第104話 届かぬ真意
纒向の月下に一人、ナギサヒコは思い悩んでいた。そこに伊勢の大巫女が現れる。
語らう二人を見つめる台与が、その時悟った『心』とは。
そして、伊都に戻ったナギサヒコは、ついに決断を下す――
その晩、纒向の邑の館では――
ナギサヒコは縁に腰掛け、月を見上げていた。
(この計画……止めねばならぬ。だが、どうやって……?)
煌々と輝く月は、その答えをくれない。
ナギサヒコは膝に肘を置き、背を丸めた。
(……二度までヤマトを開いて決めたことじゃ……通常の手立てでは覆せぬ……。
ならば、戦か?……兵力では圧倒しておる。……しかし……)
◇◇◇
ナギサヒコの頭の中では――
琵琶湖の畔であった。
伊都国軍は、ついに、淡海・尾張を中心とする大和連合軍と対峙した。
ナギサヒコは、高々と剣をかざすと、後ろを振り返り、叫んだ。
「この戦、我らに勝機あり!」
だが、兵たちは沈痛な面持ちであった。
口々に、こう囁き合う。
「あっち側には、我の親がいるんだ……」
「我も、弟がおって……」
「親兄弟と戦うのは、気乗りがせぬのう……」
「我らの故郷と……なんのための戦なんじゃ……?」
やがて、戦が始まった――
兵たちは雪崩をうって、敵陣に駆け込んだ。
そして、競うように武器を投げ捨て、ひざまずいた。
ナギサヒコは背を向けると、残った兵と共に駆け出した。
目指す先は、大和――。
ひたすら走り、ようやく纏向に辿り着いた。
そこでは――
副将・夏羽が駆けてきて、告げた。
「ナギサヒコ王! 木津川口に新手の敵が現れました! 備の国勢です……!」
「なんじゃと?!」
ナギサヒコは、その場に立ち尽くした。
夏羽は、さらに言葉を継いだ。
「亀の瀬口も既に抑えられ、木の国勢も吉野川沿いを遡って参ります!」
ナギサヒコは低く唸った。
「ぬぬぬ……防ぐのじゃ! こうなれば大和に立て籠もり、地の利を活かして……」
「いえ! それも……」
夏羽は立ち上がり、手のひらを背後に向けた。
「このところ雨が降らぬため、兵たちは湖の水を飲み……ご覧の通り……」
そこには、数多の兵が仰向けに寝かせられている。
死体も山のように積まれていた。
「戦える兵は……?」
ナギサヒコが尋ねると、夏羽は項垂れた。
「もはや、残っておりませぬ……」
◇◇◇
ナギサヒコは、月影に浮かぶ庭石をじっと見つめた。
(……敵か味方か分からぬ兵など宛にならぬ。それに、大和では戦はできぬ……。
そうじゃった。ここを『ヤマトの地』に選んだのも、それ故じゃったわ。……かと言って、このままでは……)
◇◇◇
そしてまた、想像を巡らせる――
ナギサヒコは伊都国・大殿に筑紫洲の長老たちを集めた。
その上座から、両の手をついて頭を下げた。
「――頼むっ! またこれだけの物資を……」
言い終わらぬうちに、長老たちは上座に詰め寄った。
「何故じゃ?! 我らの暮らしはどうなる?」
「なぜ、我らが大和を作らねばならぬのだ?!」
「そうじゃ! 大和と筑紫と、どちらが大事かッ?!」
「この美しい筑紫洲を……棄てるつもりか?!」
ナギサヒコは顔を上げると、腕組みをして固く目を閉じた。
呆れ顔で両手を広げ、大声を張る長老もいた。
「こんなことなら、昔のように、我らだけで山門に集おうぞ!」
「あちらはあちら、こちらはこちらでやればよい!」
◇◇◇
ナギサヒコは黙したまま夜空を見上げた。
月に覆いかぶさっていた黒雲が静かに流れ、光が漏れ始める。
(……それはよい。伊都だけでも大八州随一……筑紫の邑々も集まれば、あるいは……)
◇◇◇
そして、ついに――
伊勢の大巫女は台与を伴い、伊都の大殿に現れた。
ゆっくりと足を滑らせ、こちらに近寄ってくる。
そして、上座に座るナギサヒコの前で、静かに膝を折った。
