閑話72 今できること(黒井力皇視点)
選手の間に若干の温度差がある。
2回裏の守備につくためにグローブ片手にグラウンドへと駆け出しながらベンチを軽く振り返った俺は、どうにもならないもどかしさと共にそう感じていた。
特に若い投手陣だ。
余り言いたくはないが、相手は歴代最強と名高いアメリカ代表打線。
この決勝戦でアイツらが重要な場面を任されることはほぼ確実にない。
出番があるとすれば、大勢が決してしまった後の敗戦処理が精々だろう。
誰が考えてもそうだし、アイツら自身もまたそう認識しているはずだ。
誤解がないように一応言っておくと、決して傍から見て非難されて然るべきというような怠慢な態度を取っている訳ではない。
どうやら怪我を負いながらもベンチ入りしている浜中選手の懸命な応援に触発されているようで、積極的に声出しを行ってもいる。
本当に僅かな意識の差だ。
紙一重と言ってもいい。
しかし、それは決定的な乖離でもあった。
当事者意識がない、などと表現するとさすがに言葉が強過ぎて不適切だが……。
出場可能性のある白露、酸いも甘いも経験してきた大ベテラン、怪我で出場したくとも出場することができない浜中選手にはない断絶を俺は感じていた。
「ストライクワンッ!!」
秀治郎選手はその部分については余り気にしていない様子だった。
故意に盗み聞こうとした訳ではないが、茜選手や浜中選手との会話を耳にした限りではアメリカ代表選手達の態度の方に意識が向いているようだ。
そんなことを気にしていられる状況じゃないと言い換えてもいい。
実際、あちらのベンチはあからさまに試合を楽しんでいる雰囲気がある。
あれはここからいくらでも巻き返すことができるという確かな自信の顕れだ。
俺もアマチュア時代に覚えがある。
たとえスコアの上ではリードを許していたとしても、試合全体のいわゆるゲームプランから外れている訳ではなく、全て許容範囲内に収まっている。
勝利への道筋はしっかりと見えていて、無駄に動揺して自分達のすべきことを違えるような真似さえしなければ一切問題ないと確信している態度だ。
勿論、俺に関して言えば大リーガーでもなければ当時はプロ野球選手ですらなかった未熟な時分の話であるだけに、足をすくわれてしまった経験もなくはない。
だが、史上最強のアメリカ代表のそれは過信などとは決して言えないだろう。
ただただ当たり前の事実でしかない。
「ボールッ!」
2球目。この試合初めてのボール球。
相対するバッターは、世界最高の選手と謳われるバンビーノ・G・ビート選手。
バンクノート・パークの電光掲示板に、バッターボックスの中で不敵な笑みを浮かべている様子がアップで映し出されている。
WBWにおける試合の中ではお目にかかれなかった表情だ。
それだけ秀治郎選手を認めているということなのだろう。
野村世代。
突如として現れて日本野球界のレベルを急激に引き上げた彼らは、落山監督が掲げた打倒アメリカという目標に中身を持たせた。
と言うよりも、野村世代の存在があったからこそ落山監督もそんな大それたことを大っぴらに口にすることができたのだろう。
日本国民の多くもまた彼らに夢を見ている。
一方で、俺達は一段下の脇役のようなものだ。
もっとも、それはスタメンに名を連ねる資格がないという意味ではない。
日本プロ野球界を見渡しても改めて考えてみても、現時点においては俺や白露がこのメンバーにおけるベストメンバーであることは間違いない。
それでも客観的に見て、日本代表打線における穴なのは事実だった。
そして俺自身も、その自覚があった。
ロシア代表戦における俺は2打数無安打。
浜中選手の登板に合わせてベンチに下がることになって出番は終わり。
オランダ代表戦では白露がスタメンだったが、アイツも5打数無安打。
前がどれだけ打っていても、俺達のところで必ずブレーキがかかる。
それでもこれまでは勝つことができたからこそ、そして代わりができる選手がいなかったからこそ特に問題視されることはなかったが……。
数字は嘘をつかない。
野村世代と同等かそれ以上の相手には後れを取ってしまっている。
そのことを否定する術は俺にはなかった。
――カンッ!!
1ボール1ストライクからの3球目。
ソフトボールのライズボール染みた、高めに急激に浮き上がっていくような変化球をバンビーノ選手は打ち上げた。
高々とセンターに上がったフライ。
ライトとしてカバーをするために行方を確認しながら追いかけながら、その軌道にロシア代表選手のホームランが脳裏を過ぎる。
冷やりとする感覚を抱く。
だが、如何に世界最高の選手でもあの人外染みたパワーには及ばないようだ。
打球は途中で失速した。
「……いや」
失速はしたものの、飛距離としては少し歪なバンクノート・パークのセンター最深部のフェンスをギリギリ越えるか、越えないかというところ。
若干詰まっていたにもかかわらず、これは十分化物だ。
センターの山崎が壁に軽く手を当てながら落下に入った打球を見据えている。
そして俺がクッションボールに備えるすぐ目の前で、山崎はタイミングを合わせて小さく屈伸して力を溜め――。
――パシッ!
