第107話 空白の叫び
伊勢の大巫女は、神剣を台与に手渡した。
『大和の姫尊』となり、世界は変わったのか――?
大和各地を歩き回り、最後に台与が辿り着いたのは……。
淡海の渡し口には――
何艘もある船の一つに、渡しの頭が立っていた。
台与はその船に乗り込むと、深く、重い溜息をついた。
渡しの頭が尋ねた。
「お嬢……どないしはったん?」
台与は、渡しの頭に微笑んで見せ、何も言わずに首だけを横に振った。
後から船に乗り込んできたルナは、胸の前で両手を合わせた。
「でも……ほんとうに……」
台与は笑みを浮かべたまま、ルナの方に顔を向けた。
◇◇◇
つい先程のこと――
台与が深々と平伏すると、
伊勢の大巫女は静かに頷いた。
「……そうこなくっちゃね」
くるりと背を向けた。
急にカラッとした声になり、
「でも、心配しないで。国造として、掖邪狗を付けるから。それと……」
と言いながら、部屋の端に膝を折ると、ふたたび低い声で言った。
「……これを、お持ちなさいな」
大巫女は一振りの剣を捧げ持ったまま、ゆっくりとこちらへ戻ってくる。
そして、台与の目の前まで来て膝を折ると、その剣をそっと引き抜いてみせた。
「天叢雲剣……」
「はい……。光が一つ、消えています……」
台与がそう答えると、
伊勢の大巫女は笑みを向け、剣を納めた。
「……ね? これが貴女の進むべき道なのよ……」
◇◇◇
台与は船底に座り、天叢雲剣を固く抱きしめた。
(……私の道……かぁ……)
ルナは、手を合わせたまま空を見上げていた。
「とても素敵でしたわ……伊勢の大巫女様……」
台与は苦笑いを浮かべながら、自分の顔を指さした。
だが、ルナは気づかない。
もう一度、渡しの頭に尋ねられ、ようやく口から声が出た。
「……どちらへ行きはるん? 難波津でっか?」
「あ……いいえ。木津川口でお願いします」
※
台与はその足で、大和の各邑の長老を訪ね歩いた。
佐紀の長老は早速、留守だった。
布留の長老と共に、和爾の長老の邑にいた。
三人の長老は路上に立ち、鍬を杖代わりに何やら話をしていた。
台与は三人の長老に深々と頭を下げた。
「此の度、『大和の姫尊』を拝命いたしました、台与と申します。
今後とも何卒、よろしくお願いいたします」
長老たちは皆、笑みを湛えながら言った。
「ああ、あの時の伊勢の巫女さんだね。ヤマトの時、頑張ってた……」
「ずいぶんと、まだ小さいのに……」
「可愛らしい姫尊が来て良かったじゃないか……まあ、よろしく」
次に訪ねた纒向の邑では、纒向の長老が目を丸めた。
「おや、貴方が大和の国主……?……あ、ああ……すみませぬ。
てっきり掖邪狗殿がなるものと思っておりましたので、つい驚いてしまい……」
唐古の邑では、長老に深々と平伏された。
「阿蘇の大巫女の御息女が国の主とは……感無量にございまする……」
その後は――
橿原の長老は留守だったので、後でまた来ることにし、
柳本と蘇我の長老には腰を抜かされ、
葛城の長老には「姫尊かあ……まあ、よろしく」と手を差し出された。
纒向への帰り道、もう一度、橿原に寄ると、さっそくに
「せっかくですので、祝詞を上げてくだされ」
と頼まれた。
粛々と儀式を済ませると、長老は満面の笑みを浮かべた。
「姫尊自らお務めをしていただけるとは……今後もお願いしたいですな」
「今まではどうなさっていたのですか?」
台与が尋ねると、長老は長々と言った。
「神つ国に神官を要請していました。
ですが、彦尊が変わったら、ぱったりと音信がなく……。
難升米殿も、のらりくらり……」
台与は黙したまま、それを一通り聞いた。
※
数日掛けて――
台与は、纒向の邑に戻ってきた。
そこでは、掖邪狗が技師たちに囲まれていた。
その中にひときわ声の大きい老人がいる。紀玄人の舅・カイであった。
「……そんためん溜め池ったい! 下には、なるべくゆっくり水を落ちるようにすっとよ」
「それは分かったが……この盛り土は何のために?」
「池の深さが一目で分かろう? ここん土ば掘り上げっとだから、捨て場も必要ったい。洪水ん時に逃ぐる場所にしてもよかろうもん」
「ほう……それが、伊都のやり方か?」
「ただの土山じゃ芸がなか。形ば整えて、神様が降りてきそうな姿にしてみっとよ」
台与は掖邪狗の背後に佇み、話が終わるのを待っていた。
(……仕事の話をしている……。私はこんな風に、自分の仕事を語れるだろうか……?)
