第118話 呉軍襲来〜その前に
来ぬ国に、使者を乗せた呉軍艦隊が襲来!
しかし、激しい横波に揺さぶられた使者たちは、上陸するや否や満身創痍の体たらく。
大王クニトラと霧島の大巫女ヒムカは、圧倒的な国力差を前にしても悠然と構え――。
ところ変わって、来ぬ国では――
呉からの使者を乗せた艦隊が、指宿の津に現れた。
来ぬ国の王・クニトラは港にほど近い岬から、その船団を遠目に見据えていた。
その傍らで、霧島の大巫女・ヒムカは声を震わせた。
「ずいぶんと大きな船ですね……」
「うむ、我らの大殿ほどある。だが……見よ」
そう言って、クニトラは楼船をまっすぐに指差した。
楼船は横波を受ける度に、大きく傾いた。
その後は、まるで地に立てた瓜のように左右に揺れ、しばらくするとまた横波を受けた。
「あの様子では、中にいる者は難儀であろう……」
そう呟くと、クニトラはサッと腕を下ろした。
※
同じ頃、その楼船の船内では――
「うおおおおっ!」
呉の使者・諸葛径は滑り落ちまいと、船内の床に爪を立てていた。
同じく衛涼は体ごと飛ばされ、船縁の壁に強く打ちつけられた。
「ぐはっ!」
何しろ傾きが大きい。
船底が、まるで壁のようだ。
誰も立っていることができなかった。
同乗する兵士たちも、船縁に背を当て、床に足を立てて踏ん張っていた。
だが、船が傾く度に、数名の者は向かい側へと転がった。
櫓の上には、もう誰一人としていない。
柱にしがみつき、ぶら下がっている者ならば、数名いた。
「……これぞ、まさに命がけの航海……」
「これでは、我が父上らもご苦労の多かったことであろう……うおおっ!」
二人の使者は、這いつくばりながら唸った。
その時、帆柱の上から、大声が響いた。
「――ご使者殿、倭国船です! 船団が海峡を塞ぐように並んでおります!」
だが、諸葛径も衛涼も、船が揺れる間は返すことができなかった。
胸の内で唸るのが精一杯で、声が出ない。
(……とにかく波の無いところまで行くのじゃ……)
ようやく港に辿り着き、出迎えを受けた際、クニトラの言葉が身に沁みた。
「遠路はるばる、ようこそお越しくだされた。
このような川船での航海、さぞお疲れであろう。
宿を用意してあるゆえ、まずはごゆるりとなされよ」
二人は拱手すると、その言葉に甘えるべく、深々と頭を下げた。
※
その翌日――
衛涼は布団を剥がすと、自らの肩を押さえた。
「いたた……鎧を着ておらねば、船中で死んでおったな……」
ただ、痛むのは肩だけではなかった。腰も足も腕もだ。
頭もまだ、ぼうっとする。
体中の血が淀んでいるようで、とにかくだるい。
だが、今日は倭国大王と面会せねばならない。
いくら待っても、なかなか諸葛径の返事がない。
隣を見ると、まだ口を開けたまま寝ていた。
衛涼は、肩を揺すった。
「おい、死んだのか?……起きろ」
「ううっ……ううん……スピスピスピ……」
「……この役目の結果次第では、本土復帰が叶うと申すに……。
これでは先が(思いやられるのう)……」
衛涼はそう呟くと、肩を落とした。
(……いや、すでにもう、勝負あったか……)
上目遣いに宿舎の庭先を見据えた。
思い浮かべるのは、昨日の、大王・クニトラの余裕に満ちた薄い笑みだった。
と、そこに――
呉の言葉を流暢に話す者が現れて、館の縁に平伏した。
「ご使者殿、お目覚めでございますか?
