツヒコは浮き上がったほうの足で船底を強く踏みしめた。
お読みくださりありがとうございました。
何が本当で何がウソなのか?倭国は誰の意図で動いているのか……(ひねりすぎて)よく分からなくなって参りました。
次回「第63話 二つの伊勢」
弥生時代末期にも関ヶ原の戦いが勃発……ありそうでなかった話を作りました。
(木曜20時ごろ更新予定です)




