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第113話 月下の割譲

大和川の堤造りに励むなか、大和から戻ったルナが連れてきたのは備の国の王子イサセリ。

伊勢の大巫女による華麗な「接待攻勢」により、備の国を巡る情勢は大きく動き出します。

一方、日々働き詰めの台与は、月明かりの下、森ノ宮の長老へ「ある驚くべき願い」を切り出し――。


河内・大和川のほとりには――


人だかりが出来ていた。

毎年この時期には、川上から流れ下ってきた石を取り除く作業に追われる。

「田植えが始まるまでに……」と、どの邑も総出で意気込んでいたものだ。

だが、この年は様子が違った。


伊都から戻ってきた工兵・百人隊が常時、堤造りに当たっていた。

戦がない時にも、堤はもちろん、祭祀のため盛り土造りに駆り出されていた彼らは、手慣れたものであった。

その上、毎日それしかしない。

付近の民が数年かかるところを、この一ヶ月あまりでこなしていた。


台与も愛馬を連れて、その場にいた。


「……馬に岩を引かせてみたら、いかがでしょう?」


と言い出したのが、きっかけであった。

紀玄人(きのくろうど)は手放しで賛成してくれたが、久米は


「……今、倭国に十頭しかいない貴重な四本足を、ですね……」


と言い、苦い顔をした。

だから、お忍びでの参加である。


台与のすぐ近くには、河内の棟梁らの一党も集まり、工事の様子を見物していた。

河内の棟梁がぽつりと言った。


「……ええこと思いついたわ……」

「……なんや?」


渡しの頭は、工兵たちをじっと見つめながら尋ね返す。

棟梁は、頭に向けて言った。


「今までは、何もかんも、みんなでやってたからあかんかってん。

 これからは、ワテらも一人に一つ、仕事を分担したらどないやろか?」


「……分からんわ……それで、どないなるねん?」

「そいつはな、ずっと同じ仕事しかせえへんの」


「……なら、飯食う奴は、ずっと食っとるんか?」

「それ、仕事ちゃうやろ……」


すると、棟梁の奥さんの怒声が飛んだ。


「――アホ! 飯作るもんの身ぃになってみい!」

「あ、はい……」



台与は、そんな会話を他所に、馬に飛び乗った。

振り返り、工兵らに声を張る。


「……じゃ、引きますよー!」

「はーい」


台与は馬を煽った。

馬は足が進まず、しばらくの間もがいていた。

「ブルルルッ」と鼻を鳴らす。

すると、一歩、また一歩と進み始めた。


「おおっ! 動いとるやん!」

「……なんや、えらい軽々引きよるな……」


(……そうでもないんだけどな……)


