閑話77 感謝(磐城君視点)
僕にとって秀治郎君という存在は正に人生の恩人と言っても過言じゃない。
彼と出会わなければ、僕は今もスポーツドクターを目指していただろうから。
その道が劣っているとか、誤っているとか。
そんなことを言うつもりは毛頭ない。
スポーツ選手を心身共に救う尊い仕事だし、それを当たり前のように目指すことのできる環境がどれだけ恵まれたものなのかも分かっている。
とは言え、できることとやりたいことは往々にして違うものだ。
僕はプロ野球選手になりたかった。
子供が抱く典型的な夢だ。
勿論、幼い頃に夢見た未来がそのまま叶うような、順風満帆な人生を送ることができる人間なんて一握りしかいないことぐらい当時の僕だって承知している。
分からされたと言い換えた方がいいかもしれないが……。
夢破れてしまったとしても、この社会ではあり触れた挫折の1つでしかない。
それでもあの絶望感は大きな棘となって深く胸の奥に突き刺さり、奇跡的な巡り合わせで夢が叶った今となっても残り続けているぐらいだ。
だから、もしも秀治郎君と出会えていなかったら。
きっと虚無感を心に常に抱え込みながら、医師国家試験に向けて淡々と努力を重ねつつも何となしに野球の結果を確認するような日々を送っていたに違いない。
人の縁と選択次第では1部リーグのプロ野球選手となり、更には日本代表選手としてWBWにスタメン出場できる人生が存在するなんて夢にも思わないまま。
……まあ、たとえ秀治郎君と出会えていなかったとしても。
更に時が経てば、そういった感傷も少しずつ消えていっていたかもしれない。
スポーツドクターになったらスポーツドクターになったなりのやりがいや生きがいを見つけて、精力的に日々を過ごしていた可能性もゼロじゃない。
今となってはそう思うこともできる。
今の僕が言っても、夢を叶えた者の傲慢のように感じなくもないけれども。
いずれにしても。
少なくとも中学校に入学した頃の僕には、そう割り切ることなどできなかった。
大人から見るとよくある些細で幼い苦悩でしかなかっただろう。
けれども、あの頃の僕は確かに心の奥底に強烈な挫折感を抱きながら、どうにか表面を取り繕うようにして生きていた。
秀治郎君と出会ったのはそんなタイミングだった。
同じクラスとなった彼は、プロ野球珍プレー愛好会なる妙な部活に誘ってきた。
戸惑いはあった。
けれども、正直なところ部活なんてどこでもよかった。
勉強の時間を確保することができるぐらい緩い活動内容であれば。
部活動紹介と彼の話を聞いた限り、その希望は叶いそうだったし、あの学校特有の事情もあって野球部の一部だったから内申点も稼ぎやすい。
そこに所属するのは合理的ではある。
だから受け入れた訳だが……。
そんな僕の認識はある意味正しくて、ある意味間違ってもいた。
実際のところ緩くはあった。
珍プレーの状況再現のためと称して野球の練習をしたりもしたが、実践的なものがほとんどで、過酷であればいいみたいな前時代的なものは一切なかった。
秀治郎君の拘りで練習以上に大事にしていた座学にしても、陸玖ちゃん先輩こと津田先輩の解説が面白かったのもあって脳の負担にはならなかった。
そもそも勉強が苦ではなかったのもあるだろうし、野球に挫折しつつも別に野球そのものが嫌いになった訳ではなかったのもあるだろう。
医大を目指して勉強に励む中で、いい気分転換にもなったと思う。
実際そのおかげなのか、何故か急激に体力がついたおかげなのかは分からないけれども、部活の後に通っていた進学塾での学習効率向上にも寄与していた。
成績が落ちていたら横槍が入っていただろうから、その意味でも助かった。
公立の進学校で下校時間が早くて部活の時間が非常に短かったのもあるだろう。
補助金問題があって公式戦1勝を目指し始めた後もそれは変わらなかったし、いかにも体育会系な上下関係もなかったのは文武を両立させる上で非常に助かった。
それを加味しても、あの頃の毎日は今振り返っても異常な程に濃かった。
やがて野球部は公式戦で勝てるようになり、その辺りで僕が試合に出場したことを父に知られて野球から遠ざけられそうになってしまったが……。
そこでも秀治郎君に助けられた。
父を説得し、猶予を作ってくれた。
そして最終的に全国中学生硬式野球選手権大会で東京プレスギガンテスジュニアユースの瀬川正樹選手に投げ勝って優勝し……。
兵庫ブルーヴォルテックスユースにスカウトされたことで両親にも認められ、ここで本当の意味でプロ野球選手の道が開けたように思う。
地元を離れた高校時代は野球漬けの毎日だった。
山形にいた頃とは違って身にならないどころか体の感覚がズレることも多くなったけど、中学時代に養った考える力のおかげで技術を磨くことができた。
甲子園での優勝も経験して同世代のトップ選手として注目を浴びながら、昇二君や大松君、瀬川正樹選手とも競い合った。
それでも増長せずにいられたのもまた秀治郎君のおかげだ。
高校中退してクラブチームを昇格させるという前代未聞の方法でプロの世界に入り、そのまま1部リーグまで駆け上がった。
プロになってからも彼は目標であり続けてくれた。
返し切れないぐらいの恩があると言っていい。
そんな秀治郎君でさえ、アメリカ代表相手にあそこまで打ち込まれてしまった。
昇二君のヒットに喜びを爆発させる姿は、正に苦しい戦いの只中にある証左だ。
そんな彼の様子に驚きと共に自分の不甲斐なさを感じた。
導かれるばかりで並び立とうとしていなかった。
昇二君もまた、それを自覚して発奮したのだろう。
ネクストバッターズサークルに入って考える。
秀治郎君に報いる方法を。
……その答えは簡単だ。
ここで打つこと。それ以上のものはない。
なら、どうすればそうすることができるのか。
恐らく昇二君や右のバッターボックスに入っている瀬川正樹選手もまた同じことを考え抜き、僕と似たような結論に至ったに違いない。
今日この試合のためにやれる限りのことはやってきた。
後はそれを一切欠けるところなく、十全に発揮させる。
それ以外にはないだろう。
そして、そのためには黒井選手のような没頭が必要不可欠だ。
昇二君はあの打席の黒井選手程ではないが、それに近い集中力を発揮していた。
瀬川正樹選手もそこに至ろうと藻掻いている感じがする。
そんな彼らを、黒井選手を模倣する方法を考える。
黒井選手は無欲に目の前の1球に集中して夢中になること。つまり、その瞬間瞬間を余すことなく楽しむことが大事だと言っていた。
いつものような、いわゆる超集中状態では足りない。
その先に進まなければならない。
――カンッ!!
