371 切り札を切る
実際に視線を交わしていた時間はほんの僅かだったに違いない。
それでもバンビーノ選手の昂ぶりは十二分に感じることができた。
そんな彼の熱い思いに引きずられるように、こちらの気持ちもまた燃え上がる。
前世では取るに足らない人間に過ぎなかった俺が、まるで真っ当なスポーツマンになってしまったかのようだ。
我知らず口元に笑みが浮かんでしまう。
そこにはいくらか自嘲も含まれてはいたが、再び好敵手との白熱した勝負を楽しみたい、スポーツの醍醐味を味わいたいという欲求も確かに存在していた。
もっとも、日本代表選手という立場から言ってしまうと、たとえキャッチャーとバッターという形であろうと今日の再戦などない方がいいのだが……。
いずれにしても、バンビーノ選手の意思と彼が思い描く展開は明白だ。
アメリカ代表チーム全体としても近い考えがあるはずだ。
一方の俺達日本代表はそれを阻むために動かなければならない。
その攻防もまた1つの戦いの形だ。
言葉はなく、やがて俺達は示し合わせたかのように同時に互いに背を向ける。
あくまでも短い時間だったが、これもまた試合を象徴する一時だった気がする。
ある種のシャッターチャンス。
それを逃すことなくものにすることができたカメラマンがいたかどうかは分からないが、俺達は各々自軍のベンチへと戻った。
ここで悠々と歩いていければ格好がついたかもしれないが、ベンチの最前列で防具を持って待機しているあーちゃんが見えて、慌てて駆け足で彼女に近づく。
WBW決勝戦だろうと何だろうと、キャッチャーというものはやはり大変だ。
しかし、締まらない。
俺らしいと言ってしまえばそれまでだけども。
「秀治郎君!!」
すぐに黙々と防具の装着を手伝い始めたあーちゃんとは対照的に、美海ちゃんが興奮したように名前を呼びながら俺を出迎える。
しかし、彼女は興奮し過ぎて言葉がそれ以上出なくなってしまったらしい。
口をパクパクさせながら、松葉杖を持っていない方の手をパタパタさせる。
そんな彼女の姿を見て、近くにいた正樹が呆れたような表情を浮かべた。
「はあ……少し落ち着けよ」
「正樹君!!」
彼に対しても大きな声で名前を呼んだだけで後が続かない。
そんな美海ちゃんに思わず噴き出しそうになってしまった。
まあ、彼女の気持ちは分からないでもない。
ベンチも全体的に地に足がついていない雰囲気があるしな。
これもこれで仕方のないことだろう。
11回表。日本代表は遂にアメリカ代表相手に勝ち越すことに成功した。
この試合で俺達がリードしている状況は7回以来だ。
更に言えば、僅か1点の違いながら今日最大のリードでもある。
このまま1失点以内で後アウトを3つ取ることができれば、あのアメリカ代表に勝利することができるというところまで来た。
後少しで史上初のWBW優勝に手が届く。
しかも1度絶体絶命のピンチに陥った上で、それを乗り越えてきた訳で……。
そんな状況で盛り上がるなと言う方が酷だ。
とは言え、裏を返せば。
「まだアメリカ代表打線から3つもアウトを取らないといけないっすけどね」
倉本さんの言う通り、難易度の高過ぎるそのミッションがまだ残っている。
勝ち越しを喜ぶのはもう十分だろう。
雰囲気を盛り上げるのはベンチや日本代表応援団に任せ、俺達は今大会最後とすべき守備に向かわなければならない。
「兄さん。大丈夫?」
「問題ない。最後まで全力を尽くすだけだ」
170km/hの高速ナックルという負荷の大き過ぎるピッチングを心配する弟に、そんなリスクは何てことないと軽く流すように返す正樹。
それが単なる捨て鉢ではない限り、俺はもうそれを否定すまい。
「……正樹。次を抑え切ってこのまま勝つぞ」
「ああ。勝って、歴史に名を刻んでやる」
勝利投手の権利は今、正樹にあるからな。
勝てば記録として残り続ける。
今を生きる人々の記憶にも残るだろう。
正にこの世界における歴史の1ページとなる訳だ。
「空回りしないように」
視線も向けないあーちゃんの忠告に、正樹は嫌そうに表情を歪ませながら黙る。
余計なお世話とでも言いたげだ。
意気込み過ぎているような言葉を口にしつつも気負った様子はなかったからな。
テンションが振り切ってしまった美海ちゃんとは違って。
だから、2人のやり取りはいつものじゃれ合いだとは理解しつつ。
「正樹なら大丈夫だよ」
一応、俺からそうフォローしておく。
単純に試合に出場していて発動中のスキルが美海ちゃんより多いのもあるだろうが、彼女を反面教師にして冷静になった部分もあるに違いない。
そんな風に分析している自分もまた、そんな美海ちゃんのおかげでバンビーノ選手と対峙して過剰なぐらいに昂った気持ちがいくらか落ち着いた自覚があった。
キャッチャーとして戦うからには冷静でなければならない。
あーちゃんにサポートされながら防具の装着を進めていく。
「後ろはわたし達が守るから。最後まで頑張って。しゅー君も……正樹も」
と、仕上げのタイミングで彼女にそう鼓舞された。
俺はともかくとして、珍しく正樹にも名前まで呼んで。
思わず驚き、その正樹と顔を見合わせてしまう。
2人をよく知る者は皆、似たような顔をしている。
そんな周囲の反応に、あーちゃんは少し不機嫌そうな顔をした。
慌てて俺は「後ろは任せた」と真面目な顔で応じ、正樹もまた「おう」と応えながらニヤリとやや意地悪く笑った。
WBW決勝戦のクライマックスだけに彼女も思うところがあるようだ。
まあ、何はともあれ。
道具も体も、心も準備完了だ。
「秀治郎」
「よし。行くぞ、正樹」
互いに頷き合って気合を入れ直し、マウンドに駆けていく正樹の後を追って俺もキャッチャースボックスへと向かう。
あーちゃん達もまた各々守備位置についた。
そして11回裏。後がなくなったアメリカ代表の攻撃が始まる。
打順は11回表の日本代表と同じように1番バッターから。
右のバッターボックスに入ったキッド選手は、2点差のプレッシャーなどないかのように泰然とバットを構えている。
「プレイッ!!」
球審のコールも力強さが一層増す。
勝負の分かれ目。
11回裏のアメリカ代表打線に対する1球目。
球種は変わらず高速ナックル。
「ストライクワンッ!!」
キッド選手は左右に大きくブレた挙句に真ん中低めの甘いコースに来た球をアッサリと見送って、ノーボール1ストライク。
バットを振る気配は一切なかった。
ただボールの動きを目に焼きつけるように見据えていた。
それから構え直した彼はバットを短く持ち、僅かにスタンスを変えた。
2球目。ノーステップから――。
「ボールッ!!」
しっかりと見極めて見送って1ボール1ストライク。
フォーシームと同等の速度で無作為に大きくブレる変化球。
まさに魔球。
とにかくコンパクトに、最短のスイングで対応する以外にない。
3球目はその感覚を確かめるようにバットが振られる。
――ブォンッ!!
