364 9回表2アウト1点ビハインド
「秀治郎君! 茜!」
8回裏の守備を終えてベンチに戻ると、美海ちゃんが興奮した様子で傍に来た。
3者連続3球三振。
いわゆるイマキュレートイニングを世界最強のアメリカ代表相手に達成した。
その事実を大いに称賛して反撃への雰囲気を作ろうとしてくれていたのだろう。
だが、今はそれよりも優先すべきことがある。
俺は彼女を手で軽く制すと、打席に立つ準備を始めていた倉本さんに近づいた。
「倉本さん」
「秀治郎君、どうしたっすか?」
「モー・サンドマン選手について気づいたことを共有しておきたいんだ」
「……それは助かるっす」
彼女は手をとめないまま俺の言葉に耳を傾ける。
精神安定系のスキルがあって尚、少々ナーバスになってしまっている感がある。
WBW決勝戦。それも1点ビハインドで迎えた最終回の先頭バッターだ。
当然と言えば当然だろうが、攻守交代のタイミングだ。
心を落ち着けるような時間は取れない。一先ず話を続ける。
「まず前提として、彼はバッターの微細な動作……構えや視線の変化から相手の狙い球を正確に把握することができるみたいだ」
「……え?」
「そしてその高度な洞察力に基づいて危険を感じたら、たとえ投球動作の途中からでも事前のサイン交換を無視して別の球種を別のコースに投げ込んでくる」
「ホ、ホントの話っすか、それ」
余りに非常識な内容に、倉本さんは思わずと言った様子で手をとめて俺を見る。
あくまでも【直感】から得た情報なので、物証もデータもない。
しかし――。
「ん。ホント。そのせいでわたしも混乱した」
「そんな、ことが……」
実際に8回表にモー選手と対戦したあーちゃんの証言のおかげで、倉本さんは半信半疑ながら受け入れてくれたようだった。
正直に言えば俺も信じられない気持ちがある。
とは言え、今のあーちゃんを打ち取ることができるのは、それこそスキルとして明示されないような極々パーソナルな超感覚、超絶技巧以外にないだろう。
「そ、そんなのどう打てばいいんすか」
「対処法は……」
あるにはある。
ただ、あくまで理論上での話になってしまう。
「可能な限り無駄な動作を削ぎ落とし、相手に判断材料を与えないこと。そして始動を遅く、究極的にはリリース後に狙いを定めて打つことだ」
「それってもう、来た球を来たままに打てってことっすよね。それこそ、黒井選手が言ってた無我の境地って奴に入らないと無理じゃないっすか?」
「……かもしれない」
「さすがに一朝一夕じゃキツいっすよ……」
「分かってる。でも、モー選手を打とうと思うなら、それを念頭に挑むしかない」
このイニングで1点奪うことができなければ、その時点で日本の敗北が決まる。
倉本さんも当然分かっている。
俺の無茶振りに彼女は困惑の表情を浮かべていたが、だからと言って何か別のいい対案が出てくることもなかったのだろう。
是非もないと瞑目し、それから開き直ったように頷いた。
「やってみるだけやってみるっす」
「ああ、頼んだ」「みっく、お願い」
「っす」
倉本さんは俺達に小さく応じると、精神を落ち着かせようとするように息を長く吐き出しながらベンチを出て右のバッターボックスに歩いていった。
後は……。
「山崎選手」
近くで俺達の話を聞いていた彼に視線を移す。
対して、山崎選手は目だけで内容は理解したと応じた。
彼はそのままネクストバッターズサークルに向かい、そこで一挙手一投足を見逃さないとばかりにモー選手を見据える。
既に高い集中状態にある。
彼はそれで問題ないだろう。
「プレイッ!」
そうして9回表。日本代表の攻撃が始まった。
最終回に突入してスタンドは一層、異様なまでの熱気を放っている。
この期に及んで1点差。
WBWにおいてアメリカ代表がここまでの接戦を演じるのは史上初めてのこと。
大苦戦の果てに勝利を飾ることができれば喜びも一入に違いない。
それを期待して現地アメリカの観客は祈るように各々声援を送っている。
だが、こちらは彼らの望みを阻まなければならない。
「ストライクワンッ!!」
コールに気合が入って動作が大きくなっている球審とは対照的に、倉本さんは共有した情報を基にコンパクトな構えを心がけようとしていた。
【軌道解析】の力で本来、それでコンタクトは容易になるはずだが……。
「ストライクツーッ!!」
俺達が【直感】で見たのと同じように、彼女が【軌道解析】で予測した結果が投球動作のさ中に変化したのだろう。
戸惑った彼女は2球続けてバットを振ることができなかった。
そしてノーボール2ストライクからの3球目。
――パァンッ!!
