第115話 きしむ筑紫
大和の経済封鎖を強める伊都国。しかしその足元では、歪みが噴出し始めていた。
危機感を募らせる夏羽。しかし、ナギサヒコはなおも強気を崩さず、次なる策を巡らせる――。
大和と筑紫、両陣営の思惑が交錯する中、物語は新たな局面へと動き出す。
阿蘇の大巫女は、ミズハに肩を支えられながら、と言うより、体ごともたれていた。
足を滑らせながら、階段を一歩、また一歩。
ゆっくりと下る。
「……ナギサヒコは……」
そして、一歩足を下ろすごとに低く、小さく唸った。
「……一体……」
「……なにを……」
「……企んで……おるのじゃろう……」
こういう時の大巫女は、一見、気が確かなように見えた。
だが、ミズハは知っている。
黙したまま、苦しそうに顔を歪める大巫女に歩を合わせる。
そして、ようやく最下段に足を着いた時、無駄だと思いながらも静かに言った。
「大巫女様、ご安心ください。
ナギサヒコ王は、大巫女様のために、いろいろとお考えなのです」
「ん……?」
大巫女は短く尋ね返すと、丸くした目をミズハに向ける。
こちらをじっと見つめたまま、口だけはわずかに上下させる。
だが、言葉はなかった。
(……いつも、こうなんだ……)
ミズハはにっこりと笑むと、大巫女を促すようにそっと背を押した。
※
夏羽は意を決し、重い口を開いた。
「……ナギサヒコ王、申し上げたき儀がございます……」
「ん……なんじゃ?」
ナギサヒコが低く尋ね返した。
夏羽はうつむいたまま、少し考えた。
(……何から話そう……?)
このところ、各方面から詰め寄られ、話したいことは多々あった。
夏羽は、床に両手を着いた。
「大巫女様のことですが……」
◇◇◇
先日は――
数名の巫女たちが、夏羽の元に詰めかけた。
「最近、大巫女様のご様子がおかしいと思うのです」
夏羽は黙したまま、そう言った巫女を見据えた。
すると、別の巫女が次々と口を開いた。
「――阿蘇の祭祀が滞っております!」
「今年は、『巫女選びの儀』も行いませんでしたし……」
「先日、田植え前の祭祀のために訪れた邑の長老には、怒られました!
『なんで、大巫女様がいらっしゃらないんじゃー。我の邑は格下げになったか〜?!』って」
「一体、どうなっているのです?!」
「お体の具合がお悪いのでしたら、台与様を呼び戻されるか……」
「さもなければ、霧島の大巫女様をお招きするとか……」
※
ナギサヒコは座ったまま、鋭く声を上げた。
「――どっちも無い!」
「ははっ!」
夏羽は深く平伏した。
「……我は、神事には疎いゆえ、失礼を申し上げました……」
だが、ナギサヒコは顎をひねりながら唸った。
「じゃが、早めに対処したほうが良いかのう……その巫女たちに暇を取らせるか……」
その間、夏羽は動かずにいた。
すると、ナギサヒコは尋ねた。
「……他にもあるのか?」
夏羽の脳裏にまっ先に思い浮かんだのは、壱岐の彦殿の顔だった。
◇◇◇
その時――
壱岐の彦殿は言った。
「……筑紫の米が高くなったな……」
「……そうですか?」
「木箱一杯の貝柱と交換して、これだけにしかならぬ……」
夏羽が箱の中を覗いた。
「五升くらいですか……?」
「前はもっとになったのじゃ。市に来る者も減っておる。これでは、我らの暮らしは立ち行かぬよ……」
壱岐の彦殿は眉を下げてそう言った。
夏羽は黙したまま頷いた。
◇◇◇
ナギサヒコは、こともなげに言い捨てた。
「今は田植えを終えたばかりじゃ。米の値は、いずれ下がるであろう」
「……それならば、よいのですが……」
夏羽は平伏したまま、言葉を継いだ。
「先日は、伊都に常駐する魏の使節の者が参りまして……」
◇◇◇