台与は背後を振り返りながら、心の中で呟いた。

傍目にはそう見えるかも知れない。

だが、乗っていると、馬の息遣いがよく分かる。


やがて、大きな岩が土手を越えて姿を現した。

工兵の一人が手を上げて、声を張った。


「姫尊! もう大丈夫です!」


それに応え、軽く手を上げる。

そして、編笠の端をちょんと跳ね上げると、台与は小さく笑った。


その時、目の前を川舟が下ってきた。

数名が乗り合わせている。

そのうちの一人が立ち上がり、大きく手を振った。


「台与様〜!」


台与は呟いた。


「……ルナお姉様……」


大和から戻ってきたようだ。

目を凝らすと、一緒に行ったイサセリもいる。

舟に腰を下ろし、肘を張ったまま、こちらに向かって頭を下げた。


    ※


同じ頃、備の国では――


伊声耆(いせいぎ)が備の彦尊の館に立ち寄っていた。

出雲からの帰り道だ。

一部始終を話し終え、頭を垂れると、備の彦尊は腕組みをして唸った。


「……そうか……。難升米の交渉は、不調に終わったか……」

「今しばらく、時を掛けるほかござらぬ……」


伊声耆が唸るように返すと、

備の彦尊は大きく、ゆっくりと首を横に振った。


「伊都にも使いを送ったのだが、取り付く島がなくてなぁ……。

 『海を守っておるのは我らなのじゃから、謝礼を払うのは当然じゃ!』

 ……と、こうじゃ。我らも、その兵を出しておると申すに……」

「ごもっとも……」

「……ところで、伊声耆。大和に送った我が息子が、なかなか帰って来ぬのだが……」

「イサセリ彦尊が……?」


伊声耆は何気なく尋ね返したふりをした。

上目遣いに備の彦尊を見やる。

備の彦尊はすっかり青ざめ、声を震わせた。


「……ひこの……みこと……?」


そして、傍らに座っていた奥方に顔を向けると


「なあ……玉串料は、いかほど払うようかのう?」


奥方は頬に手を当てて、首を傾げている。

備の彦尊は床に拳を擦り付けて、低く唸った。


「ううむ……高い買い物をしておらねばよいが……」


伊声耆はすぐに顔を伏せると、小さく、にやりと笑った。


    ※


その頃、難波津・森ノ宮では――


ルナとイサセリの話に、台与は耳を傾けていた。


   ◇◇◇


大和・橿原(かしはら)の宮にて――


伊勢の大巫女は神棚を背に満面の笑みを浮かべ、イサセリを見下ろした。


「イサセリ……これでそなたも、神の御子となった。

 これより、そなたの名は『五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)』じゃ……」

「ははーっ。ありがたき幸せ……」


イサセリは儀礼に則り、深々と平伏した。

大巫女は静かに歩み寄り、その頭上に冠をそっと置く。

そこからは、ルナたちの出番であった。

引き出物を捧げ持った巫女たちが列をなし、イサセリの前に並べてゆく。

その最後に、大巫女は低く告げた。


「それらは、そなたへの祝いの品じゃ。受け取るが良い……」


それからは、宴であった――


その席上、イサセリは一言、ぽつりと漏らした。


「父は『最近、備の国は運が良くない』と、こぼしてばかりで……」

「――それは良くない……」


大巫女はさっそく食いついた。

そして、ルナに顔を向けた。


「……ルナ、なにか良い知恵はないか?」


ルナは頬に指を当て、しばらく考えてから


「……それでは、備の国の頭に『吉』を付け、『吉備の国』としてはいかがでしょう?」


と、胸の前で両手を合わせ、にっこりと笑んだ。

イサセリが呟く。


「吉備の国……」


大巫女は目を閉じて、低く呟いた。


「よい響きじゃ……」


   ◇◇◇



(……わぁ……)


台与は思わず、苦笑いを浮かべた。

イサセリは、屈託もなく笑っている。


「いただき物が多くなったので、船を先に帰らせました」


続いてルナが、高く声を上げた。


「イサセリ様は、弓もお上手なのですよっ!」


台与は、その様子を思い浮かべた。


   ◇◇◇


イサセリは、弓を持った手を下ろすと、腰に差していた矢を弦につがえた。

そのまま、胸の高さまで持ち上げる。ゆっくり、だが力強く矢を持った手を引いた。


――キシリ、キシキシキシ……


弓が音を響かせてしなる。

イサセリは片目を閉じた。

その矢が向いた先には、水鳥が二羽。

一羽は立ったまま、もう一羽は卵を温めているのだろうか、地面に座っている。

次の瞬間、イサセリは眼光を鋭くし、矢を放った――


   ◇◇◇



すると、イサセリは小さく笑った。


「短弓なので、その撃ち方では飛ばないし、獲物にも当たらないんですよ」


台与は口をへの字にして、イサセリを見つめた。

その後を、ルナが続けた。



   ◇◇◇


イサセリは、腰のあたりで矢をつがえると、立ち止まったまま獲物を見据えた。

その視線の先には、水鳥が群れをなしている。


一筋の風が通り過ぎる――


イサセリは駆け出した。

驚いた鳥が、一羽、二羽と舞い上がる。

だが、イサセリはなおも疾走する。

そして、矢をつがえたまま素早く両手を持ち上げると、即座に前方へ放った――



――サシュ!



その矢は、今まさに飛び立とうとしていた白鳥を射抜いた。

翼を大きく広げたまま、パサリと大地に崩れ落ちる。

息つく間もなく、もう一羽――



――スパッ!



続いて地を転がると、上を向いて――



――シュッ!



飛び上がったばかりの白鳥をも射落とした。

伊勢の大巫女は、扇を高く掲げた。


「――見事!」


すると――


――キャアァァァァ!

――イサセリさま〜!

――すてきぃ!


