第110話 迫る嵐
大和の孤立を狙う伊都。
対抗する伊勢の大巫女は、悠然と言い放った。「風を待ちましょう」
台与は各国諸王の苦情対応に追われる。
海の向こうからは、さらなる巨大な嵐が近づいており――。
その日の朝――
台与は川舟に乗り、難波津・森ノ宮に向かっていた。
隣ではルナが、胸の前で両手を合わせながら、呟いた。
「やっぱり、伊勢の大巫女様は素敵ですわ……」
「……そうでしょうか?」
台与は、ルナの横顔を見つめながら呟いた。
聞こえないのか、ルナは遠い目をしている。
台与はうつむき、誰もいない船底を見つめた。
「人が真剣に悩んでいるのに、あんなにさらっと受け流して……」
◇◇◇
会議の翌日――
「――そら、そうよ」
伊勢の大巫女は、きょとんとした顔で言った。
その日、大巫女は淡海から、纏向へと移って来ていた。
(……伊勢の大巫女様は一日として、同じ場所にいた試しがない……)
そう思った台与は早々に目通りを願い、掖邪狗とルナを伴って訪れたのだった。
だが、その表情と言い様に唖然とし、大巫女を見つめた。
「……では、伊都に何をされても……」
「打つ手はないわ。……今のところは、ね」
そう言うと、大巫女はすっくと立ち上がった。
そのまま座を離れ、縁側に歩を進める。
すると、大巫女の傍らに控えていた伊声耆が、口を開いた。
「ご安心くだされ、大和の姫尊。淡海と尾張に出兵を頼めば、二千は下りません」
その言葉に一瞬、台与は息をのんだ。
(……二千三百対一万……)
だが、返す間もなく、大巫女は歩きながら、ぽつりと呟いた。
「……出してくれるかしら……?」
伊声耆の目が、その背を追う。
「……確かに。どちらもすでに、自国の兵を伊都に送っておりますからな……。
『その伊都と戦うために、追加で兵を送ってくれ』と申しましても……」
「尾張の彦尊あたりは、怒鳴り散らしましょうな……。
『我の国の民同士で、殺し合いをさせる気かや――?!』……と」
台与の背後から、そう付け足したのは掖邪狗だった。
大巫女は館の縁に立ち、庭先を眺めながら、呟くように言った。
「……風が来るのを待ちましょう……」
「風……ですか?」
台与は小さく尋ねた。
その時――
大和の従者の一人が、割り込んできた。
「――申し上げます!」
台与は座したまま振り返った。
「どうしました?」
「姫尊……難波津の森ノ宮に、備の国の若君がご到着されたとのことです。『先日の鉄の件』とのことですが……いかがいたしましょうか?」
「どうもこうも、こちら(纏向に招きなさい)……」
と言いかけると背後から、
大巫女の大きく、澄んだ声が響いた。
「行ってらっしゃい。……待っていた風かも知れないわ」
台与が縁の方を振り向くと、大巫女はニコリと笑った。
◇◇◇
このような経緯で、台与とルナは森ノ宮に向かっている。
紀玄人と久米は「馬のほうが速い」と言い、先に向かっている。
「……それにしても……」
ルナは、目を細めて尋ねた。
「紀玄人って何故、スミレちゃんを連れ回してるのかしら……?」
「……奥様のアヤメさんが身重で、手が回らないのですって……」
台与はそう答えると、苦く笑った。
※
その頃――
纏向に残った伊勢の大巫女は、眉を寄せながら低く唸っていた。
「……伊都と交渉できる者……誰かおらぬか?……誰か……」
すると、突然――
「――そうだ! 難升米がいるじゃない?!」
と大声を上げた。
伊声耆は、床に両手をつけた。
「――さっそく、我が使いに発ちましょう!」
と、そこに――
「では……宜しいですかな?」
そう言って割り込んできたのは、纏向の長老だった。
縁の所に膝をつき、平伏している。
大巫女と伊声耆がそろって顔を向けると、長老は静かに言った。
「そろそろ、我の館を政でお使いになるのは、ちと……おやめいただきたいのですが……」
「……どこか他へ行け……と?」
伊声耆が、短く尋ね返した。
大巫女は長老に視線だけを残し正面を向くと、眉を下げ、「ふっ」と笑った。
※
台与は森ノ宮に到着した――
長老の館の前まで来た時、垣根の向こうからスミレの歌声が聞こえた。
「も〜もたろさん、ももたろさん!」
「……桃樽だよ」
そう答えた若い男の声に、台与は聞き覚えがなかった。
(……備の国の若君……?)
