363 世界最高のクローザー
「よしっ……よしっ!」
目の前の展開に昂ぶり、俺は思わず拳を握り締めて大きな声を上げてしまった。
美海ちゃんもすぐ近くで喜びを顕にしていたが、そんな俺の様子に彼女は珍しいものを見たと言わんばかりに動きをとめて目を丸くしていた。
隣の倉本さんもビックリしたような表情をこちらに向けている。
「め、珍しいっすね。秀治郎君がタイムリーヒットでここまで興奮するなんて」
「7回裏はかつてなく苦しんでたから、その反動かしらね」
そんな風に分析されてしまうと少々恥ずかしさも出てきてしまう。
ただ、今回ばかりはさすがに仕方のないことだろうと弁明したい。
危うく3失点どころでは済まない状態にもなりかねなかった過去最大のピンチ。
それを伴侶たるあーちゃんに助けられる形でどうにか潜り抜けることができた。
だが、だからと言って2点ビハインドという事実がなくなった訳ではなく……。
残り2イニング。世界最強のアメリカ代表相手に追いかける展開の中。
打順の関係で、どうあっても他力に頼る以外にない苦しい状況だった。
そのせいもあって日本代表応援団やベンチの一部には諦観すら漂い始めていた。
そんな重苦しい雰囲気の中で。
昇二が出塁し、正樹が送り、磐城君が続いて、大松君が1点をもぎ取った。
転生者が切っかけを作らなければプロ野球選手になる道などなかった彼らがこの土壇場で俺に依らず、自ら1つ成長してアメリカ代表に一発食らわせて見せた。
それを目の当たりにして高揚するなと言う方が無茶な話だ。
「まあ、気持ちは分かるっすけどね」
驚きに水を差された形になっていた倉本さんも最終的には興奮が勝ったらしい。
彼女は俺に共感を示しながらグラウンドに視線を戻した。
「……わたしも続く」
一方で、そう小さく告げて淡々とネクストバッターズサークルに向かう準備をしているあーちゃんは相変わらずマイペースにも程があるように見える。
しかし、その内心は違っていた。
【以心伝心】が伝えてくるのはいくらかの喜びと高揚感。
加えて、自分も打撃でも貢献して見せるという強烈な意思で満たされている。
【比翼連理】を得たことが影響したのかは分からないが、あーちゃんもまた心境に小さくない変化があったのかもしれない。
いずれにしても――。
「……そうね。ここで同点に追いつきたいところだわ」
「黒井選手はダブルプレイだけは避けたいっすね」
8番の大松君がタイムリーヒットを打ってスコアは2-3。
尚も1アウトランナー1塁3塁。
チャンスは継続。ワンヒットで同点。
ただし、ゲッツーで即3アウトチェンジにもなり得るリスキーな状況。
9番の黒井選手は一層プレッシャーを感じているに違いない。
実際、やや表情を硬くしながらバッターボックスに足を踏み入れている。
「問題ない。どちらにせよ、わたしが出塁すればしゅー君に回る」
あーちゃんは2人にそう返すと、バットを手にベンチを出ていった。
【比翼連理】を得たことで彼女の最終ステータスは大幅に向上している。
男性陣との身体的なスペックの差はほとんど解消されたと言っていい。
加えてタイムスケールが拡大した【直感】もある。
このまま何ごともなく行けば、彼女の言葉が実現する可能性は高いはずだ。
とは言え、相手は世界最強たるアメリカ代表チーム。
手をこまねいて眺めているだけで終わるはずもない。
「……って、あれ? あっちの監督が出てきたわね」
「え、交代っすか?」
美海ちゃんの視線を辿った倉本さんが口にしたその問いに答えるように。
『アメリカ代表、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、ジャイアント選手に代わりまして、モー選手。背番号42』
バンクノート・パークにピッチャー交代のアナウンスが流れた。
2回1/3を1失点で降板。
マウンド上のジャイアント選手は悔しげに天を仰いでいる。
彼のキャリアにおいてかなり珍しい光景だ。
しかし、巨躯のおかげか絵になる。
表情も陰のあるものではなく、どこか爽やかさを感じるし。
「……あの打席の黒井選手を警戒してのことかしら」
「だとしても回跨ぎだなんて、あっちもガチっすね」
モー選手の投手能力はカンストしているのでスタミナの問題はない。
そもそも2イニングまでなら回跨ぎをしても被打率は変わらないとも聞く。
1点差を守るために絶対的な守護神を投入するのは十分あり得る話だ。
もう少し大松君の打球に角度がついていたら手遅れだった可能性もあるが、そう言って責め立てるのは若干事後孔明の感もあるだろう。
アメリカ代表は今日この試合まで常に盤石だったことを思えば、多少保守的な判断をしてしまうのも無理もないことではある。
そんなことを考えていると。
モー選手がブルペンから走ってきてマウンドに上がり、投球練習を開始した。
「世界最高のクローザー、か。……でも、サイクロン選手やジャイアント選手の球とそこまで差があるように感じないわね」
「そりゃその2人はその2人で人間の限界に近いレベルだからな」
尚且つカンストしたステータスに種々のスキルが加わってスタミナも極まっているため、先発ながら抑えピッチャーの如く全力投球を続けるのも不可能じゃない。
方向性の違いはあれ、総合的な能力にそこまで大きな違いはない。
むしろ、あってたまるかというところだ。
いくら世界最強たるアメリカ代表の選手とは言え、ロシア代表のように完全に人類の限界の向こう側に行ってしまった選手はいないのだから。