大王はすでにお越しになり、広間でお待ちにござりまする」
衛涼は、はっとした。
「……そなたは、どこの者じゃ?」
すると、その者は額に汗を浮かべた。
「……名乗るほどの者ではございませぬ。この度は、通訳を務めさせていただきます。
何卒、よろしくお願い申し上げます」
衛涼は釈然としなかった。
だが、黙して頷いた。
※
広間でも――
クニトラは、悠然と構えていた。
すぐ隣には、霧島の大巫女・ヒムカが膝を折っている。
使者を横から見るように並んだ家臣たちは皆一様に、不機嫌そうな表情を浮かべていた。
諸葛径は、なるべく彼らとは目を合わさぬように、クニトラだけに目を向けた。
片手で庭先を差しながら言った。
「あれなるは、天子からの志……呉の駿馬にござりまする」
クニトラは黙して一つ頷いた後、庭先に並んだ馬を見つめ、呟いた。
「……ほう。あれなるが、蜀の馬にござるか……」
そう言うと、ゆっくりと立ち上がった。庭先に歩を進める。
それを遮るように、衛涼は声を張った。
「いえ、大王! 『呉の』駿馬にござる」
すると、クニトラは立ち止まり、衛涼を見下ろしながら、薄く笑んだ。
「ふふふ……呉の産の馬などおるまい?」
そして、再び馬の傍らへと歩を進めた。
諸葛径も衛涼も、呆然としてその背を見つめた。
庭に降りたクニトラは、五頭並んだ馬の一頭の鼻を撫でると、その後は馬の背後に回った。
馬の尻ばかり眺めた。
「ご使者殿、これなるは牝馬か?」
「……いえ……騸馬にござりまする……気性が大人しくなり、乗りやすくなりまする」
すると、クニトラは眉を下げて唸った。
「……牝馬が良かったのう……」
使者の二人は顔を見合わせて、囁き合った。
「おい、蛮族の長かと思えば……」
「……なかなかの博識じゃ。手強き相手ぞ……」
「……如何にする?」
「……仕方ない。最低限の役目を果たして帰ろう……」
その会話が通訳されることはなかった。
だが、クニトラは冷たい笑みを浮かべ、短く息を吐いた。
最低限の役割、それは二つある――
そのうちの一つを、諸葛径は切り出した。
「天子は、貴国との友好を求めておりまする」
すると、上座に戻ったクニトラは、静かに笑って頷いた。
「貴国のような大国と縁を通じることは、我が国にとっても良いこと……お志はありがたく存ずる」
(――やった!)
(……なんと?!)
その言葉に、二人の使者は目を丸めて、顔を上げた。
だが、次の瞬間、クニトラは首を傾げると、鋭い眼光を向けて言った。
「だが……実のところ、いかなる形で示してくださるのでござろう?
貴国と我らの間は遠く、さらに荒海を隔てておりますれば……」
その言葉に、二人の使者は沈黙した。
しばらくののち、衛涼は両手を広げ、二つ目の役割を切り出した。
「ご心配には及びませぬ。もし、貴国の錦江湾を使わせて頂けますならば、
我が呉国の水軍・一万が常駐し、大王をお助け申し上げまする」
すると、クニトラは即座に声を張った。
「――断る」
二人の使者は声を失った。
すると、クニトラは静かに続けた。
「貴国のために、じゃ……」
その言葉を、臣下の列からアラツヒコが継いだ。
「錦江湾とは、この先の内海にござるが、そこは『火の海』にござる。
我らとて、大船では乗り入れませぬ」
「……火の海……?」
衛涼が眉をひそめながら呟くと、さらに諸葛径が食いさがった。
「それはさぞ明媚な景色でしょうな。ならば、是非にも拝見いたしたく存ずる」
すると、アラツヒコがクニトラに顔を向けた。
クニトラは無言で頷くと、アラツヒコは再び、使者二人に顔を向けた。
「……ならば、小さい方の船、一隻のみになさってくだされ」
「蒙衝のみですか……」
諸葛径が呟くと、隣の衛涼は
「いや、楼船も入れなければ困る!……ではなかった、大船の高楼から眺めとうござる!」
と声を張った。
アラツヒコは眉をひそめると、唸るように返した。
「あのような大船で乗り入れて、火が着いたりでもしたら如何になさる?
