第61話 砂の国の預かり主
戦は終わり、倭国は新たな時代を迎えようとしていた。
砂の国に一人の少女が立ち――その宣言は、争いの絶えた地に「返す王」の風を吹き込む。
だが、台与はふたたび戦いに巻き込まれてゆくのだった。
正始四年正月――
阿蘇の社に、大巫女の側用人の足音が高く響いた。
「大巫女様、申し上げます!」
側用人は部屋の入口に跪くと、深々と頭を下げた。その声は明るかった。
ほどなく、大巫女が応じた。
「いかがいたした?」
「先ほど香取より使者が参りました。大巫女様、ご戦勝とのこと!」
「おお、祝着じゃ……」
臨席していた台与とルナは小さく手を叩いた。
向かいに座っていたナギサヒコとミズハは、黙したまま側用人を見つめている。
阿蘇の大巫女は、続けて尋ねた。
「大巫女は帰還したか?」
側用人は一瞬、言葉に詰まったが、快活に答えた。
「いえ、現地は雪深く、大巫女様は雪解けを待ってご帰陣なさるとのこと。
使者は香取の弥馬升殿からでございまする」
「……そうか。大儀であった」
大巫女がそう言うと、側用人は一礼したのち下がった。
「こほっ、こほっ……」
大巫女は拳を口にあて、小さく咳をした。
台与は、大巫女の方に顔を向けた。
大巫女はじっとしたまま、うつむいている。
その右脇に控えていたミズハが大巫女に歩み寄った。
「大巫女様……大丈夫でございますか?」
すると、大巫女はうつむきながら笑った。
「ふむっ……ミズハや、上掛けを持ってきておくれ」
大巫女は、すでに上掛けを一枚、羽織っていた。
ミズハはしばらく黙って大巫女を見つめていたが、やがて静かに立ち上がると社の奥へと消えた。
大巫女は、台与の顔を見てにっこりと笑った。
「ともあれ、そなたも無事で何よりじゃった。役目、大儀……」
台与も、その隣にいたルナも、にっこりと笑い返した。
ナギサヒコは、大巫女の左脇に控えながら、尚も黙したまま三人の様子を見つめていた。
台与を見ていると、いつも思い出すことがあった。
◇◇◇
それは、十年前のこと――
阿蘇の大巫女は、大きな籠を携えて戻ってきた。
その中では赤ん坊が静かに寝ていた。
社の入口で出迎えに立っていたナギサヒコは、思わず目を丸くして尋ねた。
「大巫女様! その子は……一体?!」
「我の子じゃ。天から授かった」
大巫女のその言葉に、ナギサヒコは唖然とした。
(まさか……大巫女様に子が出来るはずはない……一体誰の……?)
◇◇◇
ナギサヒコのこの疑問は、未だに解けていない。
ゆえに、ナギサヒコは台与を見ると、いつも釈然としない心地を覚え、自分でも知らぬうちに顔が強張った。
この時もそうだった。
「……して、台与殿。砂の国では、姫命が立ったそうじゃな?」
「あっ……そうでした。まずはご報告を、申し上げねばならぬところを……」
台与は慌てて、事の次第を話し始めた。
「私が伊勢に着いてしばらくした頃、来ぬ国の彦尊より使いの者が参りまして……」
◇◇◇
正始ニ年十月――
その使者――余の国の彦尊・ムラオサは、伊勢の大巫女との間を隔てた御簾の前に平伏した。
「……砂の国の新たな王をご承認いただきたく、まかり越しました次第……」
伊勢の大巫女は、ふうっと一息つくと、尋ねた。
「そは、どのような者じゃ?」
「先王の后・蘆名の姪にあたり、名を『美蘆』と申す者にござりまする。
来ぬ国の彦尊も『これ他なし』と強くご推挙あるご様子にて、何卒……」
大巫女は静かに頷き、左方のイセエビをちらりと見た。
イセエビは黙したまま頷き返した。
「申し分なし。新王就位の式には、こちらからはクジャクと大巫女様の代理として巫女の台与を臨席させる」
