閑話79 WBW決勝トーナメント決勝戦日本対アメリカ全国放送生中継
日本代表は1アウトランナー1塁2塁から大松選手のタイムリーヒットによって1点を返すことに成功したものの、後続が倒れて3アウトチェンジ。
8回表が終わってスコアは2-3。
1点差に詰め寄りましたが、同点に追いつくことはできませんでした。
……それにしても綿原さん。
あの茜選手が落ちる球で空振りして三振に終わってしまうというのは、中々珍しい光景ではありませんか?
そうですね。
茜選手は元々並外れてコンタクト力に優れていて桁外れに三振が少ない選手ではありましたが、特に落ちる球の見極めは際立っています。
私の記憶にある限り、落ちる球を空振りしたところは見たことがありません。
絶好球を待つために見逃すということはありましたが……。
そんな彼女がああもズレたスイングをするのは実際、極めて珍しいことです。
それだけ相手ピッチャーの球が驚異的なキレを有していたということでしょう。
さすがはアメリカ代表の抑えのエースたるモー・サンドマン選手。
世界最高のクローザーと謳われるだけのことはある、ということでしょうか。
しかし、最後のあの球……あれはスプリットですか?
少なくとも既知の持ち球にはなかったと思いますが……。
恐らくは大松選手の決め球の1つである、落ちるOHMATSUジャイロ。
それに類する球でしょう。
そもそもモー選手はいわゆるジャイロボールの先駆者であり、大松選手が彼を研究してOHMATSUジャイロを習得したことは知る人ぞ知るエピソードです。
本家本元とも言えるモー選手であれば、落ちるジャイロボールを扱うことができたとしても何ら不思議なことではないでしょう。
それこそ、ここぞという場面で使用する切り札なのかもしれません。
WBWで使用するのは、まず間違いなく初めてのことだと思います。
成程。
それだけアメリカ代表も追い詰められているということですね。
とは言え、惜敗も大敗も負けは負けです。
追い詰めただけでは勝利には至りません。
落山監督もそれで満足することはないでしょう。
しかし、いずれにしても日本代表の攻撃機会は残すところ1イニング。
正にこの世界最高のクローザーからどうにかして得点を挙げることができなければ、日本代表の敗北が確定してしまいます。
ですが、幸いにして9回表は2番の倉本選手から。
少なくとも秀治郎選手には回ります。
この試合はこれまで3打数無安打ではありますが、当たりは悪くありません。
どうにかモー選手を打って希望を繋いで欲しいところです。
ええ。
今の秀治郎選手ならやってくれると思います。
ただ、その前に点差をこれ以上離されないようにしなければなりません。
そのためには8回裏のアメリカ代表の攻撃を抑え込む必要があります。
そして同点に追いつく、あるいは逆転できたとしても9回裏も残っています。
更に言えば、延長戦に突入する可能性も十分あり得るでしょう。
ですが、秀治郎選手の球数は現時点で81球。
球数制限の95球まで残すところ14球です。
状況次第ではこのイニングで交代せざるを得なくなるかもしれません。
あるいは、イニング頭から継投に入ることも考えられなくはないですが……。
どうやらそれはないようです。
既に秀治郎選手がマウンドに向かっていっています。
球数制限ギリギリまで投げさせるつもりなのでしょう。
そのようですね。
7回の裏は3失点と崩れたように見えた秀治郎選手でしたが、マウンドに向かった茜選手の叱咤に奮起して立ち直った様子でした。
その後は自己最速の174km/hをアンダースローで記録し、危なげなく後続を連続三振に切って取っています。
相手はアメリカ代表。
球数の許す限り、秀治郎選手を引っ張りたいと考えるのは当然でしょう。
しかし、落山監督は2番手に誰を登板させるつもりなのでしょうか。
登板可能なピッチャーの内で選択肢として考えられるのはやはり磐城選手、大松選手、正樹選手というところでしょうが……。
この選択は非常に悩ましいところです。
まずサイクロン選手を参考に多段変化を会得した磐城選手。
次にモー選手を参考に2種類のジャイロボールを手に入れた大松選手。
そして怪我から復活し、秀治郎選手と同様に左右の切り替えが可能な正樹選手。
アメリカ代表打線を相手取るのに一体誰が最善なのか……。
両投げの上に千手観音投法を駆使して尚、あそこまで打ち込まれてしまったことを考えると正樹選手は厳しいかもしれません。
かと言って、参考にした本家本元のピッチャーとレギュラーシーズンで対戦のある相手に、甘く見積もって同等のピッチングで対応できるのかと言うと疑問です。
……確かに、悩ましい選択になりますね。
はい。
それこそ秀治郎選手のアンダースローや千手観音投法のように、何か隠し玉を用意してくれていることに賭ける以外ないかもしれません。
しかし、まあ、まずは秀治郎選手の8回裏の投球を見守りましょう。
そうしましょう。
8回裏。アメリカ代表の攻撃は1番のキッド・ラビリンス選手から。
今正に右のバッターボックスに入ろうとしているところです。
キッド選手はここまで3打数無安打ですが、先程の7回表は先頭バッターとして打席に立ち、あわや3塁線への強烈な打球を放っています。