悪いことは申さぬ。小船だけになされよ」
二人が首を傾げていると、アラツヒコは苦々しく言った。
「……されば、この先の海では、天から火の粉が降って参りまする。
ゆえに、乗らぬ間は、船を海に沈めておくか、大量の水をかけておく。
あのような大船は、それができぬゆえ、これより先には入るべからず、と……ううむ」
最後は唸ると、通訳の男に顔を向けた。
「蘇鵬殿……この者共にも分かるように、詳しく説明してくだされ」
すると、蘇鵬と呼ばれたその男は脂汗を垂らし、むしろ押し黙ってしまった。
諸葛径も衛涼も、この男とは面識がない。
少なくとも、二人ともがそう思っている。
故に、この男の不自然な態度が気になった。
二人揃って蘇鵬をじっと見つめていると、
クニトラは薄く笑い、低く告げた。
「我が国は辺境にて、貴国と言葉通じる者少なきが故、無理を申し付けたのだが、
やはり貴殿らとは話しづらいようでござるな……」
二人の使者は、揃ってクニトラに顔を向けた。
クニトラの言葉は続いた。
「これなる蘇鵬殿は我が国の客将にござるが、元を辿れば、貴国の将軍・諸葛直殿の麾下にて、この近くの島で遭難しておられたところを召し抱えたもの。
いろいろと、ご助力賜ってござる」
その言葉を、蘇鵬は通訳しなかった。
だが、床に両手をつけると、
「その節は、我らの力及ばず、申し訳ございませんでした。
両将軍には、大変お気の毒でございました……」
と言って、二人に深々と頭を下げた。
※
「まぁ、ものは試しじゃ。蒙衝二隻までなら入っても良い」
とクニトラが言うので、諸葛径らはその通りにした。
その晩、一行は霧島の邑に移って、宴を催していた。
だが、その途中、兵の一人が駆け込んできて叫んだ。
「ご使者殿! 船が燃えております!」
「なんと?! 水をかけておけと申したであろう?!」
「それが……積荷の硫黄煙硝に引火し、もはや手がつけられぬ状態に……」
それからは、宴どころではなかった。
幸い、人には被害が無かった。
だが、倭人も呉兵も共同で消火にあたり、慌ただしい夜となった。
燃え上がる二隻を眺めながら、諸葛径と衛涼は囁き合った。
「衛涼殿……これは帝にご報告するべきなのだろうな……?」
「そうだろうが……お怒りのあまり、我らは首を刎ねられるだろう……」
「……本土復帰は、夢のまた夢かぁ……」
「浄土になら往けるであろうな……」
「……そなた、いつの間に浮屠教になったのじゃ?」
「そりゃなるさ……」
そこに、クニトラの将の一人、ウネビヒコが蘇鵬を伴って歩み寄ってきた。
満面の笑みを湛えている。
「……こんな時に恐縮でござるが……焼けた船は薪として使わせて頂いてよいか?」
※
一方、霧島の宮では――
大巫女・ヒムカは、遠くに揺れる炎の灯りを眺めながら、おもむろに腹に手を添えると、深々と腰を折った。
「くくっ……ふふふ……」
くぐもった笑い声を上げた。
やがて体を起こすと、目を伏せた。
だが、口角は上がったままだった。
「失礼いたしました……お気の毒すぎて、つい……」
「……ふっ」
クニトラも短く笑った。
その後は何も言わなかったが、肩だけは上下に震えていた。
傍らに控えていたタギリヒコは、何ごとか尋ねようとした。
「しかし、彦尊……ぷっ……くくく……あははは……」
だが、それは言葉にならなかった。
隣に座っていたアラツヒコは、仏頂面を崩すことはなかった。
両手を床につけると、クニトラに尋ねた。
「じゃっどん、彦尊。これから伊都と戦っがた、あ奴らの力、得っせえよろしゅうございもしたろに?」
すると、クニトラは不敵に笑んだ。
「――よい。我は、我の手で、我らの国を守る」
その翌日――
呉の使者たちは、肩を落として帰っていった。
だがそれは、嵐の前触れでもあった。
お読みくださりありがとうございました。
呉書に『亶州(せんしゅう/たんしゅう)』という記述があります。
一説には『種子島』のことではないか、とも言われています。
種子島の北岸からは、もう大隅半島が肉眼で見えますので、
◯もし種子島まで来れたのなら、日本本土にも来ただろう
と思われます。だって、見えるのですから。
ところが、当時の日本列島は火山活動が活発で、
桜島以外にも、錦江湾のあちらこちらにある小さな火山島も噴火していたそうです。
着いたその日に船が燃えたかどうかは分かりませんが、いずれこうなった……
あるいは、
◯『木造船の艦隊を入れるのは無理』と気づいた
ことでしょう。
そんなこと、史書にはどこにも書いてないのですけれど……。
なぜ? 答えは明白です。「書くと不都合だったから」
どういうことかと申し上げますと……。
次回「第119話 呉軍襲来〜その本番」
難升米がもたらした知らせに緊迫する大和。
駆け引きの最中、「呉軍」が襲来する。だが、その正体は――?!
(木曜20時ごろ更新予定です)