そう言うと伊勢の大巫女は、にっこりと笑みを浮かべながら台与を見つめた。
その目は同意を求めているように、台与には見えた。
台与は静かに頷いた。
◇◇◇
台与はそこで一旦、話を止めた。
ミズハが奥から取り出してきた上掛けを、大巫女の肩に掛けた。
大巫女は軽くミズハを振り返って頷いた。それから、ゆっくりと台与に視線を戻した。
「伊勢の大巫女め……誰でもこき使いおって……」
「……そのような次第で、クジャク殿とルナお姉様とともに、砂の国に行って参りました」
台与がそう話す間に、ミズハは元いた座に戻ってゆく。
大巫女は、ずずずっと茶をすすった。
「その様子も聞きたい」
そう言われて、台与はさらに続けた。
◇◇◇
台与は傍らから、その少女を見つめていた。
真新しくなった砂の国の宮殿前には、兵士や民衆が集っていた。
その少女は、一人で進み出た。
腕には傷跡が残り、日に焼けた手は民と同じ色をしていた。
だが、目だけは蘆名にそっくりで、澄んだ琥珀の光を宿していた。
傍系ながら旧王家・最後の人物――砂の姫尊・美蘆である。
美蘆は、両手を広げて言った。
「……国は、男のものでも女のものでもありません。ここに住む者、皆のものです」
この一言に、一同沈黙した。
宮殿の中央に、薄く盛られた白砂の壇があった。
新王は、ゆっくりと歩んで、その前で膝をつくと、砂を両手で掬い上げた。
「砂の一粒まで国の者と分かち合う、と誓う。
この砂は、我のものではなく……ここに在るすべての者のもの。
我は、この国の『預かり主』となる。
血で奪わず、力で縛らず、和の道を、民に返します」
その言葉に、民衆はどよめいた。
男たちは戸惑い、女たちは涙ぐんでいた。
「……蘆名様……」
「怒鳴らぬ王が……本当に王となるのか?」
「よい……この方こそ、我ら民の王じゃ」
そして最前列の老婆が言う。
「あのお方は……『奪う王』ではない。『返す王』じゃ。
わしらは、もう戦いとうないわ……」
この一言に、場は静まり返った。
その時――
来ぬ国の王・クニトラが砂の姫尊の隣に進み出た。
そして、民衆に向かい、拳を高く掲げた。
「我は、この新しき王を――守る。
武は乱れを正すのみ……決して、国を奪わぬ」
砂の国の民たちが、一斉に手を叩いた。
続いて、台与も砂の姫尊の隣に進み出た。
「和は、力で作るものではなく、互いを認め合うことで生まれます。
わたしたち――ヤマト連合は、砂の国と姫尊の隣に立ちます」
ふたたび、拍手が沸き起こった。
中でも、クジャクの手を叩く音が高く響いていた。
◇◇◇
阿蘇の大巫女は茶碗を口に当てながら何事か呟いていた。
そこで、また、台与は話を止めた。
しばらくの間、沈黙が漂った。
大巫女は茶碗を傍らに置くと、また小さく呟いた。
「砂の姫尊はよき者のようじゃの。これで瀬戸内はしばらく安泰じゃろう……」
台与は目線を下げた。
「……そうだと良いのですが……」
「……なに?」大巫女が不思議そうに尋ねた。
「砂の国の兵には、不満を持つ者もおるようです。『女が剣の上に立つなど……』と」
大巫女はふぅっと息をついた。
「まだ残り火はあるか……クニトラの様子はいかがであった?」
「クニトラ王は、寡黙な方でございました」
「なにか言うておらなんだか?」
「いいえ、特には……」
台与はそう答えると、ルナは少し腰を浮かせた。
「でも、嫌味も言っておりましたよ……?」
「……そうでしたっけ?」
台与は後ろを振り返って、ルナと目を合わせた。
◇◇◇
儀式の後、砂の姫尊を囲んで宴が催された――
