370 11回裏を残し
悲鳴のような声がバンクノート・パークに響き渡った。
同時に、それを打ち消すような大きな歓声が上がる。
真芯で捉えた打球は低く鋭く左中間に飛んでいき、長打を警戒して深く守っていたセンターとレフトの丁度中間に落ちた。
前に落ちる分には、正に世界最高と呼ぶに相応しい守備力でセカンドランナーのホームインを防ぐこともできるという自信があってのことだろうが……。
この打球速度でど真ん中を抜かれてはさすがにどうしようもない。
まず1点は確定。
日本代表の走者とアメリカ代表の守備との戦いの焦点は2点目を奪うことができるか、あるいは阻むことができるかの攻防に移る。
――バコンッ!!
俺の打球はそのままの速度でフェンスにぶつかった。
ボールにかかったスピンの影響もあり、ボールは角度を少し変えて跳ね返る。
レフトを守るセオドア選手寄りに。
それがほんの少しだけ捕球のタイミングを遅らせていた。
センターのキッド選手は彼固有の【特殊生得スキル】である【コンプリート・プレイヤー】の効果によって野球全般に補正がかかっている。
その対象には勿論、守備力も含まれている。
一方、レフトのセオドア選手の【特殊生得スキル】は【打撃の神様】であり、その効果対象はバッティングに限られる。
ステータスやその他諸々のスキルでセオドア選手も世界最高レベルの守備力を有していることは間違いないが、2人を比較してしまうとキッド選手に天秤は傾く。
打球がズレて跳ね返った結果、それら全てを加味した上で彼らが同じタイミングで追いつくような位置にボールは転がっていた。
「行けえええっ!!」
「回れ回れ!!」
「走って!!!」
日本代表応援団の中からも2点目を期待する声が聞こえてくる。
1つでも先の塁へ。
当然の思考だが、アメリカ代表選手達の守備力を考えると闇雲な走塁は危険だ。
冷静に見極めなければならない。
とは言え、相手はバンビーノ選手。
チャンスがそう何度も来るはずがないし、11回表1アウトという場面。
11回裏の打順のことまで考えると、やはりここはリスクを取るべきだろう。
目線だけで全体の状況を確認しながら1塁ベースを蹴る。
2塁ランナーだった倉本さんは既に3塁ベースとホームベースの間、4分の3ぐらいの位置まで進んでいた。
どうやら彼女は俺がスイングを始動した段階で【軌道解析】を以って打球の行方を予測し、スタートを切っていたようだ。
結果的にそこまでする必要は全くなかったが、半ばヒットエンドランのような状態になっていた彼女は安全にホームインした。
「「「「わあああああああああっ!!!」」」」
外野の間を抜けた時点でここは確定していたが、一先ずこれで1点勝ち越し。
スコアは4-3となった。
だが、相手はアメリカ代表。
1点リードだけでは心許ない。
どうにかしてもう1点欲しい。
その2点目のランナー。
1塁走者である山崎選手は2塁を回り、今正に2塁ベースと3塁ベースの中間辺りを駆け抜けようとしているところだった。
打席で見せた研ぎ澄まされた集中力をそのまま維持し、それを走塁にも適用してほぼコンタクト直後に走り出していたようだ。
そこでセンターのキッド選手がボールを捕球してバックホームに入る。
もう少しセオドア選手寄りだったら彼がボールを捕っていただろうが、やはり同時ならキッド選手がそうするコンセンサスが取れていたのだろう。
【コンプリート・プレイヤー】たるキッド選手のまさしくレーザービームと呼ぶに相応しい速く正確な送球が、中継に入ったショートのオリオール選手へと向かう。
3塁コーチャーは山崎選手に対してストップのジェスチャーを見せていた。
実際、かなり際どいタイミングだ。
まだ【直感】の作用範囲は超えていて確定できないが……。
素の俺の予測では半々か、少し分が悪いというところ。
アメリカ代表選手の肩の強さと連係を考えると妥当な判断だ。
だが、山崎選手はその制止を振り切るようにして3塁ベースを蹴った。
彼がコーチャーの指示を認識していたのかは分からない。
正直なところ、コーチャーの動きも半端ではあった。
セオリーとしては制止のジェスチャーはもっと大きく、本気で進塁をとめたいならランナーの走路の前に出るぐらいはすべきだった。
とは言え、やはりコーチャーにも迷いがあったのだろう。
何より、そこまでしても山崎選手がとまったとはとても思えない。
彼の目には本塁しか見えていないかのようだった。
ボールが中継のオリオール選手に届く。
彼は即座に本塁のジェネラル選手へと送球しようとする。
危うい。
ここまで来たら【直感】の作用範囲だ。
ジェネラル選手は的確にタッチしてくる。
ギリギリではあるが、何もしなければ確実にアウトになる。
だから俺は、2塁ベースの前で敢えて速度を緩めた。
2塁送球の選択肢をオリオール選手に与えるために。
1点に目を瞑ってアウトを1つ確実に取る。
1点を防いで2アウトランナー2塁。
あるいは1点を取られた挙句に1アウトランナー2塁。
本当にギリギリのプレイだけに迷いが生じてもおかしくはない。
こちらとしては2塁憤死したとしても確実に点が入るならその方がいい。
とは言え、余りにもあからさま過ぎて分かりやすい戦術だ。
いくら何でもそれでオリオール選手が本当に判断を鈍らせて本塁ではなく2塁に送球し、1点と引き換えに俺をアウトにすることを優先させるはずもない。
オリオール選手はそんな俺に一瞬だけ視線を向けたものの、すぐに本塁間近でバックホームを待ち構えているジェネラル選手へと目を戻した。
そして矢のような送球が投じられる。
「――よしっ」
改めて2塁ベースと進みながら小さく口の中で呟く。
広い視野と凄まじい動体視力が仇となった。
ほんの一瞬の目配せ。
それが【直感】の予測を変化させていた。
――パァンッ!!