門をくぐる。
すると、二人は干し桃を盛った樽を挟み、館の縁に腰掛けている。
「もう一個食べて良い?」と尋ねるスミレに、
「うーん……」と唸りながら、その若者はこちらに顔を向けた。
台与と目が合うと、その若者は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「備の国の王子、イサセリと申します。先年は、大変お世話になりました」
「まあ……あの時の……」
あの時――備の国に砂の国が攻め入った戦の際、人質交換が行われた。
そこで台与は、この少年とすれ違った。
それっきり会ったことはなかった。
だが、面影は残っていた。
台与はイサセリにゆっくりと歩み寄り、深々と頭を下げた。
館に上がり、改めて向かい合うと――
イサセリは眉を下げて言った。
「……先日お預かりした、あの鉄鋼材ですが……我の国では溶かせませんでした……」
「あら……」
「それで、父が『あれは何に使うのか、訊いてこい』と……」
それは、台与にとって残念な報せであった。
「まあ……でも……(私たちも、ナカツヒコに送りつけられただけで……)」
戸惑い、隣に座っているルナに顔を向ける。
するとルナは、しかめた顔を寄せ、囁いた。
「……この王子をご接待しましょう……接待攻勢で、備の国を味方につけるのです……」
思いがけない言葉に、台与は思わず目を丸くした。
そのまま、こちらを睨むルナの目を、じっと見つめ返した。
その日のうちに――
渡しの頭の船を呼び、ルナとイサセリは大和川を遡っていった。
台与は、難波津の桟橋から、その船を見送った。
※
それからは連日のように――
各国の王たちが次々と、難波津に詰めかけた。
台与は、その応対に追われた。
壁越しに、張り裂けるような叫び声が聞こえてくる。
「――どうなっているのですか?! 死活問題です!!」
「――大和は何もしないのですかッ?!」
この日、そう叫んだのは、阿波の姫尊だった。
台与の声は、一向に聞こえてこない。
紀玄人はスミレと並び、館の縁に腰掛けていた。
ある時、スミレが耳元で囁いた。
「台与たま、どうして怒られてるの……?」
「……怒られてるんじゃないんだよ……」
紀玄人が囁き返すと――
「――いつまで待てと言うのですか?!」
また、阿波の姫尊の怒号が轟いた。
スミレは、また耳に顔を寄せ、囁いた。
「……お母みたいだね……」
「……お母は、あんなに怒鳴らないだろ……」
紀玄人が眉をひそめてアヤメを庇うと、スミレは口を尖らせた。
そして、傍らに置いてあった桃樽に手を伸ばすと、干し桃を一つ取り上げて、パクリ……。
「あっ……そんなに食べると、台与様の分がなくなっちゃうよ?」
と、紀玄人は優しく諭したが、スミレはこちらを見向きもせず、
「……まだ、たくさんあるもん……」
と言って、一つだけを残し、あとは全部食べてしまった。
※
同じ頃――
難升米は、伊都国の大殿に膝を折り、ナギサヒコが来るのを待っていた。
来訪した伊声耆の頼みを二つ返事で引き受けた。
だが、実のところ、事情をよく分かっていない。
そうして待つこと、四半刻――
「おう、難升米……久方ぶりじゃのう! 故郷は良いものじゃろう?」
ナギサヒコは、明るくそう言いながら、姿を現した。
難升米は、深々と平伏した。
ナギサヒコは、腰を下ろしながら、なおも明るく声を張る。
「おふくろさんは元気にしておるぞ。もう会ったか?」
「いえ、まだこれからです……」
そう返しながら、難升米は頭を上げた。
「本日は、神つ国改め出雲国・国造として参りました……」
「伊勢の大巫女の使いか……」
「おお、さすがはナギサヒコ王、話が早いですな。早速ですが……」
言い掛けると、ナギサヒコは小さく、不敵に笑った。
