354 追加点は遠い
「立ち上がりいい感じね!!」
3番のビスケット選手をキャッチャーファウルフライに打ち取って3アウト。
攻守交替となって速やかに1塁側のベンチへと戻ってきた俺達は、守備の間も懸命に応援していた美海ちゃんの笑顔と弾んだ声に出迎えられた。
他の選手達の雰囲気も悪くない。
1回の攻防が終わって1-0。日本代表が1点リードという状況。
バンクノート・パークの大型電光掲示板に表示されたその確かな事実に、アメリカ代表という絶対強者を前にしながらも勝利の可能性を感じ取れたのだろう。
その興奮が、世界の趨勢を左右するWBW決勝戦という大舞台そのものに対するプレッシャーや史上最強の敵への畏怖を抑え込んでくれている。
そんなところか。
いずれにしても、当面は臆することなく戦いに臨むことができるはずだ。
しかし、そんなチームメイト達の様子とは対照的に。
「……秀治郎君、どうしたの? そんなに浮かない顔して」
先発ピッチャーである俺は初回3者凡退という結果をそのまま受けとめることができず、美海ちゃんにそう問われてしまうぐらい眉間にしわを寄せていた。
「次のイニングに向けて気を引き締めてるって感じじゃ、ないわよね?」
「まあ……うん」
僅か1イニングのこととは言え、初回のアメリカ代表の攻撃を無安打無失点に抑えることができた国は過去片手で数えられる程しか存在していない。
当代のアメリカ代表ともなれば初めての出来事だ。
褒め称えられこそすれ、貶されるようなことはあるはずもない。
とは言え、俺はこの状態を素直に喜ぶことはできなかった。
この試合の目的は善戦することではなく、あくまでも勝利すること。
にもかかわらず、たった1/9を切り抜けたに過ぎないこの段階で気を緩めてなどいられるはずもないというのも勿論そうだが……。
何よりも、アメリカ代表選手達の態度が俺に改めて強い危機感を抱かせていた。
「あっちの選手達、しゅー君に打ち取られた癖に凄く嬉しそうにしてて不気味」
思わず言い淀んでしまった俺の気持ちを代弁するように、眉をひそめて口をへの字に曲げながらあーちゃんが答える。
1番のキッド選手は笑顔でリベンジ宣言するなど特にあからさまだったが、2番のセオドア選手も3番のビスケット選手もベンチに戻る背中は妙に楽しげだった。
彼らから情報を得ようとベンチで待ち構える他の選手達も似たようなもの。
まるで自分達の全力を出すに相応しい存在の出現に歓喜しているかのようだ。
「……気色悪い」
あーちゃんが更に不愉快そうに呟く。
それはちょっと言い過ぎのような気もするが、気持ちは分からなくもない。
確かに俺は転生者の1人として勝手ながら部分的に彼らに共感し、その倦怠を晴らしてやりたいという気持ちも抱いてはいた。
今もそう思っている。
だが、試合のさ中にそこまで嬉しそうにされるのはさすがに何か違うだろう。
そんなような感覚も同時に沸き上がってきていた。
俺達は別に彼らの娯楽になるためにここまでやってきた訳ではないのだから。
バンビーノ選手は俺に対して「野球を楽しめ」と言った。
けれども、それは決してこういう意味ではないはずだ。
俺にとってのみならず、彼ら自身にとっても。
ハッキリ言って、あんな喜び方をされても単なる余裕の顕れにしか見えない。
むしろ、その平然とした顔を突き崩してやること。
それこそが彼らを本当の意味で退屈から解放し、正しい形で野球を楽しむことに繋がっていくのではないだろうか。
俺は自分のことを棚に上げてそう思った。
「……まあ、確かに。もっと張り詰めて貰わないと逆にこっちが不安になっちゃうわね。けど、このままキッチリ抑えていけば余裕もなくなってくんじゃない?」
「それができればそうだろうけど、今のままだと厳しくなる可能性が高い」
「ん。アイツら、しゅー君の球を楽しみながら見極めようともしてた」
あーちゃんのアメリカ代表への言葉遣いが悪くなっていってるのはさて置き。
1回の裏はまだアンダースローに目が慣れていない内にストライクゾーン勝負を徹底したからこそ、球数をほとんど消費せずに終えることができた。
とは言え、打順が1巡もすれば間違いなくボール球を駆使していかなければならなくなるだろうし、そうして球数が増えればどんどんアジャストしてくるはずだ。
彼ら自身もまた、そうなることを前提に置いているに違いない。
負け惜しみでも何でもなく、単なる事実として。
あたかも自然なことであるかのように。
だからこそ、ああも楽しそうにしていられるのだ。
「……とにかく今は、もっと点が欲しいな」
和気藹々とした雰囲気を醸し出しているアメリカ代表ベンチを睨むようにしながら口をついて出た言葉は、余りにも当たり前過ぎる願望だった。
1点より2点。2点よりも3点。
あちらが俺のアンダースローに対応してくる前に可能な限りリードを広げたい。
点はいくらあってもいいのだから。
しかし――。
――カンッ!
