↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/118

第100話 正始八百八十一年の蜃気楼

正始五年正月――再び世界が動き出す。

台与に突きつけられたのは、「八百七十六年」という名の絶望。

その時、ミズハの悲鳴が上がった――


正始五年正月――


魏の都・洛陽の宮廷では、新年を祝う宴が催されていた。

この日ばかりは、文武百官、任地の中央地方を問わず、顔を揃える。


酒宴の主、皇帝・曹芳(そうほう)は殿上の中央に畳を重ね、そこで所在なさげに座っている。

大将軍・曹爽(そうそう)は、その傍らに立ち上がると、盃を掲げ、高らかに笑った。


「本年は、いよいよ蜀を平らげる!」


その場に一瞬の沈黙があった。

だが、気づかなかったのか、曹爽は構わず続けた。


「皆、前祝いも兼ねて、存分にやってもらいたい」


一斉に、将兵の唱和が響く。


――大魏帝国に、千年の栄光を!



帯方郡太守補佐・裴世春は、誰よりも大きな声を上げた。


「ばんざーい! ばんばんざーい!」


その顔に、笑みはない。

これは仕事であった。官吏としての、ひいては、自分の出世のための。

裴世春は、手元の鐎斗(しょうと)を酒で満たした。


やがて、宴の間の中央に、玉座へと続く列が出来始めた。

裴世春は、列をなす人の顔色を見定めると、

それを受け皿ごと両手で捧げ持ち、ゆっくりと立ち上がった。


すぐ前の席を通り過ぎる。

その時、帯方郡太守・弓遵(きゅうじゅん)と、隣の座の楽浪郡太守・劉茂(りゅうも)の話し声が聞こえた。


「帯方郡の本年の大きな仕事は、返礼の使者を倭国へ送ることですな」

「ああ、朝貢の……使者はどなたに?」

「塞曹掾史(さいそうえいし)の張政(ちょうせい)を向かわせる段取りにござる」


「……帯方は、華やかで結構ですな。こちらは、先の大乱以来、すっかり田舎扱いです」

「いやいや、良いことばかりではございませぬ……三韓の臣智に、禁輸物資の横流しを続けておる国があり、その取り締まりに難儀しておりまする……」


弓遵の脇を抜け、裴世春は列の後ろに付いた。

そこでは、向かいの列に座っていた司馬昭(しばしょう)と目が合った。


(……おっ、お兄上の司馬師将軍もその隣に……太傅がご病気になられてから、司馬家も落ち目じゃが……後で盃を捧げに参るとするか……)


裴世春は軽く会釈をすると、にこやかに笑んで見せた。

すると、司馬昭は軽くうなずき返した。

だが、その目は一切笑っていなかった。

すぐに目を逸らし、その後はじっと曹爽を睨み据えていた。


裴世春も前を向いた。

一歩、また一歩と、歩を進める度に、近くに座す廷臣に笑みを向け、頭を下げる。

司馬師《しばし》の前を過ぎた時、その隣に座していた将軍・夏侯玄(かこうげん)が、ぽつりと呟いた。


「司馬師殿。蜀遠征の件は、まだ評議の最中じゃったよの?」

「ははっ!」

「曹将軍……あのようなことを、陛下の前で堂々と……先が思いやられるのう……」


一瞬、間があった。

その直後、司馬師は夏侯玄に顔を寄せ、頭を下げながら囁いた。


「もし遠征となりました際には、我が弟・昭のこと、よろしくお引き立ての程を……」

「おう、引き受けよう。郭淮(かくわい)殿ともども、太傅にはお世話になったからのう」


そう言うと、夏侯玄は司馬昭に笑みを向け、静かに頷いた。

司馬昭は、黙したまま深々と頭を下げた。


裴世春は、その様子を横目に見ながら、思った。


(司馬家も昭様をご出陣させるか……これはいよいよ、曹爽様の天下かな……?)



こうして、ややしばらく経った後――



裴世春は、ようやく皇帝・曹芳の前に至ると、恭しく平伏した。

酒を注がない、形ばかりの献杯と返杯を交わす。

次にはいよいよ、曹爽の前に立った。


「帯方郡にて太守補佐を務めまする、裴世春と申しまする。以後、お見知り置き……」


そこまで言い掛けた時、曹爽は自分の杯をすっと差し出した。

だが、その顔は、すぐ近くに座す吏部尚書(りぶしょうしょ)・何晏(かあん)に向けられていた。


「何晏! 口元の化粧が乱れておるぞ? ふふふ……」

「おっと……」


何晏はすぐに盃を置くと、懐から手鏡を取り出した。

その様子に、裴世春は苦笑いを浮かべた。


(この後、何晏様にもご挨拶せねばならぬな……)


