第63話 二つの伊勢
都建設計画は人々には無関係なところで進んでいた。
ルナの口から語られたのは都反対運動――。
その最後には、大巫女も知らなかった真実が語られる。
その頃、河内の川べりでは――
「みやこ?ワイらには関係ないで……たぶんな」
河内の棟梁は堤に寝転び、その横で噂話をしていた者に、そう声をかけた。
堤の下には、先ほど川から引き上げたばかりの大岩が転がっていた。それを数人がかりで持ち上げたのち、河内の棟梁は土手にごろんと寝そべった。
綱を手にした者、土手に横たえ丸太を登ってくる者……大勢が堤の上に集まっていた。この近辺は去年も大水に襲われたのだ。
「でもな、棟梁……」
村人の一人が返そうとした、その時だった――
「――関係あるで!」
川の中程から、大きな声が響いた。
河内の棟梁が体を起こすと、小舟が一艘、下ってくる。
その上には、藁で編んだ笠をかぶった船頭が立っていた。
手にした竿で川底をつきながら、こちらに近づいてきた。
「渡しの頭ぁ!」
河内の棟梁は大声で呼びかけた。
だが、渡しの頭は黙したまま、ゆっくりとした動作で船を進めてくる。
船は川波に乗って速さを増し、やがて河内の棟梁の目の前を通り過ぎていった。
「なんや、なんも言わんのかい?!理由を言え!」
「知らんけどな〜!」
二人の声は川風に流れて消える。船はそのまま足早に去っていった。
河内の棟梁は、ゆっくりと立ち上がった。
「アホくさ……仕事しよ。あとなんぼ?」
遠くから、村人の声が響く。
「あと十個ほどですわ!」
「……もう少し休もうか……」
河内の棟梁は、再び土手に手をついた。
※
同じ頃、阿蘇の社では――
台与は、押し黙る二人を交互に見つめていた。
大巫女は黙したまま、手にした湯呑の中をじっと見つめている。
ナギサヒコも視線を落としたまま、しばらく何も言わなかった。
沈黙を破ったのはミズハだった。
「都のことでは異論を唱える者も多い、と聞き及びます。
それで伊勢の大巫女様も御苦労なさっているとか……ね、ルナ?」
ルナがはっと顔を上げ、ミズハを見つめた。
大巫女は尋ねた。
「そうなのか?」
「え……ええ、はい。砂の国から伊勢に戻りましてから、大巫女様に伴われ、関ヶ原に行ってまいりました」
「関ヶ原……?」
「はい……」
ルナと同時に、台与も頭を垂れた。
(きっと、戻りが遅くなったことを怒られるのだろう)
再び両手を着いて、大巫女の次の言葉を待った。
だが、大巫女は静かに言った。
「……その話も聞きたい」
「はい。それでは、申し上げます……」
ルナがそう大巫女に応じた。
台与は床においた手を膝の上に置き直した。
だが、徐々に肩に力が入ってゆき、肘が伸びてくる。
(……また余計なことを言い出さないかしら……?)
台与の不安をよそに、ルナの話しぶりは始めは落ち着いていた。
◇◇◇
正始二年十二月頃のこと――
伊勢の大巫女は籠から下りると、口を両手で覆いながら声を上げた。
「あわわわわ……なにこれ?!」
伊勢を発つ時とはうって代わり、辺りは一面の銀世界だった。
雪が深く積もり、さらに降り続く中だった。
伊勢の従者・クジャクは手のひらを差して、大巫女を導いた。
「ささ、お早く。あれなる館を手配いたしましたゆえ。台与殿も、ルナ殿も、ささ……」
ルナは台与とともに、社へ急ぐ大巫女の後を追った。
小屋の囲炉裏には、すでに火が焚べられていた。
大巫女はさっそく囲炉裏に手をかざすと、震えながら呟いた。
「ああ、まったく……こんなところで何やってるのかしら?あの人たち……」
大巫女が言う『あの人たち』は、東西に分かれ、今まさに関ヶ原を挟んで対峙していた。
その翌日、台与とルナは彼らの元へ、それぞれ使者として赴くこととなった。
◇◇◇
「……ん?……んん?」
阿蘇の大巫女はルナの話を聞きながら、首をひねった。
だが、やがて手にした湯呑を口を近づけながら静かに言った。
「続けよ……」
◇◇◇
ルナが、東軍の総大将・尾張の彦尊の元を訪れた時は、軍議の最中だった。
「大巫女様の仰ることに異を唱える輩は……けしからん!」
「お……おおー……」
諸将には、どこか元気がなかった。
そのうちの一人がおもむろに声を上げた。
「……なあ、もう止めんか? この寒さでは、戦にもなるまい」
だが、別の者が異を唱えた。
「かと言って、引けば奴らは、こちら側になだれ込んでくるかも知れんぞ……」
その言葉に、一同、腕を組んで唸った。
ルナは、案内の者に促されたのは、そんな状況の中だった。
◇◇◇
ルナは合わせた手を頬に当て、にっこりと笑った。
「東軍の方々は、西軍の方々を彼の地で食い止めようと集まっていたのでございます。
私が参りますと、皆様にこやかになられ、お餅と白湯を頂きました」
阿蘇の大巫女は黙したまま、ルナをじっと見つめていた。
「イヨの方は、どうだったのじゃ?」
台与は両手をついて一礼した。
「はい。私が参りました西軍では……」
◇◇◇
諸将が集まり、口々に大声を上げていた。
「イセエビの『みやこ』建設を断じて許してはならぬ!」
――そうだ!