「あっ」
「ヒズアウッ!!」
この回先頭の5番バッターである昇二は、セカンドゴロに倒れてしまった。
初球は高めから大きく落ちる速いカーブだった。
昇二は積極的に打ちに行くも3塁線切れてファウル。
ノーボール1ストライク。
2球目はインコース高めいっぱいへのフォーシームにスイングできず。
見逃しでノーボール2ストライクと追い込まれた。
そして、そのカウントから投じられた3球目は緩いカーブだった。
昇二はタメを作ってバットを残そうとしたものの、球速がやや緩い分だけ一層大きくなった変化と緩急に対応し切れず芯を外してしまった。
ボールの上を叩いた打球は比較的球足の速いゴロにはなったものの、セカンドのラージャ選手の真正面へと転がっていった。
彼は流れるような動作でそれを捕球し、一切の無駄なくファーストへ送球。
単なるイージーゴロの打球処理だが、洗練されて極まっている。
今後もエラーなど決して起こり得ないと思わせるようなアウトだった。
まあ、それは史上最強のアメリカ代表なら当然のこと。
驚くようなことではない。
それはそれとして。
今は昇二に対するサイクロン選手とジェネラル選手の配球の方だ。
これは――。
「……完全に見抜かれてるな」
「何を?」
「昇二の、ファーストストライクとそれ以降の集中力の差を」
彼の超集中状態はトラウマや性格のせいもあって限定的だ。
結局、この決勝戦までには克服できなかった。
1球目のカーブの時点では超集中状態に入っていたが、サイクロン選手はそれを察して俺に対して行ったようにリリースポイントを欺瞞した。
それによって昇二のタイミングは絶妙に狂わされた。
結果、バットが遅れてファウル。
1ストライクとなって超集中状態が途切れた。
勿論、昇二は2球目以降も高い集中を保ってはいた。
だが、超集中には程遠く……。
1球目の残像を利用した緩急に対応し切れず、最後はゴロを打たされた。
「単純に数字から判断したんじゃなくて?」
「それもなくはないだろうけど、あの場でより深いところまで見極めたんだろう」
「ノイズにも惑わされなかった」
昇二が昇二らしくバッティングをすれば、自然とファーストストライクまでの結果が突出してよくなっていく。
数字を見れば、誰もが1ストライクまで特に警戒すべきだと気づくだろう。
しかし、インターンシップ部隊がアメリカでバンビーノ選手と邂逅して以降、俺達はそういった部分をなるべく隠すように動いた。
分かりやすい偏りを意識的に成績の中に作り上げ、ノイズを生み出してきた。
勿論、もっと前の成績をしっかり見渡せば本来の傾向も見えてくるが……。
ノイズが邪魔をしてデータの信用度が大幅に低下することになる。
にもかかわらず、アメリカ代表バッテリーは迷わなかった。
マウンドから。あるいはキャッチャースボックスから。
昇二の様子を窺い、正しい情報の取捨選択を行って配球を組み立てたのだ。
「ストライクワンッ!!」
続く6番バッター。正樹は1球目のカーブを見送った。
WBW決勝戦という舞台に闘志は十二分に高まっているようで、彼もまた第1打席から超集中状態に入っていることが分かる。
にもかかわらず、初球のストライクを見逃したのは正樹が俺や昇二に対して見せたサイクロン選手の技巧にも気づいているからだろう。
それをどうにか見極めようとしているのだ。
……ただ、恐らくそれはヒットを打つには悪手だ。
「ストライクツーッ!!」
2球目のカーブもリリースポイントの違和感に意識を取られてしまったようだ。
正樹はスイングせずに見送ってノーボール2ストライク。
結果、それが更なる迷いを生んでしまっていた。
――ブンッ!
パァンッ!!
3球目のカーブに対して正樹は合わせにいくような中途半端なスイングをしてしまい、結局は完全に振り遅れて空振りの三振に倒れてしまった。
「くそっ」
後悔の残る打席となってしまったようで、正樹は悪態を吐きながら戻ってくる。
それをネクストバッターズサークルから目の当たりにしていた7番バッターの磐城君は、惑わされるよりも先に打ちに行くべきと判断したようだったが……。
――カンッ!
今度は打ち気に逸ったのを見透かされてしまったのだろう。
初球のカーブは低めに外れるボール球で、それを磐城君は引っかけてしまった。
ボテボテのゴロはサイクロン選手の真正面。
僅か1球でピッチャーゴロに倒れ、3アウトチェンジ。
前のイニングで呆気なくアウトになっている俺が言えることではないが、2回表の日本代表の攻撃は淡白に3者凡退という結果に終わってしまった。
「追加点は遠いな」
電光掲示板に表示された0の文字を見ながら呟く。
単なる数字以上に重たく感じる。
「しゅー君。抑えればいいだけ」
「……ああ」
それができれば苦労はしないが、現状ではそれ以外にないのも事実。
俺は視線をマウンドに戻し、2回裏の守備につくためにベンチを出たのだった。