「……何だかジャイアント選手の方が迫力があった気がするわね」
「気持ちは分からないでもないけど、比較対象がおかしいだけでモー選手だって十分ガタイはいいからな」
彼も最高球速は175km/hだ。
上背や手足の長さはジャイアント選手程じゃなくても、筋肉や骨格を含めた総合的な【体格補正】は同じ数値を示している。
威圧感についても直前が大巨人だったから変に錯覚してしまっているだけだ。
「委縮しなくて済むっすね」
それをポジティブに捉えて言う倉本さん。
まあ、確かにそういう見方もできなくはないけれども……。
「プレイッ!」
打席には黒井選手。
モー選手はセットポジションに入る。
そして少し角度のついたオーバースローから初球を投じた。
「ストライクワンッ!」
球種はカットボール。
インコース高め。
黒井選手は振らなかった。
「凄いのは凄いっすけど、何だか……」
サイクロン選手やジャイアント選手を見ていると、驚く程じゃない。
他の皆もそんな印象を抱いたようで、ベンチに戸惑いの空気が生じている。
世界最高のクローザーという称号に引っ張られて過大評価してしまった……などというのは絶対にあり得ない話だ。
そう謳われるに足る何かが、必ずある。
「……不気味だな」
警戒を強めながら黒井選手の打席を見守る。
「ストライクツーッ!」
2球目はフォーシーム。175km/h。
これもインコース高めに来た。
切れも伸びも申し分ない1球だったが……。
「ジャイアント選手のストレートの方が打ちにくそうよね」
美海ちゃんが腑に落ちないと言わんばかりに首を傾げる。
右投げで、オーバースローからのフォーシーム。
サウスポーのサイドハンドでクロスファイヤーをも駆使してくるジャイアント選手のフォーシームの方が、バッターの嫌がる要素が多いのは間違いない。
「ストライクスリーッ!!」
そうこう考えている間に黒井選手が三振してしまう。
見逃しの3球三振だった。
最後の球は抜けカット。ジャイロボールだった。
大松君が打ったジャイアント選手のものよりも確かに完成度は高い。
が、隔絶しているとまでは感じない。
この3球はいわゆるピッチトンネルと呼ばれる投球術が使われていた。
リリースから変化を始めるまでの軌道がほぼ同じになるように投げているのだ。
ただ、超集中状態であれば握りから球種を見極めることも不可能ではない。
そのため、少なくとも俺達やアメリカ代表に選ばれている大リーガー達には世間で言われている程の効果はない。
アメリカ人からも世界最高のクローザーと呼ばれるには別の何かがあるはずだ。
「黒井選手。手が出なかった感じですか?」
ベンチに戻ってきた彼から情報収集しようと問いかける。
すると、黒井選手は困ったような表情を浮かべた。
「いや、何と言うか、呼吸をズラされたような、変な感覚があった。そもそも状況的に下手に打ちに行くべきじゃないとは思ってたが……」
それも見抜かれた感じか。
モー選手はステータス以上に打者心理を見抜くのと、タイミングの駆け引きに長けたピッチャーなのかもしれない。
そう考察する間にあーちゃんが打席に立つ。その初球。
「っ!?」
【直感】が誤動作を起こしたかのような感じを受けた。
あーちゃんは初球を叩こうとしたようだったが、そのビジョンが突然掻き消えて別のイメージへと変化してしまった。
彼女はそのことに動揺してスイングができなかったようだ。
「ストライクワンッ!」
【直感】はアウトコース低めへのカットボールを予見していた。
しかし、実際に投じられたのはスライダーのような大きな変化の球だった。
曲がり過ぎたスラッターのような感じだろうか。
テイクバックからリリースまでの間に縫い目への指のかけ方を調整したらしい。
投球動作をとめずに、とんでもない離れ業だ。
更にはコースもど真ん中に変更されている。
キャッチャーのジェネラル選手もおかしい。
コースも球種も突然変わったのに当たり前のように捕球している。
俺とあーちゃんのように【以心伝心】で意思疎通している訳でもなければ、何か【直感】や【軌道解析】のようなスキルを利用している訳でもないはずなのに。
純粋な動体視力とキャッチングの技術だけで捕っているとしか考えられない。
意味が分からない。
「ストライクツーッ!!」
今度はフォーシームがカットボールに変わった。
あーちゃんの動揺が【以心伝心】で伝わってくる。
(落ち着いて、途中のイメージは無視するんだ)
あーちゃんに届くように強く思う。
手先の技術で球種を変えることができたとしても、いくら何でもリリースした後までは影響を及ぼせるはずもない。
そこまで行ったら念動力か何かの超能力者になってしまう。
さすがにあの野球狂神がそんな世界観にするはずはない。
だからリリース以前の情報は意識的に遮断する。
それがこの現象の攻略法となるはずだが……。
「くっ」
【直感】のブレが嫌なノイズになって脳を揺さ振ってくる。
――ブォン!
パァンッ!!
結果、あーちゃんのスイングには僅かな淀みが生じ、抜けカットが落ちるジャイロボールに変わった3球目を捉えられなかった。
空振りの三振で3アウトチェンジ。2者残塁。
それ以上にあーちゃんを封じ込めた【直感】に影響を与える投球術を前にして。
「これが、世界最高のクローザー、なのか……?」
俺は戦慄を覚えざるを得なかった。