「イセエビ……彼奴は、我らの国と民を奪おうとしておる!」
――ゆるすまじ!
「我らを臣下と見下しておる……イセエビを許すな!」
「大巫女様にお目通りして、我らの思いを訴えよう!」
一人が声を上げる度、人々も一斉に声を張り上げる。
寒空の中、威容な空気が漂っていた。
だが、誰の口からも伊勢の従者・イセエビを断罪する声ばかり。伊勢の大巫女への不満を口にする者はなく、その点は台与を安堵させた。
その奥には、西軍の総大将――明の国の彦尊が、床几に腰掛けたまま、一人薄笑いを浮かべていた。
台与は直感した。
(この騒ぎをけしかけたのは、この人だ……)
台与が見つめる先では、明の国の従者たちが主人の下に歩み寄り、傍らに膝をついた。
彼らの目は、明らかに不安に満ちているように見える。
「彦尊……宜しいのですか? こんなことになって……」
明の彦尊は、自分を見上げる従者たちを横目で見下ろすと、にやりと笑った。
「案ずるな、神が言ったのだ。『私に従え』とな……!」
◇◇◇
「………………?」
阿蘇の大巫女は相変わらず、怪訝そうな表情を浮かべ、台与の目を見つめている。
ナギサヒコも、その傍らで首をひねっていた。
何かおかしなことを言ってるのだろうか?台与はだんだん不安になった。
「……それから?」
大巫女にそう促され、台与は考えるのを一旦止め、話を続けた。
「……ですが、明の彦尊の元に通されますと、『場所を変えてお話しましょう』と申されまして……」
◇◇◇
天幕の中へ入ると、明の彦尊はあっけらかんとして言った。
「台与様でしたな。いやあ、先の戦ではお見事なお手並み……感服いたしておりました!」
「いえ、私はなにも。それで……此度、戦をお構えなのは何故でしょうか?」
「いやあ!戦などと……とんでもない!」
台与は訝んだ。
「ですが、皆様、武器を手にして奮い立っていらっしゃいます」
明の彦尊は、手のひらをかざしながら背を反らした。
「いやあ、はっはっは。人は寄り集まると頭に血が上るもの……」
台与は目を細め、明の彦尊をじっと見つめた。
それに気づいた明の彦尊は身を乗り出すと、小さく囁いた。
「ご安心なされませ……。万が一、戦となりますれば、我は真っ先に彼の者らの前に立ちふさがり、大巫女様の盾となりまする」
台与も顔を近づけて囁いた。
「それなら、さっさと国元にお帰りになられれば宜しいのでは……?」
明の彦尊は目を丸めた。
次の瞬間、さっと両手を高く掲げた。それを勢いよく地に叩きつけ、平伏した。
「ははーっ。仰せのとおりに……!」
まるで、台与の一言を待っていたかのようだった。
明の彦尊は、その晩のうちに従者ともども陣からいなくなってしまった。
◇◇◇
「その翌日、淡海の彦尊と仰る方が、大巫女様のもとに参られまして……」
「淡海の彦尊が……?」
台与は、大巫女の顔を見上げた。
阿蘇の大巫女の眉間には、ますます深く皺が寄っていた。
「イヨや、彼の地へは伊勢から行ったのよな?」
「はい」
「………………?」
大巫女はそのまましばらく沈黙していた。
「……続きを」
「はい」
(見た通りを話しているはずなのに……)台与はだんだん不安になった。
だが、気を取り直し、さらに続けた。
◇◇◇
その翌日、西軍の族長たちが伊勢の大巫女がいる館の広間に集まった。
始めは恐縮していた各地の族長たちは、大巫女が和やかに促すと徐々に口を開いた。
そして、最後には声高に自分の思いの丈を述べるようになった。
大巫女は、それを黙って聞いていた。
そして、彼らの意見や苦情を一通り聞き終わると、大巫女はよく通る声で静かに言った。
「皆の存念は聞きました。
都のことは、先のヤマトにて阿蘇の大巫女様に下された神託……ですので、進めなければなりませぬ。
ですが、イセエビのやり方には少し強引なところがあったと思います。