昇二選手のファインプレイによって阻まれていなければ、先程の回は3失点では済まなかったかもしれません。
本当に、よく捕ってくれました。
日本代表を救った守備と言っても過言ではないでしょう。
勿論、それまでの好守にも言えることですが。
アメリカ代表打線の2巡目からキッド選手の3巡目まで、秀治郎選手は明らかに守備に助けられる場面が増えていましたね。
そうですね。
1巡目はアンダースローからの170km/h。浮き上がる変化球。
2巡目はそれを交えた千手観音投法。
もはや曲芸と言って差し付けないこのピッチングを以ってしても、アメリカ代表の対応力を前にしては1巡目を抑えることしかできませんでした。
2巡目の段階で大崩れしなかったのは奇跡と言ってもいいかもしれません。
正直なところ、点を取られるのは時間の問題だと思っていました。
そして実際に、7回裏に崩れてしまった訳ですが……。
ここでキッド選手への初球。
右投げのアンダースローから、174km/hのワンシームがインコース低めに決まってまずは1ストライク。
…………2本のホームランを含む5連打の後の死球で万事休すだと思いました。
私もです。
秀治郎選手ですらアメリカ代表には敵わなかった。
絶望的な気持ちを抱きつつ、それでもここまで懸命に戦った彼らを最後まで見守ろう。そのように、ある種の諦観と共に考えていました。
ですから、まさかそこから立ち直ることができるとは思いませんでした。
ましてや、自己最速を更新するとは夢にも――。
2球目。サイドスローからのスイーパーを空振り。
ノーボール2ストライク。
秀治郎選手、キッド選手を追い込みました。
この回も調子を取り戻しているようです。
綿原さん、やはり茜選手の内助の功というものでしょうか。
間違いないでしょう。
実際、あの時の秀治郎選手は完全に頭が真っ白になっていたようですからね。
茜選手がマウンドに行っていなかったら、そのまま試合が壊れていたはずです。
3球目、投げて、空振り三振!
真ん中低めへのチェンジアップ。
タイミングが全く合いませんでした。
緩急で三振を取ることができたのは非常に大きいですね。
アメリカ代表打線はスイングスピードも速く、バットコントロールも極まっていますので、緩い球にはタメを作って即座に対応してきます。
空振りさせたということは、相手の読みを完全に外した証拠に他なりません。
バッテリーの配球が冴え渡っていると言っていいでしょう。
茜選手主体のリードに変更したとの情報もあります。
そのおかげでしょうか。
かもしれません。
いずれにしても、あのマウンドでの一幕が秀治郎選手と茜選手の何かを変えたことは間違いないでしょう。
夫である秀治郎選手の頬を両手で挟むようにしながら、至近距離で真っ直ぐに見詰め合って言葉を交わす姿は夫婦バッテリーならではのものでした。
アメリカ代表に勝利することができたら、このWBW決勝戦の象徴的な光景として長く人々の記憶に残り続けることでしょう。
私もそう思います。
しかし……。
っと、2番のセオドア・サンパー選手に対する2球目はスローカーブ。
見逃しでノーボール2ストライク。再び2球で追い込みました。
そして3球目を、投げた!
アンダースローからアウトコース高めへのスイーパー!
半端なスイングで空振り三振!
ここに来てアメリカ代表のバットが空を切っております!
場面は2アウトランナーなし。
3番のビスケット・L・ラルーピン選手を迎えます。
しかし、対する日本代表バッテリー。凄みすら感じられます。
……野球は1人でやるものじゃない。
当たり前に言われるそのことを、秀治郎選手はようやくここで本当の意味で理解することができたのかもしれませんね。
そういった意味では8回表の昇二選手と磐城選手の出塁や大松選手のタイムリーヒットに喜びを爆発させていた彼もまた、象徴的な光景と言っていいと思います。
確かに、珍しい姿でした。
と言うよりも、初めて見たかもしれません。
そうですね。
もしかすると秀治郎選手は人生で初めて、野球というスポーツを心の底から楽しむことができているのかもしれません。
試合の骨格としてはピッチャーとの1対1の戦いの積み重ねでありながら、その背後にチームスポーツとしての側面もある。
そんな野球の醍醐味を正に今、味わっているところでしょう。
野球の醍醐味……。
長く日本野球界のレベルアップのため、先頭に立って走ってきた秀治郎選手ですが、義務感で野球をしているようにも見えていました。
アメリカ代表という過去最強の敵に、肩を並べた仲間達と共に全力で挑む。
これ以上のシチュエーションはありません。
成程。
しかし、それも勝って報われてこそ完成するものだと思います。
はい。
ですから、是が非でも勝利を収めて欲しいものです。
そのためにはまず8回裏を0で抑えることですが……。
ここでビスケット選手も空振り三振!! 縦のスライダー!
3者連続3球三振で3アウトチェンジ!
ここに来て秀治郎選手、アメリカ代表打線を3者凡退に切って取りました!
球数は90球。
8回の攻防を終え、試合は最終盤。9回に突入します!