パァンッ!!
空振り。しかし、キッド選手の瞳に揺らぎはない。
超集中状態を超えているのが窺い知れる。
タイミングは合っていた。
敢えてコースだけ外したようなスイングだった。
そして4球目。
【直感】が芯で捉えられる予測をし、咄嗟にミットを動かしてコースを変える。
「ボールッ!!」
正樹はそれに従い、俺の想定した通りの結果となる。
2ボール2ストライク。
5球目もまた【直感】がヒット性の当たりを打たれることを示すが、フルカウントにしたくはないとストライクゾーン内でコースを動かすが……。
「ボールッ!!」
どこに投げさせようとしても芳しくなく、結局ボールを選ぶ。
やはり球種が分かっていては、コースだけ変えても難しいか。
6球目。選択肢を精査する。
全てコンタクトされるが、5球目よりは当たりが弱いパターンがある。
フォアボールよりはアウトの可能性があるだろうと敢えて打たせることにする。
――カンッ!!
当てただけという感じのバッティング。
打球はハーフライナー。
セカンドの倉本さんの方へ。
【軌道解析】を用いて最接近する位置まで駆けて飛びつくも、僅かに届かず。
前に出てきた磐城君がワンバウンドで捕球してライト前ヒットとなった。
「「「「「「「「WOOOOOOOOOOOOOOO!!」」」」」」」」
ノーアウトからランナーが出てアメリカ人観客達が一気に活気づく。
そんな中、2番バッターのセオドア選手が左のバッターボックスに入った。
キッド選手が1塁から離れてリードを大きく取る。
射貫くような視線を正樹に向けながら。
これは……。
1球目のサイン交換を終えて、正樹がセットポジションに入る。
【直感】が俺の予想を肯定し、即座にキャッチャーミットの位置を変える。
ほぼ同時にキッド選手がスタートを切った。
初球から走ってきた。
高速ナックルというキャッチャー泣かせにも程がある変化球に対処しながら盗塁阻止を行うのは不可能。そう判断してのことに違いない。
これまで出塁すれば走りたい放題という状態だったのもあるだろう。
ダブルプレーの可能性を減じる意味でも成功した場合のメリットは大きい。
だが――。
――パァンッ!!
「ボールッ!」
2塁には既にあーちゃんが入っている。
ナックルがブレた結果としてアウトコースに外れるようにコントロールした。
ボールを掴み取って即座にスローイングに入る。
しゃがんだ正樹のすぐ脇を通過する低い軌道で送球する。
あーちゃんのグローブ。2塁ベース1塁側のベストポジション目がけて。
――パァンッ!!
ボールは彼女のグローブに正確に収まる。
そして左足から滑り込んできたキッド選手にタッチした。
彼が2塁に到達する前に。
「オンザタッグ! ヒズアウトッ!!」
「「「「わあああああああああっ!!!」」」」
歓声が逆転する。
ノーアウトランナー1塁が1アウトランナーなしに変わった。
アメリカ代表は攻めたつもりでどこか常識的に考え過ぎていたようだ。
盗塁阻止に関して言えば、俺と正樹の組み合わせは日本の最適解に近い。
そう容易く2塁は踏ませない。
これで残るアウトは2つ。
カウントは1ボールノーストライクとなり、改めてセオドア選手と対峙する。
キッド選手も高速ナックルに対応してきた。
【打撃の神様】たる彼ならば尚更。高速ナックル一辺倒では厳しいだろう。
ならばとサインを出す。
正樹が頷く。
初球はあくまでも見せ球。
ワインドアップから2球目を投じる。
――パァンッ!!
「ストライクワンッ!」
戸惑い見送ったセオドア選手が目を見開きながら俺と正樹を順に見た。
球種の分類としては抜けたナックルというところ。
だが、それは正に抜けスラや抜けカットを意図的に制御したのと同様に、ジャイロ回転を伴ってインコース高めいっぱいに決まったのだった。




