第112話 助けた亀に連れられて
張政消息不明の報せに、衝撃を受ける台与。
大和の火は消えたのか――?!
その頃、張政は、嵐の海で海亀の綱を握り続けていた――
難波津・森ノ宮の館にいる台与のもとに――
「台与様! ――台与様ぁ!」
紀玄人が、馬蹄とともに駆け寄ってきた。
「はぁ、はぁ……」
「……どうしました?」
馬にまたがったまま息を切らせる紀玄人に、台与は尋ね返した。
やがて、紀玄人は顔を上げ、こちらをまっすぐに見つめて告げた。
「大変です。張政殿が、来ぬ国の沖で消息を絶ちました……」
台与は思わず身を乗り出した。
「なんですって?!」
「カゲマルからの報せでは、来ぬ国の南端に向かわれたのち、そのまま直進し、南海に向かわれた、とのこと……」
「……なんてこと……」
台与は、遠く海の向こうに目を向けた。
「張政殿がお越しになったら、伊都との仲裁をお願いしようと思っておりましたのに……」
「ええ……」
「……無事、お戻りになられるでしょうか?」
紀玄人は台与のその問いには答えず、馬を降りた。
黙したまま、館の庭の隅へと歩を進める。
そして跪くと、懐から木簡を取り出し、そこに突き立てた。
台与は、その木簡に手を合わせる紀玄人の背に、尋ねるでもなく呟いた。
「張忠君、南海に消ゆを悼む……ちょっと気が早くありませんか?」
※
その頃――
張政は、船の上から海面を見下ろしながら呟いた。
「亀……役に立たぬな……」
その亀は、船のすぐ脇を泳いでいた。
時々、深く潜っては、上がってこなくなる。
そうかと思えば、綱が張るほど先に行くこともあった。
だが、しばらくすると戻ってきて、水面から顔を覗かせた。
そして、こちらをじっと見つめるのだった。
「……これでは、どちらに進んだらよいのやら……」
そうこうするうちに、前方の海が薄暗くなってきた。
(まずい……きっと、嵐の前触れだ……)
張政は亀を見据えながら思った。
すると――
亀は突然、深く潜った。
みるみる間に、綱が伸び、張ってゆく。
目を向けると、その先の海には、光が差していた。
張政は叫んだ――
「――船長! この方向に進んでくれ!」
「了解です!」
船長の声が、船尾から響いた。
だが、そう上手くは行かなかった。
張政の乗る船は、嵐に巻き込まれた。
横風が吹きつける。波が船を大きく揺らした。
「――うぉっ!」
張政は船縁に体を打ちつけ、思わず呻いた。
通訳の男は、ずっと帆柱にしがみついたままだ。
他の船員たちも、右に左に、船底を転がっていた。
だが、張政は、亀が引く綱を強く握った。
嵐に見舞われてからはずっと、張り詰めたままだ。
おそらく、綱の長さと同じだけ向こうの、うねりの中にいるのだろう。
「か……亀……がんばってくれ……」
張政は唸りながら、また転がりそうになるのを必死に堪えた。
※
それから、どれくらい経ったのだろうか――
張政は、目を覚ました。
だが、視界はない。
磯と砂の匂いがする。
身体全体を、柔らかいものに押し付けている。
(砂浜にうつ伏せになっているのだろうか……)
足から腹にかけては、断続的に水がしみてくる。
着ているものが張り付いているのか、濡れた方が体が軽くなった。
そのように、張政は一つ一つをいちいち確かめていた。
「……なんだこれは……」
眼の前を何かが覆っていることにも気づいた。
取り払おうと試みた。
だが、手が動かない。
もがいてみたものの、重く、動かせなかった。
その時だった。
「――アキサミヨー! デージ、デージ! この人、生きてるよー!」
すぐ近くで、女の大声が響いた。
(……助かった!)