魏の官吏は言った。
「このところ、倭国からの朱丹の量が減っておりまする。
決められた量は、出していただかなければ困ります」
ところが、宇佐の港へ行くと――
阿波から来る商人は、勝ち誇ったように大声を張った。
「いやぁ……それしきの米ではお譲りできませぬっ! 関税が高いのでっ!」
◇◇◇
「……それは、増産すればいい話か……」
夏羽が呟くと、ナギサヒコは眉をひそめた。
「……なんのことじゃ?」
「いえ、どうということでは……」
言葉を濁しながら、夏羽は他の気がかりを探した。
「先日、何も知らずに、穴門を通過しようとした大船を、港に誘導いたしましたところ……」
◇◇◇
その大船からは、数名の男たちが降りてきた。
それは、上物の衣をまとった集団だった。
そのうちの一人が進み出て、夏羽に拱手した。
「我らは、伽耶の国から参りました」
そして、ちらりと後方を振り返りながら言った。
「あれなるは、我が国の宰相・ツヌガアラシト王子にございまする。
私はその臣下で名は……」
云々と言っていたが、夏羽の視線は、後方に立つ王子に向いていた。
ひときわ鮮やかな赤い長衣が目を引き、気もそぞろであった。
目の前の男は、再びこちらに視線を戻し、
「王子は、倭国女王にお目に掛かるべく、お越しになられました。
何卒、お導きのほどを……」
と述べて、深々と頭を下げた。
夏羽は、眉をひそめた。
(今、阿蘇の大巫女様には会わせられぬ……。
かと言って、大和に行かせるわけにも行くまい……)
そこで、静かに告げた。
「奴津に回れ。伊都国王・ナギサヒコが応対する」
すると、男は即座に顔を上げた。
「……伊都国王ではない。女王様にお目にかかりたい……」
男の眉が片方だけ上がってゆく。
その表情に、つい腹が立った。
夏羽は声を張った。
「我が国の王は、伊都国王のみじゃ! 他に王はいない!」
その男は眉を下げ、背後を振り返った。
その視線の先では、王子らしき男が黙したまま、首を大きく横に振った。
その後、その使節団は船に戻り、穴門を去った。
◇◇◇
聞き終わると、ナギサヒコは肘を膝に置き、小さく息を吐いた。
「うむ。それでよい……ともすれば、半島にある我らの領域を攻めようとする輩じゃ」
「……はっ。ですが……」
夏羽が呟くと、ナギサヒコは気怠そうに尋ねた。
「なんじゃ……まだ、なにかあるのか?」
◇◇◇
その船が港を出ていった後――
夏羽が振り返った。
伴に連れていた兵が三名ほど、槍を手にしたまま直立し、皆、目を丸くしている。
「……どうした?」
夏羽が尋ねると、兵の一人が声を震わせた。
「伊都国王しか王がいない、とは……いかなることでございましょう?」
夏羽は少しの間、黙してその者を睨みつけた。
「――言葉のあやじゃ!」
だが、その晩――
夏羽が兵舎の脇を通りすがると、中から小声が響いてきた。
「……なにかおかしいと思うんじゃ……」
「うむ……我はこの間捕えた船には、兄が乗っておった……」
「我らは何ゆえ……身内の船を捕らえねばならぬのじゃろう?」
「……今度、誰かに聞いてみるか?」
「いや、止めておけ……軍令は絶対じゃ……」
夏羽は立ち止まり、そのひそひそ話に耳を傾けた。
その場を離れる時は、思わず忍び足になった。
◇◇◇
「……いえ、さしたることではございませぬ……」
夏羽はうつむいたまま、そう返した。
だが、すぐに別のことを思い出し、顔を上げた。
「……そういえば先日、宇土砦の都市牛利殿より伝令がございました。
来ぬ国の兵がちらほら現れますが、攻め寄せてくる気配がないそうにございます」
そう言うと、ナギサヒコは身を起こし、低く唸った。
