372 巡り合わせの妙
マウンド上の正樹の様子を盗み見て、少し安堵しながらボールを投げ返す。
傍目には平静に見えても世界最強のアメリカ代表との天下分け目の戦いのさ中。
2点のリードはあるものの、延長戦でのピッチングだ。
気合が入り過ぎて加減が利かなくなってしまう可能性もなくはなかったが……。
一先ず心配は杞憂だった。
正樹はU12の日本代表を経験し、俺達よりも国際大会の場数を踏んでいる。
それに加えて2度の手術と長きにわたる辛いリハビリを乗り越えてきたこともまた、セルフコントロールの向上に繋がっているのだろう。
少なくとも今の1球は、練習通り的確に、緻密に制御されていた。
これならば彼の指に悪影響を与えることはなさそうだ。
『随分と無茶をするじゃないか』
ルーティーンらしき動作を行いながらバットを構え直し、セオドア選手が呟く。
心配するような言葉とは裏腹に、その声には楽しげな響きが含まれていた。
『……あなた方を抑え込むにはそれぐらい必要でしょう』
『かもしれないな』
対して俺が簡潔に返すと、彼はフッと笑って言ってから一気に集中力を高めた。
その切り替えの早さ。
背筋が冷えるような威圧感。
さすがは【打撃の神様】と言うべきだろう。
改めて、その恐ろしさを感じさせられる。
思えば7回表は彼のホームランからの5連打だった訳だからな。
キッド選手を盗塁死させることができて本当に良かった。
そう心の底から思いながら正樹とサイン交換を行い、2球目。
今度は高速ナックルを指示する。
――カッ!!
バコンッ!!
「ファウルッ!!」
直前で【直感】の変動が起こり、コースを変えて最もマシな結果を選択する。
それでも彼は高速ナックルに当ててきた。
バックネットのフェンスに鋭く直撃するファウル。
タイミングは合っている。
1つ前のキッド選手もそうだったが、アメリカ代表は既にそれ一辺倒ではもう抑えられない段階に入ってしまったのだろう。
……やはり、抜けナックルを活用していくしかない。
ナックルという球種は回転を抑制することが肝となる変化球だ。
しかし、その制御に失敗すると半端な回転が付与されてしまい、半端な変化球に成り下がってしまうことがある。
それはもはやナックルでも何でもないが、表現するなら抜けたナックルだ。
普通なら失投もいいところ。
だが、逆に言えば。
その抜け方を意図的に調整することさえできれば、ナックルの握りでありながら回転を伴う球を投げることも不可能ではない訳だ。
大松君やジャイアント選手、モー選手が抜けスラや抜けカットを制御してジャイロボールや落ちるジャイロボールへと昇華したのと似ている。
そう並び立てると単純な話だが、当然ながら実践するのは容易なことではない。
折り曲げた指の第1関節の部分と親指の間に発生する握力。
ここにまず尋常ではないレベルの強さが求められる。
並のピッチャーならば、それこそ半端に変化しただけの球になるだけだ。
一方の正樹。
彼の握力はカンストしたステータスによって保証されている。
後は縫い目をどこに持ってくるか。
それによって一定の変化球はナックルの握りでも再現することができる。
更に回転軸や回転量を調整するスキルも完備している訳で……。
正樹がそれらの要素を全て適切に駆使すれば、ナックルの握りから投じられながらもナックルではない、ピッチャー自身が意図した制御が可能な球とする。
本来ならば、握りが特殊であるが故に球種を読まれる欠点があるナックル。
その弱点を克服することで高速ナックルそのものの威力を高める効果もある。
加えて、抜けナックルによる変化球は多段変化も可能だ。
即ち、美海ちゃんの高速ナックル。
大松君の抜けスラ、抜けカットの制御。
磐城君の多段変化。
仲間達のエッセンスを全て取り入れた、ある種の集大成とも言える技術だ。
ただし、「できる」ということはイコール安全という訳ではない。
正直、正樹がやっていることは非常識としか言いようがない。
モー選手の投球技法にも通ずる埒外さがある。
ハッキリ言ってしまうと怪我のリスクが大きい。
当たり前だが、回転を強くかけようとすればする程、指先への負荷が強くなる。
通常の握りではないが故に、普段かからない部分に負担が行く。
第1関節付近の皮膚もそうだし、特に爪。
匙加減が分からなかった当初は青木さんと柳原さんのフォローがあって尚、実際に何度か爪を割ってしまっている。
ピッチングにはつきものの類の怪我ではあるものの、常識的なピッチャーの投球に比べて過剰なぐらいにリスクが高いのは間違いないことだった。
だから、当時の俺はこの球の練習を控えさせようとしたのだが……。
正樹はそこに打倒アメリカ代表の道を見出したらしく、それに従わなかった。
そんな彼の意思を無視できるはずもなく、青木さんと柳原さんの力を借りて十分安全に配慮することを条件に俺は折れたのだった。
結果としてWBW決勝戦の延長戦という極限の状況で世界最強のアメリカ代表打線相手の武器となっているのだから、正樹の判断の方が正しかったのだろう。
いや、彼の意思と覚悟と努力がそれを正解にしたと言うべきか。
怪我を気にすることなく高速ナックルを捕球できるキャッチャーが試合中に誕生するという巡り合わせも含め、この状況を引き寄せたような気すらする。
『面白いな』
セオドア選手の呟きに「本当に誰も彼もアメリカ代表選手は」と内心呆れる。
皆、野球狂いにも程がある。
この日本代表とアメリカ代表との戦いにおいて、正樹のこの選択が勝利の可能性を高くすることに寄与したのは間違いないだろう。
しかし、対峙しているのは【打撃の神様】だ。
正解を選んできたからと言って、必ず抑えることができる保証は一切ない。
3球目。抜けナックルを制御した落ちるジャイロボール。
リリースの時点で既に【直感】が結果を示していた。
だから一瞬、バットにキャッチャーミットを当てる選択肢すら脳裏を過ぎった。
ひたすら合理的に考えれば、少なくともこの打席においてはマシな結果になる。
頭の中でそうは思いながらも――。
――カキンッ!!