ブンッ!
高めのジャイロボールを空振り。三振。
倉本さんは3球でアウトとなってしまった。
「……タイミング、合ってなかったわね」
「完全な振り遅れ」
彼女のスイングは確かにボールを芯で捉える軌道を描いていた。
だが、始動が遅過ぎた。
バットがトップスピードに至る前に、ボールは既にミットに収まっていた。
【軌道解析】に対する撹乱がなくなったリリース直後に振りに行っては、元々俺達に比べると少し遅いスイングスピードが更に半端になってしまう。
それではファストボール系の球を捉えることは不可能だった。
「「「「「「WOOOOOOOOOOOO!!!」」」」」」
9回表1アウトランナーなし。
後2人。
球場のボルテージが更に高まる。
「申し訳ないっす……」
「このアウトも俺が活かす。大丈夫」
項垂れる倉本さんにフォローを入れてからネクストバッターズサークルへ。
代わりに山崎選手が打席に入る。
「少しでも、球筋を……」
【離見の見】を使用して超集中状態に入りながら勝負を見守る。
山崎選手は肩の力が抜けている。
モー選手が1球目を投じる。
【直感】のブレは生じない。
「ストライクワンッ!!」
アウトコースへのカットボール。
まずは1球。山崎選手は見送った。
続いて2球目。
――カンッ!!
「ファウルッ!!」
【直感】で見たそのままの結果。
ジャイロボールがバットに掠ってファウル。
新しいボールがモー選手の手に渡り、3球目。
「ボールッ!」
インコースの厳しいところにフォーシームを投げて1ボール2ストライク。
ここまで【直感】のブレは一切なかった。
相手バッターが【直感】や【軌道解析】でも持っていなければ、さすがに投球動作中の球種やコースの変更などさすがに起きないのか。
一瞬そう思ったが、だったらどこでその技術は磨いたのかという話になる。
そして4球目。
【直感】のブレが来た。
テイクバックまでは山崎選手のシングルヒットを予見していた。
にもかかわらず、突如としてその予測が切り替わる。
「ボールッ!!」
落ちるジャイロボールがワンバウンドして2ボール2ストライク。
山崎選手はバットをとめた。
よく見送ったと評価すべきだろう。
天然の超集中状態。そこから更に研ぎ澄まされているようにも見える。
昇二や磐城君もそうだったが、俺のように【離見の見】を利用した疑似的なものよりも無我の境地に近いのは彼らの方なのかもしれない。
特に山崎選手は【生得スキル】の【切磋琢磨】と【万里一空】が象徴しているかのように、より強大な相手に対抗心を強く持つ傾向がある。
今正にアメリカ代表選手達をライバル視し、集中力が極まっているに違いない。
――カンッ!!
「ファウルッ!!」
5球目。シングルヒットがブレてファウルに。
2度勝っていたはずが、なかったことにされてしまっている。
もはやツールアシストプレイ染みている。
――カンッ!!
「ファウルッ!!」
――カンッ!!
「ファウルッ!!」
「ボールッ!!」
更に2球粘ってからの8球目。
スライダーが外れて3ボール2ストライク。
フルカウント。
山崎選手の集中力は間違いなく1つ上のステージに至っていた。
それを示すように9球目。
【直感】のブレが瞬間的に2度、3度、4度と続き――。
――ブォンッ!!
パァンッ!!!