張政は一瞬、そう思った。
だが、すぐに悪い予感が脳裏をよぎった。
(捕らえられたら、殺される――)
「うぅぅぅぅ――がぁぁぁあああ!」
張政は叫びながら、渾身の力を振り絞り、まずは腕を持ち上げた。
ついで、身を起こす。
すると、頭上から、ぬるりとしたものが滑り落ちた。
その時、ようやく視界が開けた。
腕にはべっとり砂がこびりついている。
袖口にはなお、大量に残っていた。
眼前には、女が一人、目を丸くしてこちらを見ていた。
初めて見る装束だ。
やがて、女はこちらを指さし、おもむろに口を開いた。
「うり、貰てぃもいいかねぇ? アーサ……」
張政は、女の指差すところに目を向けた。
両膝に大量の海藻が覆い被さっている。
(これをくれと言っているのか……?)
張政は、それを片手でわっしと掴むと、その女に差し出した。
女は満面の笑みを浮かべた。
それを受け取ると、張政のすぐ横を指差した。
「あんた、亀に乗っち来たわけねぇ?」
張政が目を向ける。
そこには縄でがっちりと縛られた海亀が、砂浜に埋もれたまま、ぐったりと伸びていた。
(亀よ……お前も限界だったか……)
張政が心の中で感謝を捧げていると、
女は亀の甲羅をぽんぽんと叩いた。
「これ、一晩泥抜きしたら、デージまーさんよぉ」
女が何を言っているのか、張政には分からなかった。
だが、亀を見つめるその目が、色めいているのは分かった。
張政は、とっさに悟った。
「ま、待て! それは私の恩人だ!」
必死に抗議の声を上げる。
だが、それは海風に拐われ、ただの唸り声となって遠くに消えた。
※
このあと、男たちも数名、駆け寄ってきた。
「あんた、良かったねぇ……お仲間も無事だよぉ」
「船ごと沖を漂ってたさぁ」
そして、張政を近くに建つ館へと連行した。
そこでは――
――テンテ・テレレ・テンテ・テルル・テンテ・テテンテン……!
――アイーヤ、イーヤサッサ!
――ハーイーヤ!
聞き慣れない調だった。
数名の男たちが口角を上げながら、風変わりな楽器を弾いていた。
目を凝らすが、胡弓や三絃ともまた違う、独特な形と音色だった。
大勢の男たち、女たちが張政の周りを取り囲み、金物を鳴らし、小さな太鼓を叩く。
何も持たない者は、くるっくるっと手のひらを返しながら練り歩いていた。
先ほどの女が、大きな皿を手にして近づいてくる。
「イユとマクーだよ! たくさんあるからねぇ!」
大きな声でそう言うと、女はもと来た方へと戻っていった。
張政が皿の上のものをじっと見つめると――
――ピクッ!
魚が動いた。
張政は驚きのあまり目を丸めた。
と同時に、青ざめた。
「切り刻まれた魚が……動いた……?」
だが、もう一度、今度は――
――ビチビチッ……ビチッ!
まるで生きているかのようだった。
(……いや、生きている。生きたまま、切られている……!)
張政は、かつての部下、金玄基から聞いたことがあった。
◇◇◇
あの時――
――バタンッ!
金玄基は、部屋の扉を無造作に開けると、張政の傍らに駆け寄った。
「張政様! 大変です! この報告書によりますと……」
見上げると、金玄基は興奮したまま続けた。
「未開の地の民は、他国の者を囚えると、切り刻んで食べてしまうそうです!」
張政は唖然としたが、黙したまま続きを待った。
金玄基は、なおも早口で続けた。
「でも、食べる前に、歌ったり踊ったり、料理を出したりして、虜囚を慰めるそうです!」
「……それがどうした?」
尋ねると、金玄基は顔を寄せ、低く尋ねた。
「……これって、仁義なのでしょうか?」
その時、張政は唸りながら答えた。
「……そんな民ばかりではあるまい。いいから仕事しろっ」
◇◇◇
しかし、今……張政は静かに目を閉じた。
(これか……この者たちは、これから俺を料理しようというのか……?)