【直感】の通り、セオドア選手が落ちるジャイロボールを引っ張った。
打球は鋭く低い弾道でセカンドの倉本さんの頭の上へ。
彼女は【軌道解析】を基にジャンプするもグローブは届かず。
ライナー性の当たりはそのままライトの磐城君とセンターの山崎選手の間を抜けて、深いところでワンバウンドしてからフェンスに当たる。
完全なる長打コースだ。
山崎選手がクッションボールに対応して即座に2塁へ送球するが……。
「セーフッ!!」
セオドア選手の姿は既に2塁ベース上にあった。
2ベースヒットで1アウトランナー2塁。
得点圏へとランナーを進められてしまった。
やはり、これならば打撃妨害で1塁に進ませた方がマシな結果ではあった。
とは言え、審判にわざとと捉えられれば退場の危険性もある。
何より真っ向から弾き返されてしまうよりも、そのような形で出塁を許してしまう方がピッチャーとしては遥かに嫌だろう。
投球に影響が出ては本末転倒だ。
意図した妨害など戦術に組み込むべきではない。
こういった部分にゲーム感覚的なところの名残が感じられる。
我がことながら思わず呆れ果ててしまうが、そんな考えは頭から追い出して次のバッターを抑えることに集中すべきだ。
しかし、その前に。
審判にタイムを要求してマウンドに向かう。
「……何だ」
「正樹。高速ナックルと抜けナックルのスイッチ、やっていくぞ」
俺の言葉に正樹は軽く舌打ちする。
「手加減なしって言ったのはお前だろ。まさか、まだ遠慮してたのか?」
「……まあ、奥の手はギリギリまで隠すものだろ」
若干視線を逸らしながら言い訳をする。
可能ならバンビーノ選手用に隠しておきたかったのは事実だが、それはあくまでも理想論。11回の裏にもはやそんな余裕はない。
と言うか、実のところセオドア選手には使うつもりでいた。
だが、あの3球目。
【直感】は超反応によってホームランを打たれる未来を突きつけてきていた。
さながら最高の球に自らも高められ、最高のバッティングに至ったかの如く。
だから、やむを得ず、ああすることにした訳だ。
さすがはバッティングに特化した【打撃の神様】と言うべきだろう。
ただ、どうあれここまで使わなかったのは事実。
正樹と改めて意思を共有するため、こうしてマウンドに来た訳だが……。
「後アウト2つ。全てを出し尽くす。それができなければ死んでも死に切れない」
正樹の言葉に「この期に及んで俺は」と思う。
無用な配慮だった。
勝利のために余計なものは一旦全て脇に置いて。
キャッチャーとして純粋に正樹の覚悟に応えなければ。
そう己に言い聞かせる。
「だったら、合図を絶対に見逃すなよ」
「当たり前だ」
そして俺はキャッチャーミットを彼の胸に軽くぶつけ、正樹の言葉に頷いてからキャッチャースボックスに戻った。
改めて、場面は1アウトランナー2塁。
3番バッターのビスケット選手が左のバッターボックスに入る。
「プレイッ!!」
彼はひたすら打席に没頭し、正樹のみを見据えている。
セオドア選手に投じた2球の抜けナックル。
それは既に彼の頭の中に選択肢として入っている。
初球。当たり前のように【直感】は変動する。
だが、【最高の一塁手】は【打撃の神様】程バッティングに特化していない。
それが命運を分けた。
セットポジションからの投球のさ中。
キャッチャーミットの角度を変える。
それを正樹は超集中状態で把握し、投球動作の途中で外に逃げる抜けナックルのスイーパーから高速ナックルへと切り替える。
――カキンッ!!
ビスケット選手はそれ芯で捉えたものの、僅かにボールの上を叩いていた。
引っ張った打球は鋭いゴロとなる。
しかし、ファーストの昇二の真正面だった。
彼は落ち着いて捕球し、自分で1塁ベースを踏んでアウト。
ホッと胸を撫で下ろす。
どうにか今度は1球で決着がついた。
ただ、セオドア選手はファーストゴロの間に進塁して2アウトランナー3塁。
ここで迎えるバッターは4番。
世界最高の選手にして【野球の神様】たるバンビーノ選手が打席に入る。
11回裏。スコアは5-3。ホームランで同点。
アウトになったら、その時点で試合終了。
点差は違えど9回表の俺と似たようなシチュエーションだ。
やはり、彼を打ち取らなければ栄光の勝利は得られないのだろう。
そう思わされる。
巡り合わせの妙というものは存在するのかもしれない。




