第114話 全部、買います!
偶然、難波津を通りがかった伊声耆は驚愕した――「全部、買います!」
台与が放った驚天動地の一喝は、混迷する大和に新たな『風』を呼び寄せる――。
一方、伊都国のナギサヒコの高笑いが響いていた……。
霧が立ちこめる朝であった。
伊声耆が乗る船は、ガクンッと縦に揺れ、難波津に入った。
船底を掴んでいた手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
そして、辺りを見渡した。
右手にそびえたつ難波津の丘には、すでに多くの人影があった。
桟橋から邑へと向かう道筋にも列が出来ている。
まだ日が昇って間もない。
にもかかわらず、河内の海にも、大小の船が行き交っていた。
首を左右に振りながら、伊声耆は呟いた。
「……いつもと違うな。何かあったのだろうか?」
森ノ宮へと続く桟橋の前にも、船が列をなしている。
伊声耆は構わず船を進め、その脇を通り過ぎようとした。
すると――
「――おいっ、順番だぞ! 後ろに並べ!」
すぐ隣の船から怒声が飛ぶ。
伊声耆は短く唸った。
「……何をぉ……」
すぐさま大声を張る。
「こちらは公用だ! 急ぐので先に降りさせよっ!」
――何の用か知らねぇが、順番は順番だ!
――そうだ!津の決まりを守れ!
次々と怒号を浴びる。
だが、ぐうの音が出ない。
伊声耆は、ただただ唸った。
(……伊勢の津では、我が口を酸っぱくして言うておることを言いおって……)
挙句、森ノ宮の小船までもが寄ってきた。
「……順番を守ってください〜。列の後ろに……あ、伊声耆殿……」
「スエヒコ殿……」
声を掛けてきた、森ノ宮の長老の三男坊と、伊声耆は面識があった。
スエヒコは、ゆっくりと船を横付けしてくる。
伊声耆は正対し、尋ねた。
「どうしたのです? この騒ぎは……」
「ええ。おかげさまで、このところ大繁盛なんです」
スエヒコは曖昧なことを言い、にっこりと笑った。
唖然としながらも、伊声耆が詳しく聞くと――
◇◇◇
数日前の朝――
台与は、難波津の丘に小さな神棚を並べさせていた。
周囲を大勢の観衆に取り囲まれる中、目を閉じて座ったまま、微動だにしない。
やがて、一人の従者が膝を折り、台与に告げた。
「準備、整いました」
と同時に、銅鐸を吊るした木の棒を担ぐ二人組が現れた。
台与はカッと目を開くと、すっくと立ち上がった。
その先に布が巻いた、細い棒を手に取り、ゆっくりと歩を進める。
銅鐸はなおも持ち上げられたまま、神棚の傍らに止まった。
台与は、そこへ歩み寄ると、黙したまま棒を振り上げて――
――ボゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン……
銅鐸を打ち鳴らした。
低く、重い音が辺りに響き渡った。
その音に、近くにいた者はもちろん、河内の海で船を漕いだ者も顔を向けた。
「なんだ、なんだ?」
「……何が始まるんじゃ?」
人々がざわめく中、台与は神棚から榊の枝を一本取り上げた。
静かにそれを左右に振る。
だが、次の瞬間――
おもむろに振り返ると、榊の枝を素早く払い、叫んだ。
「大和の国が――買います!」
そのまま大きく両手を広げ、なおも大声を張り上げる。
「余った物、大陸に出せなくなった物……行き場のなくなった品、売れ残り、間違えて買ったもの! 渋い柿、酸っぱい果物、腐ったカツオも……全部、ぜ〜〜〜〜〜んぶ……」
そして、天を見上げて――
「――買います!」
ひときわ大きく叫んだ。
――おおっ……
その場の観衆はもちろん、道行く者、津を行く船上にいた者も皆、驚嘆の声を漏らす。
それとともに、人々は口々に呟き、囁き合った。
「なんと……大陸に渡らなくても、大和が買ってくれるのか……」
「とりあえず、ここに持ち込めば、米に変えられるとな……」
「大和……出来たばかりの国じゃろ?……そんな財がどこにあるんじゃ?」
「いや、どこかにあるのやも知れぬ……」
「……買い占めか?」
「不味いな。値を吊り上げて、我らに高く売りつけるつもりじゃ……」
その中で、森ノ宮の長老は腕組みをして見つめていた。
そして、小さく呟いた。
「……そういうことでしたか、台与様……」
その背後には、長男ハツヒコも立っていた。
「ここ難波津に、各地の産物を集めようと……これなら乗っても良いやも……」
その隣からスエヒコも呟く。
「……やっぱり血は争えないな……」
すると、長老は眉を吊り上げて振り返った。
「――似ても似つかぬっ!」
◇◇◇
スエヒコは、にっこりと笑った。
「……そんな事があってから、ここでは毎朝『競り』が行われるようになりまして……」
そこまで言った時――
――カラン・カラン・カラン!
