368 筋書きのないドラマ
「みっく、打って!!」
直前の打席で空振り三振に倒れてベンチで項垂れていたあーちゃんが勢いよく立ち上がり、いつになく声を張り上げてエールを送る。
応援で1つの打席にここまで入れ込む姿を見るのは初めてのことかもしれない。
【直感】で結果はある程度予測できているはずだが、WBW決勝戦という大舞台の空気は普段マイペースな彼女にさえそうさせるようだ。
それに少しだけ驚き、顔をそちらに向けた次の瞬間。
――カンッ!!
甲高く澄んだ打球音が響き渡り、俺はグラウンドへと視線を戻した。
打球はハーフライナー。
過不足なくセカンドのラージャ選手の頭上を越えていく。
そしてグローブを目一杯伸ばして飛びついた彼と猛チャージしてきたセンターのキッド選手、ライトのバンビーノ選手が形成する三角形の中心にポトリと落ちる。
ボールは最終的にバンビーノ選手が捕球する形となったが、倉本さんはその時には既に1塁ベースに到達していた。
記録はシングルヒット。
10回の正樹に続いて勝ち越しのランナーが出た。
「やったわ、未来!」
美海ちゃんが興奮したように言い、握り拳を大きく突き上げる。
そんな彼女に追従するように。
「行けるぞっ!」
「続け続け!」
「勝つんだ! アメリカに!」
次々に声が上がり、ベンチ全体が盛り上がりを見せた。
何人かに諦観が感じられていた状況とは打って変わって確かな一体感がある。
「「「「わあああああああああああっ!!!」」」」
スタンドの声援もまた一層ボルテージが上がっている。
10回の攻防を経ての11回表。
彼らもまた、ここが勝負どころだと認識しているのだろう。
日本代表選手、首脳陣、スタッフ、そして観客。
観客を通して日本国内にいる日本人に至るまで。
全員が連帯しているのが強く感じられる。
それらが俺の心をも熱くしていく。
特別な瞬間を今正に生きていることを教えられる。
「……こんなにも多くの人と同じ時間を共有しながら、一丸となって強大な相手に立ち向かっていけるのは、血生臭いのを除けばスポーツぐらいのものなのかもな」
だからこそ特殊で、何よりも尊い空間になるのかもしれない。
この熱気に溢れた場で、多分に漏れることなく昂りを覚えることができるようになった自分自身を満更でもなく思う。
9回表のモー選手との対戦を経て本当の意味でのスポーツ選手としての喜びを知り、こうしてスポーツそのものの意義を確かな実感を伴って理解した。
本当の意味で、皆と同じ視点で野球と向き合うことができたような気がする。
前世も含めてスポーツを純粋に心から楽しんでいた人達からすれば余りにも今更過ぎて滑稽かもしれないが、俺にとっては人生観にも関わる偉大な発見だった。
いや、知識としては持っていたから再発見と言うべきか。
「みっく、凄い」
「……ああ、そうだな」
あーちゃんの称賛に内心強く同意しながら深く頷く。
倉本さんは1塁ベース上からスタンドの日本応援団に手を上げて応じている。
その表情には一切の陰りがない。
長らく囚われていた何か大きなしがらみから解き放たれたかのように。
純粋に皆と喜びを分かち合っている。
1度目の人生でスポーツそのものを体現できている姿は素直に尊敬できる。
単純にバッターとしても素晴らしい打席だった。
倉本さんの打席も【直感】のビジョンは確かに何度も何度もブレていた。
それは恐らく【軌道解析】も同じだったはずだ。
しかし、倉本さんは何ごともなかったかのように迷いなくバットを振り抜いた。
凄まじい集中力だった。
何せ【直感】は間違いなく変動が繰り返されていたにもかかわらず、途中から彼女がヒット性の当たりを打つ未来を常に告げていたのだから。
コンタクトの瞬間だけは目を逸らしてしまって見ることができなかったので、改めて電光掲示板のリプレイで倉本さんのバッティングを確認する。
彼女のバットは吸い込まれるようにしてボールを叩いていた。
少しも力むことなく、まるで精密機械のように的確に。
結果、打球は図ったように守備の合間に飛んで落ちた。
正に狙い澄ました一打。
一切無駄な部分がなく美しい、芸術的なクリーンヒットだった。
「……これは、倉本さんの完勝だな」
見事としか言いようがない。
少なくともあの瞬間の彼女は世界最高のクローザーを完全に上回っていた。
結果としては単打。飛距離こそ出ていないものの、総合的なバッティング技術という点では俺も彼女の足元にも及ばないだろう。
脱帽するしかない。
「よかった……」
ベンチに腰を下ろしたあーちゃんが安堵したように呟く。
11回表の結果を含めて彼女は今日5打数1安打。
初回の長打以来ヒットがなく、3つの凡退を積み重ねて迎えた延長戦の打席。
そこでの三振は、いくらマイペースな彼女でも焦燥を感じさせられたようだ。
誰かが出塁しなければ俺に繋がることはない状況。
このイニングが始まる前に倉本さんと確認していたことだからな。
「後はダブルプレーさえなければ……」
美海ちゃんの呟きが小さくもハッキリと響く。
それを受け、ベンチの視線が今正にネクストバッターズサークルからバッターボックスに向かおうとしている山崎選手に集まる。
場面は11回表1アウトランナー1塁となった。
スコアは3-3の同点。
確かに勝ち越しのランナーは出た。
ただ、当然ながら倉本さんがホームに生還しなければ得点にならない。
点が入らなければ試合に勝つことはできない。
一方でランナー1塁ではワンヒットで帰ってくるのは厳しい。
アメリカ代表の守備力を考慮すれば不可能と言っても過言ではない。
