367 延長戦の均衡
さりとて、モー選手を打ち込むのは決して容易なことではない。
彼は相手バッターのフォームの僅かな違いや視線の動きから狙いを見抜き、投球動作の過程で球種やコースを変更してくる。
対抗する方法は、それこそ無我の境地に近い状態からの超反応ぐらいのものだ。
さすがは世界最高のクローザーだと素直に称賛せざるを得ない。
それでも10回表。3-3の同点という状況。
日本代表が勝利するにはどうにかして点を奪わなければならない。
そのためにはモー選手を打ち崩すか、彼を降板に追い込む以外にない。
「……ねえ、秀治郎君。ここで送りバントさせる可能性ってある?」
「いや、それはないな」
美海ちゃんの問いかけに即座に否定する。
そんな俺の断定的な言葉に、彼女は少し驚いた様子を見せた。
ノーアウトランナー2塁での送りバントの是非について。
試合序盤だったらノータイムで否定していい。
ビッグイニングの確率を著しく低下させ、得点の期待値を下げてしまうからだ。
とは言え、延長戦10回の表で同点のこの場面。
何をおいても1点勝ち越しておきたい、となると大分話が変わってくる。
1点を取ることだけを考えると、1アウトランナー3塁にするのは1つの手だ。
だからこそ、美海ちゃんは俺がキッパリ否定したことに驚いた訳だが……。
怪我で出場できない歯痒さを押し殺している彼女には申し訳ないが、この辺りの認識の差は実際にモー選手と打席で対峙したかどうかが関わってくるだろう。
「バントの実績が少ないから?」
「と言うよりも、相手が悪過ぎるからだ」
磐城君も含めて俺達は全員当たり前にステータスがカンストしているし、バント関連のスキルだって網羅している。
バントの名手と呼ばれている選手にも技術では負けていないはずだ。
ケーススタディだって何度もやってきたし、その練習だってしてきたからな。
とは言え――。
「モー選手相手に送りバントを決めるのは厳しい」
あーちゃんが悔しげに告げた通り、成功の確率が低過ぎるのがネックとなる。
バッターがバントの構えを取った時点で、モー選手は即座にそれに応じた球種やコースに切り替えて投げ込んでくるはずだ。
狙いは想像に容易い。
ファウルにして2ストライクに追い込む。
2ストライクでも強行するようならバント失敗で三振に切って取る。
それだけなら1アウトで済むのでマシな方だ。
小フライを上げさせて、それを敢えて落としてのダブルプレー。
飛び出しのダブルプレーを狙ってくるかもしれない。
ランナー2塁では100%インフィールドフライにはならないからな。
いずれにしても、モー選手の思いのままに打ち取られることになるに違いない。
何故なら、相手ピッチャーが彼では送りバントを成功させるにしても無我の境地に匹敵するぐらいの高い集中力を要するだろうからだ。
しかし、少なくとも俺達はバントでそこまでの集中力を発揮させるのは難しい。
強大な敵との全力のぶつかり合いに没頭するからこそ無我夢中にもなれる。
ただ、それはスコアだとかランナーだとかに囚われていては至れないものだ。
送りバントではどうしてもそうした雑念が残ってしまう。
それこそバントの神様と呼ばれるぐらい野球人生をバントに懸けてきた職人でもなければ、こういった場面で無私になって送りバントを決めるのは不可能だろう。
そういった一芸特化の選手が欲しくなる場面はところどころにあるが、究極的なバント職人を育てるのは現代の野球では中々に難しい。
大リーグは勿論、日本プロ野球でも近年犠打数は明確に減少傾向にある。
勿論、バントも巧い選手はいくらでも存在するけれども、バントを極めた選手が生まれてくるような土壌ではなくなったのは確かだ。
前者はこういった場面においてヒッティングの方が集中できるだろうし、モー選手が相手ならその方がバントよりも余程可能性が高い。
バッターが磐城君なら尚更のことだ。
「つまるところ、勝つための采配ってことね」
「ああ。だけど、これで勝てなかったら結果論で批判されるかもしれない」
落山監督は現場の肌感覚を以って確率の高い方法を選んでくれている。
モー選手と実際にバッターボックスで対峙した選手は納得して支持するだろう。
一方で、ベンチにいる美海ちゃんですら彼の真の怖さを理解し切れていない。
明確に数字で表れるものではないから仕方がないが……。
「だからこそ、絶対に勝たないと」
もし負けてしまったら、試合を後から振り返って「ここでバントしていれば勝てたのに」みたいなことを言い出す人間が間違いなく出てくる。
ここまで接戦を演じていれば言いたくもなる気持ちも少しは分かる。
たとえ勝ったとしても言う奴は当然いるだろう。
とは言え、勝つことができればいくらでも跳ね返せる。
それだけの価値がこの一戦にはある。
もっとも、相手は世界最高のクローザーだ。
たとえバントよりは確率が高くとも、ヒッティングも一筋縄ではいかない。
――カキンッ!!
パァンッ!!
磐城君は4球目、低めのカットボールを打ってセカンドライナー。
バントではなくともダブルプレーを狙ってきたのだろう。
セカンドのラージャ選手は即座に2塁に入ったショートのオリオール選手に送球するが、正樹は微動だにしておらずベースの上にいた。
結果、アウトは1つのみ。
1アウトランナー2塁に変わったが、チャンスは続く。
打席には8番の大松君が入る。
――カキンッ!!