森ノ宮の邑から、銅鐸の響きとともに歓声が上がった。
――競り落としたぞぉぉぉおおお!
――パチパチパチパチパチパチ……
伊声耆は丘を見上げながら、低く唸った。
「これは……大変だ。大巫女様がなんと仰るか……」
※
その頃。森ノ宮の館内では――
イサセリは、笑いながら膝を打ち鳴らした。
「此度のことが、一番の土産話になりそうです!」
久米は腕組みをしながら低く唸った。
「……これで、瀬戸内中のものが難波津に集まる。……考えましたね」
「瀬戸内だけではありません。東国のものだって……あるいは、筑紫のものも」
台与が、小さく笑んだ。
その台与に、紀玄人は尋ねた。
「でも……大和の蔵には、そんなに米があるのですか?」
「最初はだいぶ使いましたが、今は……」
台与が言い掛けると、森ノ宮の長老が割って入った。
「はっはっは……今は、商人同士の商いが多いですな!」
長老は笑いが止まらないようだ。
先ほどから、顔中をしわくちゃにしている。
「なにしろ難波津には、米が溜まってゆく一方です」
「……なぜ?」
紀玄人が尋ね返した。
◇◇◇
長老が言うには――
その日、ある商人が、長老のもとを訪ねてきて言った。
「我の米を、こちらで預かってもらえぬか?
どうせまた来るので、いちいち国元に運ぶのは面倒なのじゃ……」
長老は面食らったが、いつも通りに答えた。
「……倉庫に空きがあるので、どうぞ。書付けも出しましょう」
◇◇◇
「……という方が案外、多いのですよ。
米が運ばれてくることはあっても、出ていくことは滅多にありませぬ」
そう言うと、長老は「ふっふっふ……」と息を吐いた。
紀玄人は頷いた。
「ある程度集まったら、貸付もできますね……」
その隣から、水惟も相槌を打った。
「実際、米が欲しくて難波津まで来る者もいないだろうな。
食べる分は、隣の邑と取引すれば良いわけだから……」
その中で、ハツヒコだけは眉を下げていた。
「……津が混雑するようになりました。特に、船溜まりが全く足りない……」
「そんなの、適当な所に増やせばよかろう」
森ノ宮の長老は、吐き捨てるように返した。
ルナは、うつむいたまま呟いた。
「……大陸に出していた品々をどうなさるのです? 朱丹とか……。
我の国では使わないものばかりです。外に出せないことには……」
それには台与も黙したまま、苦笑いを浮かべた。
すると――
「――ご心配には及びませぬ」
その場にいた全員が、その声に顔を向けた。
そこには、静かな笑みを湛える武人が立っていた。
「……羽越の大将殿……」
台与が呟くと、羽越はその傍らに膝を折った。
「ただ今、戻りました……越の国に、良き港となりそうな地がございました」
「……まさか……それを探しに行っていたのですか?」
「はい……」
羽越は静かにそう答えると、深々と平伏した。
台与は頬を膨らませ、睨むように羽越を見据えた。
その時だった――
「――大和の姫尊! これは一体、いかなることですかっ?!」
そう叫びながら、伊声耆が館に駆け込んできた。
一瞬、その場は沈黙した。
台与がルナに顔を向け、しばらく二人は見つめ合った。
やがて、ルナは伊声耆に顔を向けた。
「えっと……もう一度、最初からお話しいたしましょうか?」
※
それから、淡海の彦尊の館へ赴くと――
一部始終を聞いた伊勢の大巫女は高く笑った。
「あははは……風は意外と、近くから吹いてきたわね」
伊声耆は目を丸め、震える声で尋ねた。
「これが……大巫女様のお待ちになっていた風……だったのですか?」
「これも、その一つ……」
大巫女は目を細めた。
