350 世界最高の選手との初対面
WBW決勝トーナメントは大会中の勝率が高いチームが後攻となる。
同率だった場合は得失点差が大きい方だ。
日本代表とアメリカ代表はこれまで互いに全勝で来ているため、勝率は同じ。
つまり決勝戦は、ルールに則って得失点差で先攻後攻が決まった訳だが……。
当然ながら、アメリカ代表が圧倒的過ぎて議論の余地など一切ない状態だった。
全体を見渡すと直前のロシア代表戦が1点差ゲームだったことが影響してそうにも思えるが、実際は準決勝戦以前の時点で既に覆せない程の差ができていた。
だから先攻日本代表、後攻アメリカ代表というのは誰が見ても既定路線だった。
アメリカ代表の後攻に至っては大会前から予想されていたことでもある。
そもそも第1回大会からずっとそうだった訳だからな。
もっとも、同じ球場を使い続けることができる特権とは異なり、こちらに関しては開催国故のアドバンテージではない。
アメリカ代表の純然たる実力によるものだ。
ともあれ、日本代表は準決勝戦に続いて決勝戦もまた先攻。
即ちビジター扱いでアメリカ代表との決戦に臨む形となった。
試合前練習の順番についてもそれに準じており、試合開始まで2時間を切った今は日本代表のバッティング練習の時間となっている。
決勝戦の舞台であるフロリダ州マイアミのバンクノート・パークはつい先程開場されたらしく、続々と観客がスタンドに入場してきているのが見える。
勿論、ほとんどがアメリカ人だ。
WBWのために何度も増築された世界最大の収容人数を以ってしても圧倒的に需要過多なので、彼らは正に抽選を潜り抜けた猛者ということになる。
ロシア代表戦では観客はほとんどが味方だったが、今回は違う。
容赦なくブーイングを浴びせられることもあるだろう。
先攻後攻の件も含め、完全アウェー以外の何ものでもない。
「秀治郎君、頑張って!!」
「日本代表、ファイト!!」
そんな中でも日本応援団はいる。
バンクノート・パークではビジターチームは1塁側ベンチを使用するので、彼らもまた近いところに固まっているはずだ。
家族や仲間達のチケットに記載されていた座席番号もその辺りだったし。
「琴羅と琉子は声が大きくて分かりやすい」
ちょっと呆れ気味に言ったあーちゃんに小さく笑いながら、球場によく響く泉南さんと佳藤さんの澄んだ声がした方向に目をやる。
すると、すぐに4人組の姿が見て取れた。
近くには父さんと母さん、お義父さん、お義母さん、暁の姿も確認できる。
2人以外は体力を温存しているのか、今は静かにこちらを見詰めていた。
「アメリカに打ち勝て!!」
「栄光を掴め!!」
「……試合までにバテそう」
試合開始までまだ1時間以上あるのに既にフルスロットルな彼女達にあーちゃんが小声で突っ込むが、2人はサフフラワーガールズの所属だ。
チアリーディングも体力勝負。
これぐらいは問題ないはずだ。
ペース配分だってちゃんと考えているだろうしな。……多分。
「手でも振っとく?」
「いや、やめとこう」
決勝戦で変に切り取られでもしたら彼女達にとっても余りよろしくないだろう。
皆のいる辺りに視線を向けて小さく頷くのみに留め、一先ず練習に集中する。
まずバッティングからだ。
そして自分の番が終わったら、最後の仕上げの投球練習に向かわねばならない。
それからアメリカ代表の守備練習に切り替わったところで最終ミーティング。
オープニングセレモニーをして試合開始の流れになる。
まあ、最後の仕上げというのはそういう名目でしかないけれども。
「隠し玉は極力見せないもの」
内心を読んだようなあーちゃんの呟きはともかくとして。
軽くバッティング練習を終えた俺と彼女は、一緒に右中間スタンド前にあるビジターチーム用ブルペンに向かおうとした。
丁度そのタイミングで――。
「む。しゅー君」
引き留めるようにあーちゃんに呼ばれ、俺は彼女の視線を辿った。
すると、3塁側ベンチからこちらに近づいてくる人影があった。
その顔はよく知っている。
画面越しに、ではある。
ただ、どこかに弱点がないものかと幾度となく目を凝らしてきた相手だし、そうでなくとも今生の人間なら誰もが一目で気づくだろう。
世界最高の野球選手。バンビーノ・G・ビート。
野球に狂ったこの世界において最も知名度のある存在。
そう言っても何ら過言ではない。
『やあ、初めまして。シュウジロウ選手』
『は、初めまして。バンビーノ選手』
生で見ると一回り以上大きく見える彼に気さくに話しかけられ、そのアンバランスさに少し気圧されながらも何とか挨拶を返す。
体格だけならミオスタチン関連筋肉肥大症のロシア代表選手の方が上だ。
