閑話80 日本代表のクローザー(正樹視点)
場内アナウンスが日本代表の守備の変更を1つずつ告げていく。
その中で最も影響が大きい変化と言えば直前までマウンドに立っていた秀治郎がキャッチャーとなり、俺がピッチャーとして登板することだろう。
勿論、球数制限というルールが存在している以上、どこかのタイミングで秀治郎が降板しなくてはならなくなることは誰もが予想していたはずだ。
しかし、9回裏1アウト。3-3の同点という緊迫した場面でその時が訪れるとは思っていなかった……と言うよりも、思いたくなかったに違いない。
どこか冷や水を浴びせかけられたような雰囲気が日本応援団の辺りから感じられるのは、恐らく誰が代わりのピッチャーだったとしても同じだっただろう。
だが、正にこれから登板する身としては余りいい気はしない。
いい気はしないが、その認識を覆して称賛に変えてやると思えば悪くはない。
今はそんなことよりも大事なことがある。
「秀治郎。勝つ気はあるんだろうな?」
投球練習を始める前に、一度ベンチに戻って手早くキャッチャーの防具を身に着けてからマウンドまで来た秀治郎に対して強く問い質す。
事前に聞いていた話では、この組み合わせは負けパターンだったはずだ。
9回裏1アウトで同点。
誰がどう見ても勝ちを諦めていい状況ではない。
勝つ気がないなどという返答は決して許さない。
その意思を強く声に込めて問いかけた俺に対し、秀治郎は心外とばかりに不満げな表情を浮かべながら口を開いた。
「そんなのは当たり前だろ?」
アメリカ代表に打ち込まれて顔面蒼白になっていた姿とは打って変わって、何やら妙に活力に満ち溢れている。
虚勢でもなければ、普段の何か異なる視点に立っているような感じでもない。
自然な頼もしさを感じる。
「…………だったらいい」
そもそも落山監督が承認したからこその配置変更だ。
いずれにしても、この形の方が勝率が高いということなのだろう。
「正樹、投球練習ではアレは投げるなよ」
「そう言うからには、本番でちゃんと捕れるんだろうな」
「勿論だ。だから、手加減なんかせずに100%で投げろよ」
「ふん。逸らしたりしたら承知しないぞ」
「そっちこそ、生半可な球を投げたら許さないからな。それと、リリースの瞬間まで絶対にキャッチャーミットから目を逸らすなよ」
互いに挑発的な声色でそんなやり取りを交わし、最後に軽く笑い合ってから。
秀治郎は駆け足でキャッチャースボックスに向かった。
そうして始めた投球練習は、秀治郎に言われた通り軽く流すように済ませ――。
「プレイッ!!」
球審のコールで試合の再開が告げられる。
俺と秀治郎以外の部分についても日本代表の守備の布陣は大きく変わった。
キャッチャーだった野村茜はショートに行き、それに伴ってショートにいた磐城巧は玉突きのようにライトに移動している。
そしてライトの黒井力皇選手はベンチに下がった。
一方、俺が守っていたファーストにはサードから昇二が。
空いたサードにはベンチから白露尊選手が入っている。
それ以外に関してはそのままだ。
この形がWBW決勝戦における日本代表の最終形態ということになる。
いや、まあ、延長が長く続けば変わることもあるかもしれないが……。
秀治郎もそこまで続くことは想定していない。
勝つにせよ、負けるにせよ。
互いに後1巡といったところだろう。
俺自身もそう思っていた。
秀治郎とのサイン交換に頷く。
今日、この試合で使用する握りはうまくいけば1種類だけ。
それ以外を使用する事態に陥ったら、その時点で負けと言っても過言ではない。
とは言え、その大前提として。
この球は捕れるかどうかというところに1つ関門がある。
その上で、うまいことストライク率を高めることができるのか。
バッターを確実に打ち取るには、この2つは不可欠だ。
少なくともこれまでは、天賦の才を持つ倉本未来でなければ不可能だった。
しかし、秀治郎が捕れると断言したからには俺はそれを信じるだけだ。
いつも非常識なことを口にしては俺達を困惑させてきた不可思議な存在だが、ああもキッパリと断言したことが嘘だったことは1度もない。
怪我をする前の俺に成長が頭打ちになるとか言いやがったかと思えば、怪我をした後の俺に以前にはなかった伸び代がある、などと言い放ったり。
いずれも振り返ってみれば全て事実だった。
それ以上に、立ち直った今のアイツの言葉には確信が感じられる。
だから、投げる。
浜中美海の代名詞ともなっている球を。俺の最高速で。
9回裏のアメリカ代表打線の打順は5番から。
ハンマー選手が右のバッターボックスに立つ。
前の打席はバンビーノ選手の2ランホームランの直後。
秀治郎の球を馬鹿げた打球速度で弾き返し、三遊間真っ二つのヒットを放った。
彼もまた、世界最高と謳われる選手にも決して劣らぬ大打者だ。
初っ端から相対するバッターとしてはネームバリューが大き過ぎる。
もっとも、アメリカ代表打線は1番から9番まで似たようなものだが。