彼は3球目、高めのジャイロボールをセンターの1番深いところまでは運んだ。
フェンス直撃コース。
だが、一直線にフェンス間際に向かったセンターのキッド選手が、目一杯に伸ばしたグローブでジャンピングキャッチ。
好守に阻まれてセンターフライとなってしまった。
それでも正樹はキッド選手の挙動をよく見ていて、タッチアップで3塁へ。
2アウトながらもランナー3塁となった。
「今のセンターフライ。バントしてればってなる奴っすね……」
「そうだな」
1アウトランナー3塁になっていたら犠牲フライになっていたかもしれない。
そんな論を展開する者は間違いなく出てくる。
実際、その場面から今と全く同じフライを打てれば1点入っただろうからだ。
正しくはある。
実現困難という点に目を瞑れば。
まず送りバントを決めることがそもそも不可能に近い。
更に言えば、仮に1アウトランナー3塁になっていたら、モー選手は間違いなく外野フライを打たせないためのピッチングに切り替えていたはずだ。
どう考えても同じ結果になる訳がない。
それでも――。
「尚更勝たないといけないわね」
美海ちゃんの言葉に「ああ」と頷く。
実態がどうかなど関係ない人間がこの世にはいる。
そうした輩の恰好の材料になってしまいかねない。
改めて負ける訳にはいかないと思う。
ただ、気持ちだけで打てれば苦労はしない。
――パァンッ!!
「ストライクスリーッ!!」
9番の白露選手もまた黒井選手に近い集中力を確かに見せていた。
しかし、彼と同じように粘ることはできず3球三振。
延長戦。10回表の日本代表の攻撃は、幸先よく先頭バッターが長打で得点圏に進んだものの後に続くことができず……。
ランナーを3塁に残して3アウトチェンジとなってしまった。
「……2巡する前に決着をつけるには次の回で点を取らないとっす」
「11回表に秀治郎君に回すには最低でも後1人、出塁する必要があるわね」
白露選手と正樹がベンチに戻ってくる中、2人が状況の確認を行う。
正樹の高速ナックルがいつまでも効果を発揮できるとは限らない。
アメリカ代表打線が相手だ。むしろあり得ない。
可能であれば、バンビーノ選手に回るまでに終わらせておきたい。
そのためには次の攻撃で1点以上奪うというのも最低条件の1つとなる。
「心配いらない。先頭でわたしが出る」
「できるのか? お前に」
マウンドに上がる準備をしながら正樹が横から問う。
「できる。2度もやられるつもりはない」
対してあーちゃんは対抗心を隠すことなく、睨みつけるようにしながら答えた。
正樹は鼻を鳴らす。
相変わらずの2人だ。
彼女達はもう一生こんな感じなんだろうなと思う。
それもまた悪くはない。
「ウチは最低でも茜っちを先の塁に進めるっす」
「そしてクリーンナップで決める」
「けど、その前に10回裏を0で抑える必要がある」
倉本さんといい感じに纏めに入るも、あーちゃんは正樹に挑発的な視線を向けて仕返しのように「やれる?」と問いかける。
「当然だろ。俺と秀治郎が組んでるんだからな」
「……しゅー君の足を引っ張ったら承知しない」
「ほら、2人共。いいから守備につくぞ」
こんな時まで普段通りにやり合う2人を窘め、促すようにしてベンチを出る。
10回の攻防。
日本代表は点を奪えなかった。
アメリカ代表打線に1点取られた時点でサヨナラ負けとなる。
打順は7番。マイケル・フィリー選手から。
数字の上では下位打線からだが、名ばかりのものだ。
それでも誰の出塁も許すことなくアウトを積み重ねることができれば、11回の裏もバンビーノ選手とは戦わずに済む計算となる。
1巡目ではあるが、世界最高の野球選手たる彼まで回したくない。
「正樹、状況次第で解禁するぞ」
「ああ。余計な気遣いは無用だ。青木さんと柳原さんのお墨つきもあるからな」
それは、キッチリ制御できれば、という前提でのものだが……。
過度に怪我を恐れることはもうしないと決めた。
「全てを出し切って勝つ。それだけだ」
「だな」
正樹の意思を尊重し、キャッチャーとして最後まで全力で支えるのみだ。
互いに頷き合ってから、それぞれの守備位置に別れる。
しかし、幸いなことに。
高速ナックルのみで7番、8番と空振り三振に抑えることができた。
そして2アウトランナーなしの場面で9番のジェネラル選手を迎える。
――カキンッ!
彼は低めの高速ナックルを捉えたものの、ショートに入ったあーちゃんがタイムスケールの拡大した【直感】を駆使したポジショニングで痛烈なゴロを捕球。
万全な体勢から最短の動作でファーストの昇二へと送球する。
—―パァンッ!
「ヒズアウッ!!」
【比翼連理】に付随して【体格補正】が改善したことによって送球速度も向上しており、比較的余裕を持ってジェネラル選手をアウトにすることができ……。
ここは理想的な展開で3者凡退。
3アウトチェンジ。
10回裏。アメリカ代表打線もまた無得点に終わってスコアは変わらず3-3。
WBW決勝トーナメント決勝戦は延長11回へと突入したのだった。