「それも捨て置け。奴らは確かに精鋭じゃが、小勢じゃ。
大王軍が動かなければ、さして恐ろしくはない」
「はっ……」
夏羽が両手を床につけると、ナギサヒコは呟いた。
「だが……やはり、少し策を練ろうか。朱丹のことは気になるしな……」
やがて、こちらに顔を向けた。
「……そうじゃ。難升米はまだおるか?」
「いいえ。先日、出雲にお帰りになりました……」
「……では、仕方ない。使いを送れ。伊勢の大巫女と交渉させるのじゃ……」
そう言うとナギサヒコは、にやりと笑った。
※
その頃、淡海では――
台与は、馬に飛び乗った。
伊勢の大巫女に従い、越の国で羽越が見つけたという港を見に行くのである。
大巫女はすでに輿に乗り、四人の従者に支えられていた。
その傍らに立つ伊声耆は、顔色を変えず、ぼそりと呟いた。
「ほんに大巫女様は……じっとしていない御方じゃなぁ……」
「……なんか言った? 伊声耆」
羽越もすでに、馬にまたがっていた。
その足元では徒歩のルナが、訝しそうに羽越を見つめ、尋ねた。
「……またその子を連れていくの?」
「ええ、一人にしておけませんからね」
アベナンカは、羽越の胸に背を預けていた。
子犬も連れてゆくようだ。胸に抱えている。
羽越の言葉には黙してじっと振り返り、伺うようにその顔を見上げた。
「お待たせしました……」
と台与が言うと、大巫女はこちらを振り返った。
「……では、参りましょうか」
そうして一行が歩を進めようとした、その時だった――
「――おーい! 待ったぁ!」
背後から掖邪狗の声がした。
こちらに向かい、走ってくる。
「姫尊! お待ちを……!」
台与は馬首を返し、ゆっくり馬を進めた。
「……どうしましたか?」
「はあ……はあ……よかった。間に合った……」
掖邪狗は立ち止まり、膝を抱えた。
だが、すぐに背を張ると、まっすぐにこちらを見つめた。
「すぐ大和にお戻りください……あの渡来人が問題を起こしまして……」
「あの渡来人?」
「……浪馬から来たとか申していた、長い名前の、例の、あの……」
(……ルキウスかな?)
走ってきたせいだろうか。
掖邪狗からは、ついに名前は出てこなかった。
台与は振り返った。
伊勢の大巫女はすでに、こちらに顔を向けていた。
目が合うと、大巫女は目を細めた。
「……じゃ、台与ちゃんはお留守番ね」
こうして一行は、台与を一人残し、越の国に向かった。
台与は馬を降り、掖邪狗に尋ねた。
「どんな問題なのです?」
「彼の者は捕らえ、獄につないであります。……とにかく、お急ぎを……」
掖邪狗は息を吐きながら、言った。
お読みくださりありがとうございました。
『関門海峡封鎖』作戦に、様々な弊害が見えてまいりました。
かなり合理的な策かと思ってましたが、案外、悪手だったかも知れません。
古代の人たちにもツッコまれそうですね。「そんな所、閉鎖しても意味ないぞ」と。
ただ……。
日本での『首都(機能)移転論争』を見た者としましては、
もし、この当時、邪馬台国が東遷しようとしていたのなら、
ナギサヒコのような人の一人や二人は、いたのではないか?と思うわけです。
こうなる方が必然ではないだろうか?と。
国の中心地というのは、そう簡単には動かないようです。
当時、筑紫平野に人が住めなくなった理由でもあったのなら、別なのでしょうけれど……。
伊都国王・ナギサヒコに、大和への対抗策は……。
ちゃんと用意してありますので、ご安心ください!
次回「第116話 渟名川崩れ」
獄に繋がれたルキウスを救うため、急ぎ大和へと戻る台与。
しかし、騒乱は始まっていた。
台与が辿り着いた地は大和・渟名川――
(月曜20時ごろ更新予定です)