カイ以外は皆、掖邪狗が新羅から連れて来た土木技師たちだ。
その中に、一風変わった渡来人の姿があった。
台与は、前々からその二人のことが気になっていた。
一人は男だ。目の色と背丈は倭人と変わらないが、一見して異人と分かる。
髪はやや茶色がかった短髪。
角ばった骨相の中に、鋭く高い鼻が立っている。
この近辺はおろか、洛陽でも見かけなかった顔つきだ。
素朴な白い木綿の短衣をまとい、足元は草履のようなものを履いていた。
それは革で出来ており、ところどころ解れた部分を蔓草のようなもので補修していた。
もう一人は女だ。いつも、もう一人の男と寄り添っている。
だが、夫婦には見えない。
驚くのは、服装が男のそれとほぼ同じであることだ。
髪も、淡い栗色が美しい。
肌も透き通るような白さで、見ているだけで羨ましくなる。
台与は、はじめは化粧だと思っていた。
だが、歴とした地肌のようだ。
その二人を見つめながら立ち尽くしていると、カイがこちらを指さした。
掖邪狗が振り返った。
「ああ、台与様。置き手紙、拝見しました。
この度は、大和の姫尊ご就任、おめでとうございまする。
我も精一杯、ご助力いたしますので、何卒よろしくお願いいたしまする」
その言葉に、技師たちも台与に視線を集めた。
台与は掖邪狗に尋ねた。
「あの方は……?」
「言葉が通じぬのですが、ナカツヒコがどうしても……というので連れ帰った者です」
その渡来人はゆっくりとこちらを振り返ると、自分の胸に手を当てた。
「レギーナ・サケルドス・トヨ。
ルキウス・マリウス・ファルティウス、ローマより……」
そして、隣にいた女も進み出た。
いよいよ、その時が来た。
台与の胸が高鳴る。
だが、口を開いたのは、ルキウスの方だった。
「こちらは、わが血族のリュシア。
ローマでは、宇宙の真理を数に置き換える数学の徒でありました」
「あ、はい(宇宙が数?)台与と申します(まてま?)よろしくお願いいたします」
台与がたどたどしく返すと、掖邪狗は笑った。
「台与様……姫尊なのですから、もっと堂々と構えてくだされ。
これから、伊勢と阿蘇の大巫女様にもなっていただかねばなりませぬのに……」
「えっ?! なぜ?!」と台与が尋ねると、
「……当然、知ってますよ。そんな大事なこと……」
掖邪狗は、呆れたように笑った。
その瞬間――
ルキウスは眼光を鋭くし、こちらをじっと見据えた。
「……アウグストゥス……」
「えっ……」
台与が思わず声を漏らすと、ルキウスは低く尋ねた。
「貴女は、倭国のアウグストゥスなのか……?」
「あ……あうぐ?」
その場は、掖邪狗とリュシア、それにカイも間に入ってくれ、事なきを得たが、
台与はその時、ルキウスからの殺気を強く感じた。
理由は、後でリュシアから聞くことができた。
リュシアは、台与の肩を抱いて囁いた。
「ごめんなさい、レギーナ・サケルドス……伯父はアウグストゥスが大嫌いなの」
「あ……あうぐすとす……って何ですか?」
「んー……ローマのコンスルで、インペラトールで、|トリブニチア・ポテスタス《護民官特権者》ね。|ポンティフェクス・マクシムス《最高神祇官》でもあったわ」
「……?……??……???」
※
その日の夕暮れ――
台与は三輪山の中腹に一人、膝を抱えてしゃがんでいた。
そして、ひとりごちた。
「肩書を持てば、私は何かになれると思ったのかしら……?」
どうも何かが違う。
ルナは『神話編纂室長』で、誰にでも何をする人かが解る。もう既に何者かだ。
自分は『大和の姫尊』だ。
だが、誰も台与が何者で、何をしようとしているか、解ってもくれず、訊いてもくれない。
本当に、これが自分の道なのか――。
台与の目に、熱いものが浮かんだ。
「私は……」
立ち上がり、大きく息を吸い込む。
そして、叫んだ。
「――誰なんだぁぁぁあああああ!!!」
その声は、背後にそびえる巨木や、隣り合う巻向の山肌に当たり、こだまとなって虚しく返ってきた。
台与は、耳に戻ってきた思いを噛み締めながら、ぽとりと一粒、涙を落とした。
お読みくださりありがとうございました。
こういうことってありますよね。
「主人公がドヤ顔で無双!」という理想的な展開になかなかなりません。
執筆時に聞いてるBGMの影響でしょうか。平井堅さんの「一人じゃない」です。
それはそうと、台与様の「私は誰なんだ?!」という叫び……こっちが知りたいですよね。
それさえ判れば、邪馬台国論争が解決するんですよ。
泣いてるのは、台与様だけではないはずです。
次回「第108話 伊都の虚実」
塞曹掾史・張政、ついに倭国上陸!
そこで彼が見たものとは――?
(月曜20時ごろ更新予定です)




