閑話78 人生の主役(大松君視点)
8回の表。日本代表の攻撃が3人で終わらなかったのは初回以来のことだった。
世界最強のアメリカ代表相手に2点を追いかける展開と窮地に立たされる中、まず瀬川昇二がレフト前ヒットを打って反撃の狼煙を上げた。
兄の瀬川正樹はセカンドへの進塁打で弟を2塁へと送った。
7番の磐城巧もまたライト前ヒットを放って後に繋げた。
場面は1アウトランナー1塁2塁。
これもまた初回以来となるチャンスを作り上げた。
のみならず、同点のランナーまで出ている。
昔からピンチの後にチャンスありとはよく言われることだが……。
正にそんな状況で、この俺に打順が巡ってきたのだった。
ここでヒットを打つことができれば、打順が1番に戻る可能性が高くなる。
このイニング中に野村茜まで回りさえすれば、牽制アウトにでもならない限りは9回3アウトまでに秀治郎も再び打席に立つことができるようになる。
重要な局面と言える。
勢いに乗りたいところだ。
逆に。この流れを断ち切ってしまう最悪の結果は重殺。
それは俺に限った話じゃない。
たとえこの打席でヒットを打つことができたとしても、フォースアウト可能な状態から脱しなければ一瞬で3アウトチェンジになりかねない状況が続く。
まあ、ランナーがいる限りライナーゲッツーの可能性は常について回るし、走塁ミスでアウトになってしまうケースもあるだろうが……。
いずれにしても俺が長打を打つことができなければ、この場面で得点することはほぼ間違いなくできないだろう。
その結論に至った最大の理由は、アメリカ代表のブルペンには世界最高のクローザーと謳われているモー・サンドマン選手が控えているからだ。
アメリカ代表に危機感を抱かせる状況はそのまま彼の出番に直結する。
アウトになるのは論外だが、半端なヒットによる1アウト満塁も好ましくない。
そこまでピンチが拡大してしまえばモー選手に代えてくる可能性は高くなる。
もし彼が出てきたら、それも流れが変わる一因となるだろう。
俺はそんなことを考えながら立ち上がり、ネクストバッターズサークルから出てバッターボックスに向かった。
当然ながらアメリカ代表がこの状況に既に懸念を抱いていたとしたら、俺の打席でピッチャーを交代してくる可能性もなくはなかった。
しかし、どうやらあちらにそのつもりはないようだ。
マウンドには変わらず世界最強のサウスポー、ジャイアント選手が立っている。
彼がここまで対戦した日本代表のバッターは9人。
黒井選手のように粘りに粘って球数を稼いだ者はいない。
まだまだ上限の95球には余裕があるし、セオリー通りに判断するならリリーフピッチャーに回跨ぎをさせるのは可能な限り避けたいところではある。
だから、ジャイアント選手の続投も何らおかしなことじゃない。
だが、この試合はWBWの決勝戦だ。
世界で最も重要な意味を持つ試合と言って差し支えない。
しかも、普段通りの展開ならともかく、あのアメリカ代表が終盤で2点差。
7回裏に3点取って逆転したものの、秀治郎にここまで苦しめられてきた。
モー選手はワールドシリーズでも普通に回跨ぎをしているし、ジャイアント選手にとって2巡目である俺のところで代えてしまう選択肢も十分あったはずだ。
そうしなかったのは球数の少ないジャイアント選手への配慮も大いにあるとは思うが、俺というバッターを軽く見ているからでもあるだろう。
実際、俺は今日ここまで2打数無安打2三振。
ジャイアント選手との1打席目はバットが掠りもせず、3球三振に終わった。
死んだ振りで油断を誘ったのだと自信満々に言うことができれば多少は格好がつくかもしれないが、その打席は初対戦だったこともあって普通に完敗しただけだ。
それがジャイアント選手の続投に繋がったのであれば、まあ、屈辱的ではあるものの、意義があったと見ることもできなくはない。
ある意味、1つ賭けに勝ったという言い方もできる。
少なくとも、モー選手よりは遥かに可能性があるのは確かなのだから。
「今度こそ……やってやるゼ」
打席に入り、自分を鼓舞するようにいつもの気取った口調で告げる。
このキャラ作りも大分年季が入ってしまった。
小学校で野球を諦め、1度は明日への希望を見失った男。
そんな抜け殻が彼女に一目惚れをし、上辺だけ取り繕うとした結果がそれだ。
何故か父親の言動に近くなってしまったのはやはり親子だからか。
それはともかくとして。
俺はこの「俺」を演じていなければ立ってなどいられない張りぼてだった。
高校時代は新星と呼ばれたりもしたが、俺自身は周囲に対して劣等感があった。
それをどうにか隠してきた。
折角得たオリジナル変化球という芯も、このWBW決勝戦では意味をなさない。
だから俺は黒井選手や瀬川昇二、瀬川正樹、磐城巧と同じように、超集中状態よりも上の状態に至ることはできないだろう。
超集中状態に入ってもこうして余計な思考が激しく頭の中を駆け巡っていて、いわゆる無我の境地になんて辿り着けそうもない。
しかし、だからと言って打つのは無理だと諦めていい訳がない。
