第105話 迷い子の太陽
大和へ送り出した兵士たちを見つめ、ナギサヒコは呟いた。「糧が尽きるのも早まろう」
台与は、森ノ宮を訪れていた備の彦尊の応対をしていた。しかし、反応は芳しくない……。
そんな台与に例の件が再燃する。決断の時が迫っていたーー
奴津には、伊都国の軍船が集結していた。
全て、十人乗りの小型倭船。それが百艘ほど、港に浮かんでいる。
兵たちは列をなし、整然と船に乗り込んでゆく。
彼らは皆、軽装であった。
銅剣も槍も手にしてはいない。
ただ、その肩に、鉄刃を被せた鋤鍬を担っていた。
伊都国王・ナギサヒコは港近くの高台に立ち、眼下を行進する兵士たちを眺めていた。
夏羽は、その足元に平伏した。
「お言いつけ通り、老兵、けが人、病み上がりの者などを千名、見繕いました」
「うむ。ご苦労……」
ナギサヒコは短く頷いた。
夏羽は顔を上げると、王に尋ねた。
「結局、大和の都造りに協力するのですか?」
「……その方が、糧が尽きるのも早まろうぞ……」
そして、ナギサヒコは薄く笑った。
「ああ、それとな……」
※
その頃、難波津・森ノ宮では――
台与は、背丈より高く積まれた木箱を見上げ、思わず呟いた。
「……これが、ナカツヒコが送り付けてくる鉄鋼材ですか……」
「はい。倉庫一棟、これで埋まってしまいまして……」
そう答えたのは、森ノ宮の長老だった。
その表情は穏やかだったが、時折、苦く歪んだ。
「文もないので、何に使うつもりか分からず……ほとほと困っておりまする」
長老の隣には、紀玄人が黙したまま、木箱の山を見上げている。
やがて、彼も重い口を開いた。
「……ナカツヒコさんのことだから、『これを使え』という意味では……?」
台与は、紀玄人の顔を見上げた。
「それは……すごく都合の良い解釈ではありませんか?」
「……そうでしょうか? 自分の意図を説明するのを嫌う方でもありますし……」
台与は、ナカツヒコの顔を思い浮かべた。
頭の中のナカツヒコは、ニカッと笑うと、親指を立ててみせた。
台与は肩を落とした。
(……そうかも……)
さらに、紀玄人の背後には、備の国の彦尊が立っていた。
とても不服そうな顔をして腕組みをしている。
備の彦尊は、小さく呟いた。
「……あるところには、あるものですな……」
台与は備の彦尊に尋ねた。
「これで、鋤や鍬を作っていただくことはできますか?」
彦尊はあからさまに嫌そうな顔をした。
「我の国は、大和の下請けはしません!」
「……でも、鉄鋼材を融通してくれって……」
すると、彦尊は舌打ちし、小さく呟いた。
「好きに使えるならともかく……」
その声は、静かな倉庫内では、台与の耳にも届いた。
やがて、彦尊は大きく、強く言った。
「自国で採れる砂鉄でなんとかなっております!」
その言葉に、紀玄人が彦尊を振り返り、尋ねた。
「砂鉄が採れるのですか?」
「おうよ」
「ならば、その上流では鉄鉱石も採れるのでは?」
「……鉄鉱石?」
「ええ、鉄が混ざった石です」
「それは、石なのかね?鉄なのかね?」
その問いに、紀玄人は上を向いて顎をひねった。
台与も黙したまま、彼の答えを待った。
だが、彼はなかなか答えなかった。
※
その後――
台与は、館へと歩を進めていた。
厩の前まで来ると、久米と羽越が立ち話をしていた。
「へえ〜、これが『馬』ですか……」
馬の鼻を撫でながら羽越がそう言うと、久米は胸を張った。
「ああ、気難しい四本足なんだ。我は訓練に訓練を重ねて……」
「ちょっと乗せてもらってもいいですか?」
「……ははは……乗れるかな?」
久米は羽越を横目に見ながら、にやりと笑った。
そして、羽越に手綱を手渡すと、鐙を指さした。
「そこに足をかけて……ひょいっと……」
そのとおりにまたがると、羽越は馬の腹をぽんぽんと蹴った。
蹄の音がパッカパッカと響く。
やがて、羽越が
「はっ!」
と声を張ると、馬は勢いよく走り出した。
久米は黙したまま、その後ろ姿を見つめていた。
羽越はすぐに踵を返し、戻ってきた。
そして、ひとこと
「……良いですね!」
と嬉しそうに言った。
久米が羽越に尋ねる。
「……羽越殿は、どちらで馬を習われた?」
「うーん……生きとし生けるもの同士、感じるところがありました」
羽越はそう言うと、馬上でにっこりと笑った。
台与がその様子を見つめている間に、備の彦尊や森ノ宮の長老たちは、館内へと上がり、
気づけば皆、広間で寛いでいた。
※
館内では――
備の彦尊を上座に据え、紀玄人が話をしていた。
「貴国には、可能性しか感じません」