ジャイアント選手の低めのボール球を瀬川正樹選手は叩きつけた。
打球が高くバウンドする。
セカンドのラージャ選手がやや前に出て待ち構える。
昇二君は既にセカンドベース間際。
瀬川正樹選手にしても内野安打になりそうなタイミングだ。
しかし、ラージャ選手はグローブをつけていない右手を伸ばしながらジャンプすると、バレーボールのようにキャッチすらせずにボールを思い切り叩いた。
「は?」
思わず間の抜けた声が出る。
ボールは当然のようにファーストミットにうまく収まり、一瞬遅れて瀬川正樹選手がファーストベースを踏む。
「ヒズアウッ!!」
「「「「「「「「WOOOOOOOOOOO!!!」」」」」」」」
捕球動作を入れていたら。
素手だったとしてもキャッチしていたら。
間違いなく間に合わなかった。
スタンドが沸くのも当然な凄いチャレンジだった。
僕も思わず笑ってしまう程だった。
プロ野球珍プレー愛好会だったら嬉々として取り上げていただろう。
日本代表応援団の中にいる津田先輩は、情緒が怪しくなっているかもしれない。
「ははっ」
それをつい想像してしまって苦笑する。
いずれにしても瀬川正樹選手の打席はゴロアウトに終わった。
それでも進塁打にはなっていて1アウトランナー2塁。
ネクストバッターズサークルから立ち上がり、右のバッターボックスに入る。
チャンスで打席が巡ってきた。
「ふぅ……」
ジャイアント選手を視界に収めながら構えを取る。
アメリカ代表選手のスーパープレイを目の当たりにして、逆に肩から無駄な力が抜けたような気がする。
無我夢中になるには自分を振り返ることも必要だろうと、過去を顧みて人生が変わったプロ野球珍プレー愛好会での一時を思い出したのも影響したかもしれない。
プロ野球選手への道はか細いものだった。
秀治郎君がいなければ、ここまで繋がることはなかった。
今、僕は世界最高の舞台で最強のアメリカ代表に挑んでいる。
改めて考えると物凄いことだ。
人にも環境にも恵まれている。
その価値を今更ながらに強く感じた。
その喜びで心が満たされていき、気分が高揚する。
こんなにも高いレベルで野球ができることに、心の底から感謝したい。
自分の全てを出し切らなければ勿体ない。
1球でも多く、少しでも長く食らいつきたい。
打席に立って尚、知らず口元に笑みが浮かんでしまった。
それこそ秀治郎君を前にしたアメリカ代表選手達のように。
初球。クロスファイヤーを強引に打つも3塁線切れてファウル。
2球目。際どいカットボールを見送ってボール。
3球目。インコース低めのフォーシームは真後ろに飛ぶファウル。
1ボール2ストライク。楽しい。
この状況を楽しく思える自分が嬉しい。
4球目。その思いのままに振る。
アウトコース低めから落ちるスプリット。
完全なボール球だった。
体勢が崩れた。スイングにも力がない。
――カンッ!!
それでも体は反応してバットは届いた。
芯に当たったのが幸いした。
打球はセカンドの頭上をギリギリ越えるハーフライナーとなる。
セカンドのラージャ選手が飛びつくも届かなかった。
数cmの差だ。
だから2塁ランナーの昇二君は塁を離れなかった。
瀬川正樹選手の進塁打がなければ、この安全な判断はできなかっただろう。
いずれにしても、これで1アウトランナー1塁2塁。
点を挙げることはできなかったが、後に繋ぐことはできた。
ようやく1つ結果を出せた。
僕はそのことに一層の喜びを抱きながら、ベンチの秀治郎君を見たのだった。