日本のためというのもそうだが、何よりも俺自身のために。
ここで打つことができれば、それこそ一生分の誇りを得られるだろうから。
秀治郎の添えものじゃなく、自分の人生の主役だと心から信じることができる。
そのためには今ここでジャイアント選手を攻略するしかない。
突如として覚醒するが如き無我の境地を求めるのではなく、別の方向から。
軽いざわめきが俄かにスタンドに生まれた。
その理由は俺の立ち位置にある。
俺は今、左のバッターボックスに入って構えを取っていた。
セオリーを無視した左対左。
ましてや相手は世界最高のサウスポーたるジャイアント選手。
大リーグの左バッターにさえ打ちにくいと言わしめる存在だ
しかし、奇策のつもりはない。考え抜いた末の選択だ。
だからこそ。
日本代表選手の中でジャイアント選手を打つ可能性が最も高いのは俺だ。
OHMATSUジャイロと名づけた球の完成度を上げるために、俺は先駆者とも言えるモー選手の映像を何度も何度も繰り返し見てきた。
勿論、オリジナル変化球の練習を始めた頃に参考にすることができた映像はアメリカの野球中継の微妙な角度からのものしかなかったが……。
村山マダーレッドサフフラワーズ内に結成されたインターンシップ部隊なる組織がアメリカで情報収集を行っていると小耳に挟んだ俺は、彼女達に頭を下げた。
それによって得られたのはあくまで撮影した動画ではなくリアル頭身の野球ゲームで再現したものだったが、だとしても半端な映像よりは余程有益だった。
日本代表のミーティングで確認したジャイアント選手のデータとの比較によって1つの気づきを得ることができるぐらいに。
結論から言えば、ジャイアント選手は左バッターに対してのみモー選手や俺と同じように抜けスラを制御したジャイロボールを投じることが分かった。
この情報は共有しているし、秀治郎も気づいてはいた。
しかし、左対左か右対左か。
クロスファイヤーとジャイロボールのどちらがいいか。
それらを考慮に入れた上で右バッターとして挑んだ方がベターだろう。
そういった判断で両打ちの選手は右の打席に立つようにしていた。
もっとも、この回の2ヒットはそのおかげとはとても言えない。
結局、無我の境地に近い状態にならなければ打つことなどできなかっただろう。
そんな再現性の乏しいやり方に頼ってばかりいては、どこかで必ず破綻する。
大概、こういうものは最も勢いがあるタイミングで揺り戻しが来るものだ。
つまり、ここ。ここでの失敗は致命的だ。
だから俺はそれに期待しない。頼ろうとは考えない。
「……来いっ!」
俺の言葉に応じるように、ジャイアント選手がセットポジションに入る。
観客とは違い、アメリカ代表バッテリーは俺の行動を警戒しているようだ。
初球。アウトコースに逃げていく高速スライダー。
これは外れる。
「ボールッ!」
見送って1ボール。
慎重に入ってきた。
2球目。フロントドアのカットボール。
「ストライクワンッ!!」
インコース低めに決まって1ボール1ストライク。
最初の対戦で多少は目が慣れている。
集中力も十分高まっていて追い切れない程ではない。
しかし、微妙な感覚のズレがある。
これがこれまで凡打の山を重ねてきた要因の1つだ。
修正は難しい。
3球目。インコース低めから落ちるスプリット。
スイングしかけたが、バットをとめてボール。
2ボール1ストライク。
4球目。アウトコース低めへのフォーシーム。
――カキンッ!!
「ファウルッ!」
逆方向に大きな当たりとなったが、タイミングが遅れてファウルスタンドへ。
2ボール2ストライク。平行カウント。
そして5球目。
恐らく……ここで来る!
俺はモー選手の抜けスラを研究し続けた。
自分でも武器として何度も使用した。
より完成度を高めるための工夫も決して怠らなかった。
そんな俺だからこそ、この球種だけは通常の超集中状態でも打てる!
狙い球をただ1つに絞って――。
――カキンッ!
インコース高めへのジャイロボールを引っ張った。
角度はつかなかった。
それでもライナー性の当たりがライトの頭上を越える。
――ガンッ!!
「「「「わあああああああああっ!!!」」」」
フェンス直撃に日本代表応援団が沸く。
しかし、その直後。
クッションボールにバンビーノ選手が合わせ、即座に矢のような送球を行った。
バックホームの軌道。だが、俺は先の塁を狙わなかった。
案の定、セカンドのラージャ選手がボールをカットする。
そのまま1塁の俺と3塁に進んだ磐城巧をそれぞれ一瞥する。
欲をかいていたら確実にアウトになっていた。
積極走塁と暴走は紙一重だ。
「ふぅ…………よしっ」
長打コースではあったが、長打にはならなかった。
それでもランナーは2つ塁を進み、2塁ランナーの瀬川昇二はホームに帰った。
記録はシングルヒット。1打点。
スコアは2-3と1点差に詰め寄ることができた。
その事実に俺は噛み締めるように両の拳を固く握り締め、それから1塁ベース上で右手を突き上げたのだった。