クニトラは杯を掲げて立ち上がると、一同を見渡した。
「皆の者。姫命の前途に――乾杯!」
呟くようにそう言うと、注がれた酒をあおった。
「乾杯!」
列席者一同もクニトラに続いた。台与も杯に口をつける。
「けほっ、けほっ!」
初めて嗅ぐ強烈な香りが鼻を抜け、痺れるような熱さが口いっぱいに広がる。
思わずむせた。
◇◇◇
台与は血の気が引いてゆくのを感じた。ルナを見つめる目がワナワナと震える。
大巫女は腰を浮かせた。
「――飲んだのか?!」
「いいえ!口をつけただけです……」
台与が振り返ってそう答えると、大巫女はゆっくりと座り直した。
「ダメだよ……大人になってからじゃないと」
その言葉に、ナギサヒコは黙したまま顔を上げ、ゆっくりと目を閉じた。
台与は思わず目を伏せた。頬が熱くなってゆくのを感じる。
しかし、ルナは構わず続けた。
「大巫女様の代理のお役目と聞いて、頑張ってしまったのです」
◇◇◇
その時、クニトラはむせる台与を見下ろしながら、僅かに口角を上げた。
「……お子様は無理をせずとも良いぞ」
その言葉に、台与は顔を上げ、クニトラをキッと睨んだ。
「本日は大巫女様の代理として参りました。お子様ではござりませぬ」
クニトラはふっと鼻を鳴らすと、隣にいた従者に声を掛けた。
「大巫女様の代理殿に『お水』を差し上げよ」
台与は、すぐに声を掛けられた従者を見つめると、にっこりと微笑んだ。
「無用です。お気遣いなく……」
そして、ルナの静止を気にもとめず、杯の酒をくいっとあおった。
◇◇◇
阿蘇の大巫女は目を丸くしたまま、じっとルナを見つめていた。
「――それで?」
ルナは床に両手をつくと、目を伏せて答えた。
「クニトラ王はすっかりご機嫌になられ、大きな声でこうおっしゃいました。
『我の負けじゃな……完敗じゃ!』と……」
ルナがはにかみながら顔を上げると、じっと見つめていた大巫女の顔はやや上気していた。
ナギサヒコは右肘を膝につけ、その先の握った拳を見つめている。
台与は両手をつき、顔を伏したまま言った。
「及ばずながら、ここで負けてはならじと思い……」
「その後、いかがした?」大巫女が短く問うた。
「記憶にございません」
「さもあろう、さもあろう」
そう言って、大巫女は小刻みに頷いた。
直後、ルナは併せた両手を自らの左の頬に当て、にっこりと笑った。
「戦を終えた小さな戦士は私の膝でお休みに……その寝顔が本当に可愛らしく……」
――ゴン!
その時、ナギサヒコの右の拳が床板を突いて大きな音を立てた。
「酒席で寝てはならぬのだ……」
その隣のミズハが目を細くして呟いた。
「そうよ……恥ずかしいわ……」
台与は両の手を床に着いたまま、さらに深く頭を下げた。
「――申し訳ございませぬ!」
しばらくの間、大巫女の唸る声が、その静かな部屋に響いた。
「……じゃが、クニトラの人となりの一端は見えた」
大巫女は鋭く光らせたその眼光を、ナギサヒコに向けた。
ナギサヒコは両の拳を床に着くと、「はっ」と短く応じた。
時折吹き付けていた冷たい風が、今度は音を立てて阿蘇の社を揺すった。
それは何か前触れのように、台与には思えた。
お読みくださりありがとうございました。
台与様vsクニトラ王、初の直接対決はまさかのKO勝ち……ドローでしょうか?
次回「第62話 卑弥呼様の思いつき」
古代の九州人から見て大和はどう見えただろう?と想像して書きます。
(月曜20時ごろ更新予定です)
2026.04.26追記:誤字脱字を修正しました
・葦名→蘆名
大変失礼いたしました。