そう思って見ていると、下人らしき男が何晏の耳元に手を添えた。


「何晏様。お館に、倭人商人の那可登古殿が参っておりまする。

 新年のご挨拶と、時効成立の御礼と申し……」

「……分かった。『あとで参る』と申し伝えよ……」


何晏は頷きながら応じていた。



一通り挨拶を済ませると――



裴世春は、司馬昭の前まで戻り、膝を折った。


「司馬昭様、ご挨拶が遅くなり、申し訳ござりませぬ。新年おめでとうございまする……」

「あ……うむ……」


司馬昭は、その視線をちらりと上座に向けた。

だが、すぐに和やかな表情に戻ると、二人は祝い口上を交わした。


「世春よ、帯方の様子はいかがじゃ?」

「はっ。帯方は至って平穏無事にござりまする。高句麗(こうくり)の位宮(いきゅう)を追った毌丘倹(かんきゅうけん)将軍も、ついには黒竜江(アムール川)まで至ったとか……」


すると、司馬昭は苦笑いを浮かべ、小さく呟いた。


「ふうむ……父上の予想は外れたのう……」


裴世春は思わず、目を丸めた。

だが、聞こえなかったふりをした。

司馬昭は、こちらをじっと見つめ直し、声を潜めた。


「父上といえば、呉の動向を気にされておった。近々、倭国へ使いを送るであろう……と」

「呉が倭国に……?」


裴世春は思わず、眉をひそめた。

司馬昭は同じ調子で、さらに続けた。


「帯方からは分からぬやも知れぬが……気に留めておいてくれぬか?」


裴世春は、強く頷いてみせた。


「……そのような一大事、知れましたら、真っ先にお知らせいたしまするっ」

「うむ。頼んだぞ……」


司馬昭は、肘を立てて頷いた。


    ※


その呉国では――


赤烏七年の正会礼を終え、大都督(だいととく)・陸遜(りくそん)は、皇宮の一室にいた。

その日のうちに、任地・荊州へ戻るつもりである。

「その前に……」と皇帝・孫権(そんけん)に呼ばれ、別離の挨拶かねがね、その場に控えていた。

しばらく待っていると、宦官の高く鋭い声が響いた。


「陛下、臨御(りんぎょ)ーー」


陸遜は平伏した。

孫権の重い足音が、低く鳴った。

玉座に腰を下ろす時にもドスンッと大きな音を立て、やがて皇帝は「パシッ、パシンッ!」と膝を叩いた。


「陸遜……次の丞相には、そなたを任じようと思うておる」


陸遜は、弾かれたように顔を上げた。


「臣が都に戻るとなりますと、荊州の守りは、いかが相なりましょう?」

「もちろん都督の任を解くつもりはない。これまで通りじゃ」

「……それでは……都に丞相が不在となってしまいまする……」


孫権は低く唸ると、ゆっくりと立ち上がった。


「都に居る者は、どうも動きが鈍くてな……」


後ろに手を組んで、こちらに歩み寄ってくる。

そして、すぐ近くに膝を折ると、耳元で囁いた。


「……倭の大王への使者の件、進めてもらいたいのじゃ……」

「ははーっ」


陸遜は深々と頭を下げた。

孫権はさらに続けた。


「ところで、陸遜……」


間近にあった孫権の眼光が鋭さを増す。


「……他に、罪人の子弟を匿っておらぬであろうな?」


陸遜はわずかに目線を上げ、主君の顔色を窺った。


    ※


今や大陸の二大大国の注目を集める倭国。そこには――


新年や正月を祝う習慣は、まだない。

『新月の日』という以外には、農閑期でもあり、全く普段と変わりはなかった。

長老の館には、主だった者たちが集まってきていた。


台与は、その中心にいた。

右隣に顔を向け、大きく口を開くと、ゆっくりと声に出した。


「ま・き・む・く〜」


その視線の先にいる、金玄基(キム・ヒョンギ)改め紀玄人(きのくろうど)は、膝下を睨み据え、汗を垂らしながら唸った。


「みま……きっ、くぅ……!」

「――まぁ!です。麻を剥いで糸を巻くから『まきむく』……生地の産地なのです」


その時、すぐ左隣に座っていた伊声耆(いせいぎ)が、身を乗り出した。


「台与様……そろそろ宜しいですかな? 皆、集まりましたので……」


その向こうにいる掖邪狗(えきやく)は、こちらを見つめながら頷いた。

台与は姿勢を正して、前を向いた。


その場には、カイとタケノオがいる。

前回の朝貢の際、伊声耆が新羅から連れ帰った技師たちも集まっていた。


伊声耆が一同を見渡しながら言った。


「伊都国のナギサヒコ王が、間もなくこの地に参る。

 その際、おおよその見積りをお見せして、承認を得たい。

 皆、大変ご苦労ではあるが、明後日までに、いま一度練り直していただきたい」


「――ははっ!」


タケノオを筆頭に、技師たちが揃って平伏する。

そして彼らは、素早く立ち上がると、足早に部屋を後にした。


後に残った台与は、床に広げた布の巻物を覗き込んだ。

技師たちは、それを「暫定の見積書」と呼んでいた。


伊声耆が目を細めて、笑みを向けた。


「取り敢えず、千年は掛かりませぬ……ご安心ください」


台与は黙したまま短く頷いたが、すぐに布に目を戻した。


