第109話 旋回する運命
穏やかな朝日に包まれて、大和の第一日目が始まった。
だが、台与のもとにもたらされたのは、伊都国の変容……。
張政は意を決した。「我らは一路、邪馬台国に向かう!」
まだ日が昇り始めたばかりの朝であった。
台与の姿は、纒向の邑の郊外にあった。
掖邪狗やタケノオ、大勢の土工たちが集まり、輪を作っていた。
その中ほどに祭壇が設けられ、纒向の長老が鋤を捧げて立っている。
その前には、小さく盛られた砂山があった。
台与はその中を、ゆっくりと歩み出た。
長老と正対し、鋤を受け取ると、それを捧げ持ったまま砂山の正面に立つ。
祭壇に一礼した後、鋤を構え、小さく振りかぶった。
「えいっ、えいっ……」
と大きく声を上げ、砂山を崩す。
そして、もう一度、
「――えいっ!」
砂をすくい上げ、それを砂山の脇に払う。
最後に、深く一礼すると、鋤を長老の手に戻した。
第一号・溜め池掘削工事、地鎮の儀である。
大和の姫尊であり、施工主も兼ねているので、鍬入れもした。
このあと、祭壇に玉串を供えるのも、台与の役目だ。
巫女でもある。
一連の儀式は、だいたい一人で出来てしまう。
人々は大はしゃぎで、手を叩いた。
「国主自ら、鋤入れまでしてくださるとは……」
「鋤入の姫尊じゃ!」
台与は、そう言った人たちを横目に見ながら思った。
(ありゃ……台与、鋤入の姫尊……)
掖邪狗は満面に笑みを湛え、ひときわ大きく手を鳴らした。
「では、姫尊。次へ参りましょう! 本日はあと三箇所ございます!」
台与は目を閉じて、小さく一つ、溜め息をついた。
※
その後――
邑の周りを駆け回り、館に戻ってきたのは昼過ぎだった。
「今、膳をお持ちいたします。しばらくごゆっくりなさってください」
そう言い残して掖邪狗は去り、一人になった。
台与は座ったまま、周囲を見回した。
(……誰もいない……)
そして、部屋の中ほどに突っ伏した。
「……疲れた……」
「お疲れでございましょう」
「早かったですね……」
掖邪狗は休む間もなく戻ってきた。
両手に膳を一つずつ持ち、それを床に静かに置いてゆく。
台与は体を起こしながら、尋ねた。
「ところで……工費は足りるのですか?」
掖邪狗は一瞬、動きを止め、こちらに顔を向けた。
だが、すぐに小さく笑った。
「ご心配なく。去年、魏に朝貢した際の返礼の品が、間もなく届きますゆえ……」
「……返礼?」
「ええ。此度は、帯方郡の張政殿がお越しになる段取りとなっておりまする」
そう言うと、腰を下ろし、肘を張った。
台与は黙したまま、自分の前の膳を見つめた。
疲れのせいだろうか、血の気が引いてゆく。
椀の飯を一口運びながら、ふと尋ねた。
「掖邪狗は、大巫女様から聞いてないの?」
すると、掖邪狗は首を傾げた。
「……何をです?」
「伊都が、関門海峡を封鎖したのです」
しばらくの間、部屋中に乾いた沈黙が広がった。
掖邪狗は、すっくと立ち上がり、叫んだ。
「――んなっ……!」
※
手短に事情を話すと――
掖邪狗は腕組みをしたまま、頭を垂れた。
「……それで、伊都は傷病人ばかり送ってきたのですか……」
◇◇◇
つい先日、伊都から送られた工作兵を広場に並べると――
伊勢の大巫女は、彼らの列を見つめて、
「うぬぬぬ……」
と低く唸り、ワナワナと震えた。
やがて、こちらを向き、素早く腕を振り上げながら――
「――働ける者を見繕い、あとは国に帰らせなさい!」
台与と掖邪狗を怒鳴りつけた。
その迫力は凄まじく、二人は同時に目を閉じて、肩をすぼめた。
◇◇◇
台与は、深くため息をついた。
その時――
「結局、半分ほどになりましたな……」
その声に顔を向けると、紀玄人の姿があった。
「……いつの間に?」
「ただ今、参りました。……急ぎではございませぬが」
台与が頷くと、紀玄人がこちらに歩み寄ってきた。
まず、気になったことを尋ねる。
「その眼帯は、どうしましたか?……それに、付け髭も……」
「……これですか?」
紀玄人は腰を下ろし、顔を擦る。
「急ぎ、アヤメさんに作ってもらったのです。
張政殿がお見えになると聞いて、見つかっては大変……。
ご心配なく。怪我をしたとかでは……」
「なさそうですね」
「それより、台与様。伊都に送ったカゲマルから、報せがございました」
紀玄人は背を正し、話し始めた。
◇◇◇
関門海峡には――
おびただしい数の船団が並んでいた。
その両岸にも、ずらりと歩兵が並ぶ。
そこに通りがかった小船があった。
船頭は帆を下ろし、潮の流れだけを頼りに漂い始める。
その船めがけて、伊都水軍の船団が一斉に動き出した。
ほどなくして小船は取り囲まれた。
兵士と船頭の問答が始まった。
「おいっ、どこの船だ?」
「木の国だ!」
すると、兵士は西側の対岸を指差した。
「そこの津に入れ! 船内を検める!」
「――なぜだ?! 積み荷はない。見れば分かるだろ!」
「理由は……王に聞いてくれ! 我らは知らぬ!」
「じゃあ、王を呼んでこい!」
すると、別の兵士が顔を出した。
「……こらあ! さっさと船を動かさんか!」
◇◇◇
掖邪狗も、唸りながら紀玄人を見据えている。
話を聞くうちに、台与の目は自然と丸くなっていた。
「他には……?」
◇◇◇
宇佐の港では――
船乗り風の男が、酒を煽りながらカゲマルに話しかけた。
「よお、にぃちゃん……一体、どうなってんだ?