「可能性というか、我の国はすでに強国だ」
台与はその脇を通り抜け、森ノ宮の長老の隣に膝を折った。
その間も、二人の会話は続いていた。
「是非、大和との共同開発を……」
「鉄鉱石か……よく分からんものに手を出したくないな……だいたいな」
そう言いかけて、彦尊はちらりとこちらに目をくれた。
「うっ、おっほん!……何しろ、我の国は独自にやらせてもらう」
そう言うと、彦尊は床に置かれた湯呑に手を伸ばした。
台与は、床に両手をついて頭を下げた。
「どうか、そう仰らずに……お互い協力して参りましょう」
「ええっ……?」
彦尊は湯呑を口に当てながら、目を細めてこちらを見つめた。
「ヤマトと組んで、良いことがあった試しがないんじゃが……」
その小さな呟きは、静寂な館の中では、台与の耳にもよく届いた。
※
難波津の桟橋に降りてくると――
台与は隣を歩く備の彦尊に言った。
「今度、備の国をお訪いさせてください」
すると、彦尊は横目を向け、吐き捨てるように言った。
「それには及びませぬ。今度、こちらに息子を寄越します」
台与は彦尊をまじまじと見つめた。
備の彦尊の息子とは以前、人質交換の時に、すれ違ったことがあるだけだ。
「息子さん……あの時の?」
「今年、十三になりましてな」
「わあ……私と一つ違いです」
台与はわざとらしく手を合わせて呟いた。
備の彦尊は、まんざらでもない様子だ。
「弓の上手になりましてな……歳が近いほうが、台与様もお話しやすいでしょう?」
その言葉に、台与は気づいた。
(……これは、私と話したくないだけだ……)
話しながら歩くうちに、停泊する備の国の船の前まで来ると、
備の彦尊は振り返り、辞儀を述べた。
そこで、台与は念を押した。
「近々、備の国をお訪いいたします」
「あ……はいはい」
備の彦尊は短くそう答えた。
※
森ノ宮の館に戻ると――
台与はうつむきながら呟いた。
「備の彦尊からは、何一つ色よい返事がいただけませんでした……」
紀玄人は顎をひねる。
「何か……エサが必要でしょうな」
「エサ……?」
台与は紀玄人を横目で見据えた。
すると、彼はこちらに目を向けた。
「ああいう相手は、勝たせてやらないと動きませぬ……」
「勝たせる……誰に勝つのです?」
台与は尋ねたが、紀玄人はそれには答えず、森ノ宮の長老に目を向けた。
「備の彦尊が欲しがりそうなものは、何でしょう?」
「うーん……ああ見えて、意外と欲のない方なのです。ただ……」
「ただ?」
「民の暮らしが立たなくなることを、とても嫌われます。
備の国が侮られることも、ひどくご立腹になられます」
「ご自分ではなく、備の国が、ですか?」
「はい」
「……もっとも籠絡しにくい相手ですね……」
二人は静かに、だが夢中に話している。
台与は深く、重い溜息をついた。
「私が子供だからでしょうか……?」
そう呟くと、二人の視線が一度に集まった。
「いや……それも……あるかな?」と、紀玄人が呟く。
「何か肩書でもあれば……」と、長老も顎をひねった。
※
そこに――
「肩書ならありますよ!」
そう言って現れたのは、ルナだった。
水惟も後から現れた。
「ただいま伊勢より戻って参りました」
「二人とも、ご苦労さまです。……どういうことです、肩書って?」
台与が尋ねると、水惟とルナはこちらに向かって歩みながら顔を見合わせた。
「室長殿から、ご説明を」
「構わないけど……その呼び方、なんだか嫌らしいわね」
台与はルナの顔を見上げた。
「室長?……お姉様、室長になられたのですか?」
「はい。伊勢の大巫女様から、伊勢のお社の神話編纂室長を拝命いたしました」
そう言うと、ルナは台与の前に膝を折り、軽く頭を下げた。
その隣に、水惟も腰を下ろした。
「神話編纂室……」
台与が呟くと、水惟はルナに向かってニンマリと笑いかけた。
「まこと祝着至極にござりまする……」
「なんなの、それ?……ありがと」
すると、長老と紀玄人もルナを向き、深々と平伏した。
「おめでとうございます」
「ご就任のお慶びを申し上げまする」
「ちょっと、止めてください、お二人とも! お社の雑用係ですから!」
ルナは慌てた様子で手を振った。
台与は急に羨ましくなった。
「でも、どこの誰で、何の権限があるのか、分かりやすいですね。それが肩書ですか」
長老が台与に顔を向け、頷いた。
ルナは背を正すと口に手を当て、澄んだ声で「おっほん!」と言った。
(わあ……)台与は思ったが、そのままルナの言葉を待った。
「台与殿におかれましては『斎女として伊勢に参られませ』……と大巫女様が」