イセエビにはよく言い聞かせ、今一度検討させます。その結果を皆様にも諮るべく、後日、ヤマトの開催を呼びかけるつもりです。この件もその場で議題に上げましょう。
……ご異存は、ありますか?」
その間にいた一同が、一斉に平伏した。
「ははーっ。異存ございませぬ」
大巫女は一つ頷いたのち、ゆっくりと立ち上がった。
「では。日取りは追って伝えます。皆、ご苦労さまでした」
その時だった。言い終わるや否や、声を上げた者がいた。
「姫尊!今ひとつ、お伺いの儀がございます!」
大巫女は、また静かに座り直した。
「あら、淡海の彦尊……なんでしょう?」
淡海の彦尊が顔を上げる。その眼は御簾ごしからも鋭く光って見えた。
「姫尊は、『こちらの伊勢』には、いつ頃お戻りになられましょうや?」
「――ぎくっ」
伊勢の大巫女は背をそらし、顎を引いたまま、淡海の彦尊をじっと見つめた。
「今のところ我がまとめておりますが、姫尊がいつまでもご不在ですと、皆不安となり、此度のようなことが起こりまする」
大巫女は引きつった笑みを浮かべた。その額には汗が滲んでいた。
「え、ええ……東国が落ち着きましたら、必ず……」
「――お早いお戻りを!」
「あ、はい……」
「お待ち申し上げまする」
そう言うと、淡海の彦尊はゆっくり、深々と頭を下げた。
◇◇◇
「――ぶっ! げほっ、げほっ!」
阿蘇の大巫女は、湯呑に口をつけようとしていたが、突然吹き出し、二度三度と咳き込んだ。
台与は思わず腰を浮かせた。
脇に座っていたミズハは、懐から布を取り出すと、台与の前にそれを投げた。
そして、自分はさっと立ち上がり、大巫女のもとに駆け寄った。
「大巫女様……大丈夫でございますか?」
「げふん、げふん……うう……はあ、はあ……」
大巫女は胸に手を当てて、尚も咳き込んでいた。
台与は、床に散らばった白湯を拭きながら、阿蘇の大巫女の様子を見つめた。
ミズハに背中をさすられながら、大巫女が尋ねた。
「伊勢の大巫女は……伊勢におらぬのか?」
「……その後は、伊勢にお戻りになられました」
「『こちらの伊勢』とは何のことじゃ? 大巫女が戻った伊勢とはどこのことなのじゃ?」
「伊勢です……え?……え?」
阿蘇の大巫女は、覗き込むようにしてナギサヒコを見た。
ナギサヒコも目を丸くしたまま固まっていたが、やがて両手をつき、応じた。
「我にも分かりかねまする。思い返せば、伊勢にはしばらく参っておりませぬし……。
伊勢の大巫女様には、先のヤマトでお目にかかりましたが、特に変わった様子もなく……。
イセエビやクジャクからも頻繁に使者が参りますので、てっきり伊勢から来ているものと……」
大巫女は自分の胸を抑えながら、尚も唸っていた。
大巫女の背をさすりながら、ミズハがそっと声を掛けた。
「大巫女様、少しお休みになられては……?」
「……ああ……そうしよう……」
そう言うと、大巫女はミズハの肩に手を回した。そして、立ち上がりながら台与に告げた。
「イヨや。大儀じゃが……年が明けたら、またすぐ伊勢に行っておくれ」
「はい」
台与は手をついて深々と頭を下げた。
大巫女は、やがてミズハに支えられながら部屋を後にした。
台与は何かとんでもないことを言ってしまったようだ。
すっかり動揺してしまっていた。大巫女の異変に気づかなかった。
ルナは頬に指を当てながらぽつりと呟いた。
「でも……年は明けたばかり……『年明け』っていつのことなのでしょう?」
その言葉は台与の耳にも届いた。
そして、台与の背筋を凍らせたのだった。
お読みくださりありがとうございました。
不破の関(関ヶ原)は現在も日本を東西に別ける心理的な境界線……と言われることがありますが、当時はどうだったのかな?と思いながら書きました。
こんな感じでしょうか。たぶん違うでしょうね。
次回「第64話 ヤマトの遠雷」
大巫女様のお言葉は、ただの言い間違えでしょうか?それとも……?
(月曜20時ごろ更新予定です)