言い換えれば、誰を打ち取ろうと名を上げることができるという見方もできる。
外野の評論家からするとアメリカ代表打線には誰であれ負けて当然。
失うものはほとんどなく、ある種のボーナスステージのようなものとも言える。
無論、そんな考え方は軟弱以外の何ものでもない。
たとえ名声は地に落ちなくとも、俺のプライドは傷つく。
俺は負けるつもりなど毛頭ない。
アメリカ代表打線にも、ピッチャーとしての秀治郎にも。
第1球。その球は変化をコントロールすることはできない。
それでも倉本未来の場合は構えられたキャッチャーミット目がけて投げれば、どういう理屈かは分からないが、彼女の意図したところに変化する。
当然ながら俺の意図したところではない。
こちらの制御の外にある。
正直、もどかしい。
好悪で言うなら好ましい感覚ではないが……。
アメリカ代表相手にそんなことは言っていられない。
武器は1つでも多い方がいい。
だから時間を見つけては倉本未来に受けて貰った。
その時の感覚の通りに投げろ、と先程の会話の中で指示された。
そこには同時にもう1つの意味も含まれていた。
ワインドアップからテイクバックに入る。
そのタイミングで秀治郎はキャッチャーミットを動かした。
動かした先のコースを狙って投げろ、ということだ。
常識的なピッチャーであれば無茶苦茶だと言うだろう。
だが、秀治郎ならできる。
俺自身、ある種気分転換のような練習として何度もやらされたことがある。
正にこういう状況を見越したように。
そして、それは。
超集中状態に入り、ボディコントロールを綿密に行えば決して不可能じゃない。
「ストライクワンッ!!」
ハンマー選手はブレた球を見送って1ストライク。
リリース直前に目にしたキャッチャーミットの位置とは大きく異なっている。
成程、確かに意図した結果を生み出すことができているようだ。
それが倉本未来と同じ理屈なのかどうかは分からないが……。
相手を打ち取ることができれば俺はどちらでも構わない。
電光掲示板にリプレイが表示され、観客席からどよめきが生まれた。
球速の表示は169km/h。
しかし、その変化は通常の変化球とは大幅に異なる軌道を描いていて、何より手元のアップが球種を観客にも分かりやすく示していた。
ナックルの握り。
ナックルの変化。
にもかかわらず、球速は自己最速に近い。
浜中美海の高速ナックルを俺の手で再現し、ブラッシュアップしたもの。
その結果、最高球速170km/hのナックルが完成した。
「ストライクツーッ!!」
相手に時間を与えないように速いテンポで投げ込んでいく。
ノーボール2ストライク。
相手はアメリカ代表。
その対応力は正に世界一。
目が慣れない内に畳みかけていかなければならない。
―—ブォンッ!!
パァンッ!!
「よしっ」
さすがのアメリカ代表も、Max170km/hの無作為な変化に即座に対応して打つことは容易ではなかったようだ。
3球連続の高速ナックルによってハンマー選手は空振り三振。
9回裏2アウト。
後1アウトで延長戦に突入させることができる。
当然ながら長いWBWの歴史において、決勝戦で延長戦となった例は1度もない。
頂点を競う2チームの内1チームは常にアメリカ代表であり、彼らは決勝戦でさえ盤石の戦いを見せつけて9イニングの間に勝利を決めてきたからだ。
6番のオリオール選手がバッターボックスに立つ。
またも右打席。
対するこちらは左。
高速ナックルは右投げでは球速が出ない。
セオリーに反して左で投げる以外にないが、そもそもどちらで投げるかという選択肢があるのが普通ではない。
何より、ナックルは握りも球の出どころも他球種に比べて分かりやすい。
左右による影響は小さいだろう。
―—ブォンッ!!
パァンッ!!
オリオール選手に対する1球目は空振り。
高めから左右にブレて、結局真ん中低めに行った。
捉えることができず、ノーボール1ストライク。
2人目にも通用している。
「ストライクツーッ!!」
見逃し。
外のボールゾーンから1度更に外に逃げようとしたが、急激に変化してストライクゾーンギリギリいっぱいに決まった。
ノーボール2ストライク。追い込んだ。
「ボールッ!」
3球目はストライクゾーンから大きく揺れて外れる球。
オリオール選手は反応しかけたが、すんでのところで見送ってボール。
1ボール2ストライク。
そして4球目。
ボールゾーンから1度ストライクゾーンに入ってから再び外れていく球。
―—ブォンッ!!
パァンッ!!
それを振らせてオリオール選手は空振り三振。
3アウトチェンジ。
2者連続三振に切って取ることができた。
しかし、秀治郎の時を思えば2巡目には対応してくるだろう。
それどころか1巡目の後半すら危うい。
後はどこまで他の手を使わずにいられるか。
高速ナックルだけで抑えることができるか。
その勝負になってくる。
それでも9回裏は0で抑えたことは間違いなく……。
WBW決勝戦は前代未聞の延長戦へと突入したのだった。