「以前のご無礼は何卒お許しください。
都を造るなどと息巻いておりましたが、やってみれば飢饉、災害の連続……。
資材も糧も足らなくなり、ついに行き詰まりました……」
「はっはっは! そうであろう。我の言うた通りになったな!」
ナギサヒコはゆっくりと立ち上がると、平伏する伊勢の大巫女の前に膝を屈めた。
「いくら強がっても、所詮、汝は巫女……以後、政には口を挟まぬよう……」
「はい……」
◇◇◇
「……こうなれば良いのじゃ、こうなれば……そのためには……」
思いが、ついつい、口をついた。
その頃には、月灯りが煌々とナギサヒコを照らしていた。
天と自分との間に、遮るものは何もなかった。
そこに――
不意に人影が差し、目を覆った。
「ふふ……ナギサヒコ王。良いご思案が浮かばれましたか?」
いつの間にか、眼の前には伊勢の大巫女が立っていた。
柔らかく、穏やかな視線をこちらに向けていた。
「お隣、宜しいかしら?」
一瞬、ナギサヒコは言葉に詰まった。
だが、これまでの夢想を一旦脇に置き、静かに頷き返した。
「ああ……大巫女様は?」
「お休みになられました」
「そうか……すまぬな……」
「いいえ。私にとっても大切な師ですから……」
伊勢の大巫女はすぐ隣に腰を下ろすと、まずは夜空を見上げた。
「まあ……ほんに冬の月は美しいこと……」
ナギサヒコは手を組むと、館の庭先に目線を移した。
そして、大巫女に尋ねた。
「汝は……大巫女様の仰ることを、もっともだと思うか?」
すると、伊勢の大巫女は薄く笑った。
「はっきり言うと、お言葉の意味は分からないわ」
「なにっ……では、何ゆえ?」
ナギサヒコが顔を向けると、
伊勢の大巫女は月を見上げたまま、返した。
「……ですが、『行い』では一貫していると思います」
ナギサヒコは黙したまま、伊勢の大巫女を見据えた。
すると、伊勢の大巫女は続けて、
「貴方は実弟ですが、本当のところ……大巫女様をご存じないのだわ」
呟くようにそう言うと、上を向いたまま立ち上がり、
「大巫女様の巫女としてのお力は、少しも失われていません。
今も『神のご意思』に従い、都を造ろうとなさっておいでです。
私には、そう見えますけれど……」
言葉を切り、振り返るなり尋ねた。
「……貴方は?」
ナギサヒコは黙したまま、伊勢の大巫女を見つめ返した。
しばらくそうしていると、急に可笑しみが込み上げた。
「ふっ」
短く息を吐き、頭を垂れた。
「大巫女様は……結局、真意をお話くださらなかった。
何ゆえ都なのか、何ゆえ大和なのか……。
我は……信用して、いただけておらなかったのだろうか……?」
すると、伊勢の大巫女は静かに言った。
「――いいえ。真意が分からないからこそ、今度は私たちが、
大巫女様を信じて差し上げなければなりませぬ。
……そうは思いませぬか?」
その言葉に、ナギサヒコは顔を上げた。
伊勢の大巫女が立ったまま、こちらを見つめていた。
その瞳は、月光を映したかのように冷たく、だが、真剣な眼差しだった。
ナギサヒコは黙したまま頷いた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「阿蘇の大巫女様は、伊都にお連れしようと思う……」
やや間を置いて、
伊勢の大巫女は小さく笑い、頷いた。
「分かりました。では……」
「――阿蘇の大巫女の件は、もう少し待って欲しい」
続きを遮るように、ナギサヒコは強く言った。
再び、静寂が訪れた。
やがて、伊勢の大巫女は柔らかい笑みを浮かべ、頷いた。
※
数日後――
伊都から来た韓製の大船が、難波津を離れていった。
台与は桟橋で見送った後、森ノ宮の丘まで走り、
去りゆく船の帆をいつまでも眺めていた。
その隣には、伊勢の大巫女も佇み、同じ方向を見ている。