ヒットを積み重ねていかなければならないが、下手に打って引っかけてしまったら美海ちゃんが危惧した通りダブルプレーに終わってしまうかもしれない。
そうなったら最悪の展開だ。
それと比べたら三振の方がまだマシという状況ではある。
人によってはそういう指示を出すこともあり得るが、首脳陣の判断は――。
「自由に打て、か」
横目でそのサインを確認しながら、山崎選手の次のバッターである俺もまたベンチを出てネクストバッターズサークルに入る。
落山監督達の判断に異論はない。
前の打席。山崎選手は確かにモー選手の目まぐるしく変化していくピッチングによって選択肢を奪われ、最終的に三振に抑えられてしまった。
だが、その過程で【直感】はヒットの可能性を確かに見せていた。
それだけではなく、フルカウントまで粘って9球も投げさせていた。
俺がモー選手からホームランを打つことができたからと言って次も必ず打てるとは限らないし、ダブルプレーを恐れてアウトを1つ献上する前提で行くのも違う。
ここは山崎選手を信じて任せるべきだろう。
その結果として彼が敢えて三振することを選ぶのであれば、それはそれでいい。
打席に立たなければ感じ取れないものもあるのだから。
無責任にも聞こえる指示だが、落山監督達がその結果の責任を引き受ける覚悟があることは選手の間に共通認識としてある。
「山崎選手、気負わず!」
だから俺は再確認のためにそう声をかけたが、彼が反応することはなかった。
とは言え、それは集中できている証拠だ。
山崎選手は左のバッターボックスでバットを構えてモー選手を見据える。
空気が張り詰めていき、スタンド全体が固唾を呑んで2人の勝負を見守る。
しかし、それを破るように。
――パァンッ!
捕球音が高らかに鳴ったのはファーストミットから。
モー選手は1塁に牽制を入れた。
倉本さんは比較的大きくリードしていたが……。
「セーフ」
1塁のビスケット選手が捕球した時には、彼女は既に1塁に戻っていた。
形式的なタッチがなされ、1塁塁審は両手を広げてコールする。
俺も【直感】で事前に察していたように、彼女もまた【軌道解析】で1塁牽制を予測して先んじて帰塁を始めていた。
モー選手が左ピッチャーだったら際どい状況もあり得たが、たとえ彼でも右ピッチャー相手に牽制死はまずあり得ない。
だから牽制されて尚、リードを最大限大きく取ることができる。
そこへ更にもう1球牽制が来たが、結果は変わらない。
「……綺麗に打たれたからか、倉本さんを大分意識してるな」
ビスケット選手からの返球を受け、モー選手はセットポジションに戻る。
彼女のリードを1歩分でも小さくさせたい。
可能なら山崎選手の集中も切りたい。
勿論できれば儲けもの程度のものだろうが、そんな意図があったに違いない。
もっとも、今の2人には一切効果がなかった。
倉本さんのリードは変わらず大きく、山崎選手は意識を研ぎ澄ませている。
無意味だ。
モー選手もまたそう理解し、セットポジションから1球目の投球に入る。
【直感】の予測がブレ始める。
「ストライクワンッ!」
前の打席の再現だ。
ツールアシストプレイの如くヒットの可能性が潰されていく。
最終的に山崎選手は不利な球と見てバットをとめる。
2球目も同様。
「ボールッ!」
だが、今度はストライクゾーンから外れる。
と言うよりも、外したと表現すべきだろう。
ボールにしなければヒットになっていた。
【直感】で変動が見えているだけにもどかしい。
当人が冷静でいるのが救いだ。
「ボールッ!!」
2球ボールが続いて2ボール1ストライク。
アウトコース高めへのジャイロボールが外れた。
ボール球が先行した。
【直感】が示す予測の変動が加速度的に増えていっている。
これは――。
「ボールッ!!」
3球連続のボールで3ボール1ストライク。
インコースに食い込むスライダー。
山崎選手は最小限の動きで回避して見極めていた。
彼は倉本さんのバッティングをネクストバッターズサークルの中から瞬き1つなく、静かに見詰めていた。
そこで何かの学びを得たのか、あるいは吹っ切れたのか。
内面のことは【以心伝心】でもなければ分からないが、彼もまたこの試合の中で進化を続けているのだろう。
ステータスがカンストしたから終わりではない。
俺も、いや、誰もが未だ学びの途中なのだろう。
「ボールフォア!!」
「「「「わあああああああああああっ!!!」」」」
最終的に投げるところがなくなってしまったようだ。
変動の中で長打の可能性が著しく増えていた。
これならばフォアボールの方がマシというところか。
ともあれ、出塁は出塁。
1アウトランナー1塁2塁。得点圏までランナーが進み、アメリカ人観客を圧倒せんばかりの声が日本応援団から発せられる。
勢いだけなら日本代表が完全に勝っている。
「ん?」
そんな中、アメリカ代表監督が動いた。
マウンドまで行き、モー選手と言葉を交わす。
そして労わるように彼の背を軽く叩き、モー選手がマウンドから離れていく。
「ピッチャー交代……?」
世界最高のクローザーから、土壇場で誰に……。
首を傾げつつも、候補となる選手は1人しか思い浮かばなかった。
彼が、マウンドへと走ってくる。
アナウンスが答え合わせを始める。
『アメリカ代表、守備位置の変更を、お知らせします。ライトのバンビーノ選手がピッチャーに、DHのハンマー選手がライトに、代わります』
世界最高の選手。
野球の神様。
どうやら最後に立ちはだかってくるのは彼らしい。