その隣にいる淡海の彦尊は、唸った。
「……余呉の北に、そのような良港があったか……」
「はっ。二つ三つ、山を越える必要はございますが……」
羽越がそう応え、両手を床につくと、淡海の彦尊は頷いて、
「ならば港と共に、その山道も整えよう。さすれば、北の海と琵琶湖がつながる……」
そう言ってから、大巫女に鋭く横目を向けた。
大巫女は目を細めたまま、頷き返した。
そして、静かに立ち上がった。
館の縁に歩を進め、その手前で立ち止まる。
「これで、伊都と戦わずに、都造りも進められる……」
庭先を眺めながら、さらにぽつりと言った。
「……と、良いのだけれど……」
台与は黙したまま、大巫女のどことなく哀愁が漂うその背を見つめた。
最後の小さなひと言が、妙に気に掛かった。
※
その頃、伊都国・大殿では――
ナギサヒコもまた、高く笑った。
「はっははは! 穴門を通る船が減ったか!」
「はっ……彼奴らもようやく、通れぬと悟ったようです……」
夏羽が平伏したまま応えると、ナギサヒコは低く唸った。
「……これで伊勢の大巫女が音を上げるのも、時間の問題じゃ……」
「はっ!」
夏羽は短く返したが、隣に座っているミズハは黙したままだ。
すると――
ナギサヒコが急に静かになり、その場は沈黙に包まれた。
夏羽は体を起こし、王の視線の先に顔を向けた。
そこでは阿蘇の大巫女が、柱に手をかけて、もたれるように立っていた。
黙したまま、覗き込むようにして、こちらを見ている。
ミズハが呟いた。
「……大巫女様……」
そして、静かに立ち上がり、大巫女の元へ歩み寄る。
そっと大巫女の肩に手を添えると、少しの間、二人は見つめ合い、やがて連れ立って去っていった。
夏羽はその様子を、黙したまま見つめた。
ナギサヒコは、ぽつりと呟いた。
「大巫女様……今しばらくご辛抱くだされ。ヤマトの栄光を筑紫に取り戻します……」
夏羽はうつむき、心の中で呟いた。
(大巫女様はともかく、他の者たちは耐えられるだろうか?……王のお耳に入れたほうが良いだろうか、筑紫の現状を……)
お読みくださりありがとうございました。
難波・大阪が『商業都市』になった理由……なんて当たり前すぎて、今さら考えないと思います。
でも少し不思議なのは、単なる『港湾都市』ではなく『商業都市』になったことです。
この200年後、『難波津』には土砂が流れ込んだため、港としては機能しなくなります。
それ以降も摂津国は湿地だらけで、そのせいで小楠公・楠木正行は討ち取られたり、織田信長も苦戦するほど
周辺は必ずしも好立地でなかったにも関わらず、
難波には人が集まり、長らく日本一の商業都市であり続けます。
その理由はズバリ、「台与様が仕掛けた」から。
タイミングも絶妙ですね。みんなが困っている時にやったのが良かったのでしょう。
歴史を作るほど上手くいった国家政策には、多少なりとも『利他的』な面があったのではないかと。
それでいて、国家のためにもなっている、という絶妙な政治センス……。
こんなことができた歴史上の人物は、きっと、台与様しかいません。
こういう理由であれば……つまり「経済活動の中心地が難波津に移った」のであれば、
邪馬台国も東遷した理由にも納得というものです。
そのきっかけが、伊都のオウンゴールだったかどうかは別にしましても……。
でも、こういう格言もあります。
「シュートはゴールへのパス」
次回「第115話 きしむ筑紫」
経済封鎖の成功に沸く伊都国。しかしその裏では……。
一方、大和では新たな問題が……。
(木曜20時ごろ更新予定です)