ジェネラル選手のキャッチャーミットにボールが収まる。
と同時に山崎選手が本塁へと滑り込む。
ジェネラル選手が即座にタッチに向かうが……。
紙一重。
山崎選手はそれをうまく掻い潜ってホームベースの隅を指先で擦った。
正にその直後、彼を追いかけたミットが遅れて山崎選手の体に触れる。
「セーフッ!!!」
球審が大きく手を広げてコールする。
「「「「「「わあああああああああっ!!!」」」」」」
お通夜のように静まり返ってしまったアメリカ人観客とは対照的に、ここぞとばかりに日本代表応援団が歓声を上げる。
7回裏にアメリカ代表が逆転した時とは真逆の状況だ。
結果は2点タイムリー2ベースヒット。
2塁ベースの上からスタンドの日本応援団に向かって拳を掲げる。
スコアは5-3。2点リードとなった。
延長でのこれは非常に大きい。
しかも、1アウトランナー2塁と尚もチャンスは続いている。
もう1点追加することができれば、かなり優位に立つことができるだろう。
一変した球場の雰囲気の中、5番バッターの昇二が右の打席に入る。
表情から俺に続こうと相当気合いが入っているのが見て取れる。
一方、マウンドのバンビーノ選手の様子は2塁からでは分からない。
彼は何ごともなかったかのようにセットポジションに入っているが……。
「ストライクワンッ!!」
初球から【直感】の予測が変動を起こした。
スイーパーの変化量とコースが変わり、最終的に昇二は反応しつつも見送った。
この現象が起きている以上、共に超集中を超えた状態にあることが分かる。
俺の一撃はバンビーノ選手を動揺させるには至らなかったようだ。
そのまま彼は淡々と2球目に入る。
「ストライクツーッ!!」
スプリットの多段変化から一転してのカーブ。
昇二はこれも見送ってノーボール2ストライク。
そして3球目。
――パァンッ!!
ボールゾーンに逃げていく高速ナックルをハーフスイング。
球審はボールの判定をしたが……。
即座にジェネラル選手がスイングの有無を確認した。
球審が1塁塁審に掌を向ける。
アウトのジェスチャーがなされた。
昇二はバットをとめ切ることができず3球三振で2アウト。
悔しげにベンチに戻っていく。
さすがにもう1度彼に打席が回ってくる可能性は低い。
最後の最後で半端なバッティングとなり、悔いの残る打席になってしまった。
次のWBWまでのモチベーションとして昇華するしかない。
続いて打席には6番バッターの正樹が立つ。
アメリカ人観客達は未だに大人しい。
だが、昇二がテンポよく簡単に三振させられてしまったことで日本代表応援団もまた冷や水をぶっかけられたかのように若干トーンダウンしていた。
そんな中での初球。
高速ナックル。
1度ボールゾーンに出てからストライクゾーンに戻ってくるブレた球だった。
――カンッ!
「ファウルッ!!」
自身も高速ナックルの使い手となったが故か、どうにかバットを合わせる。
しかし、ボールは前に飛ばず。
ファウルとなってノーボール1ストライク。
そのナックルが頭に残った状態での多段変化への対応は、守備ではピッチャーとしてマウンドに上がらなければならない正樹には厳しかったようだ。
彼もまた3球三振となって3アウトチェンジ。
「「「「「「WOOOOOOOOOOOOOOO!!!」」」」」」
どうにかして勢いを取り戻さんとするように観客が声を上げる。
11回表の日本代表の攻撃は2点を挙げたものの、その後2者連続3球三振。
2点リードしたものの、いわゆる流れ論を持ち出すならバンビーノ選手のピッチングによって互角に引き戻されてしまったかのような錯覚を抱く。
そんな中で俺は2塁から1塁側ベンチに戻りながら、3塁側ベンチに引き上げていくバンビーノ選手へと視線を向けた。
同時に彼もまた俺を振り返り、目と目が合う。
燃え盛るようなその瞳にこちらが焦がされてしまいそうだ。
11回裏。アメリカ代表の攻撃。
2点差の状況で最終局面が始まる。
それを前にして。
バンビーノ選手の顔には、2点差を覆しての逆転サヨナラという劇的な勝利の舞台が整ったとばかりに不敵な笑みが浮かんでいた。