さっき、『通行税』ってのを取られたぞ……」
黙したままのカゲマルに、男は続けた。
「……備の国の者は、買い値と同額だってよ――こん畜生めッ!」
――パリーン!
杯を足元に叩きつけると、深く息を吐いてから、地べたに座り込んだ。
一方、埠頭では――
阿波の船乗りが、兵の一人を怒鳴りつけていた。
「――聞いてないぞ! なんだ、その関税って?!」
「此の度、国外に出す物から、税を徴収することになったのだ。
朱丹は売値の四割六分だから、買い値から引いておくぞ」
「そんな値では渡せぬ……。荷は引き上げさせてもらう!」
「……ちょっと待て。
帯方から頼まれておるものなのだ……荷は置いていってもらわないと困る」
「知るか! 勝手に困っておれ!」
すると、船乗りは仲間を振り返って手を振り上げた。
「汝ら、このまま帰るぞ!」
◇◇◇
台与の耳の上のあたりを、汗が滴り落ちた。
「……関税……?」
「……通行税……」
掖邪狗の目つきも鋭さを増した。
紀玄人は膝に手を置いたまま、静かに言った。
「まだございまする……」
◇◇◇
別の邑の広場には――
群衆が集まり、口々に叫んでいた。
「我らがどれほど働いても、全て大和に吸われてゆくッ!」
「都のために犠牲になるのは、もう嫌だ!」
「我らには我らの暮らしがある!」
「筑紫・第一ッ!」
ある者は両手を広げて叫ぶ。
「考えてみろ! 筑紫は、我らの国の中心なのだ!
それを大和なんぞに移したら……我らの国はどうなってしまうのだ?!」
そして声を揃えた。
――都・反対!
――筑紫を取り戻せ!
「もう一度、筑紫は偉大なる国になるのだ!」
「大和の奴らからは通行税を取ってやれ!」
「関税もだ!」
「大和に味方する奴らからもだ!」
やがて、口々に叫びながらではあったが、
彼らは整然と列をなし、拳を振り上げながら離れて行った。
◇◇◇
掖邪狗は低く唸った。
「……確かに、都を興すのは大変な事業ですが……。まるで我らが敵かのような言いようは遺憾じゃ……」
「しかし、向こうの民は熱狂しておるとのこと……」
そう言うと、紀玄人は鋭い視線を掖邪狗に向けた。
台与はうつむき、呟いた。
「一部の民の申し分かもしれません。冷静に見守りましょう……」
だが、掖邪狗はこちらに顔を向けて尋ねた。
「ですが、ナギサヒコ王の意図を汲んだものであったなら……?」
台与は、掖邪狗をまっすぐに見つめ返した。
「……皆を、ここに集めましょう……」
※
待つこと数刻後――
台与らのもとに、仲間たちが集まってきた。
まっ先に戻ってきたのは、近くの邑で厩作りをしていた久米だった。
ルナは、何故か、すぐ裏の小屋で書き物をしていた。
水惟は戻るなり、明るく、大きな声で言った。
「いやあ、大和湖も存外、深いですね。二丈ほどの竹が、すっぽり沈みました」
台与は、ふと違和感を覚えた。
誰かが足りない。
「そう言えば……羽越の大将殿のお姿が見えませぬが……」
「羽越殿は『馬を貸してくれ』と言うので、一頭渡しましたところ……」
久米は、こちらに顔を向け、続けた。
「毛皮を着た少女を連れて旅へ……」
「……どこへ?」
「……どこでしょう?」
台与は呆気にとられていると、代わりにルナが尋ねた。
「少女って、羽越が伊勢に来たときから連れてる子?」
久米は無言で頷いた。
※
ちょうどその頃――
羽越の姿は、淡海の北の山の頂にあった。
馬上から周囲を見渡し、羽越は呟いた。
「あれが若狭か……」
目の前には、また別の山波が連なっている。
その向こうに海波が、しぶきを上げていた。
羽越は、同じ鞍の前に、抱えるようにして少女を一人乗せている。
