349 当日午前③
「プロ野球選手野村秀治郎」という外面を引っぺがした俺は単なる小市民でしかなく、母さんが口にした通り純粋に野球が好きな訳ではない。
かと言って決して嫌いな訳でもなく……。
スポーツの中では野球が最も好きなのは間違いない。
言い換えれば「好き」に色々と不純物が入り込んでしまっていたり、余計なものがくっついてしまっていたりしている、ということだ。
それは、前世で競技者として野球に励んだことがないのが最大の要因だと思う。
野球が好きになって、順当に野球を始めて、たとえプロ野球選手になることができなかったとしても競技者として青春を駆け抜けた記憶があったなら。
たとえ転生者であれ、もっと純粋に野球に没頭する人間になっていただろう。
まあ、そういう魂を野球狂神が欲していたかどうかは分からないが。
アレが大リーグのレジェンドの魂を得ることに固執した結果、世界のバランスがヤバいと気づいた時には俺のような存在しか残されていなかった。
他の魂も似たり寄ったり。
あるいは、俺から見てもヤバめな輩だけ。
野球狂神が慌てたところで後の祭りだった。
ドラフト会議の結果それ自体は、神であろうとも変えられないのだから。
……それはともかくとして。
他にも野球狂神から課せられた使命だったり、打倒アメリカへの当然の道筋として日本国内では無双せざるを得ない状況だったりといったこともある。
停滞した日本野球を革新して導く者として「プロ野球選手野村秀治郎」を演じながら、実態は育成シミュレーションで効率プレイをするように生きてきた。
勿論、攻略情報なんてものはないし、常に手探りな上に場当たり的だったから最善のチャートだったとはとても言いがたいけれども。
いずれにせよ、俺は健全な競技者とは言えず、自らを顧みても余りにも歪だ。
見る者が見れば、その歪みを見抜くことなど容易いだろう。
それが家族ならば尚更のことだ。
しかし、そんな己の本質のようなものをこうして皆の前で不意に明かされてしまうと、俺もどう反応したものか迷ってしまう。
自然と場に沈黙が降りる。
恐らく全員、俺の言葉を待っているに違いない。
「あ……」
そんな中で、陸玖ちゃん先輩が何かを思い出したように息を漏らした。
タイミングのせいで殊の外大きく響き、全員の視線がそちらに集まる。
「えっと、どうしました? 陸玖ちゃん先輩」
俺もまた彼女に顔を向け、若干誤魔化すように問いかけた。
「う、うん、その、バンビーノ選手も似たようなことを言ってたなって」
「ああ……」
報告にあったな。
インターンシップ部隊がバンビーノ・G・ビート選手擁するニューヨーク・ノーザンライツのホームゲームを偵察した時のことだ。
球場で預けた荷物を人質ならぬモノ質に取られ、球団職員に連れていかれた先でバンビーノ選手と思いがけず対面する機会を得たと聞いている。
そして彼女達は、そこで俺に対する彼からの伝言を受け取っていた。
「バンビーノ選手と言うと、あのバンビーノ選手ですか? アメリカ代表の?」
陸玖ちゃん先輩の言葉に、驚いたように目を見開いて尋ねる母さん。
この話の流れでその名前が出てくるとは露程も思っていなかったに違いない。
対して人見知りで母さんにはまだ余り慣れていない陸玖ちゃん先輩は、恐縮したように「は、はい。そうです」と応じてから言葉を続けた。
「秀治郎君は退屈そうだと。それから、野球を楽しめないなんて勿体なさ過ぎるから、もっと野球を楽しむべきだと言っていました」
彼女はそこで一旦区切り、それからおずおずと再び口を開く。
「私も、その、昔から秀治郎は少し退屈そうにしてる気がしてました。けど、それは単に周りにライバルが少な過ぎたからかなと思ってましたけど……」
野球の好き嫌い。好きの純度とかではなく。
圧倒的強者故の孤独。退屈さ。
これは「プロ野球選手野村秀治郎」という存在が語られる時に、割とよく野球評論家や世間一般のファンからも言われていることだ。
小市民的には傲慢な気がして勘弁して欲しいとも思うが、成長や育成をゲーム的に捉えている俺は必然的に立ち位置が違ってそう見えてしまうのも分かる。
と言うよりも、そう見せかけている側面もゼロではない。
そこに異を唱えて追い縋ろうとする者が1人でも生まれてくれれば、日本野球界全体のレベルアップにも繋がる訳だから。
他国の転生者なりトップランナー達も多少は似た考えを持っているだろうし、バンビーノ選手に至ってはより高い視点で共感していてもおかしくはない。
ただ、何となく彼はもっと深いところまで俺の本質を見抜いている気がする。
それこそ母さんが言ったようなことまで。
何せバンビーノ選手は、試合のさ中に観客席にいる彼女達の動きを正確に把握することができるぐらいの洞察力がある訳だしな。
退屈そうというところから更に一歩踏み込んで野球を楽しむべきという助言を彼女達に託したのも、だからではないかと思う。
「陸玖ちゃん。貴方も秀治郎をずっと気にかけてくれているのですね」