伊勢から呼ばれた巫女たちの、黄色い声が大和の山々にこだました。

イサセリが、獲物を取り上げてみせると、その歓声はますます大きくなった。


   ◇◇◇



台与はルナの耳元に顔を寄せ、小声で尋ねた。


「今更ですが……なぜ伊勢の巫女たちが、そんなに大和に……?」

「大巫女様が急ぎ呼ばれたのですわ。イサセリ様のご接待に……と」


台与は黙したまま頷いた。

だが、あまり納得はしていない。

イサセリは自分の頭を掻いていたが、ゆっくりと手を下ろすと、尋ねた。


「台与様は、こちらで何をなさっていたのですか?」

「私は……」



   ◇◇◇


その頃は――


大和川の堤に盛った土を突き固める作業が始まろうとしていた。


「――よしっ、始めるぞぉ!」


そう叫ぶ工兵隊長に、台与は声を掛けた。


「私もやりましょう」


すると、隊長もその周りにいた数人の兵も目を丸めた。


「……姫尊は結構です」

「なぜ……?」


台与が尋ね返すと、兵たちは口々に言った。


「だって……女子だし……」

「……子供だし……」


その言葉に、台与のこめかみの内側が「カチンッ」と音を立てた。

いつの間にか、両の手が隊長の襟首へと伸びる。

そして、


「……やります……!」


と低く唸った。

隊長は呻いた。


「で、では……土嚢をお持ちください。

 一箇所につき、十回……一歩下がってまた十回……それを百歩分です……」


   ◇◇◇



ルナは目を丸くした。


「……じゃ、千回も土を突いたのですか?!」

「はい……終わった後は、しばらく堤の上に寝転がりました……」


台与がそう答えると、

ルナはうつむき、くぐもった声を漏らした。


「それはもう、神話です……くくく……これがホントの『千地衝く大和の姫尊』……」


    ※


その晩――


台与は一人、館の縁側に腰掛けて、夜空を見上げていた。

そこには、薄雲をまとった淡い月影があった。

月はいつまでも奥に燻ぶり、はっきりとした姿を見せない。


「もどかしい……」


台与はそう呟きながら、傍らの盆に手を伸ばした。

そこから餅を一つ掴み、口に運ぶ。

噛み締める間にも、夜空は月光を濁らせたまま、晴れることはなかった。


「伊勢の大巫女様が仰った『風』……待ってるだけで良いのでしょうか?」


飲み込むとひとりごち、盆に手を伸ばした。

だが、その手は空を切った。

いつの間にか、食べ尽くしてしまったようだ。

台与は、空になった皿を見つめ、小さく一つ、溜め息をついた。


その時、背後から声がした。


「ははは……お代わり、なさいますか?」


振り返ると、森ノ宮の長老が立っていた。

だが、台与は目を伏せて、静かに首を振った。

そして、月を見上げる。

長老はこちらに歩み寄ると、盆の向こうに腰を下ろした。


「毎日のように、東へ西へ……。働いて、働いて、働き詰めです……」

「大和の姫尊ですから……王が働くのは当然です」


台与は、夜空を見上げたまま呟いた。

気配で分かる。その間も、長老がずっとこちらを見ていた。

長老は、ぽつりと言った。


「こんな小さな子が毎日、毎日……なんだか、可哀想で……」

「可哀想……?」

「ええ。同じくらいの子は、まだ親に甘えてる年頃でしょうに……」


台与は長老に顔を向けた。

その目に、光るものが浮かんでいる。

何も言わずに微笑んでみせると、長老も笑みを返した。


「何か、欲しいものはありますか?」

「欲しいもの……?」


「ええ。頑張っている台与様に、我も何か差し上げましょう。

 我の手の内にあるものか、我の手に入るものなら、何でも……」


台与は思わず目を丸めた。

長老は両手を大きく広げ、にっこりと笑んでいた。


「何でも……?」

「ええ、何でも」

「ほんとに……?」

「ええ、本当ですとも……」


夜風が一筋、二人の間を通り過ぎていった。


台与は一度立ち上がり、その場で正座し直した。

そして、まっすぐに長老を見つめ、両手をついた。


「……では、長老様。どうかお願いです……」

「はい。なんなりと……」


長老は、満面の笑みを浮かべている。

台与は意を決し、小さく息を吸い込むと、静かに目を閉じて、

深く、深く頭を下げた。



「この街を……森ノ宮をください」



その時、夜風が止まった。

まるで、世界から音が消えたかのようだった。



「えっ……?!」


長老は短く濁った声を漏らした。

やがて、乾いた笑い声が漏れる。


「あは……あはは……」


だが、台与は黙したまま、頭を下げ続けた。


「都を造るために、森ノ宮が必要なのです」


長老は呆れたように笑った。


「……戯れではないのですな」

「はい。今より大きな街にしてみせます」


台与は強く頷いた。

すると、長老もまた、大きく頷き返した。


「……息子たちや、邑の者とも相談しなければなりませぬ。今しばらく時間をください」


その言葉に、台与の胸は熱くなった。

だが、込み上げる感情を抑え、もう一度、深々と頭を下げた。


「……お祖父様」


それからは、二人は身を寄せ合いながら、静かに時を過ごした。

月はいつまでも、二人を照らし続けた。


お読みくださりありがとうございました。



次回「第114話 」


(月曜20時ごろ更新予定です)


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