その少女はさらに、途中の道で拾った子犬を抱えていた。
「ご覧、アベナンカ。あの向こうが、越の国だよ」
アベナンカは、羽越を振り返った。
「ト・オタ・レプン・レラ、ク・コタン・カ・ペ?」
「うん……ソンノ・ノ……」
羽越は、アベナンカの柔らかな産毛が混じる頭を見つめた。
彼女とは香取で再会した。
その時、周囲に兄の姿はなく、少女はただ一人、凍える空気を纏っていた。
北の民の言葉を知るうち、この子の名が酷い意味だと分かった。
周りの大人たちには「まだ早い」と言われたが、構わず『アベナンカ』と呼ぶことにした。
それ以来、羽越の傍らにはいつも、この小さな「北の風」が吹いている。
「じゃあ、あの邑まで行ってみよう」
羽越はそう囁くと、軽く馬の腹を蹴った。
馬は二人と一匹を乗せて、トボトボと歩き始めた。
※
台与は、固く握った拳をじっと見つめた。
「ううう……羽越……!」
だが、気を取り直し、顔を上げた。
そして、震える声で告げた。
「……では、会議を始めましょう。議題は、先日の件です」
紀玄人が、再度の報告をすると、皆口々に意見を言った。
「……今すぐ出来ることはなんだろう?」
「大巫女様は、『戦を構える相手とは、もう話し合いたくない』と仰ってますし……」
「……伊都の総兵力は一万……」
「大和に今ある兵力は?」
台与はちらりと横目で掖邪狗を見やった。
掖邪狗は、こちらを見据え返した。
「伊勢の衛兵を加えまして、三百……」
その言葉に、その場は重い空気に包まれた。
※
数日後――
末廬国の港を、帯方の公用船が漕ぎ出してゆく。
この度知った倭国の状況を知らせるため、張政が先に戻らせた船だった。
張政は岸壁に立ち、腕組みをして、その船を眺めていた。
(……本当だろうか? あの台与殿が……)
そう思った時だった。
◇◇◇
張政の脳裏に、在りし日の金玄基が現れた。
その目は、まっすぐにこちらを見つめる。
そして、眉をひそめて囁いた。
「張政様、いささか腑に落ちませぬ。
ここは自ら確かめる必要があろうかと存じまする……」
◇◇◇
(……ああ、これじゃ。この嘘偽りのない目……。
その目で見たものならば何でも信じる、純粋すぎる心……)
張政はひとり、無言で頷いた。
船長の元に足を運ぶ。
そして、低く唸るように告げた。
「船長、出航じゃ。我らは一路……邪馬台国へ、向かう……」
「了解しました!」
船長が声を張る。
「おーい、帆を上げろ! 出航じゃあ!」
その声に、船乗りたちが慌ただしく動き始める。
張政も船に乗り込んだ。
「まず南へ二十日……さらに南へ十日か……大冒険だな、これは……」
張政は舳先の前に立ち、にやりと笑った。
やがて、船は動き出し、港を出ると、大きく左舷に旋回を始めた。
お読みくださりありがとうございました。
この時代の人って、いいですよね。
思い立てば、邪馬台国に行けるんですから……。
個人的な話をしますと、
最近ニュースで話題の『経済制裁』とか『海峡封鎖』とかが、いまいちピンときません。
そこで、実際に食らってみようと思ったわけです。
書いてみての感想ですが、
「ナギサヒコ様、参りましたっ! 何でも言うこと聞きます!」
……とは、まだならないですね……。私は鈍感なのでしょうか?
台与様は、ネバーギブアップな方ですので、
どんな手を繰り出すのか、楽しみです!
次回「第110話 迫る嵐」
ヤマト連合分裂の危機に、伊勢の大巫女が放った切り札とは――。
一方、海を渡る魏の使者・張政の前には、現れるはずのない「アレ」が……。
(月曜20時ごろ更新予定です)