台与は、大巫女に尋ねた。
「……それで……ナギサヒコ王は承知してくださった、ということなのでしょうか?」
だが、大巫女は、期待外れのことを言った。
「……とりあえず、伊都の工作部隊を千人ほど、送ってくださるのですって」
「伊都は倭国の要です。急には兵を減らせますまい。致し方のないことかと……」
そう言葉を継いだのは、大巫女の傍らに控える掖邪狗だった。
台与は黙したまま、三度頷いた。
伊勢の大巫女と、掖邪狗に一度。
(……そうなのかなぁ……?)と思いつつ、一度。
最後に、それでも現実を受け止めるため、もう一度。
※
それから、さらに十日あまり経った伊都国では――
ナギサヒコは、大殿の前に、将兵を並べると、
土を盛った小山に登り、彼らを見下ろした。
そして、両の手を大きく広げ、天を仰ぎながら、高らかに声を発した。
「――伊都洲」
その瞬間、兵たちがどよめく。
ナギサヒコは彼らを見渡し、続けた。
「我らはここに、筑紫の都となる新たな洲を興す!
これは、大巫女様に下ったご神託でもある!」
そして、強く頷いてみせた。
将たちが、口々に声を上げる。
――我が国を、我等の手に!
――筑紫洲、万歳!
あらかじめ言い含めてあった者たちだった。
だが、時間とともに、唱和は全体へと広がった。
見込み通りの光景だった。
ナギサヒコは、薄く笑った。
そして、眼前に広がる景観や、人々の営みを遠く見やった。
(筑紫洲には、もっと広い土地があり、多くの民が暮らしておる……)
それまでわずかに揺らいでいた思いは、確信に変わった。
(……伊勢の風下に立つ必要など――ない!)
その晩――
大殿の奥にいる大巫女の元を訪れた。
阿蘇の大巫女は、すでに床についていた。
傍らにゆっくりと腰を下ろし、大巫女の寝顔を見つめる。
浮かんできたのは、伊勢の大巫女の言葉だった。
「大巫女様をご存じない……だと? 我は弟ぞ……誰よりもよう分かっておるわ……」
ナギサヒコは、その枕元で阿蘇の大巫女を見つめながら、囁いた。
「……今はもう、姉様とお呼びしてよろしいでしょうか?」
尋ねても、大巫女からの返事はない。
目を閉じ、布団を揺らしながら、寝息を立てるばかりだ。
その時――
部屋の隅から「コトン」と小さな音がした。
目をやると、纒向から連れ帰った『イヨちゃん』がいた。
イヨちゃんは横になり、にっこりと笑いながら、こちらを見つめていた。
ナギサヒコは、もう一度、大巫女に目線を落とした。
だが、すぐに立ち上がり、その部屋を後にした。
お読みくださりありがとうございました。
伊勢の大巫女様の言うことは、全くの詭弁ではありません。
認知症の方の仰ることを、そのまま字義通りに受け取ってはいけないことがありまして……。
「何を言ったか」ではなく「なぜ言ったか(動機)」を考えた方が良い、と申しましょうか。
今回は、そんな自分の体験を元ネタにしました。
一方で、私としてはナギサヒコにも同情しておりまして……。
文字がない時代ですので、王の言ったこと(発言内容)が全てのはずなのですが、
言われることが支離滅裂だったら……実際の行動に移す役割の人の苦労は計り知れません。
しかし、一方で、「この人、本当は何を信じれば良かったのかな……?」とも。
私自身もナギサヒコと同じように、自分の血縁を信じると思うのですけれども、
そういう自分も「正解の人生」を歩んで来ているわけではありませんので、
今後も「答えめいたもの」は、お示しできないだろうと思いながら、執筆しています。
次回「第105話 迷い子の太陽」
都建設のため伊都国軍・工兵部隊が大和へ向けて進発!しかし、その真意は……。
一方、台与は、運命の選択を迫られる――。
(木曜20時ごろ更新予定です)