「……『予定工期 正始五年三月〜正始八百八十一年四月』……正始八百?!」

「つまり、八百七十六年ですね」と言うと、掖邪狗は満面の笑みを浮かべた。

伊声耆も掖邪狗に笑みを向ける。


「汝がカイさんと、さんざんやり合ったからな。『せめて三桁にしろ』って……」


「……ほぼ千年では?」台与は問い直したが、

「ぜんぜん違います!」掖邪狗は強く言い放った。


台与は、一度掖邪狗に送った視線を、再び布の上に落とした。


「でも、『有効期限 正始五年二月末日』……って……」

「これは、見積書の有効期限です。それは基本なので、お気になさらずとも……」


伊声耆は静かにそう応じた。

台与は黙って聞いていたが、言い淀んだところで、さらに続けた。


「予定工数……十五億九千八百七十万人日。一日当たり五千人で算出……。

 但し、天候不順、戦争、災害による作業中断、及び、復旧に掛かる工数を考慮せず……」


台与が読み上げると、

紀玄人が口を挟んだ。


「これは……一万人投入すれば半分になる、という話ですか?」

「人数を倍にして、身動きが取れるものなら、そうじゃろうな」


そう答えると掖邪狗は、紀玄人を睨んだ。

伊声耆は目を閉じて呟いた。


「五千とて、伊勢の最大動員兵力……どこから引っ張る?」

「八百七十六年間、五千人動員し続けたら、田畑が無くなるぞ……」


そう呟いて頭を抱える掖邪狗に、台与は尋ねた。


「伊都は軍兵だけで、一万一千と聞きましたが……?」

「全国の邑々に分担して、派兵してもらっているからです。さらに五千も、となると……」


「伊都から半分送ってもらえば良いのでは?」

「……ナギサヒコ王が、なんと仰せになりますかな……?」


伊声耆は唸った。


「これを、米に換算すると何升じゃ?……一人一日三合として……」

「いや、その勘案は意味がなかろう。米は一年に一度しか取れないのだから」


掖邪狗が口を挟む。伊声耆は頷いた。


「そうか……五千人を一年、食わせ続ければ良いのか」

「違うな……人足を増やすと、米もその分、増えるから……」


そう言うと、掖邪狗は頭を掻きむしった。

台与は、伊声耆に尋ねた。


「……でも、雨の日は作業できないのですよね?」

「『天候不順』云々とあるのは、そういう意味ですか……。ああ、でも拘束期間は一緒だから……ん?」


「なにか……おかしい……」

「どこかがおかしいですな……」


台与は首を傾げ、伊声耆は腕組みをした。

その時、不意に――


「――はっはっはっはっは!」


掖邪狗は高く笑った。だが、すぐに頭を垂れた。


「……あいつらさあ……」


台与は口を固く結ぶと、もう一度、布の見積書を見つめた。

そして、紀玄人をちらりと見やる。

彼もまじまじと布を見つめ、何か言おうとしている。


「……ですが、義父(ちち)と義兄(あに)も『並行してできる作業もある』と言っておりましたし、見直せば、もう少し短く……」


その時だった――



――キャアァァァァァァァ!



遠くから、ミズハの叫び声が響いた。

その場にいた全員が、一斉に立ち上がった。


    ※


ちょうどその頃――


難波の沖に、伊都の船団が現れた。

先頭を進み来る船の上には、舳先に片足をかけ、こちらを見据えている男がいる。

その姿は、森ノ宮の丘からもはっきりと見えた。


伊勢の大巫女は、冷徹な響きを湛えて呟いた。


「ナギサヒコ王、自ら来たわね……」


ルナはその傍らで、不安げに眉をひそめた。


「実の弟君ですから……。納得していただけるでしょうか」

「……無理でしょうね。理解を求めるのは、酷というものだわ」


伊勢の大巫女は、事も無げに言い捨てた。

そして、くるりと船団に背を向けた。


「出迎えに参りましょう」


ルナは静かに頷くと、その後に続き、館へと歩を進めた。


お読みくださりありがとうございました。

876年というのは、けっこう「いい加減な」年数です。

こんな感じで決めました。


――

AIくん。実際、都を造るのに、どれくらいかかるの?

AI「千年では終わりません! その理由は……」

710年平城京遷都なのに、それはないよ……。

AI「では、条件により……」

それじゃあ、条件はね……こうこうこうで、ああで……

――


頑張ったのですが、500年以下にはなりませんでした。

どこかで、とてつもないイノベーションがあったに違いありません。


実際にどれくらい厳密で、計画的だったのか……今となっては謎ですが、

ただ、まったくの無計画だったり、各自バラバラに、行き当たりばったりでやっていたとしたら、

おそらく、歴史年表通りにはなっていないような気がするのです。



次回「第101話 イヨちゃんの瞳」

ミズハの悲鳴は何を意味するのか?超巨大プロジェクトの行方はーー?

その時、イヨちゃんの瞳には、あるものが映った――

(木曜20時ごろ更新予定です)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。