「あ、いえ、えっと……はい。私なんかが烏滸がましいとは思いますけど、秀治郎君のおかげでここまで来られたので」
少し卑屈になりながらも、後半部分はハッキリと答える陸玖ちゃん先輩。
そんな彼女の姿にどこか嬉しそうに微笑んでから、母さんは難しい顔になった。
「それにしても、あのバンビーノ選手が秀治郎のことをそこまで……」
「獅子は、兎を狩るにも、全力を尽くす、とはよく言うが、正にその通りか」
父さんの呟きに、母さんが申し訳なさそうな表情を浮かべて俺を見る。
「秀治郎、ごめんなさい。よかれと思って言いましたが、二番煎じのようになってしまいました。余計なお世話だったかもしれませんね」
「……いや、そんなことないよ」
バンビーノ選手の言葉も決して無下にしていた訳ではない。
とは言え、どこかで本物の絶対強者故の感覚だと線を引いていたのも事実だ。
アメリカ代表に挑むに当たって、そんな余裕などなかったというのもある。
けれども1度ならず2度までも。
それも片や世界最高と謳われる野球選手から。
片や運動音痴を自認する母親からも同じようなことを言われては、WBW決勝戦という大一番の直前であっても少し立ちどまって考えざるを得ない。
俺はこれまで、やれる限りのことはしてきたつもりだ。
少なくともこの1戦に限れば、アメリカ代表に勝つ目もあると思っている。
だが、それもよく見積もって10に1つというところ。
9割方負ける厳しい戦いの中では当然劣勢に立たされることもあるだろう。
どうしようもなくなって投げ出したくなる場面も来るだろう。
そうなってしまった時に――。
「最後の最後で大事になるのは、野球を純粋に楽しむ気持ちだとは俺も思うから」
それ自体は野球に限ったことではなく、勝負ごとの真理であるはずだ。
何ごとも楽しむことができる人間の方が強い。
勿論、楽観的なだけで実力も努力も不十分な者のことは言っていない。
近いレベルのものが競い合った時に、そういう精神状態にある方が比較的いい結果を出せるだろうというだけのことだ。
しかし、正直なところ。
頭では分かっていても実践できる気がしない。
俺の中に不純なものがあり過ぎる。
そこはやはりアメリカ代表選手に比べて明確に劣っている部分ではあるだろう。
では、どうやって肉薄するか。
楽しむ気持ちとは対極にあり、己の力を十二分に発揮する方法は……。
やはり決死、だろうか。
自らを背水に置き、死にもの狂いで挑む。
そんな机上の知識はある。
ただ、それも所詮は知識でしかない。
野球を純粋に楽しむことができないように、俺は試合に臨む上で決死の覚悟を持つこともまたできそうにない。
……まあ、できないことを把握しておくというのも大事だ。
敵を知るのと同等に己も知るべし。
俺がすべきことはこれまで積み重ねてきた以上のものを発揮する方法を探ることではなく、キッチリ100%の実力を出し切ることだろう。
できないことが突然できるようになることを期待すべきじゃない。
今の俺にはバンビーノ選手や母さんの助言通りにはできない。
それを――。
「肝に銘じて、精一杯戦ってくるよ」
「……ええ」
ちょっと困ったような表情で応じる母さん。
俺の心の動きも何となく察しているのだろう。
とは言え、さすがにこの場ではもうこれ以上突っ込むべきではない。
そう判断したようだ。
「あ、みなみー。みっく」
と、丁度そのタイミングで美海ちゃんと倉本さんがこちらに近づいてきた。
その後ろには昇二と正樹、大松君や磐城君の姿もある。
彼女達は彼女達で自分の家族と会っていたはずだが、いい時間になってきたので他の面々にも会いに来たようだ。
「美海、大丈夫?」
松葉杖をついている彼女に泉南さんが近づき、寄り添うようにしながら問う。
「ええ。問題ないわ」
心配をかけまいとしている笑顔ではない快活な笑みと共に応じる美海ちゃん。
それを見て4人組も他の皆も安心したようだ。
連絡は取っていたが、やはり面と向かって無事を確認できると違うだろう。
「ベンチにはー、入れるのー?」
「ええ。貴方達の分もベンチから応援するから」
「うん。お願い」
「私達もスタンドから声の限り応援します」
彼女達も加わって、試合前の最後の自由時間を過ごす。
こちらも主に思い出語りをして――。
「時間、か……」
あーちゃんと共に立ち上がる。
そして、集まった皆を見回す。
積み重ねてきた全て。家族と仲間達の姿。
肩を並べて戦うことができなくとも、今日という日を共に目指してきた。
彼らの姿を改めて目に焼きつける。
「じゃあ、行ってきます」「行ってきます」
「……行ってらっしゃい。秀治郎、茜ちゃん」
「新しい夢を、見せてくれ」
「見守っているわ」
「悔いのないようにな」
そして、それぞれ家族からの言葉を貰い――。
「世界初の快挙、成し遂げて見せて」
「頑張れー」
「全力で応援するからね!!」
「打倒アメリカ代表!」
「勝利を祈ってます」
「ま、負けないで下さい……!」
皆の声を背に受けながら、俺達はホテルを発ったのだった。