静かに、ひとりごちる。
「ああ……いよいよ死ぬのか……」
そして、ゆっくりと目を開いた。
その時――
ひときわ立派な、漢風の長衣をまとった男が視界に現れた。
しかも、その色は派手な赤。それが南国の眩しい陽光に照らされ、ひときわ輝いて見える。
髪はしっかりとまとめ、頭には中華風の冠を被っていた。
そして、豊かな髭。
だが、頬はほっそりとしている。
こちらを見据えるその眼光は、射抜くように鋭い。
男は静かに歩を進めると、おもむろに口を開いた。
「汝や、いずこゆ来てぃ、いずこんかい向ふ人が?」
張政は黙したまま、その男を見つめ返した。
(……何を言ってるのか分からない。だが……人生の最後に名乗りだけでもしておこうか)
意を決し、大きく声を張った。
「私は、魏の塞曹掾史・張政だ!
返使として邪馬台国へ赴くところであった。
この先、人に会うたなら伝えよ、『張政は役目を殉じた』とな!」
男は腰をかがめると、こちらを凝視した。
「おお……魏の使者殿であらせられたか……」
その言葉は、張政にもはっきりと解った。
張政は、思わず尋ねた。
「そなた、漢人か?」
「いいえ。漢人ではございませぬが、中華の国とは古より行き来がございまする故、言葉も話せる程度には存じておりまする……」
そう言うと、男は拱手して、張政の傍らに膝を折った。
「私は、この琉球の王にござる」
張政は絶句しながらも、拱手を返し、深々と頭を下げた。
※
その後、琉球の城に行くと――
公用船に乗っていた面々が顔を揃えていた。
通訳の男も、船長も、水夫たち数名、その中庭に立っていた。
「そなたらも、無事で良かった」
張政がそう言うと、船長や水夫たちは口々に言った。
「まだ見つからぬ者が数名おりまする……」
「張政様が投げ出された時は、どうしようかと……」
「わしはこの通りじゃ」
張政は背を反らし、大きく笑って見せた。
そこに、琉球王が近づいてきて言った。
「ですが、船は傷みが激しいですな。直さねば、使い物になりませぬ」
張政は、ふと辺りを見回した。
(この島には、船の材木になりそうな杉やヒノキが見当たらないが……)
そして、ふたたび琉球王に視線を向けた。
「……直していただけるのですか?」
「ええ、もちろんですとも。大工も手配しております」
琉球王はこともなげにそう言い、その精悍な顔をほころばせた。
(如何にして修理するのであろう……?)
そうも思ったが、疑っても仕方がない。
張政は拱手し、深々と頭を下げた。
「恩に着まする……後日、本国に戻りましたら、代金は必ず届けさせまする……」
「ははは、お願いしますぞ。ただ……大工が申すには『三ヶ月ほど掛かる』と……」
これには同意する他なかった。
王は、にこやかに笑むと、自分の館を手で指し示した。
「それまでは、我が城でゆるりとなさってくだされ」
それからの張政は――
毎日のように、城で催される宴に参加した。
姫たちや少年たちの舞踊に見入り、タイやヒラメの活け造りに舌鼓を打った。
宴がない日は、充てがわれた館に籠り、衣に亀の刺繍を施して過ごした。
張政の長衣には、日に日に亀が増えていった。
琉球王は、そんな張政をいつも傍らに置き、目を細めた。
お読みくださりありがとうございました。
今回は、浦島太郎伝説の丸パクリだったわけですけれども……。
琉球のくだりは、100%イメージで書きました。
この時代に『琉球王国』があったという、証拠はありません。
一方、「日本人(の一部)のルーツ」という説もありますし、通ってきたのなら、残った人もいたはず。
何より、周辺には人が住み、国もあったのに、「沖縄にだけいない」なんてことはないでしょう。
三世紀の沖縄にも、きっと、原型となる国や暮らしはあったはずです。
そういうことですので、『王国があった』ことにしてお話を進めていきたいと思います。
だって、あったはずですから。
次回「第113話 月下の割譲」
伊都の脅威に対抗すべく、大和が仕掛けた次なる一手。それは、接待大作戦!
華やかな宴の裏で、幼き姫尊は月夜の晩、ついに大勝負に出る――!
(木曜20時ごろ更新予定です)