身長や体重といった数字で比較してもそれは間違いない。
しかし、彼には底知れない凄みがあり、目の前にいるだけで圧迫感がある。
表面上はフレンドリーだから尚のことギャップで恐ろしさを感じる。
もし精神安定系のスキルがなかったら、試合中まともに力を発揮することができなくなっていたかもしれない。
『アカネ選手も』
『……初めまして』
にこやかにあーちゃんにも視線を向けたバンビーノ選手に対し、彼女は警戒するようにいつも以上に表情を硬くしながらも軽く頭を下げる。
普段マイペースなあーちゃんもまた、彼の威圧感に影響されているようだ。
『2人共、会えて嬉しいよ』
『こちらこそ、世界最高の野球選手と謳われる方にお会いできて光栄です』
単なる社交辞令ではない言葉にこちらも本心を返す。
とは言え、全てではない。
俺にとっては今生の肩書きだけの存在ではないのだから。
バンビーノ・G・ビートは【野球の神様】などという名称からして大それた【特殊生得スキル】を与えられるに足る、前世のレジェンドの魂を宿した選手だ。
彼自身にその自覚はないだろうが、こちらからすると最も尊敬する歴史上の偉人に面と向かって声をかけられたような気持ちも抱いてしまう。
根本的な部分で小市民な俺としては、よく頭が真っ白にならずに受け答えできたと自分で自分を褒めたいぐらいだ。
『……そう堅苦しくならないで欲しいな。自然体で接してくれないか?』
『い、いや、それは……』
『偵察に来ていた子にも言ったけど、こちらも君達のことも色々と調べている。だから正直なところ、初めて会った気がしないんだ』
この圧迫感がなければ少しはそれに近い感覚を抱いたかもしれない。
だが、そうだったとしても砕けた態度を取ることはできなかっただろう。
相手は正に伝説的な選手なのだから。
『うーん、真面目過ぎるのかな』
黙り込んでしまった俺を見て、バンビーノ選手は困ったように笑う。
『まあ、言っても初対面だし今日のところはいいか。それよりも、彼女達にお願いしていた伝言はちゃんと届いたかな?』
『伝言……ええ、それは、まあ……』
俺が煮え切らない反応をすると、彼は肩を竦めて嘆息した。
『その様子だと、ことここに至ってもまだ野球を楽しめてないみたいだね。本当に勿体ない。そんなんじゃ勝てるものも勝てないよ』
そう告げてから、返事なり反論なりを待つように俺を見るバンビーノ選手。
思わず彼から少し目を逸らす。
そんな俺の様子を見てバンビーノ選手は一層深く溜息をついた。
『シュウジロウ選手。君、ホントはもっとずっと野球が好きだろ?』
母さんの問いかけと似ているようで少し異なる質問にギクリとする。
『なのに、何だろうな。何かに、と言うか、誰かに引け目でもあるのか……変な後ろめたさみたいなものがある感じがする』
その指摘に更に目線を下げる。
『それで大手を振って好きと言えない。だから野球を楽しめない』
横からあーちゃんの視線を感じる。
【以心伝心】が気遣うような、探るような気持ちを伝えてくる。
そんな俺達を余所に。
『君は、もっと野球を楽しんでいいんだよ』
バンビーノ選手はそう諭すように続けた。
その許容の言葉におずおずと顔を上げる。
すると、彼は真っ直ぐにこちらを見詰めていた。
俺のためを思ってのものであることがハッキリと感じ取れた。
『アカネ選手もね』
そこで突然矛先を向けられた彼女は、しかし、眉をひそめつつも口を噤む。
胸の内で渦巻く複雑な感情が届く。
どうやらバンビーノ選手の発言は的を射たものだったようだ。
つまり、あーちゃんもまた野球を純粋に楽しむに至っていないということ。
それは単に優先順位が低いだけなのか、あるいは俺に遠慮してのことか……。
『何はともあれ、いい試合をしよう』
『……は、はい』
考えの途中でバンビーノ選手から握手を求められ、慌ててそれに応じる。
その瞬間、近くのカメラマン席からシャッター音が激しく鳴り響いた。
それによって今どこに立っていて、これから何をするのかを思い出す。
周りの目があるのだから、彼とのやり取りに動揺している場合ではない。
内容の是非はどうあれ、今この瞬間は「プロ野球選手野村秀治郎」であらねば。
片や絶対王者アメリカ代表の中でも史上最強と謳われるチームのキャプテン。
片やそれに挑む日本代表の先発ピッチャー。
WBW決勝トーナメント決勝戦の象徴的な光景となるように、意識的に表情を取り繕ってバンビーノ選手を見る。
対して彼は「やれやれ」と言いたげな表情を見せると――。
「Enjoy baseball」
最後に俺を指差しながら念押しするようにそんな言葉を残し、自軍ベンチへと戻っていったのだった。