ジャンプ1番。
目いっぱいに伸ばしたグローブでフェンスを僅かに越える打球をもぎ取った。
ホームランキャッチで1アウト。
紛れもないスーパープレイだ。
球場に詰めかけたアメリカ人からは落胆の溜息が、日本代表応援団からは数で負けているとは思えないような大歓声が上がる。
ホームランとセンターフライでは天と地程も違う。
単に1失点を防いだというだけでは留まらない価値がある。
山崎一裕。
日本プロ野球界において、野村世代に唯一食らいついている遅咲きの天才。
アマチュアでお山の大将を張っていた俺や白露とは異なり、大学で急成長を遂げてプロ入りし、野村世代並の活躍を見せているある意味異質な存在だ。
しかも秀治郎選手が直接関与していない、言わば別の系譜から現れた怪物。
その彼を以ってしてもサイクロン選手相手にはうまく打たされて併殺打となってしまったが、ここでそれを帳消しして余りあるプレイを見せた。
秀治郎選手も助かったと安堵の表情を浮かべている。
一方、ホームランをアウトにされてしまったバンビーノ選手は、秀治郎選手と山崎を交互に見てからニヤリと笑った。
詰まらされた時点で今回はコチラの負け。しかし、次は仕留めてやる。
そう言わんばかりだ。
まだ第1打席。これが生涯初対戦。
にもかかわらず、この試合のために隠し続けてきたアンダースローから、山崎のスーパープレイがなければホームランになっていた大飛球をいきなり放つとは。
改めて世界最高の野球選手と謳われる所以を突きつけられた思いだった。
戦慄を禁じ得ない。
日本最強のピッチャーたる秀治郎選手。
その彼が己の出力を100%発揮できるアンダースローという奇跡的な投法で挑み、アメリカ代表選手達は実際不慣れな球筋に対応し切れていなかった。
バンビーノ選手も多分に漏れず、詰まらされていた。
だと言うのにこの飛距離だ。
もしこれが他のピッチャーだったら、山崎のホームランキャッチの可能性すらないスタンドの遥か彼方まで飛ばされていたことだろう。
こんなものを見てしまうと、ベンチの彼らに意識の差が生じるのも理解できる。
――カンッ!
1アウトランナーなし。
続く5番のハンマー・A・ルイス選手はサードファウルフライ。
1回裏の攻撃では三振とキャッチャーファウルフライに倒れたアメリカ代表打線だったが、徐々に前に打球が飛ぶようになってきている。
とは言え、それはバッターとしての実力の差という訳ではない。
1回裏の秀治郎選手の8球。
それを目に焼きつけてスイングを微調整し、少しずつ対応してきているのだ。
恐ろしい程の対応力を実感させられる。
1巡目でこれならば2巡目にはもう……。
――ブオンッ!!
パァンッ!!
それでも今はまだ2回裏。
まだ初対戦だ。
6番のオリオール・エドウィン・ジュニアは空振り三振となり、3アウト。
1回裏に続いてどうにか3者凡退となった。
しかし、オリオール選手の空振りははち切れんばかりのフルスイングの結果。
しかも3塁ベンチに戻っていく姿はどこか清々しげだった。
そんな姿まで見ては、完璧に抑え切ったとはとても思えなかったようだ。
「ふぅ……」
1塁ベンチで秀治郎選手が深く息を吐く。
球数は2回終わって合計17球。
肉体的な疲労はまだないだろうが、精神的な負荷が相当大きかったに違いない。
当然だ。
史上最強の打線を前に、1球たりとも失投など許されない。
だが、あのアンダースローからの全力投球を完全にコントロールするには、細心の注意を払って全身の動きを連動させなければならない。
脳もフル稼働していることだろう。
負担が突出している。
勿論、ピッチャーという存在はそもそもそういうものでもあるが……。
平均的なそれと比べても余りにも過大だ。
山崎1人がスーパープレイをしたぐらいでは足りない。
もっと点が欲しい。
もっと、もっと。
秀治郎選手が口にした言葉がより切実に感じる。
「くそ」
共に世界一を目指す。
その意識を共有したにもかかわらず、何も貢献できていない。
何かできる場所にいながら何もできていない。
そんな自分に思わず悪態が出る。
俺が打つことを期待している者は数える程しかいないだろう。
客観的に選手を2つに大別するなら、むしろ俺が断絶を感じたベンチの選手達側に俺を分類する者の方が多いはずだ。
それでも俺は今、WBW決勝戦という戦いの舞台に確かに立っている。
試合に出場している以上、勝利に貢献するために行動しなければならない。
力及ばずとも一矢報いる方法を考え続けなければならない。
「黒井選手」
秀治郎選手に呼ばれ、顔を上げる。
3回表の攻撃が始まる。
打順は8番の大松選手から。
俺は9番バッターだからネクストバッターズサークルに向かわなければ。
「ああ……」
呼びかけに応じてから、バットを手にベンチを出る。
第1打席までのネクストバッターズサークルでの短い時間で何かが覚醒するなら苦労はしない。スポーツはそういうものではない。
それでも起死回生の案が浮かぶことを願わずにはいられなかった。