しかし、山崎選手は最終的に。
ストライクゾーン低めいっぱいに落ちるジャイロボールを空振り。
三振。
これで2アウトとなってしまった。
「「「「「「「「「「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」」」」」」」」」」
観客達が大歓声を上げる。
それは正に彼らの苦しさの表れ。
大苦戦の果てに辿り着いた9回表2アウト。後1人。
塁上にランナーはいない。
バッターオンリー。
俺を仕留めればアメリカ代表の勝利が確定する。
野球世界最強たるアメリカの覇権が続く。
「秀治郎君、頑張ってっ!!」
「しゅー君!」
「秀治郎!!」
1塁側ベンチから、そして日本代表応援団がいるスタンドから声援が耳に届く。
このバンクノート・パークに集った総数と比較すると味方の数は微々たるもの。
いないに等しい。
だが、ゼロじゃない。確かに声は聞こえていた。
彼らの期待の全てがこの1打席に集まっている。
それをヒシヒシと感じながら、俺は左のバッターボックスに立った。
最低でも出塁できなければ、9回裏を迎えることなく日本代表は敗北する。
たとえ出塁できたとしても、立ちはだかるのは世界最高のクローザー。
単に出塁したぐらいでは首の皮一枚とすら言えない。
モー選手が初球の投球動作に入る。
フォーシームだ。
1発を狙って――。
「くっ」
【直感】がブレる。
それに応じてこちらも狙い球を変える。
モー選手もまた、即座に反応して球種とコースを変更してくる。
投球動作の僅かな時間の中。
傍から見ているだけでは分からない無数の攻防が繰り広げられる。
「ストライクワンッ!!」
最終的にアウトコース低めいっぱい。
バックドアのカットボールを俺は見送った。
ノーボール1ストライク。
2球目は敢えてアウトコースに的を絞ることにする。
モー選手が投球を開始する。
やがて【直感】がインコース高めへのボール球を予見する。
わざと踏み込んだ上で、2球続いたカットボールを見送る。
「ボールッ!!」
1球目の目に見えない激しい応酬とは打って変わって駆け引きに乗らなかった俺を、モー選手は警戒したのかもしれない。
彼は【直感】が示した通りに1球外してきた。
3球目。
今度は読み合いと呼ぶには余りにも感覚的過ぎる攻防を再び繰り返す。
その過程でホームランの可能性が過ぎ去っていった。
一瞬それに執着しかけて心の中で舌打ちをしながら、リリースの瞬間に確定したアウトコース高めいっぱいへのフォーシームを振りに行く。
――カンッ!
「ファウルッ!!」
明らかに振り遅れた。
僅かな心の乱れもあったが、やはりスイングが中途半端になってしまった。
1ボール2ストライク。追い込まれた。
「「「「「「「「「「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」」」」」」」」」」
観客は待ちきれないとばかりに声を張り上げる。
4球目はインコース低めに落ちて外れるジャイロボール。
「ボールッ!!」
見送って2ボール2ストライク。
焦れたような呼吸が無数に重なって球場を包み込む。
そんな中で、いつの間にか口角が上がっている自分に気づいた。
【比翼連理】を得て、サイクロン選手やジャイアント選手なら打てる気がした。
しかし、土壇場で後出しジャンケンのような馬鹿げた技術を振りかざしてくる非常識なピッチャーが出てきて立ち塞がってきた。
あーちゃんの【直感】をも駆使した全力を純粋にぶつけて尚、勝敗は読めない。
そんな相手と、世界最高の舞台の最終回、俺の手が及ばない状況から仲間達が繋いだ先で訪れた極限の打席で勝負を演じている。
何か持て余しそうな気持ちで胸がいっぱいになる。
前世含めて初めての感覚だ。
5球目が来る。
【直感】とモー選手の技術が真正面からぶつかり合う。
ただひたすら、それに没頭していく。
超集中状態の引き延ばされた時間の中、脳が焼き切れそうになる。
自分の全てを出し切るような感覚に満たされ、五感が研ぎ澄まされていく。
――ああ、楽しいな。
インコースに食い込んでくるスライダー。
直前まで別の球を狙っていたが、無意識に体が反応していた。
――カァン!!
芯を食った完璧な当たり。
確信はあったし、それを【直感】も支持していた。
それでも。
「行けええええええええええええっ!!!」
1塁へ走り出し、打球の行方を見守りながら俺は我知らず叫んでいた。
まるで体に満たされたものが自我を持ったかのように。
打球はライト。
バンビーノ選手の遥か頭上を越えていく。
やがてボールはスタンドに突き刺さり、1塁塁審が手を頭の上で回した。
それを確認した俺は拳を天高く突き上げ――。
「っしゃあああああああああああっ!!!」
更に声高に、歓喜の雄叫びを上げたのだった。