「……伊勢の大巫女には、まもなく討伐令が下る……」
「――えっ?! 誰から? 何ゆえに?」
難升米が尋ねると、
ナギサヒコは鼻を鳴らし、目を細めた。
「帯方郡……つまり、魏からじゃ。彼の地から、何やら密輸しておるらしい」
「密輸……」
「海峡の封鎖もな……」
そう言いかけて、ナギサヒコは立ち上がった。
「魏にそう言われたが故の、やむを得ぬ仕儀なのじゃ……」
難升米は、言葉を失った。
するとナギサヒコは、ゆっくりと歩み寄ってきた。
目の前に膝を折り、こちらを鋭く見据えると、声を潜めた。
「なあ、難升米……汝も、我につけよ……」
「……ナギサヒコ王につく……どういうことです? 我は、ヤマトに仕える者……。
大巫女様にもお仕えしますし、ナギサヒコ王の部下でもあります……」
難升米がそう応じると、ナギサヒコはニヤリと笑った。
「……伊勢の大巫女など、先が無いということじゃ……」
難升米には、何が何やら分からなかった。
必死に絞り出した言葉は、難升米自身にもよく分からないものとなった。
「……魏のご使者……張政殿は、なんと……?」
「ああん? 張政……張政殿は道に迷わねば良いのう……」
※
その頃――
張政が乗る船は、南に向かって進んでいた。
それまでは、常に左手には倭国の岸が見えていた。
だが、それが見えなくなってから、しばらく経つ。
今は進む先にも、周囲にも、海しか見えない。
張政は唸った。
「あれから二十日……そろそろ投馬国に着くはずなのだが……」
すると――
帆柱に登っていた船員が、大声を張り上げた。
「――船長! 前方から、超大型船が来ます! ――楼船です!」
「なにぃ?!」
船長が怒鳴り返す。
張政は一瞬、帆柱を見上げたが、すぐに船首に向かって駆けた。
船縁にしがみつき、前方を凝視する。
張政は、目を疑った。
「……何故だ……何故、呉の楼船が倭国に向かっておる……?」
それは、遠くからもよく見えた。
旗印は見えない。
だが、間違いないだろう。
張政が知る限り、あれほどの大船は、呉にしかない。
すると、帆柱の上から、また声がした。
「蒙衝も四隻います! ――艦隊です!」
船長が駆け寄ってくる。
「張政様、いかがいたしましょう? このままでは接触します……」
張政は迷わなかった。
だが、声は震えた。
「……回避だ。右舷に回避……出来る限り、敵から距離を取れ……」
「はっ!」
船長が船尾に走り出してからも、張政は艦隊から目を離せなかった。
お読みくださりありがとうございました。
伊都国が関門海峡を封鎖したり、
呉軍艦隊が南西諸島に現れたり、
大和の姫尊がたくさん(百々)あった干し桃をあらかた食べられて『倭迹迹日百襲姫命』とか、
荒唐無稽な話ばかりですが……。
これからは魏志倭人伝の謎「正始六年・難升米に黄幢仮授」の謎を解きにいきたいと思います。
何度も言ってますが、『黄幢=皇帝の御印』ですので、ただの黄色い旗ではありません。
これが他国に渡ることは、結構な大事件です。
政治的大ミステイク、あるいは、スキャンダルと言ってもいいでしょう。
それが、正史三国志に書かれてしまっていることも、かなり大変な事件だと思うのですけど……。
ただ、そうなったからには、『正始五年のうちに』大事件が起こったはずなのです。
書き手としましては、「こんな程度だったのか?」と心配なくらいです。
実際は、もっとすごいことだったかも知れません。
ですが、あんまり調子に乗ると、思わず歴史を変えてしまいそうなので、少し控えました。
台与様は……どうするおつもりなのでしょうか?
次回「第111話 迷走の代償」
魏・蜀激突――決戦、興勢山!
その頃、邪馬台国を目前にした張政は……。
(木曜20時ごろ更新予定です)