「……それは、お断りしたはずです」
「『気は変わらないの?』とも、お尋ねでした」
台与は黙したまま、じっとルナを見つめた。
「……私が阿蘇の斎女を降りたら、誰が阿蘇のお社を代表して都を造るのですか?」
「はっ!」
ルナは両の手のひらを広げ、わざとらしく驚いてみせた。
その姿に、台与は腹が立った。
(だけど、お姉様に怒っても仕方ないわね……)
そう思い直し、拳を握って耐える。
すると、ルナは澄ました顔をして言った。
「両方なさればよろしい」
「は?!」
台与は思わず、ルナの顔を凝視した。
※
紀玄人がルナに尋ねた。
「阿蘇と伊勢の後継者を『兼任する』というのは、通常よくあることなのですか?」
「いいえ、通常はありません。台与様は特例です」
「……すると、どうなるのですか?」
「いずれ、阿蘇の大巫女と伊勢の大巫女を兼ねる大巫女様におなりあそばされます」
紀玄人は、しばらくの間、黙したままルナを見つめていた。
だが、すぐにこちらを向くと、平伏しながら言った。
「台与様! お受けなされませ!」
「ええっ?!」
台与は思わず仰け反った。
すると、紀玄人の背後から、新しい声が聞こえた。
「台与様は、子供でいたいのですか? 子供のままではいたくないのですか?」
「う……羽越の大将殿、いつからそこに……?」
「……上手く行かないのは子供だからか、とお尋ねだったようですが」
羽越は、ちょうど紀玄人に隠れるように平伏していた。
すると長老の隣からも、聞き慣れた声が聞こえた。
「斬新すぎて、我には理解できませんが……」
「久米……」
「あるいは、必要なことかと……」
そう言うと、久米は深々と平伏した。
水惟も両手を床につけ
「伊勢の大巫女様のお考えが変わることはありますまい……あとは台与様の次第……」
と言うと、深々と頭を下げた。
台与は、ただただ唸った。
※
そこに、さらに追い打ちをかける者が現れた。
「――とよたま!」
台与は面食らった。
紀玄人が部屋の隅を振り返った。
「台与『さ・ま』だよ、スミレ……」
スミレはそれには答えず、台与の元に駆けてくる。
「とよたま、あそぼ……」
「すみません。アヤメが身重になったので連れてきたのですが……スミレ!」
紀玄人が皆に頭を下げる。
スミレは台与の隣に佇むと、持っていた鞠を台与に差し出した。
「……て言って渡せって」
「誰が?」
「……お父のお友達……」
(……カゲマル……)
台与は紀玄人に視線を向けた。
紀玄人は、台与に顔を向けると無言で頷いた。
台与は頷き返した。
(誰からだろう?)
鞠を縛っていた紐を解く。すると、やはり布の文が出てきた。
台与は早速、目を通した。
「ナカツヒコからです。……『伊都のナギサヒコ王が関門海峡を封鎖』……」
◇◇◇
ナカツヒコの文には、こうあった。
「……するって噂があるんだけど、本当かな? どうなっちゃってるんだろ?
そちらの状況を教えて欲しい。
あと、難波津にある鉄鋼材は全部使っちゃっていいからね。……食べちゃだめだけど」
◇◇◇
台与は一瞬うつむいて、文を固く掴んだ。
(――食べないよっ!)
だが、すぐに顔を上げた。
「……って言ってます。けれど……」
森ノ宮の長老は眉をしかめた。
「我らも初耳ですな。……もし本当なら、難波津にとっても一大事です」
その場にいる者の視線が、台与に集まる。
だが、台与は文を見つめるふりをして、目を逸らした。
(……何から決めれば良いのかしら……?)
お読みくださりありがとうございました。
しばしばヤマト王権にとって「最大の障害だった」とか「敵だった」とされる吉備国。
ですが、私が記紀を読む限り、吉備は初期ヤマト王権には協力的……じゃないでしょうかね?
最初からではなかったような印象も受けますが、吉備なくして大和朝廷はないんじゃないか、とすら思えます。
吉備津彦尊が治めるようになってからの話なのでしょうか?
ならば、皇族の国なのに、後年、政治的な弱体化の策謀に晒されるのは何故なのでしょうか?
それでも根気強く大和朝廷と関わり続け、吉備真備も輩出しますし……。
両者の間にあった揺れる友好関係に思いを馳せております。
尚、AIに「本文中の**備の国**とは**吉備国**のことだよ!」と言うと
「いいえ、違います!」と返ってきます。なんでやねん?
次回「第106話 射抜く眼差し」
ヤマト連合分裂の危機を前に、決断を迫られる台与。
追い詰められた台与は、その瞳に何を宿すのか――
(月曜20時ごろ更新予定です)




